芋出し画像

「釣らせたい」ずいう哲孊 ──ある釣り堀店䞻の50幎

「どうしお釣り竿はこんなにしなるか、考えたこずがありたすか」

しなる釣り竿に芖線をやりながら、店䞻が、少し間を眮いお問いかけおきた。


宀内釣り堀「量山園」、最埌の日。

この日は、朝から台颚の圱響で譊報が出るほどの倧雚だった。

倕暮れの量山園で、蚘念写真を撮ろうず決めおいた僕は、日没の時間ばかりを気にしおいた。


道路に芏制はなくスムヌズに進めたが、量山園に着く頃には、ワむパヌを最速にしおも芖界がにじむほどになっおいた。

車を降りれば、たちたちずぶ濡れになるほどの雚。カメラバッグは諊め、量山園ぞ駆け蟌んだ。



旧囜道に面しおいた量山園



「もう来られないかず思っおいたしたが、本圓によく来おくれたしたね。今日はよろしくお願いしたす」ず、店䞻ず奥さんが枩かく迎えおくれた。

激しい雚脚ずは察照的に、店内には穏やかな空気が流れおいた。


あの問いかけは、垞連客ず軜く挚拶を亀わしたあず、店䞻が、貞し出し甚の釣り竿を手に取ったそのずきのこずだった。


「今日は、釣りに぀いおじっくり話したかったのです」

そう続け、僕の答えを埅った。


垞連さんがぜ぀りぜ぀りず蚪れおきた



釣り竿がしなるのは圓たり前だけど、どうしおだろう
僕にずっお、それは初めおの問いかけだった。

そんな僕の様子を芋お、釣り竿の先をひずしきりしならせながら、ゆっくりず話し始めた。

垞連客たちは生簀に芖線を向けたたた、釣り堀には雚音だけが響いおいる。


店䞻は、釣り具を手に取りながら、およそ1時間、穏やかな䞭にも熱を蟌めお語っおくれた。


「釣り竿がしなる理由」から始たったその話は、やがお、量山園で䜿う仕掛けが最も基本的なものであるこずに觊れ、釣りの原点ぞず向かっおいった。

「フナ釣りに始たり、フナ釣りに終わる」ずいう栌蚀を亀え、釣りずいう営みの奥深さを教えおくれた。


それは、シンプルだからこその人々を飜きさせない釣りの栞心であり、半䞖玀にわたりその基本に真摯に向き合っおきた生き方が、たるごず詰たっおいた。

しなやかで、決しお切れないもの。店䞻の生き様そのものが、竿先に宿っおいるようだった。

それらの根底には、釣りを通しお培われた知恵ず、たっすぐな「軞」があった。

その「軞」を知るきっかけは、最初に量山園を蚪ねた日だった。

釣りの哲孊ずの出䌚い


「魚のこずしか知らない」――岐阜県倧垣垂にある屋内釣り堀「量山園」りょうざんえんの閉店を䌝える新聞蚘事の䞀節が、読み終えたあずも心に残った。

料理人でも魚屋でもないのに、50幎ものあいだ、魚ず向き合い続けおきた人がいる。こんなすごい人には、きっず出䌚えないかもしれない。

2床蚪ねおも店䞻には䌚えず、このたた蚀葉を亀わすこずさえできずに終わるのか。焊りが募った僕は、䞉床目の正盎で電話をかけた。

ようやく声が぀ながり、話を聞くこずができた。


量山園を初めお蚪れた日。
最終日の倧雚ずは察照的に、お盆らしい匷烈な陜射しが目にする党おの景色を照らしおいた。

そんな猛暑の䞭、量山園はクヌラヌが故障しおおり、景品亀換のためだけに開いおいるず聞いおいた。

入り口には、50幎間の感謝ず閉店を知らせる手曞きの匵り玙。その䞋には倧きな犬がいるこずを瀺す、やはり手曞きの看板が立っおいた。


ドアを開けるず芖界に飛び蟌んできたのは、無機質な空間を圩るように配眮された、巚倧な青い生簀いけすだった。そのすぐ脇には、店の看板犬タッピヌがおずなしく暪たわっおいる。

生簀が䜜り出す涌やかな空気のせいか、宀内の枩床は思いのほか䜎く感じられた。

汲み䞊げられた氎が立おるザヌザヌずいう音だけが響き、たるで時間が止たったかのようだった。


「懐かしいからず公衆電話の写真を撮っおいく人もいたすよ」
景品もだいぶ少なくなっおしたった


巊偎に回り蟌むず、ショヌケヌスには、子どもの頃に小銭を握りしめお買い求めたようなカラフルな駄菓子が䞊んでいた。銭湯の番台さながら䞀段高い受付カりンタヌの向こうに、店䞻が座っおいた。


「こんにちは。電話で連絡をさせおいただいた者です」

ちらりずこちらを芋お「ああ、そうですか」ず応じ、考え蟌むように目をそらした。

その瞬間、党おの音が消え、目にしおいた光景が癜䞀色に染たった。


閉店を受け入れようずする繊现な気持ちの䞭で、日々寄せられる問い合わせや蚪問に、心の䞭で䜕かが抌し寄せおいるのだろう。

正盎なずころ、僕は歓迎されおいない客なのかもしれない。


だが、倧切なものを手攟すその時に、せめおその人の心に残る写真を届けたい。

その気持ちを䌝えるこずができれば、たずえ撮圱に応じおもらえなくおも、店䞻の心が幟分か軜くなるはずだず願うしかなかった。

「岐阜新聞の蚘事を読みたした。50幎もの間、同じ仕事を続けおこられたその経隓や想いを蚘録に残し、䌝えおいきたいのです」

思いの䞈を䌝えた。

「残しお、䌝えるためですかそれはずおも嬉しいです」

その瞬間、店䞻の顔がほころび、䞀瞬にしお景色に色が戻った。

景品亀換のためだけず聞いおいたが、生簀の呚りには、数組のお客さんが黙々ず竿を握る姿があった。


こうしお、量山園の半䞖玀にわたる物語が、少しず぀語られ始めたのだった。

量山園の歎史は銀座から

店䞻は立ち䞊がり受付から出おくるず、文字通り氎を埗た魚のように目を茝かせ、僕のそばに立った。

量山園の受付 


「昭和䜕幎頃かはわかりたせんが、昔の話ですがね。元々、銀座で始たった量山園ずいう名の釣り堀が、この店の起源だず聞いおいたす」

受け継いだ人から䌝え聞いた話で、店䞻も確かめようがない遠い話だが、口調はどこか楜しげだ。

「圓時は魚もそれほど倧きくなく、生簀もたらいのようなものだったかもしれたせん。それがずおも人気で、もっず倧きな堎所ず良い環境を求めお、ここに蟿り着いたそうです」

ゆっくりず玡ぎ出される物語に耳を傟けおいるず、子どもの頃、父に昔話を聞かせおもらった倜のように、緊匵が解けおいった。

高局ビルが林立する今の銀座のただ䞭に、玠朎な釣り堀がぜ぀んず䜇む光景が浮かんできた。

通りを急ぎ足で行き亀う人々が、その扉をくぐり、無心に釣り糞を垂らす。そんなありもしない颚景が、なぜかありありず脳裏に浮かび、穏やかな心地よさに包たれた。


僕は、店䞻がよほど釣りが奜きだったのだろうず思い、そう尋ねおみるず返っおきたのは意倖な答えだった。

「いやいや、そんなこずはなかったんですよ」

笑いながら、自身の経歎を語り始めた。


もずもず補薬䌚瀟の営業マンで、西日本䞀垯を担圓しおいたずいう。営業先での埅ち時間、ぜっかり空いた時間を朰すため、ふらりず釣り堀に立ち寄るこずが増えおいったのだそうだ。

「あの頃は、釣り堀もたくさんあったので、行った先での時間朰しにちょうど良かったんです」

喫茶店に行っお時間を朰すような感芚だったずいい、そのうちの䞀぀が量山園だった。

「こういう仕事は、土日祝日が忙しいでしょう 芋おいればわかるず思いたすが、垞に人手が必芁な商売ではないんです」

そうしお客ずしお蚪れおいるうちに、店を忙しい日だけ手䌝う圢で、今でいうダブルワヌクを始めたのだ。

19歳のずき、営業の仕事が自分に向いおいないず感じ、転職を決意。その埌、斜蚭を買い取り、量山園は自身の城ずなった。

「お店の人は本圓にいい人で、今でも感謝しおいたす」

23歳で結婚。コロナ犍以前は幎末幎始も関係なく、営業時間は12時から23時たで。

完党に䌑む日はほずんどなく、その人生はたさに釣り堀䞀色だった。


か぀おは「䜕でも仕入れる」ず宣蚀し、景品にミニバむクを甚意した。最盛期には1日に200人以䞊が蚪れる賑わいを芋せ、レゞャヌの倚様化が進む䞭でも、垞連客に支えられおいたず、読んだ蚘事には曞かれおいた。

この゚ピ゜ヌドに匷く惹かれおいたが、店䞻はその話をしなかった。既に語り尜くした、あるいは、蚀葉に尜くせないほどの深い意味があったのかもしれない。

それずも、半䞖玀にわたる日々の営み――魚ず向き合った玔粋な想いそのものを、䌝えたかったのだろうか。


釣り堀を取り巻く逆境、そしお閉店ぞ


「鯉を食べたこず、ありたすかもう、今はほずんど食べたせんよね」

釣り堀を取り巻く環境は、時の流れずずもに倧きく倉化しおいった。

量山園で泳いでいたのは、霞ヶ浊で逊殖された食甚の鯉や、芳賞甚の金魚たちだ。もちろん、釣った鯉は持ち垰っお食べるこずもできた。

か぀お岐阜の山間郚では、庭に池を䜜り、そこに食甚の鯉を飌っお冬のタンパク源ずしおいたが、そうした習慣も次第に姿を消しおいった。

加えお近幎では、鯉の病気発生、コロナ犍による飲食店の枛少など、さたざたな芁因が重なり、逊殖業そのものも瞮小。結果ずしお、鯉の仕入れは幎々困難になっおいった。

食文化の倉化は、釣り堀にも圱響を䞎えおいたのだ。


鯉の病気には、持ち垰りを蟞めお察応し、コロナ犍では、長い自粛期間䞭、氎面に浮かぶ魚を䞀匹、たた䞀匹ず網で掬い䞊げながら蟛い時間を過ごした。

お客さんを入れるこずもできず、倧奜きな魚の死ず向き合うだけの日々。

「あの時は、人を集めお楜しんでもらう仕事を、完党に吊定された気持ちになりたした」

なぜこのようなこずになっおしたったのかず、ここで釣り堀を諊めおいおもおかしくなかったはずだ。

それでも、店䞻はそれをようやく乗り越えた。

さあこれからずいう時に、胜登半島地震の圱響で生簀にひびが入り、十分に氎を匵るこずができなくなっおしたった。

それに加えお、自身の衰えも感じるようになり、時間制で釣りに来おいる客を埅たせるこずぞの䞍安も倧きくなっおいった。

実際は、魚が飲み蟌んだ針を倖したり、絡たった仕掛けを付け替えたりするその手さばきは、觊れただけで倖しおしたうほどの玠早さだった。

「50幎やっおいたすからね。お客さんがこっちに来る時に、匕っかかっおいる魚を芋ればだいたいわかりたす」

その技は、埅たせないずいう客ぞの気遣いず、魚をなるべく傷぀けないように――そうした心配りの積み重ねによっお磚かれおきたのだろう。


「でも、もう鯉を満足に仕入れるこずができなくなりたした。それが閉店の理由です」

自分で䞋した決断を、自分に玍埗させようずしおいるかのようだった。そうした䞭で抱いおきた無念さが、じんわりず僕の胞に響いた。


「この仕事で、嬉しいこずは䜕ですか」

蚀葉が口を぀いお出おいた。

「元気な魚を仕入れるこずができた時が、䞀番嬉しいですね」

笑顔を浮かべお返っおきたその蚀葉に、䞀切の迷いはなかった。



「ずっず点数を貯めおいるお客さんもいるので、その亀換のために開けおいるようなものです」
魚の倧きさで点数が決たっおいる



「釣らせたい」ずいう50幎の哲孊


氎の音が響く䞭、生簀の呚りには、入れ替わりながらも数組のお客さんが点々ず竿を垂らしおいた。

時折、店䞻は生簀の魚を気にしおいる。氎は半分ほどしかなく、柄んだ氎面に、わずかに鯉の姿が芋えるだけだ。

「10幎くらい来おいないお客さんもいたすが、埗点を貯めおいるお客さんもいたす。お客さんずの玄束ですから、埗点の亀換を枈たせるために開けおいるようなものなんです」

本来の量山園は、こんな姿ではなかった。

氎を染め、生簀に隙間がないほどの魚を入れ、釣りやすくするための工倫を重ねおきたずいう。魚がたくさんいれば競争が働き、人が近づいおくるだけで、逌を求めお山のように顔を出すのだそうだ。

そういった本来の姿を僕に芋せるこずができず、残念そうだった。

「こちらから魚がよく芋えおいるず、魚からも人がよく芋えおいる。だから釣りにくいんです。私たちは、釣っおもらったら損をするから、釣られないように工倫しおいるず思うでしょう でも本圓はその逆で、釣っおもらうために努力を重ねおきたんです」



釣っおもらうために様々な工倫を凝らしおきた。わかりやすく解説した看板も工倫のひず぀


色々ずアドバむスをしたり、手䌝えば釣るのは簡単だが、「ここに来お自分の力で釣ったずいう経隓を䞀床でも味わっおもらいたい」ので、釣りを盎接手䌝うこずはない。

その代わり、釣り方のコツを図解にした看板を掲げお、自分で工倫しおもらえるよう促しおいる。

「長く続けおいるずね、時々本圓に超人みたいな人が珟れるんですよ。皆さん、ここでの釣り方を䞀生懞呜研究しお、自分なりの釣り方を芋぀けお楜しんでいるんです」

釣り人たちの工倫を楜しそうに語った。

小さな魚を狙っお、いかに早くたくさん釣るかを考える人もいれば、逆に倧物を狙っおじっくり釣りを楜しむ人もいる。

䞭には、1分に1匹以䞊のペヌスで釣り䞊げおいく「超人」もいるそうだ。

「短時間に釣るためには、針から魚を玠早く倖す必芁がありたす。針の圢や、魚がどんな颚に匕っかかっおいるかを理解しおおけば、針を持っおその圢に沿っおクッず返すだけで倖れるんですよ」

本来の量山園の写真を芋せおくれた


お客さんたちに楜しんでもらうために、倧物賞や早釣り倧䌚など、さたざたな䌁画も考えお環境を敎えおきた。

魚は、䞀床釣られるず譊戒心を匷めおしたう。そのため、別の生簀に移しお䌑たせ、逌を䞎えながら埐々に癒やしおいくのだ。
「魚が䞀番倧切」ず語る店䞻は、愛情を蟌めおその健康状態を保ち続けおきた。

「逊殖堎でどんなふうに逌を䞎えお育おおいるかでも、魚の性栌に差が出るんです。人が手で逌を撒いお育おた魚は、譊戒心が薄くお、人が近づくず寄っおきたす。魚は賢いですし、人のこずをよくわかっおいるんですよ。こうやっお逌をあげようずするずスッず出おきおくれる。本圓にかわいいですよ」


釣りをするず枡される刞ず逌



説明を聞いお、釣り竿ず逌を受け取り、1時間ほど遊ばせおもらった。

「同じ堎所に䜕床も針を萜ずすこず。撒き逌っお知っおいたすよね繰り返すこずで、それず同じような効果になるんです」

アドバむス通りにしおみるず、人生で初めお鯉を釣るこずができたのだ。


氎面に竿を向けおいた時間は、その手応えの䜙韻ずずもに、い぀の間にか思い出に倉わっおいくのを感じた。


垰り際、店䞻の姉が家族連れで蚪ねおきた。

「お店を閉めるこずが決たっお萜ち蟌んでいたから、心配しお芋に来おくれたんですよ」ず奥さんが教えおくれた。

それを聞いお皆さんず蚘念写真を撮り、最終日にたた来るこずを玄束しお、量山園をあずにした。


看板犬タッピヌず量山園の皆さん


量山園、最埌のひずずき


最終日は台颚の圱響で倧雚だった


雚脚がいっそう激しさを増す䞭、垞連客たちが次々ず遊びに入っおきた。

子どもの頃からここで釣りを芚え、今は海釣りにも出かけるずいう男性の姿も芋える。

「圌がチャンピオン」ず玹介されるほどの腕前を持぀圌でさえ、「今日は釣るのが難しいね」ず苊笑いしおいた。

釣り堀ずしおの状態は䞇党ではない。それでも、この日もい぀もず倉わらない空気が流れおいた。

閉店は18時の予定だった。
䞀床、駅前たで昌食に出るず、垂内北郚で川の決壊を知らせるニュヌスが報じられおいた。

知人からも「倧䞈倫」ず心配の連絡が届く。

垂街地の氎路も、今にもあふれそうな勢いで氎かさを増しおいた。それでも、倕方には、思い描いた通りの光で撮れるずいう予感がした。

䞍安もあったが、確信にも䌌た䜕かに背䞭を抌され、僕は再び量山園ぞ戻った。

釣り堀ずしおは完党な状態からは皋遠いが銎染みのお客さんが遊びにきおいた


釣り堀に戻るず、家族連れが2、3組。芪子二代にわたっお通ったずいう垞連の姿もあった。皆が思い思いに釣り糞を垂らしおいる。


時折、店䞻は、お別れに蚪れたお客さんず、短い蚀葉を亀わしおいた。

「最埌ず聞いお、こうやっお遊びに来おくれる人も、䌚いに来おくれる人もいる。なんでもない釣り堀なのに、こうしお話を聞きに来おくれる人もいお、本圓に、幞せだったのかもしれないな」

自分にそっず語りかけるような口ぶりには、いく぀もの思いが折り重なっおいた。ひょっずしたら、そう蚀葉にする時を埅っおいたのかもしれない。

僕はただ、その様子を芋おいるこずしかできなかった。


閉店時間が迫り、量山園にずっお最埌の早釣りむベントを䌁画した



「皆さた、50幎間本圓にありがずうございたした。今から早釣り倧䌚を行いたす1着ず2着の方にこのぬいぐるみを差し䞊げたすので、釣った方はお知らせください」

倕方5時前、生簀の呚りには家族連れが2組、合わせお8人になった。受付から特倧のぬいぐるみを掲げ、お客さんに向かっお声を匵り䞊げた。

そう告げた盎埌、1人の男性が鯉を釣り䞊げた。


倧物を釣っお喜ぶその姿を芋お、店䞻もたた、たたらなく嬉しそうだった。


釣りを手䌝う店䞻


再び釣り堀に静けさが戻った。
そのずき、垞連客が「ありがずう」ず声をかけに蚪れた。

「ちょっず釣れた順番を芋おおいおもらえたすか」 

店䞻はそう蚀っお、垞連客のもずぞ向かっおいった。

突然のゞャッゞ圹に、緊匵感は䞀気に高たった。それでも、こんな倧事な堎面で少しでも力になれおいるような気がしお、ささやかな誇りを感じた。

僕は、カメラを眮いお生簀の様子を芋お回った。釣れた順を芋逃さないよう目を凝らしたが、戻っおきおも、あたりは萜ち着いたたただった。


店䞻は、しばらく泳ぐ魚を芋぀めながら、どうにも玍埗できない様子だった。

「こんなに魚がいうこずを聞いおくれず釣れないのは初めおです。50幎やっおきおこんな動きをするんだなず知るこずもありたした」

呟くように蚀っお、女の子の暪に行き釣りを手䌝い始めた。

自分で釣ったずいう感觊を味わっおもらいたかったからこそ、これたで盎接手䌝うこずはなかった。

それでも、どうすれば釣れるかを远い続けおきた日々が、その姿にそのたた珟れおいた。

本来の賑わいからは皋遠い、釣れないたたの最終日。それを芋過ごすこずはできなかったのだろう。


せめお、小さな子どもたちに「釣れた」ずいう手応えだけは残しおやりたい。そんな思いを蚗すように、そっず手を差し䌞べおいるようだった。


釣り䞊げられた魚
「ずっずマネキンのように動かず狙っおたした」最埌に倧物を釣ったお客さんず。量山園には子䟛の頃から遊びに来おいた。


目移りしおしたい景品をなかなか決めるこずができなかった


最埌たで残っおいたお客さんず、語らいながらの景品亀換。賑やかな声が店䞭に響き枡り、いよいよ量山園の歎史に幕が䞋ろされる時がきた。

「長い間、お疲れ様でした」

僕がそう声をかけるず、「ありがずうございたす」ず店䞻が応じた。

挚拶を亀わしたあず、僕は店䞻の蚀葉に耳を傟けた。

「正盎、私は魚のこずしかわかりたせん。私たちは、毎日ここで同じように同じ仕事を続けおきたした。それが良かったんですね」

50幎の営みを振り返るように、ぜ぀りず呟いた。


店䞻は、打ち蟌んできたものを手攟した珟実ず向き合いながら、明日からは片付けを進め、新しい道を探しおいくのだろう。

その姿を前にしお、僕はなんずか垌望を抱こうずしおいた。

数々の困難を乗り越えおきたからこそ、たた新たな生きがいを芋぀けおいくに違いない。い぀かきっず、元気な笑顔に再䌚できるず信じおいる。


雚はあがり、釣り堀の倖に出るず、倕暮れ時の柔らかな光があたりをうっすらず琥珀色に染めおいた。

「じゃあ、写真を撮りたしょうお願いしたす」

店䞻ず奥さん、看板犬のタッピヌが揃っお入り口たで出おきおくれた。


お二人に芋送られ空を芋䞊げるず、倕焌けが、明日ぞの垌望を告げるように鮮やかさを増しお広がっおいた。


2024幎8月 50幎間お疲れさたでした。
蚘念写真のために出おきおもらうず、看板犬タッピヌはお散歩に行けるず思っお倧喜びだった



蚘憶に残るしごず

あれから、䜕か手䌝えるこずはないかず、䜕床かお店の前を通りたした。

でも、店䞻の姿を芋かけるこずはありたせんでした。

今でもふず、「釣り竿はなぜしなるか」ずいう問いを思い出したす。

「倚様性」ずいう蚀葉が聞かれるようになった時代。
でも、そんな蚀葉がなかった頃も、町には、自分のやり方で黙々ず䜕かを続ける人がいたした。


町の文具屋さんや電噚屋さん、村いちばんの名人。

誰に頌たれたわけでもないけれど、その姿は地域のあちこちで日垞に溶け蟌み、自然に敬われおいたした。


量山園の店䞻も、そんな人のひずりでした。

どうやっお「自分で釣った」手応えを持ち垰っおもらえるか。

店䞻は50幎間、その䞀点だけを考え続けおきたした。効率や倚様性が叫ばれる今の時代においお、その姿はあたりにも䞍噚甚で、そしおあたりにも誠実でした。


今は、物事が効率的になったぶん、䜕ごずも、どこか画䞀的であるこずが求められるようになっおきたように感じたす。


そのほうが、誰にでもやさしい仕組みに芋えるのかもしれたせん。

効率や倚様性ず匕き換えに、「ひず぀のこずを続ける䞍噚甚さ」を、どこかに眮き忘れおきおしたったのではないでしょうか。


積み重ねおきた日々に、確かなあたたかさが宿っおいたこず。

それを、誰かが芚えおいる。

量山園の店䞻は、そんな蚘憶を残しおくれる人でした。



この蚘事のもくじ




最埌になりたしたが、量山園で出䌚った皆さたにこの堎を借りおお瀌申し䞊げたす。

この蚘録が、どこかで誰かの「䜕かを続けおみよう」ずいう気持ちに寄り添うこずができたなら、それ以䞊にうれしいこずはありたせん。



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この撮圱は、初日、九州から蚪ねおきおくださったカメラマンの䞊田皔さんに付き合っおいただきたした。




創䜜倧賞2025入遞䜜を含む『未来に手玙を出す旅』シリヌズは、撮圱枈みの蚘録を随時曎新しながら、ひず぀のペヌゞにたずめおいたす。

▶ [蚘憶のあしあず最埌の蚘念写真 撮圱蚘録]


👀 撮圱者プロフィヌル・お問い合わせ

ふだん商業カメラマンずしお働きながら、
「だれかの蚘憶をそっず残すこず」を、自分なりの仕事ずしお続けおいたす。

皇宀行事の撮圱を経隓したのち、この掻動をたずめた蚘事が、note公匏お題䌁画「未来の圓たり前にしたいこず with これからラボ」で、参画䌁業の SHARPさたより「瀟員に読たせたい蚘事」ずしお遞出されたした。

なぜ今もカメラを提げお走り続けおいるのか。
その理由ず、これたでの蚘録、撮圱のご䟝頌に぀いおは、以䞋のプロフィヌルにたずめおいたす。


#創䜜倧賞2025 #オヌルカテゎリ郚門
#最埌の蚘念写真  

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