
考えてみれば変な食べ物
食べ物の好き嫌いをすることなく、ここまで生きてきた。
パクチーは苦手だが、別に食べられなくもない。それ以外に苦手な食べ物は特に思い当たらない。
兄と同居していた頃、なぜか家に「コオロギスナック」なるものがあり好奇心から食べたのだが、旨みに欠けたエビみたいだった。別に好きではないが、格別苦手ではない。他の虫も似たようなものだと思えば、そこまで苦手意識を持たずに食べられる気がする。
好き嫌いがないのは、もちろん食べたことのある食べ物の中で、の話だ。かれこれ四半世紀生きてきたが、まだ食べたことがないものがたくさんある。もしかするとこれから口にするものの中に、大の苦手な食べ物があるかもしれないが、今の私には格別苦手な食べ物はない。
しかし、どれほど好きな食べ物であっても、ふとした瞬間に「変な食べ物だな」と思う食べ物もたくさんある。
例えばフライドポテト。
そもそもなんで芋を揚げるのか。カロリーにカロリーを着せて何がしたいのか。そこまでして我々を太らせたいのか(そう思うとライスコロッケも非常に変な食べ物だが、そこまで食べる機会がない)。
それに味に関しても、塩味がついてるからそれだけでいい気もするのに、なぜ、揚げた芋にトマト味をつけるのだろうか。奇妙な話だが、なぜかケチャップをつけてしまう。しかもポテトはハンバーガーと一緒に食べることが多い。なんで炭水化物主体の食べ物(ハンバーガー)と一緒に、炭水化物の塊(ポテト)を食べるのか。そして炭酸入り砂糖水(コーラ)を飲むのか。変な風習である。でも美味しいから食べる。絶対にサイドメニューはポテトなのだ。少なくとも私はそうであり続ける。
いやでもやっぱりおかしい。なんでこいつが居酒屋やカラオケで主役を取れてるのかは本当にわからない。誰かが注文すると何で妙に場が沸くのだろうか。変な食べ物すぎるし、そんなに盛り上がるか?という疑問が浮かぶ。でも確かに美味しくはある。
「揚げた芋」という存在も、「ケチャップをつける」という行為も、それが人気を博している、という現実も全て奇妙だ。
そして何より、こんな変な食べ物が美味しい、という事実が奇妙だ。
例えば寿司。
「この非国民!日本から出ていけ!!カリフォルニアロールを一生食ってろ!!!」と言われても仕方ないが、落ち着いて考えてみてほしい。寿司はなかなか変な食べ物だ。そう思わないかい?
なぜ米(しかも酢飯)に刺身を乗っけて、しかもそれを握って食べるのか。もちろんそれが美味しくて食べるのだが、誰がどうしてこんな食べ方をしようと思ったのか。しかも米と刺身の間にわさびなるものをつけたり、食べるときも醤油をつけて食べたりする。そもそも酢飯で味ついてるのに。でも、それが美味しいのである。
にも関わらず、私は寿司を見るたびに「お!寿司だ!変な食べ物だなぁ〜」と思ってしまう。そしてその変な食べ物に舌鼓を打つのだ。なんてったって美味しいもの。
食べ物への違和感と満足感は両立し得る。
寿司が出たついでだが、軍艦巻も変な食べ物だと思う。私は軍艦巻をみてガチ軍艦を思い浮かべたことがない。というか軍を放棄した日本において、この呼び方いいの!?と思ってしまう。小学生の頃とかにやってた「戦争」というじゃんけん遊び(一般的には軍艦じゃんけんという名前らしい)ぐらい、ヒヤッとするネーミングである。
果たして「軍艦」という名称はいつから使われているのだろうか。疑問とともにネギトロ軍艦などを食べる。
ちなみに調べてみたら、1941年に銀座の寿司屋で「軍艦」が考案されたらしい。真珠湾攻撃の影響もあって、海軍の軍艦をイメージした寿司はたちまち人気になったそうだ。よく今まで改名しなかったな、とは思う。
例えば、今回の記事のサムネイルにもなった、たこ焼き。
これをお読みの関西の方はまだ私をnote事務局に報告しないでほしい、せめて最後まで読んでいただきたい。私は大前提、たこ焼きが大好きだ。昨年の夏に万博に行った時は、本場のたこ焼きに感動したあまり、2日間で4回食べたほどだ。私はたこ焼きが本当に大好きで、その上で「変な食べ物」だと思っているのだ。
まず、あの食べ物を「たこ焼き」と名付ける勇気に恐れ入る。たこ焼きの不思議な点として、「たこ」を売りにしているお店を一度も見たことがない、という点が挙げられる。これは私が気づいていないだけなのかもしれないが、「新鮮!!⚪︎⚪︎産たこ使用!」みたいなたこ焼き屋を私は見たことがない。「『たこ』焼き」というからには、たこ自体にこだわってもいいはずなのに、なぜかそういうお店は見かけない。なのに、「『たこ』焼き」という名前なのである。別にたこが外から見えるわけでもないのに「『たこ』焼き」という名前なのである。食べてみるまで、それは「たこ」焼きなのかどうかわからない。不思議な食べ物である。
どちらかといえばこの食べ物のメインは「焼き」にあるのではないだろうか。かといって、大学生のタコパみたいに、たこの代わりにウインナーを入れてもいいわけではない。たこが不満のない大きさで入っている前提の話だ。
この、たこを包む「焼き」の部分がたこ焼きの地域差やアイデンティティを生み出している。だから、やはりたこ焼きのメインは「焼き」にあると思う。そして「焼き」をまず楽しんでからの「たこ」という2段構造を楽しんでいる。
しかしこれもなぜ、たこを「焼き」の中に入れて丸く焼こうと思ったのだろうか。別にお好み焼きみたいに平たくてもいいだろうし、「イカ焼き」みたいに生地に混ぜて畳んでもいい。なのになぜ、わざわざ球体にするための型を使ってまで、まんまるにするのか。意味がわからない。
それが美味しいのはわかっている。わかった上で、変なのだ。
以上が私の変な食べ物への考えである。
これ以外にも変な食べ物はたくさんあるがここでは割愛する。
繰り返し書くが、私はこれらの食べ物は大好きだ。大好きな上で、「変な食べ物だな〜」と思い、食べ、「おいし〜」と言っているのだ。これからもそうするだろう。
私にとっての「変な食べ物」に共通する点としては「慣れ」があると思う。今まで上げてきた食べ物はかなり市民権を得ている、というか国民食と言っても過言ではない。生まれた時から当たり前に存在している。そして私の場合、これらの食べ物は、子供の頃から贅沢な食べ物の部類だった。
しかし、一旦引いて見てみると、変な食べ物に思える。それは「慣れ」が覆い隠しているその食べ物の奇妙さだと思う。
「慣れ」の色眼鏡を外してみると、今までは何とも思わなかった食べ物に対しても「変なの〜」と思うかもしれない。でも、そういう考え方は、食べ物への視野を広げ、食の喜びを増やしてくれる。
そして、先にも述べたが、食への違和感と満足感は両立し得る。だからこれからも、「変な食べ物」を美味しく食べていこうと思う。
美味しい「変な食べ物」を食べながら、このめんどくさい「自分」という、あらゆる食べ物よりも変な人間を生きていこうと思う。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
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