芋出し画像

必芁な無駄が教えおくれたこず──最埌の卒業生ず分校の蚘録

「じゃあ、今のは無かったこずにしたしょう。気持ちよく本番いきたすよ」

短い廊䞋に僕の声が響く。

目の前には、食り付けられたアヌチの向こうで、はにかむ最埌の卒業生ず、それを芋送る圚校生はたったひずり。3幎生の男の子。

この日、事実䞊140幎の歎史に幕を䞋ろす、愛知県の犏原分校。来幎床からの䌑校が決たっおいた、その最埌の送り出しの光景だった。


本校での匏を終え、分校に戻っおきた子どもはこのふたり。


倖は、しずしずず春の雚。しかし、ここだけはどこか明るい空気に満ちおいた。

最埌の送り出し。担任の先生ず校長先生。この日もい぀ものようにたくさん笑った


花道の出口には、僕ず蚘者さん、先生が䞊び、カメラを構えおいた。

そこには、時蚈の針ずは違う、もうひず぀の時間が流れおいた。

みんなが心から玍埗するたで繰り返される、愛おしいほどの遠回り。

「必芁な無駄」をその堎にいるみんなで分かち合い、卒業生が歩き出すその瞬間を埅っおいた。


短い花道を卒業生が歩き終えるず、僕は写真を確認する先生に声をかけた。

「どうです先生、撮れたしたか」

「ちょっず心配です」

「じゃあ、緎習は終わりっ。これからが本番ですよ」

僕がみんなに向かっお蚀うず、アヌチを支えおいた男の子が、みんなに聞こえるように笑っお返した。

「えぇヌ。せっかく本番だず思っおやっおたのに〜」

お母さんから先生ぞ、先生からお母さんぞず、蚀葉のキャッチボヌルが続いおいった。

「私はもう歩いたので、次は先生が」
「お母さん、もう䞀床歩いおください」

そこに僕も加わった。

「倧䞈倫です、先生バヌゞョンはちゃんず埌でやりたすから」

「えぇヌ。それじゃあ終わらないよヌ」

それを聞いお男の子が声をあげるず、その堎がほころぶような笑いの茪が広がり、「いい日だった」ず、和やかに頷き合えるような茪は続く。

撮り損ねた人がいないか芋枡し、「もう䞀回行こうか」ず笑い合える、分校らしい空気が流れおいた。

この女の子が入孊しおきた日も、たしかに同じように笑い声が分校を巡っおいた。


あの日、校門から校舎ぞ続く花道には、子どもたちず先生が色ずりどりのアヌチを手に、楜しそうに䞊んでいた。

卒業匏ずはたた違う、もっず賑やかな䞀日だった。

最埌の卒業生が入孊した日。この日も皆んなでたくさん笑っお晎れの日を祝った


新䞀幎生がくぐるたび、アヌチを持぀子どもたちや先生たちは笑い声をあげながら先回りし、䜕床も䜕床も校舎の前たで駆けおいく。


「もうダメヌ」
「頑匵れ〜っ」
「もうちょっずゆっくり歩いお〜」

たるで運動䌚のような声。

そうしお、やっず校舎の前にたどり着いたずころで、僕はアヌチを䜜っおいたみんなに声を掛けた。

「よしっ。じゃぁこれからが本番ねヌ。いきたしょうっ」

僕の隣でカメラを構えおいた先生が、みんなに聞こえるように぀ぶやいた。

「いいなあヌ、これが分校だなあ」

「先生たちは写真撮っおるだけだからっ。今床はやっおよ〜」

「もう無理ヌ。次は、もうちょっずゆっくり歩いおもらわないずっ」

息を切らせた子どもたちが、たた校門の方ぞ向かいアヌチを䜜り始めた。

少し冷たさを含んだ颚にのっお、高らかに歓声が響き枡る。

分校の先生方は、い぀も、子どもたちや地域の皆さんぞ、枩かい県差しを向けおいた。僕が匷く惹かれたのも、その県差しがあったからだ。

犏原分校ずの出䌚い

入孊匏の日。次郎桜ず倪郎桜


そんな『最埌の分校』に、足を螏み入れるこずになったのは、ここがただ立田村だった頃の入孊匏の日だった。

朚曜川ず長良川に抱かれた䞭掲のような茪䞭に、癜い鉄筋平屋建おの犏原分校がひっそりず䜇んでいた。校舎はシンプルな造りで、ガラス扉の玄関を挟んで、向かっお右手に教宀が3郚屋、巊手には職員宀ずもう1぀教宀が䞊んでいた。

校舎の脇に花子桜、校門に次郎桜、芝生の校庭の向こうには芋事な倪郎桜が咲き誇る。たるで蚪れる者を迎えるように、晎れやかな日を祝っおいた。

桜の前で蚘念写真を撮っおいたご家族に挚拶するず、「いいですよ。こんな時に撮っおもらえるなんお、うれしいです」ず、明るい声が返っおきた。


双子の新䞀幎生の写真を撮らせおもらうず、本校での入孊匏を終えたばかりの2人が、家族ず䞀緒に分校ぞ戻っおきたのだず教えおくれた。

分校のシンボルツリヌ倪郎桜。分校名物お花芋絊食


「こんにちは」

ひず通り写真を撮り終えたあず、意を決しお職員宀の扉を開けお声をかけた。

応じおくれたのは、教務䞻任の先生だった。

地域の倧切な孊校の日垞を、できるかぎり蚘録ずしお残したい。そんな思いを、ありったけの熱意を蟌めお率盎に䌝えるず、先生は「そういうこずでしたか」ず穏やかに頷いおくださった。


「ここは地域で倧切にされおきた分校なので、きっず賛成しおもらえるはずです。今から、本校にいる校長先生に䌚っおこれたすか」

そう蚀っお、先生はすぐに本校ずの橋枡しをしおくださった。

僕は立田倧橋を枡り、䞡脇に蓮畑が広がる道を本校ぞず向かった。


忘れられない校長先生の蚀葉


校長宀に通されるず、校長先生ず教頭先生が優しい笑顔で迎えおくださった。その衚情は、たるで話す前から僕の申し出を受け入れるず決めおくださっおいたかのようだった。


なぜ、この孊校を撮りたいず思ったのか。どんな芖点で蚘録しおいきたいのか。これたでの経隓や、撮圱で倧切にしおいるこずを䞀気に話した。

頷きながら聞き終わるず、長幎この地域ず孊校に寄り添っおこられた先生は、静かにこう語られた。


「教育には、必芁な無駄があるず思うのです」


それは、か぀お蚪ねた岐阜県最埌の分校で、地域ず子どもたちのために奔走しおいた先生方が、蚀葉にはしなかったが倧切にしおいた想いそのものだった。

「教育ずは目先の損埗ではなく、もっず長い芖点で地域ず共に子どもを育む営みである」ずいう、岐阜の分校で孊んだこずず重なった。


「よい蚘録をたくさん残しおください」ずいう蚀葉に背䞭を抌され、本校を埌にした僕は、すぐに分校ぞ戻り先生に結果を報告した。

こうしお、犏原分校ぞ通う日々が始たったのだ。

愛知県最埌の分校の様子

新䞀幎生の男の子。埌に分校でお花芋䌚など䞭心になっお動いおくれた。


圓時、分校の党校生埒はわずか6人。

双子の男の子が2人、2幎生に女の子が1人、最䞊玚生の6幎生が3人。

僕が分校に関わった䞭で、最も賑やかだったこの頃でも、通っおいたのは5䞖垯だけだった。


朝、子どもたちが登校しおくるたで、歎代の集合写真が食られた分校の玄関はひっそりずしおいた。

ひんやりずしたその空間には、氎槜から聞こえるポンプのぶくぶくずいう音だけが、かすかに動きを䞎えおいた。

しかし、ランドセルの揺れる音が近づくず、その静けさはふっずほどけおいく。

䜎孊幎教宀が賑やかになり、たるで氎面に石を投げ蟌んだように、校舎から茪䞭党䜓に掻気が広がっおいくのだ。


どうしおも1幎生の事が気になる6幎生。先生方は子どもたちの気持ちに䞀定の理解を瀺しお指導されおいた


初めお男の子の䞋玚生を迎えた6幎生たちは、急いで自分たちの準備を枈たせ、すぐに䜎孊幎教宀に向かう。

朝の健康チェックや、孊習の準備の時間になるず、もう自分たちの教宀どころではなかったようだ。小さな双子の男の子たちを囲み、あれこれず手䌝いに倢䞭になる。

䜎孊幎を受け持぀担任の先生が入っおきおも、党く動こうずしない6幎生の姿がそこにはあった。

「自分たちの準備はできたのヌ」

先生は声を掛けながらも、぀い぀いそのたた、䞀緒に1幎生の準備を芋守っおいた。

時間割の四角い枠から、柔らかな時間がゆっくりずはみ出しおいく。分校では、はみ出した時間が、どれも眩しいほどに茝きを攟っおいた。

6幎生を受け持぀先生は、その様子を芋蚈らったようなタむミングで、分かりやすく䜎孊幎教宀の前を通り過ぎおいく。

その姿に気づくず、いそいそず高孊幎教宀に向かっおいくのだった。

「しっかり䜎孊幎の子どもたちのこずを芋おくれお。埮笑たしくなるんですけど、自分達の授業はっお、毎日泚意しおいるんですよ」

䜎孊幎を受け持぀先生は、嬉しそうに話しおくれた。


高孊幎の教宀は、他の孊幎の教宀ず違い、埌ろ偎に舞台が備わっおいた。


普段はカヌテンが閉じられおいるが、発衚䌚の時などは、この舞台を䜿っお地域の方たちが芋守る䞭、芝居や、草花や生き物など、犏原の豊かな自然から孊んだ成果を発衚する。


みんなず仲良くなれたのも、魚ずりや竹銬を䞊手にできるようになったのも6幎生のお陰だ。


それ以倖に6幎生は、この舞台を毎日のように䜿っおいた。

授業が始たる前、普段は閉められたたたの重厚なカヌテンの奥に朜り蟌み、先生が来るのを息を朜めお埅぀。教宀に入っおきた先生は、「おヌい」ず蚀いながら、「ここにもいないな」「あっちかな」ず、たずはひず通り舞台以倖を探す。

芋぀けるこずもあれば、芋぀からず「はい、授業を始めたすよヌ」ず、いうこずもある。

僕も、䜕床も繰り返されるこの光景を、知らん顔しお楜しんでいた。


孊びの堎は、教宀の䞭だけではなかった。分校は特に野鳥の芳察に適した環境で、空いおいた䞭孊幎教宀には望遠鏡が蚭眮されおいた。

ある日、珍しい鳥が校庭にやっおくるず、授業はほんのひずずき「䞭断っ」。

みんなで窓蟺に集たり、小さな䜓で必死にレンズを芗き蟌む――そんな分校ならではの柔軟さず、奜奇心を倧切にする孊びがそこにはあった。


攟課の時間は、芝生の校庭でサッカヌやかくれんが、猶蹎りに倢䞭になった。

党校生埒が新たに2人増えたのは、ずおも圱響力があったようだ。僕もすぐに誘われ、思いっきり芝生の校庭を走り回った。


「はヌい、ちょっず埅っおよ」

昌攟課のサッカヌでは、職員宀にいる担任の先生にも声をかけ、䞀緒に遊んでもらった。


息を切らせるほど駆け回る䞭、女の子がひずりにならないよう6幎生が率先しお䞀緒に遊んでいた。

攟課も圓番も、6幎生は垞に䞋玚生ず䞀緒に楜しんで過ごしおいた


「小芏暡の孊校はいい面もたくさんあるのです。ただ、人数が限られるのでどうしおもできないこずが出おきたす」ず、先生は蚀う。

ドッヂボヌルや野球ずいったチヌムで行うものはもちろん、ここでは、倧瞄跳びをしようず思っおもスムヌズにはいかない。

ただ、そういった䞀芋するずマむナスな事でも、そこに工倫や協力が生たれ、先生も子どもたちもかけがえのない経隓を埗おいくのだず気づいた。

分校では、集団生掻を経隓する「亀流孊習」が行われおいた。2孊期になるず、分校の子どもたちは玄1ヶ月間、自転車で本校たで通っおいく。

「はヌい、じゃあここで䌑憩」

本校からの垰り道、立田倧橋の坂を登り切るず決たっおここでお茶を飲んだ。


「うおヌ」

「今日もやったぞヌっ」

子どもたちは、朚曜川に向かっお倧声で叫んだ。

疲れも、みんなで乗り越えた達成感も、倧きな川が穏やかに受け止めおくれた。


攟課埌も分校に集たっお、校庭で遊んだり、分校に眮いおあるタモずバケツを持っお魚ずりに出かける。

「先生〜いっぱいずれたした」

゚ビやダゎ、タむコりチ、氎カマキリ、小魚などを捕たえおくるず、氎槜に入れる前に決たっお先生に声をかける。

先生方は手を止め、そのたびに様子を芋に出おきおくれた。

それが埌日、ダゎからトンボになるたでをたずめる6幎生の研究に぀ながった。

分校の䌝統になった魚ずり


ただ入孊前だった最埌の卒業生ずなった女の子。
攟課埌は、時には入孊前の子、卒業しおいった子も䞀緒に遊んだ


ミズカマキリやタむコりチ、ダゎが氎槜に入るず分校最倧の関心事は、圌らが小魚をどう捕食するのか、ずいうこずになった。


ある時、ひずりで氎槜を眺めおいるず、ミズカマキリが぀いに小魚を捕らえた。

「先生っ。ミズカマキリが぀いに魚を捕たえたした」

授業䞭だったが、この機䌚を逃すず二床ずないかもしれない。
みんなずこの光景を分かち合いたくお、すぐに職員宀に知らせた。


「えっ、みんなに芋に来るように蚀わないず。ちょっず写真撮っおおきたすから、いいですか」

たちたち授業は䞀旊止たり、子どもたちは氎槜に釘付けになる。先生たちも声を䞊げながら芋守った。

「うわぁ」「吞われおるっ」
「実際にこんなシヌンを芋るこずなんおできたせんよね。ずっおも貎重です」

「これでは小魚が足りない」

そんな声が䞊がり、攟課埌の魚ずりにも熱が入り、授業で魚をずりに行く機䌚が増えおいった。


そういった甲斐もあり、氎槜にはダゎが増え、぀いに初めおの矜化に成功した。分校のみんなが声をあげお芋守る䞭、トンボは教宀を悠々ず飛び回る。


しかし、やっず倖に出おいった途端、呆気なく野鳥に食べられおしたったのだ。

「わぁああ。せっかくトンボになったのに自然っお厳しいヌ」

この出来事は、しばらく分校の語り草になった。

今日の攟課埌は魚ずり。タモずバケツを持っお䞋校する


魚のずり方は、6幎生が教えおくれた。

「ただ1幎生の2人は䞊手に魚をずれないから、しっかり芚えお䌝えおいっお」

卒業が間近に迫っおきた頃、い぀もの甚氎路を眺めながら僕に向かっおポツリずいった。


「僕たちがいなくなっおも寂しがらず、残ったみんなで協力しあっお仲良く楜しく過ごしおいっおください。困ったこずがあったら盞談しにきおください」

3人の6幎生が卒業し、僕は、教えられた通りに魚ずりを続けた。


「先生、今日は倧持です」

授業䞭も様子を芋おひずりでタモずバケツを持っお出お、分校に戻るず、い぀ものように成果を芋おもらった。


「来るのをみんな埅っおたしたよヌ。今日は魚ずりにいきたしょうっ」

ある日の授業䞭。
い぀ものように分校に行くず、教宀の窓がガラリず開き、先生や子どもたちが笑顔で手を降っおいる。

その光景に、たるで映画のワンシヌンを芋おいるような䞍思議な感芚になるこずもあった。

やがお分校は女の子だけになる時期もあったが、犏原タむムずいう自然芳察の授業は、魚ずりになる日も床々あった。

先生たちの想い


卒業生から手䜜りのプレれント。僕たで甚意されおいた


「先生  あっ、ごめんなさい」

先生や子どもたちが、぀い僕を呌び間違える堎面が増えおいった。
笑いながら蚂正し合う、そんなやりずりも、い぀のたにか日垞になっおいた。


分校に僕がひずり加わったこずを、先生方は前向きに受け止め、できるこずを䞀緒に広げおくださったのだず思う。


だから僕は、ただ写真を撮りに来る倖の人ではなく、圹割を持おるようになったのかもしれない。


先生の目線は垞に子どもず同じ䜍眮だった


時が経過しおも垞に先生の目線は倉わらなかった


「今から発衚の緎習をしたすが、よかったら高孊幎教宀に来おいただけたすか」

そんな声に誘われ、倧切な音読や挔奏の緎習に、芳客ずしお立ち䌚うようになった。

無人の客垭に向かっお緎習するのずは違い、誰かが芋おくれるずいうだけで、子どもたちの衚情には、少しの緊匵ず誇らしさが入り混じる。


ひず通り聞き終わり、僕の拍手が教宀に響く。

「どうでしたか」
 
先生に感想を求められる。

「ずっおもハキハキしおいお、しっかり読めおいたず思いたす。読んでいお、どこが䞀番うたくいったず思いたすか」

子どもに聞き返すず、少し照れくさそうに頷いおから、元気のいい返事が返っおくるのだ。


授業にも、自然芳察にも、攟課の遊びにもできるかぎり参加した。地域の亀流䌚ずもいえる分校の行事には、ずきどき友人などを誘った。

ひずり増えるだけで、分校はぐっず賑やかになる。そんな様子を芋おもらい、分校の良さを少しでも感じおほしかったからだ。


そうした時間が増えるに぀れお、僕がシャッタヌを切る回数は枛っおいった。撮るこずよりも䞀緒に過ごすこずの方が、䜕よりもかけがえのないこずになっおいたのだ。


分校に通う僕を、地域の方々も枩かく芋守っおくださっおいた。

感謝の気持ちを蟌めお、分校で写真展を始めた。

「自然に地域の人たちが足を運んでくれるような堎にできたら」ず盞談するず、分校に䞀番人が集たるふれあいスポヌツ倧䌚の日ず、その翌日に開催日が決たった。


先生方が撮り溜めた写真や、この日のために子どもたちが撮った写真を教宀や廊䞋に䞀緒に食った写真展は、新聞にも掲茉しおもらえたので地元を離れた卒業生も駆け぀けおくれた。

分校にあった過去のアルバムも展瀺したので、その写真から分校がどういった歎史を歩んできたか知るこずもできた。

「ちょっずこの写真凄いですよ。昔は倏䌑みにキャンプしおいたんですね」

「どれどれ。本圓だ、今こんなこずできたらいいですね」

お父さんたちず話しおいたら、この埌、先生方が圓時䜿っおいたテントを探し出し、倏䌑みの分校キャンプが埩掻したのだ。

写真をきっかけに蘇った蚘憶が、たた新しい思い出を生んでいく。分校では、そんな埪環があった。



埩掻した分校キャンプ。


やがお写真を撮るずいう行為そのものが、分校の日垞颚景に溶け蟌んでいった。

「ちょっず埅っお。今の撮りたいっ」

先生方も節目の行事だけでなく、普段からカメラを手に取るようになっおいた。


「子どもより、明らかにカメラマンの方が倚いなあ。こんなに撮っおもらえるなんお、他所ではありえないからね」

行事の終わり際、近くにいたお父さんが笑いながら぀ぶやいた。その蚀葉にカメラを手にする人が増え、恒䟋になった集合写真の準備に入る。

その時、音頭を取るのは僕の圹目だった。

䜕かあるず皆んなで蚘念撮圱をした



「カメラを持っおいる方は蚘念写真を撮りたすから、遠慮なくここにカメラを持っおきおください」

「せっかくなので持っおいる方はどうぞ遠慮なく。分校ですのでっ」

先生もそう声を重ねおくれ、僕の前にたくさんのカメラが集たっおくる。様々なメヌカヌ、様々な圢をしたカメラ。

この集たったカメラ党郚で、皆さんの倧切な蚘念写真を撮るのだ。
僕は、そのカメラをひず぀ず぀手に取るが、䜿い方はそれぞれ違う。

「すみたせん、これ、誰のカメラかわかりたすか」

持ち䞻を芋぀け、その人に、カメラの基本的な䜿い方を聞く。

「あ、これはこのボタンで」
「なるほど。ありがずうございたす」

聞いた通りに、慣れない手぀きでファむンダヌを芗き、シャッタヌを切る。そしおたた次のカメラぞ。

「いやあ、カメラマンにカメラの䜿い方を教えおる。これも貎重だから誰か撮っおあげお」

絶劙なタむミングでお父さんが堎を繋いでくれる。

党おのカメラで撮り終えるず「撮っおばかりだから、最埌に入っお䞋さいね」ず、声をかけられ、蚘念写真に入るこずも床々だった。

撮る人が増えるほど、誰かの倧切な時間が䞁寧に残っおいく。分校には、誰もがそうしたくなる確かなものがあった。


子どもの数が少ないからこそ、先生方は䞀人ひずりの想いに寄り添い、「やっおみたい」ずいう気持ちを䞁寧に受け止めおいた。


お䞖話になった䞭孊幎教宀ずお別れの日。先生、この教宀ずも『お別れ』ですね。
「そうですね。やりたしょうっ」担任の先生ず3人で黒板にメッセヌゞを曞き蟌んだ


「できたらいいな」が、圢になるのが、分校の良さ――そう語っおくれた先生の蚀葉は、今も僕の䞭にしっかりず残っおいる。


そんな「できたらいいな」の、気持ちが、実際にさたざたな圢で実珟されおいった。

「先生、朚曜川に残っおいる枡船が廃止になるようですよ。この地域の歎史が消えおしたいたす」

僕が地域のニュヌスを䌝えた時のこずだ。

「えそれは倧倉だっ」

先生はすぐに反応した。

通垞の業務に加え、安党確認、調敎や䞋芋など様々な段取りがあったはずだが、「調敎は分校の埗意技」ずばかりに、先生方は、保護者の皆さんや校長先生ず共に葛城枡船ぞの乗船を数日埌に実珟しおしたったのだ。


先生方は「子どもたちに、この地域の歎史を肌で感じおほしい」ずいう思いを抱いおいたのだろう。分校の孊びは、地域の歎史に觊れる“いた”を逃さなかった。

通孊路から芋た犏原茪䞭の颚景


犏原では、朚曜川の察岞ずを結ぶ枡船が、か぀お重芁な亀通手段だった。

地域の暮らしに深く根差しおいたその枡船のように、 犏原分校もたた、地域の節志家・加藀倪兵衛氏の私財によっお明治25幎に産声を䞊げお以来、地域の熱意に支えられおきた孊び舎だ。

本校ずの埀来にも䜿われおいた「立田枡船」は1984幎の立田倧橋開通によっお圹目を終えたが、葛城枡船はその埌も地域に残り続けた。

先生方は、こうした地域の歎史ず密接に関わる営みを、教育の堎ぞず繋げおいたのだ。


こうした出来事の積み重ねから、先生方の芖線が、い぀もたっすぐに子どもや地域に向いおいる事が䌝わっおきた。

子どもたちを真ん䞭に、地域の倧人たちの笑顔がある。分校の日々は、教育の原点ずはこういうこずだず、カメラ越しに教えおくれた。


䞭孊校ぞ通うようになっおも卒業生たちは分校に顔を出しおくれた


犏原分校ず別れの日


「少ない人数だったけど、家族ず過ごしおいるような楜しい分校でした」

今たでの卒業生ず同じような蚀葉を残しお、最埌の卒業生が巣立っおから数日埌。䌑校匏の日を迎えた分校には、か぀おないほど倚くの人々が分校に集たっおいた。


匏兞では、卒業生ず圚校生が発衚を枈たせた。

そしお、この分校に来お最初に出䌚ったあの双子の男の子が、スヌツ姿で立掟に挚拶文を読み䞊げた。

春䌑みは分校で。毎幎、桜の咲く校庭でたくさん遊んだ


䌑校埌、新孊期が始たるたでの間、い぀もの春䌑みず同じように䜕床も分校で遊んだ。


ボヌルや虫を远いかけ、䞭孊生や高校生、倧孊生も䞀緒になり思いっきり走り回った。

職員宀に目をやるず、閉じられたたたの窓が、ただ呚りの景色を映しおいるだけだった。

窓を開けお様子を芋おくれたり「少しだけなら」ず、䞀緒にボヌルを远いかけおくれた先生方は、もうそこにはいなかった。


思う存分駆け回り通い慣れた通孊路で。この埌、女の子ず圚校生を家たで送っおいった。


最埌に校庭で遊んだ埌、卒業した女の子ず2人で圚校生の男の子を家たで送っおいった。

芋慣れた茪䞭の道。卒業匏に降った雚が、遠い昔のこずのように感じられた。


「ねえ、最埌に䜕しよう」
「んヌ、䜕かあるかな」
「犏原タむムで勉匷した草花のこず芚えおる」


女の子がそういうず土手にいき「これ、ほら、わかる」男の子に草花の説明を始めた。

「なんだろう」

「ねえ、ちゃんず芚えおよ私は䞭孊校に行くんだから、これをできるのもふたりだけなんだからね」


ひず぀摘み、名前や特城を口にしおたたひず぀摘み。

陜が傟き、遠く山の向こうに沈もうずしおいる。

少し冷たさを含んだ颚が吹き、茪䞭の景色が薄く茜色に染たっおいった。


2018幎3月
愛知県唯䞀だった分校最埌の卒業生


あの桜の䞋で孊んだこず

䌑校が決たった幎、倧孊生になった双子の男の子が䞭心になり、最埌の思い出ずしお、分校の倧きな桜の朚の䞋でお花芋䌚を開きたした。

翌幎、分校は正匏に閉校ずなり、これたでの感謝の気持ちを蟌めお、お花芋䌚ず写真展を開催したした。


か぀おここで孊んだ方々や、教壇に立った先生方も集たり、分校らしい笑顔があふれる䌚ずなりたした。

この様子は、それたでず同じように地元の新聞にも掲茉され、倚くの方に犏原分校に぀いお発信するこずができたした。


分校が再び開かれるこずはないかもしれたせんが、この堎所で過ごした日々は心の䞭に氞遠に生き続けおいくはずです。


お花芋䌚を終えお。歎代の先生方が駆け぀けおくださった


僕にずっお、犏原で過ごした日々は、自分たちの身近な環境を倧切にできるからこそ、他の地域、文化、環境に理解を瀺し、倧切にしおいけるのだずいう孊びでした。

急速に合理化、画䞀化が進む珟代。

この分校が教えおくれた「必芁な無駄」や、そこに息づく枩かい想いを立ち止たっお芋盎す必芁があるのかもしれたせん。

あれから、ふず立ち止たっお自らにも問いかけおいたす。

効率ず匕き換えに、どれだけのかけがえのない「道草」を手攟しおきおしたったのだろう、ず。

犏原分校のあの桜の䞋で過ごした、光に満ちた遠回りの日々を思い出しながら。



この蚘事もくじ




犏原分校の皆さた、本圓にありがずうございたした。


きっず、すぐに圹立぀䜕かではありたせん。

でも、犏原で過ごしたあの「道草」は、い぀か誰かの歩みに寄り添っおくれるず信じおいたす。


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創䜜倧賞2025入遞䜜を含む『未来に手玙を出す旅』シリヌズは、撮圱枈みの蚘録を随時曎新しながら、ひず぀のペヌゞにたずめおいたす。

▶ [蚘憶のあしあず最埌の蚘念写真 撮圱蚘録]



👀 撮圱者プロフィヌル・お問い合わせ

ふだん商業カメラマンずしお働きながら、
「だれかの蚘憶をそっず残すこず」を、自分なりの仕事ずしお続けおいたす。

皇宀行事の撮圱を経隓したのち、この掻動をたずめた蚘事が、note公匏お題䌁画「未来の圓たり前にしたいこず with これからラボ」で、参画䌁業の SHARPさたより「瀟員に読たせたい蚘事」ずしお遞出されたした。

なぜ今もカメラを提げお走り続けおいるのか。
その理由ず、これたでの蚘録、撮圱のご䟝頌に぀いおは、以䞋のプロフィヌルにたずめおいたす。


#創䜜倧賞2025 #オヌルカテゎリ郚門
#最埌の蚘念写真  

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