
「良い肉を」今日も静かに すきを焼く
和田金
Matsusaka, Mie
Review 83
小豆色に輝く元祖の矜持と静寂に包まれる食の劇場
三重県松阪市。
ここに、日本の肉料理の歴史において、決して避けては通れない聖域が存在します。
明治11年の創業以来、実に140年以上の長きにわたり、松阪牛の真価を問い続けてきた老舗。
「和田金」。
自らを「松阪肉元祖」と称するその暖簾の重みは、計り知れません。
一歩足を踏み入れれば、そこはまるで老舗旅館のような静寂と品格に満ちています。
赤い絨毯が敷き詰められた廊下、磨き上げられた調度品、そして凛とした仲居さんたちの振る舞い。
すべてが、これから始まる至高の食体験への序章として、完璧に整えられています。
「良い肉」への執念、小豆色の真実
和田金で供される肉は、私たちが普段目にする鮮やかなピンク色の牛肉とは、決定的に異なります。
目の前に運ばれてきた大皿に盛られているのは、深く、濃い「小豆色」をした肉塊。
これこそが、和田金が誇る「兵庫産・未経産の黒毛和牛の雌牛」を、自社牧場で長期肥育した証です。
一般的な霜降りの華やかさとは一線を画す、落ち着いた色合い。しかし、そこには目利きのプロたちが「これぞ本物」と唸る、熟成された旨味が凝縮されています。
「あえて冷凍しない」という鉄の掟もまた、肉への敬意の表れです。
繊維を傷つけず、細胞の一つひとつが生きたままの状態で、分厚く手切りされたその肉は、箸で持ち上げるだけで、ずっしりとした重量感と生命力を伝えてきます。
A5ランクといった記号的な評価ではなく、ただひたすらに「良い肉」であること。
創業者が遺した「悪い肉を出すなら商売をするな」という言葉は、今も厨房の奥底で、そして牧場の土の上で、厳格に守られ続けています。
菊炭が熾す、静かなる情熱
個室に通されると、そこにガスコンロはありません。
あるのは、美しい火鉢と、黒々と輝く南部鉄器の鍋。
そして、その中心で赤々と燃える「菊炭」です。
ガス火のような無機質な音も、急激な温度変化もありません。
炭火の遠赤外線が、分厚い南部鉄器をじっくりと、芯から温めていく。
この「待つ時間」さえもが、和田金のすき焼には不可欠な調味料となります。
仲居さんが砂糖とたまり醤油を鍋に落とすと、香ばしい湯気がふわりと立ち昇ります。
しかし、決して騒がしい音は立てません。
静寂の中で、肉が鍋肌に置かれる微かな音だけが響く。
それは、肉を「煮る」のではなく、文字通り「焼く」という行為。
余計な水分を与えず、肉自身の脂と旨味だけで火を通していく。
食材を驚かせないよう、静かに、優しく、慈しむように。
究極の「すき」を焼く
焼き上がった一枚の肉を、溶き卵にくぐらせて口に運ぶ。その瞬間、言葉は意味を失います。
分厚い肉であるはずなのに、抵抗なく歯が入り、濃厚な旨味が奔流となって口中を支配する。
たまり醤油の力強いコクと、砂糖の甘み、そして肉そのものが持つ野性味あふれる香り。
それらが渾然一体となり、脳裏に焼き付くような強烈なインパクトを残します。
「とろける」という安易な表現では追いつかない、噛み締める喜びと、ほどける儚さの共存。
これこそが、和田金が守り続けてきた「寿き焼」の真髄です。
仲居さんの所作もまた、この劇場の重要な要素。
一枚一枚、客の食べる速度に合わせて、完璧な火入れで提供される肉。
彼女たちは黒子でありながら、この食卓という舞台を指揮するマエストロでもあります。
すべてを委ね、ただ目の前の「すき」を味わうことだけに没頭できる贅沢。
元祖が示す、未来への道標
食事を終え、再び静寂の廊下を歩くとき、心に残るのは単なる満腹感ではありません。
それは、日本の食文化の深淵に触れたという、厳かな感動です。
流行り廃りの激しい現代において、頑ななまでに変えないことの凄み。
炭を熾し、鉄鍋を温め、良い肉を静かに焼く。
そのシンプルで原始的な営みの中にこそ、私たちが忘れかけている「食の本質」があります。
「良い肉を」今日も静かに すきを焼く
松阪の地で灯り続ける菊炭の炎は、これからも変わることなく、至高の肉を、そして私たちの心を、静かに温め続けてくれることでしょう。