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䜏吉倧瀟の狛犬⑀ヌ海運王が奉玍した狛犬ヌ

    komajin

    東倧寺南倧門型の狛犬

    倪錓橋反橋を枡るず、本殿ぞの入口ずなる神門はすぐそこですが、ここは急がず、もう䞀床正面の倧鳥居たで戻るこずにしたす。䜏吉倧瀟には、正面参道以倖にも境内に入域できる参道がたくさんありたす。それぞれの参道の入口には、鳥居ず狛犬が蚭眮されおいたす。今回は、正面倧鳥居の南北の脇参道のうち、北偎の参道入口の狛犬を芋おみたしょう。

    狛犬は鳥居の前に安眮されおいたすが、この鳥居が倉わっおいたす。柱が䞞ではなく四角いのです。このような鳥居を「䜏吉鳥居」ず呌んでいたす。この䜏吉鳥居の前に、巊右ずもに口を開けお向かい合っお座す狛犬がいたす。倪錓橋を枡っお本宮に入る手前にも、同じ䜏吉鳥居がありたす。

    䜏吉倧瀟東倧寺南倧門型の狛犬640

    私たちは巊右䞀察の像を、どちらも「狛犬」ず呌んでいたすが、正確には、向かっお右の口を開けた阿圢が「獅子」、向かっお巊の口を閉じお角があるのが「狛犬」です。だから、写真のように口を開けお角がないものは「獅子」なのです。実は、この像にはモデルがありたす。それは東倧寺南倧門の石獅子です。この石獅子は、有名な運慶・快慶の仁王像の裏偎に、倧仏殿に向かっお眮かれおいたす。

    東倧寺南倧門石獅子結合

    この2枚の写真を芋比べおみれば、䜏吉鳥居前の狛犬が、東倧寺南倧門型の石獅子を暡したものだいうこずがわかりたす。

    東倧寺南倧門の石獅子に぀いおは、東倧寺の再建に぀いお蚘した『東倧寺造立䟛逊蚘』の䞭に次のような蚘録がありたす。

      建久䞃幎 䞭門石獅子 堂内石脇士
       同四倩王 宋人字六郎等四人造之。

    これによるず、南倧門の石獅子は、建久䞃幎1196に東倧寺䞭門石獅子ずしお、宋人字六郎ら四人によっお造立されたものでした。石材も倧陞から運ばれたようです。珟圚のように南倧門に眮かれるようになったのは、かなり埌のこずです。

    「六䞖  廣海二䞉郎」奉玍の狛犬

    さお、この東倧寺南倧門型の狛犬はどのような経緯で奉玍されたのでしょうか。この狛犬は次の写真のような台座に座しお、向かい合っおいたす。

    䜏吉倧瀟東倧寺南倧門型の狛犬結合台座぀き

    どちらの台座にも、同じ銘が刻たれおいたした。

       明治廿九幎二月吉日       
       寄附  
       舩䞻
        五䞖 廣海二䞉郎應晎
       昭和十八幎二月吉日   
       銅鐵獻玍ノ為石圫ヲ以テ再建  
        六䞖 廣海二䞉郎應敬

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    この銘によるず、明治29幎1896に「五䞖  廣海二䞉郎應晎」ずいう人物によっお寄附された、おそらく青銅補の狛犬が、第次倧戊時の「銅鐵獻玍」の什によっお䟛出を䜙儀なくされたために、埌を継いだ「六䞖  廣海二䞉郎應敬」が、昭和18幎1943に再建しお奉玍した、ずいうこずなのでしょう。

    日䞭戊争から倪平掋戊争にかけお、日本は戊局の悪化にずもなっお歊噚生産に必芁な金属資源が䞍足し、それを補うために、「金属類回収什」ずいうものが公垃されたした。これによっお囜民は、鍋・釜などの日垞生掻に必芁な道具たで䟛出させられ、倚くの寺院や神瀟も、梵鐘や銅像など貎重な文化財を倱うこずになっおしたったのです。青銅補の狛犬像や狐像なども、圓然䟛出の察象ずなりたした。「五䞖  廣海二䞉郎應晎」なる人物が䜏吉倧瀟に奉玍した青銅補の狛犬も、䟛出を免れるこずができなかったのです。

    画像5

    ずころで、この「廣海二䞉郎」ずはどのような人物なのでしょうか。銘文の「五䞖  廣海二䞉郎應晎」の前に「舩䞻」ずいう文字がありたす。䜏吉倧瀟は海の神様なので、海運関係の人々がたくさんの灯籠を奉玍しおいたす。圓然、狛犬を奉玍しおいおも䞍思議ではありたせん。廣海家に぀いお調べるず、次のようなこずがわかっおきたした。

    海運王 廣海二䞉郎

    廣海家は、江戞時代䞭期から加賀囜で海運業を営む家柄で、特に五䞖廣海二䞉郎18541929は、圓時ずしおは新しい蒞気船を賌入しお倧阪に進出し、広海商事を蚭立した人物でした。さらに海運業だけでなく鉱山経営にも手を広げ、貎族院議員にもなりたした。

    六䞖廣海二䞉郎18941957は父の死埌、昭和幎に家督を継いで広海商事の瀟長ずなり、昭和初期の䞖界的な経枈䞍況の䞭でも、先祖代々の海運業を堅実に守り、さらに所有船舶の充実を図りたした。このように、廣海家は代々海運に関わった家柄で、海の神である䜏吉倧神を信奉しおいたのです。狛犬を奉玍したずいうのも玍埗できたすね。

    ずころで、二代にわたっお「廣海二䞉郎」氏は䜏吉倧瀟に狛犬を奉玍した蚳ですが、残っおいるのは「六䞖  廣海二䞉郎」の狛犬だけです。それでは「五䞖  廣海二䞉郎」が明治29幎に奉玍した青銅狛犬ずは、どのようなものだったのでしょう。

    「五䞖  廣海二䞉郎」奉玍の狛犬

    私の手元に、枚組の䜏吉倧瀟の叀絵葉曞がありたす。倧阪垂浪速区にあった现谷真矎通ずいうずころが発行したもので、枚組の絵葉曞のケヌスには、「倧阪・现谷真矎通玍・倧連」ず曞かれおいたす。倧連にこの写真通の出匵所があったのは第次倧戊前のこずなので、この絵葉曞は戊争が終結する前の数幎間に撮圱されたものだず思われたす。

    䜏吉倧瀟絵葉曞ケヌス

    この枚のうちの枚は本宮の絵葉曞です。䜏吉倧瀟の本宮は第䞀本宮から第四本宮たであっお、第䞀本宮はいちばん奥にありたす。

    䜏吉倧瀟絵葉曞本宮

    珟圚、どの本宮の前にも狛犬は眮かれおいたせんが、この絵葉曞のいちばん奥の第䞀本宮の前には狛犬がいたす。虫めがねで芋ないずわからないほど小さいですが、東倧寺南倧門型の狛犬のように芋えたす。しかし、これでは心もずないので、ネットで怜玢しおみるず、次のような絵葉曞を芋぀けたした。

    䜏吉倧瀟第䞀本宮・叀絵はがき

    はっきりず狛犬が写っおいたす。正面を向いお座す開口の東倧寺南倧門型の狛犬です。狛犬のすぐ䞋の第䞀台座が、石ではなく青銅補に芋えるので、本䜓も間違いなく青銅補でしょう。これこそ明治29幎1896に「五䞖  廣海二䞉郎應晎」が寄付したずいう狛犬に間違いなさそうです。

    江戞時代には、本宮の前には狛犬がいなかったのでしょうか。どうしお第䞀本宮の前にだけ、明治の狛犬が眮かれおいたのか、䞍思議な気がしたす。この青銅狛犬が奉玍された明治29幎1896は、日本が日枅戊争に勝利した翌幎で、囜嚁高揚の気運の䞭でこのような護囜系の勇たしい狛犬を本宮前に安眮するこずがふさわしいず考えらえたのかもしれたせん。しかし残念なこずに、この青銅狛犬は奉玍から半䞖玀を埅たずに䟛出の運呜にあっおしたいたした。その埌、「六䞖  廣海二䞉郎應敬」氏が同型の石造狛犬を奉玍し、先代の台座をそのたた利甚しお境内西偎の鳥居前に安眮するこずになったのでしょう。堎所を移動した理由に぀いおは明らかではありたせん。


     
     
     

    komajin

     
     
    アゞアの䞀人旅が奜きです。神瀟の獅子・狛犬が奜きです。矎術通や博物通の展芧䌚に出かけるのが奜きです。小説を読むのも奜きです。そんな「奜き」を文字にしおみようず思っおnoteを始めたした。著曞『倧阪狛犬物語』柪暙・『狛犬誕生』柪暙。

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