メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo by2024gts

#102. 料理が好き、の本当の意味

    「私、料理が好きなんです。」

    そう公言してきた。いや、むしろ、そう思い込ませてきた。
    たとえば自己紹介で趣味を聞かれると、「料理です!」と明るく答えてきたし、SNSにもちょいちょい作った料理の写真を載せたりしてきた。まるで、「料理大好き女子」かのように。

    でも最近、ひとつの真実に辿り着いた。
    実は、料理そのものが好きなわけじゃなかったということに。

    確かに、友達や家族、好きな人に料理を振る舞うのは楽しい。相手が「美味しい!」と言ってくれるときのあの瞬間、自分がちょっとだけ特別な人間になった気分になれるし、自分の頑張りが少しだけ認めてもらえたような気がするから。

    けれど、もし私が、自分ひとりのために料理するとしたら?

    例えば、休日の昼下がり。台所に立って、冷蔵庫の中を覗く。
    そこにあるのは、半分しなびたキャベツと賞味期限が近いているいくつかの卵。それといつかのしめじと玉ねぎ。

    「…これで何か作れって?」と頭を抱えながら、面倒くささに全身が蝕まれる。むしろ嫌気で鳥肌になりそうなレベル。
    仲の良い親友とシェアハウスをしていたとき、彼女は冷蔵庫を開け、限りある食材で、まるで魔法使いの如く、一瞬で何品も料理を作ってくれたのをふと思い出した。恐らく彼女はかなりの凄腕料理大好きマンだと思う。

    私にとって、料理をする過程の中で1番のエネルギー消費が、メニューの考案だと思っている。
    中華と洋食と和食の副菜の違いもメニュー同士の相性も良く分かっていない。なんなら平気で、サバの塩焼きに中華スープとか合わせてしまう。
    だから、いつも私はクックパッドを頼りにしている。

    だが結局、1人だと「やっぱ無理!!」と手を挙げて、冷凍ご飯をチンして即席の味噌汁をお湯で溶かして食べる。
    そう、私は料理そのものが好きなわけじゃない。誰かが「おいしい」と言ってくれる、その状況が好きだったのだ。

    だから、自分ひとりだとめんどくさいだけの行為が、誰かがいると急に輝きを放つ。「あなたのために作っている私」になれるのが嬉しいのだ。そして、料理が完成し、「これめっちゃ美味い!」というリアクションをもらうとき、私の自己肯定感は爆上がりする。

    ありがとう、食べてくれて…
    うぉ〜!!!満たされた〜〜!!!という具合に。

    でも、自分ひとりのために作って食べる料理なんて、どうだろう?

    頑張って作ったとしても、なんだか満足できないのだ。1人で食べるご飯は味気ないし、作った分だけ体力が持ってかれるだけのような、損しかない気すらある。

    結局のところ、料理が好きなのではなく、「誰かのために料理をする自分」が好きだったのだ。

    これに気づいたとき、私の中で一つの呪文が解けたような気がした。
    ずっと自分に言い聞かせてきた「料理好き」というキャラクターを演じる必要はないのだ、と。

    けれど、この気づきには少し深い意味もある気がする。
    私たちは「何かが好きだ」という感情を、案外簡単に思い込む。周りに合わせて、「それが正しい」と信じる。けれど、それが本当に心からの「好き」かどうかは分からない。

    料理に限らず、仕事だって趣味だって、「本当はこうじゃなかった」と思う瞬間は多くの女性が経験しているはずだ。たとえば、「キャリアウーマンになりたい」と思っていたけれど、実はちょっとのんびり自分のペースで働きたいだけだったり、「趣味は筋トレ」と言いつつ、ただおしゃれなウェアが着たかっただけだったり。

    でもそれって、悪いことなのだろうか?

    私は今、こう思う。
    本当に好きなことなんて、意外と狭い範囲にあるのかもしれない。けれど、好きかどうかを模索しながら、「好きな気がする」「まあまあ好きかも」を積み重ねていくことこそ、自分を知るきっかけにつながる。

    だから私は、今日も誰かのために台所に立つ。たとえそれが「自分のため」ではなかったとしても、その瞬間の自分が好きだから。そして、相手の「おいしい」という一言で、自分をちょっとだけ肯定しながら。

    本当は、自分で自分を満たしてあげるのが一番いいのだろうけど、誰かのために、が結果自分の為になるのだとしたらお互いwin-winだと思うし、別にそれでいいか、と思う。

    料理を通じて分かったのは、「好き」という感情は複雑で曖昧なものだけれど、その曖昧さの中にこそ、日々の幸せが隠れていたりする。

    私は料理が好きだと思い込んでいた。でもそれが、「誰かのため」という条件つきの好きだったことに気づいた今、ようやく本当の自分を見つけた気がしている。

    きっとこれからも、1人の時は手抜き料理だ。
    それでも、誰かが「これ食べたいな」と言ってくれたら、その瞬間だけ私は台所にわくわくしながら立つのだろう。

    そんな曖昧でふわっとした好きも、また心地よいのかもしれない。



     
     
     
    日々の思いをいつか忘れてしまっても、文字にして残しておきたい。いつの時代も忘れっぽい自分を受け入れながら、まぁるくゆる~く発信していきます。誰かの心に寄り添えますように。

    あなたへのおすすめ