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私と父の読書会

     父から突然の詫び状が届いたのは、去年のクリスマスの夜だった。
     真冬の空気に冷えきったポストの中にぽつんと投函された、一通の封筒。送り主を見て警戒心がドッとふくらむ。爆弾をかかえるように封筒を握りしめ、早鐘を打つ心臓をなだめながら家に飛び込む。
     コートを脱ぐより先に封を切り、リビングに突っ立ったまま読んだ。

     貴女との交流が途絶えて3年になります。

     きっかけとなったのは3年前の電話で、そのやりとりの内容はジェンダー問題だったと思いますが、当時の状況を細部にわたって正確に説明できないのが、私の正直なところです。

     謝るべきは謝らなければならないと自戒しています。
     本当に申し訳ありませんでした。

    「水に流して」という言葉がありますが、もしそれが可能なら、私があの世に行くまでのあと数年間は、もう一度家族としての貴女との関係をとり戻して生きていきたいと心から願っています。

    父の手紙(一部抜粋)

     久しぶりに父の字を見た。和紙の便箋4枚にわたる堂々たる手書きは、悲劇っぽくもあるし、喜劇っぽくもある。この期におよんで「水に流して」なんて書いてしまう厚かましさも含めて、なにもかもが父らしい。70代の父にとって、「あの世にいくまでの数年間」というのが大袈裟でもなんでもない実感だとしても。
     父と最後に会ったのは去年の親戚の結婚式で、もちろん私たちは一言も喋らなかった。私は父との関係について自分から行動を起こすつもりはなかったし、父は父で「自分のほうが立場が上」と判断している身内に謝れない人間だと思っていたので、正直、私たちは一生このままだと覚悟を決めていた。

     そこにきて、この詫び状である。
     手紙を何度か繰り返し読んでから、ようやくコートを脱ぐ。この手紙は爆弾ではない。そんな威力はない。大丈夫、私はなにも怯える必要はない。

     LINEの非表示アカウント欄から父のそれを掘り出し、3年ぶりのメッセージを打ち始める。返信の言葉はスムーズに心にわきあがり、心から指先へ伝わり、私にスマホの画面を結構なスピードでタップさせていく。

     いただいた手紙全体を通して、3年前のやりとりを悔やんでいること、私に謝罪したい気持ちがあることは理解しました。

    「水に流す」という表現には抵抗があります。「許す」とか「和解する」とかよりも、「あったことをなかったことにする」というニュアンスが、私にとっては非常に強いからです。そしてそれは、本件における私の心情にまったくそぐわないからです。

     仮に、今ここで「水に流し」たとしても、きっとまた3年前と同じ衝突が起こると思います。

    「水に流す」ことはできませんが、3年前の出来事に向き合う「対話」ならできます。対話をし、3年前の出来事を踏まえた上で、私たちの関係をポジティブな方向へ再構築する可能性はあります。

    『私があの世に行くまでのあと数年間は、もう一度家族としての貴女との関係をとり戻して……』と書かれていましたが、私の怒りや私たちの関係の断絶を、この世の誰もが絶対に抗えない死や老いを交渉材料にして和らげようとしないでください。それはアンフェアなやり方だと思います。私は、自分より年上の人間が自分より早く老いること、自分より早く亡くなることについては既にさんざん悩み、葛藤し、覚悟した上でこの三年間怒り続けているのです。

    私の返信(一部抜粋)

     私が父と絶縁した理由は、ごく簡単に言ってしまえば、「父の発言や振る舞いが性差別的だったから」である。
     詫び状にあるとおり、「3年前の電話」で事件は起きた。3年前の夏。はじめは穏やかな近況報告的な会話だったが、話題が偶然フェミニズムやジェンダー平等に及んだとき、私と父のあいだの深い深い溝があらわになったのだ。溝があることなんてとっくにわかっていたが、ふたり同時に溝をのぞき込んだのは初めてだった。

     ここに電話の詳細を書こうと思えばいくらでも書ける。執念深い性格をしている私は、3年前、父に電話を叩き切られたあと即座にスマホのメモアプリを立ち上げ、つい今しがた繰り広げられた父とのやりとりを思い出せるかぎり細かく書き残したので、まあまあ正確な記録が手元にあるのだ(なお、この記録は、3年前なにを話したか覚えていないという父と情報を共有するのに役立った)。


     父は昔から早寝なので、既読がついたのは朝だった。スマホの向こうに父がいることを実感する。親戚の結婚式会場では隣の席だったが、なるべく顔を見ないようにして終日過ごしたため、こうしてまともなやりとりをしているぶん、あの日よりも今のほうが遥かに近くにいるに違いない。

    ***

     記憶をさかのぼると、父の手のひらが脳裏に浮かぶ。

     実家の居間のいつもの席で、父は「どうぞどうぞ」と朗らかに言いながら、手のひらで架空の”玄関”のある方向を案内するように指し示している。親切で気の良いおじさん、という感じの表情だ。
     私はたぶん高校生くらい。夕食のあとの、お腹がいっぱいでちょっと気だるくて眠いなあ、お風呂がめんどうだなあ、くらいの、いつもと変わらない団欒の時間。父が自身の仕事論を得意そうに語っている。

    「産休も育休も、よっぽど優秀な女性社員じゃないと取得できないよ。優秀じゃない女性社員は、『ああ、妊娠? 出産? それはすばらしい、おめでとうございます。ではどうぞお辞めください』って退職を促されるだけ。わかる? そういうものなんだよ。子どもを産んでも引き続き働きたいなら、ずば抜けて優秀じゃなきゃ誰からも求められない。お願いだからずっといてほしいって、会社側が必死になって頼み込むような社員じゃないと、妊娠したら即『どうぞどうぞ』だよ。あー丁度よかった、たいして使える社員じゃないから困ってたんだ。いい口実ができた。おめでとうございます、さあ、どうぞどうぞお辞めください、ってね」

     父が手のひらを”玄関”に向ける。“玄関”から追いだされてしまったら大変なことになるらしい。“玄関”の向こうにいったい何があるのか、若い私には見当もつかない。とにかく、大人になったらやることがものすごくたくさんある、ということだけを薄ぼんやりと理解した。結婚と妊娠と出産と育児と、それらに忙殺されてもなお決して疎かにしてはいけない仕事と、他にもいろいろ。私がやりたいかどうかではなく、女にうまれたからには問答無用でやらなくてはいけないこと。

     そういった”女性がやるべきこと”、あるいは“やってはいけないこと”の数々は、父のこの発言からだけではなく、家庭内外のあらゆる状況、あらゆる人物、あらゆるコンテンツからひっきりなしに発信されていた。書き出せば果てしなく長いリストになった。
     逆らってはいけない。逆らったら最後、社会のいたるところで待ち受けている手のひらに『どうぞどうぞ』されてしまう。

     私は、“女性がやるべきこと”と“やってはいけないこと”をむくむくと吸収して大人になった。優等生ではなかったが、平均的な「努力」はしていたと思う。社会が要求する女性像を内面化し、女はこういうことにコンプレックスを感じるべきというところで、しっかり落ち込んだり恥じ入ったりした。
     しかし、少しずつ“やるべきこと”のハードルを飛び越えられなくなり、“やってはいけないこと”の抗いがたい魅力に気づきはじめた。心と体、理性と欲望のバランスが崩れた。夕暮れ時になると、己の無力感に苛まれてだらだらと涙を流すようになった。

     そんな風にしてゆるやかに限界を迎えつつあった頃、私の人生にフェミニズムがやってきたのである。北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(書肆侃侃房、2019)に収録されている『さよなら、マギー 内なるマーガレット・サッチャーと闘うために』を読んだとき、よく磨かれた巨大な鏡の前に立ち、そこに映る自分の顔や体や心のありようをしげしげと見つめているような気持ちになった。奇妙な感動があった。うまれてからずっと一緒にいたのに、初めまして、という挨拶が口をついて出そうになるなんて。

    ***

     現時点では父を許すことはできない。
     しかし、父がフェミニズムに関する本を何冊か読んで「勉強」したら、その感想などを踏まえて勘案し、私たちの関係を改善してもよい。
     場合によってはしない。
     読む本は、とりあえず私の手持ちのものから選んで貸す。

     ……という私の提案を、父は了承した。

    「勉強」というのはちょっとした皮肉を込めたキーワードだ。
     3年前、父のあまりのセクシストっぷりに閉口した私が「これ以上は話ができない」と切り上げようとしたところ、父は私の怒りに気づかないまま笑って「そうだね、またの機会に喋ろう」と気軽に言った。
     そこで私は「本当に私とフェミニズムについて話したいのなら、勉強してほしい。今のままでは話せない。フェミニズムやジェンダーに関する本を読んだり、映画を観たり、新聞を読んだりしてほしい」と伝えたのである。
    “格下”の娘から「勉強しろ」と言われた父が、平静を保てるわけがない。彼は一気に不機嫌になり、「フェミニズムを勉強しろって言ったってさ……、じゃあ、部落差別とか人種差別についてはどうなの?」と、お手本のようなホワットアバウティズムを繰り出した。
     やがて父は激昂して電話を一方的に叩き切り、私と父のあいだに沈黙の3年が流れ、今に至る。
     要するに、満を持しての「勉強」なのだ。


     先にいちばん大きな感想を言ってしまえば、「ああ、みーちゃんはこういう世界で苦しんだり、悩んだり、考えたりしていたんだな」という気づきです。そういうこと自体を全然知らなかった。知らなかったから思いを馳せることもしなかった。

     フェミニズムというのは言葉としては聞いていたし、なんとなく自分としては分かっていたつもりではいた。しかし、それが間違いの始まりだったのかもしれない。

    「マチズモ」という言葉自体を知らなかったので、調べてみたら「マッチョイズム」のことだと。・・・私はあまりそちらの方面ではないかなあ・・・と勝手に思いつつも読み始めました。しかるに、次から次へと出てくるエピソードの数々にまず圧倒されました。

    父の感想文(一部抜粋)

     父は2、3冊読むごとに感想文を送ってきた。馴染みのない分野の文章や用語に苦労しているようだったが、想像以上の勢いで読み進めていた。のみならず、自発的に本を選んで買いもした。もともと、何かを学ぶと決めたらかなり真面目に取り組むたちである。

     父の感想文には、未知の世界を前にした子どものような素朴さと、驚きと、それでもなお「わかっている」自分を演出したい欲が複雑に入り混じっている。私は父の感想にひそむ欲を容赦なく暴いて指摘した。これは、父がまともなコメントを少し書くだけであっけなく感激しそうになる甘い自分を抑えたいからでもあった。

     父は、「わかっている」自分を演出する欲をなかなか手放せない。
     しかし私は私で、実家の家族に対する「自分のことをわかってほしい」という欲との折り合いがなかなか付けられずにいる。
     女として生きるつらさや、子ども時代に刷り込まれた性差別的な教育、不平等への憤りについて、実家を離れてもう何年も経つのに、家族への強烈な「わかってほしさ」をいまだに抱えている。いや、実家を離れたからこそ、「わかってほしさ」が表面化したのかもしれない。いい大人だというのに、家族への過剰な、ひどく子どもじみた期待から距離を置くことができない。古い傷口がいっこうに塞がらず、ぐずぐずと膿み続けている。
     けれど他ならぬ私自身が、傷をいつまでも残したがっている。


     父への返信に熱がこもるとき、腹の底でおどるように煮えたぎるマグマを感じる。
     父への怒りも、父以外への怒りもすべてかき集めて、満身の力を込めて父を殴り倒したい衝動に駆られている自分がわかる。
     深夜、返信を打つためパソコンの画面を睨みつけていると、これまでの人生が走馬灯のように過って呼吸が浅くなる。そのたびにハッとして姿勢をただし、窓を開けて換気をしたり、ストレッチをしたり、熱いお茶を淹れたり、好きなポッドキャストを流したりして気持ちを切り替えた。過去の迷宮で彷徨いかける自分の心を、今日という日に引きずり戻す必要が何度もあった。


     ───私怨を晴らすために、こんなに手間のかかるリモート読書会をやっているの?
     ───いいじゃん。私怨上等でしょ。
     ───なにが悪かったのかをちゃんと理解した上で謝ってほしいんだよ。「よく覚えていないけど申し訳なかった」なんて、到底受け入れられない。私そんなに変なこと言ってないよね?
     ───「わかってほしさ」はほどほどにしたらいいんじゃない。しょっちゅう顔を合わせるとか、一緒に暮らしてるとかならまだしも、そうじゃないんだし。
     ───父が時代遅れのジェンダー観のまま若い人に接したら、昔の私のように苦しむ人を増やしてしまう。
     ───“公益性”の名のもとに、自分の加虐性や暴力性を正当化しようとしていない?


     思いは千々に乱れた。父がフェミニズムを学ぶ日々は、私自身が内面を見つめ直す日々でもある。
     父に送る返信は、時に異様に長くなったり、時に素っ気ないものになったりして、頻繁に書き直すはめになった。

    ***

     これまでに読んだ本の総合的な感想としては、まず単純ですが、読んで良かったということです。こうして薦められなければ日ごろ読まないジャンルの本ばかりです。それを、しかも10冊近くも集中して読むことなど普通ならまず絶対にないことだと思います。それによって、今まで知らなかった&知りえなかった、自分の立ち位置、自分の知らない価値観のある世界、などを相対的に伺い知ることができたと思います。そういう多様な価値観や世界観、あるいは立場を知ろうとしてこなかった、または心を開いてこなかったことを自覚せねばならないと思いました。

     いくら反省しても、価値観や姿勢・態度が180度改まることはないかもしれません。でも、100のうち100とも分からなかった時点から見れば、100のうち1か2くらいは気づきはあったと思ってはいます。このベクトルを変えないようにしていきたいと思います。

    父の感想文(一部抜粋)

     父は結局、4か月で13冊の本を読みきった。
     父からの最後の感想文は、改めての私への謝罪と、そうとは書いていなかったが、いわゆるネガティブ・ケイパビリティ的思考に言及し、「わからなさを抱えていく」といった趣旨で締めくくられていた。
     ネガティブ・ケイパビリティ。すぐにはわからないこと、すぐには明解な答えが出ないこと、不確実なこと、そのあいまいさに耐え、受容する力。


     私の「わかってほしさ」の亡霊も、すぐには、あるいはもしかしたら永遠にわかってもらえないことに、耐えていけるだろうか。

    「わかってほしさ」が満たされなくても、すこやかな別の生き方を見つけるだろうか。

    「わかってもらう」ことの意味を、油断すると瞬く間に帯びる危うさを、「わかる」「わからない」「わかりあう」のスペクトラムを、もっと謙虚に、もっと丁寧な手つきで探れる日がくるだろうか。

     ひとりひとりが違う人間として呼吸し、生活し、お互いの余白をじゅうぶんに保ったまま、他者をわかろうと努力したり、わかってもらおうと努力したりすることはできるだろうか。その上で差し出される「あなたの地獄を完全に理解することはまだできない。完全には理解しきれないかもしれない。だけど力になりたいし、世界をより良いものしたい。だから学び続けるし、寄り添い続けていく」という思いを、最大限の誠意を尽くしたコミュニケーションの結実として、大切に受けとめられるだろうか。

     私もまた、私の知らない地獄にいる誰かに、同じものを差し出せるだろうか。

     大きく分けて、以下三つのことを伝えたいと思います。

     ひとつ。2022年7月の電話でのやりとりに関して、許します。私が2022年当時から怒り続けた理由と、2025年年末に受け取った手紙の謝罪を拒んだ理由を、理解しようと努めたと思うからです。

     ふたつ。私が今回貸した本のリストは、ある意味では非常に偏ったものです。日本の著者による本ばかりだし、触れていないテーマも多いです。私が今回貸した本を通して示したのは、「性差別の歴史と現状を学び、性差別に抗う」という世界のほんの一部だということを、頭の片隅に置いておいてください。
     すべて満遍なく勉強してくれと言いたいわけではなく、知らないことが山ほどあるのだと自覚してほしいのです。私もそういう気持ちを忘れないようにしています。

     みっつ。私が貸した本を読んだり、私とやりとりを重ねたりした末の新たな気づきや学びがあれば、それを私以外の人に、私がいない場所や状況に、さまざまな形で還元してみてほしいです。

    私の返信(一部抜粋)

     父という人を、どう説明すればよいだろう。
     仕事が好きで、勉強が好き。一人旅が好き。酒が好き。隠れて吸っているつもりらしいが煙草も好き。今はどうだか知らないが。
     そして父は、娘のことが、要するに私のことが好きである。しかしそれには長年ひとつの条件が付いていた。「娘の知識や発言が、自分の立場や父親としての価値を脅かさないかぎり」という条件が。
     実家で一緒に暮らしていた頃、私はその条件にうっすら気づきつつも、言葉にすることは遂にできなかった。
     父を許したとき、ひとつの季節が過ぎ去ったのを感じた。


     今回、父のことをエッセイに書いてよいかと本人に許諾を求めたところ、以下のような返信があった。

    何でも、どのようにでも、書きたいように書いていただいてOKです。
    かねがね思っていたことですが、貴女は文章が上手です。

    父のメール(一部抜粋)

     私はもう「傷つけられた娘」ではいたくない。傷口に薄くてやわらかな新しい皮膚が再生するさまを、誰にも邪魔されず見守りたい。なにより、自分自身に邪魔をさせたくない。たとえ新しい皮膚が、一生ずっと薄っぺらいままだとしても。

     女として生きるのは、苦しい。私はこれからも、この苦しさと長く闘っていくのだろう。
     けれどあの夏の電話の記憶は、もしかしたら、少しずつおぼろげになるのかもしれない。


    父が読んだ本(読んだ順)

    1.ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』堀田碧訳、エトセトラブックス、2020
    2.加藤陽子、鴻巣友季子、上間陽子、上野千鶴子『100分de名著 フェミニズム』NHK出版、2023
    3.北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』書肆侃侃房、2019
    4.上野千鶴子『学びのきほん フェミニズムがひらいた道』NHK出版、2022
    5.矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』集英社新書、2024
    6.中井治郎『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』PHP新書、2021
    7.中村桃子『女ことばと日本語』岩波新書、2012※
    8.武田砂鉄『マチズモを削り取れ』集英社、2021
    9.太田啓子『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』大月書店、2020
    10.弓削尚子『入門 男らしさの歴史』ちくまプリマ―新書、2025※
    11.キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする 見えない排除に気づくための10章』尹怡景訳、大月書店、2021
    12.神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』集英社新書、2022
    13.イ・ミンギョン『私たちには言葉が必要だ フェミニストは黙らない』すんみ、小山内園子訳、タバブックス、2018

    ※父が自分で選んで読んだ本

     
     
     
    短歌と書きもの webサイト:https://komatsumisaki.com/ ご連絡はwebサイト内の〈お問い合わせ〉からお願いします ※各種SNSのDM機能は使用しておりません

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