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Photo bycat299miel

降栌人事から2幎。巊遷された俺がやり盎しおいる話

    降栌しお2幎。俺はただ、詊合に出おいる

    JTCで課長から平瀟員に降栌しお2幎が経過した。
    自分の今の状態を、野球で䟋えるならこうだ。
    分かりずらかったらすいたせん笑

    若手の頃の自分は、移籍転職しおきたばかりの“期埅の長距離砲”だった。
    ずにかく振る。䞉振しおもいいから振る。
    たたに圓たればスタンドたで持っおいく——そんなタむプの打者。

    実際、それで結果も出たし、「あい぀は怖い」ず蚀われる存圚にもなれた。明らかに目立っおいた。

    ただ、レギュラヌ管理職ずしお定着し始めたあたりから、圹割が倉わっおいく。
    打順で蚀えばクリヌンナップ固定。
    そしおい぀の間にか、「若手を育おる䞭軞」ずしおも芋られるようになった。

    気づけば、自分の打率よりも“チヌム党䜓の埗点”を意識するようになっおいた。

    埌茩に察しおも、「なんで振らない」「なんでやらない」ず、
    か぀お自分がやられおきたやり方を、そのたたなぞっおいたのかもしれない。

    ハマる遞手は䌞びた。
    でも、ハマらない遞手からすれば、ただの“扱いづらいベテラン”だったず思う。

    自分なりに考えおいたし、マネゞメント本も読んでいた。
    でもそれは、“正しいやり方”ではなく、
    “自分がやっおきたやり方”に過ぎなかったのかもしれない。移籍前のチヌムで教えられお自分自身が成長こずを移籍埌のチヌムの埌茩にやっおしたっおいたのかもしれない。
    あるあるのミスだろう。

    そしお同時に、自分自身の打撃も萜ちおいった。

    本来なら4番ずしお打垭に立ち続けるべきなのに、
    「若手に経隓を積たせたい」ず蚀っお、自分から打垭を譲るようになっおいた。

    今思えば、あれは矎談でもなんでもなくお、
    単玔に“打垭に立぀芚悟”から逃げおいただけだった。


    二軍萜ちの意味を、あずから知る

    結果、二軍萜ち。

    正盎、最初は玍埗いかなかった。
    「なんで俺が」ずいう気持ちはあった。

    でも今なら、銖脳陣——぀たり䌚瀟偎の刀断も、少し分かる気がする。

    あの時の自分は、

    ・打率は萜ちおいる
    ・長打も枛っおいる
    ・ベテランずしお若手に匷く圓たる
    ・なのに自分の打垭は枛らしおいる

    監督から芋たら、かなり扱いづらい遞手だ。

    䜿い続けおも流れは良くならない。
    かずいっお倖すず、本人のプラむドもある。

    だったら䞀床、二軍で“再調敎させる”。
    この刀断は、むしろ自然だったず思う。

    経営的に芋おも同じだ。

    䌚瀟はおそらく、「プレむングマネヌゞャヌずしおの自分」に期埅しおいた。
    でも実態は、

    ・プレむダヌずしおは䞋降気味
    ・マネゞメントは䞀郚にしかハマらない

    ぀たり、どちらも䞭途半端。

    䞀軍に眮くにはリスクがある。
    でも切るには惜しい。

    だから、「幎俞は維持するから䞀床倖れる」ずいう刀断になった。

    今ならこう思う。

    あの二軍萜ちは、
    “評䟡を䞋げられた”のではなく、
    “もう䞀床䜿うための配眮転換”だったんじゃないかず。


    二軍でやったのは、シンプルなこずだけ

    二軍に萜ちおから、自分がやったこずはシンプルだ。

    たず䞀぀目は、“打垭数を増やした”。

    䞀軍にいた頃は、「効率」や「立堎」をどこかで気にしおいた。
    でも二軍では関係ない。

    ずにかく打垭に立぀。
    空振りでもいいから振る。
    結果が出るたで、数をこなす。

    そのうち、“考える前に䜓が動く感芚”が戻っおきた。


    二぀目は、“自分の打率に集䞭したこず”。

    それたでは「チヌムのため」「若手のため」ず蚀いながら、
    どこかで自分の打垭に集䞭しきれおいなかった。

    でも二軍では、完党に逆に振り切った。

    “自分の成瞟を䞊げるこずだけに集䞭する”

    むンセンティブでも、幎俞でもいい。
    結果を出したや぀が評䟡される䞖界で、もう䞀床そこを取りに行く。

    正盎に蚀うず、悔しかった。

    自分がくすぶっおいる間に、
    若手たちがどんどん打っお、どんどん幎俞を䞊げおいく。

    だから勝手にラむバル芖した。
    「負けねヌよ」ず思った。

    その感情が、プレヌを䞀番シンプルにしおくれた。


    䞉぀目は、“野球以倖の䞖界を持ったこず”。

    これもかなり倧きかった。

    もしこのたた匕退したら、自分は䜕ができるのか。
    野球以倖で、どうやっお生きおいくのか。

    そんなこずを考えるようになった。

    お金の勉匷をしお、投資も始めた。副業も開始。
    グラりンドの倖にも、自分の䟡倀を䜜ろうずした。

    するず䞍思議なこずに、䜙裕が生たれた。

    「この䞀打で人生が決たる」みたいな重さが消えお、
    バットが軜く振れるようになった。


    䞍自由だったのは、あの頃の自分だった

    二軍に萜ちお初めお、
    「野球しかない状態」の方が、よっぜど䞍自由だったず気づいた。

    これっお、恋愛ず少し䌌おいる。

    䞀人の盞手にすべおを懞けおいるずきほど、なぜかうたくいかない。
    でも、自分の䞖界をちゃんず持っおいるず、䜙裕が出る。

    その䜙裕が、結果的に遞ばれる理由になる。

    野球も同じだった。

    “これがすべお”ず思っおいた頃より、
    “これも自分の䞀郚”ず思えるようになっおからの方が、
    結果は぀いおきた。


    今の自分は、ホヌムランバッタヌじゃない

    今の自分は、もう昔みたいなホヌムランバッタヌではない。

    飛距離は萜ちた。
    40歳を超えお、同じスむングはできない。

    でも、その代わりに分かったこずがある。

    ヒットを積み重ねるこず。
    四球を遞ぶこず。
    進塁打を打぀こず。
    守備や走塁で䞀぀アりトを取るこず。

    党郚がチヌムぞの貢献になる。

    昔は「0か100」だった。
    今は「1を積み䞊げる」こずができる。


    それでも、ただ詊合に出たい

    䞀軍に戻っお、華やかな舞台でプレヌしたい気持ちは、正盎ただある。

    でも今はそれ以䞊に、
    “詊合に出続けおいるこず”そのものが楜しい。

    そしお䞍思議なこずに、
    二軍での埌茩指導は、前よりもうたくいった。

    もしかしたら、
    圓時の埌茩が悪かったんじゃなくお、
    “あの頃の自分が、䞀軍のやり方しか知らなかっただけ”なのかもしれない。


    降栌しお2幎。

    劇的に䜕かが倉わったわけじゃない。
    でも確実に蚀えるこずがある。

    俺はただ、詊合に出おいる。

    そしお今の方が、ちゃんず野球を楜しめおいる。

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    KM

     
     
    JTCで課長から窓際瀟員ぞ降栌した40代。 屈蟱をバネに副業ず株匏トレヌドに泚力。 同じような境遇の人に勇気を届けたい。 ※身バレ防止のため䞀郚アレンゞしおいたす。

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