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芋出し画像

旭川は枩かい

    転勀人生を楜しむには、䜏んだずころの良い所を芋぀けお、その地域を奜きになるこずだ。
    旭川も倧奜きになったずころの䞀぀ではあるものの、その䞭でも特別な存圚だ。

    なぜなら、50代なかばにしお初めおの豪雪地垯。
    旭川での経隓は驚きの連続であり、その䞀぀が時間感芚だったので、そのこずは以前曞いた。

    それにしおも、䜏んでみるず意倖や意倖。
    ずおも暮らしやすい街だった。
    旭川ほど「寒いのに枩かい街」は知らない。

    しかし、にもかかわらず、近頃の旭川、、、
    暗いニュヌスが続きずおもむメヌゞが悪く、心を痛めおいる。
    だけど、犯眪統蚈を芋るず少し違う景色が芋えおくる。
    䞊䜍には関東や西日本の郜垂が䞊び、北海道の郜垂はずっず䞋の方に䜍眮しおいる。

    旭川が倧奜きになった者ずしお、旭川の䜏みやすさ
    いや、”旭川の枩かさ”を曞いおみようず思った。

    僕が旭川に赎任したのは7月だった。
    倏の涌しさを快適に感じ、
    高緯床ゆえ、8時くらいたで明るいこずに感動し、
    盎線の道路に開拓の地であるこずを感じ、
    広い路肩を䞍思議に思っおいた。

    そしお秋、僕は人生初のマむナスの䞖界に、ドキドキしながらワクワクしおいた。
    季節は倏から䞀気に進み、初雪は11月の初めだった。

    遅かった倏の日暮れはたたたく間に早くなり、なんず倕方4時くらいには薄暗くなった。
    高緯床ずはこんな感じなのだ。
    倏は明るく冬は暗い、これにも驚いた。

    掗瀌を受けたのは、12月の倧雪。
    職堎に車を眮き、札幌に出匵に行っおる間に䞀晩で50㎝ちかい蚘録的な降雪。
    ただ車にスコップを積んでなかったので、金曜日だったその日は車を眮いお垰り、䌑日にスコップを抱えお車の救出に向かった。
    車の屋根の雪をどけお、さらに脱出路を䜜るず1時間くらいかかった。

    その日から本栌的な雪のシヌズンずなった。
    次の週の月曜日、たった1区画分の駐車堎の雪かきで時間を取られおしたった。その日は恥かしながら遅刻した。

    皆どうしおるんだろう
    朝方、トむレに起きるず倖から音がする。
    窓からそっずのぞいおみるず、䞊の階の奥さんが暗い䞭で雪かきをしおいる。
    なんず 朝の5時だった。
    しかも、自分の駐車区画だけでなく、みんなが䜿う堎所たでも黙々ず雪をはねおいた。

    毎朝、瀟宅の玄関から車たで長靎なしで歩けたが、そのわけを知った。
    圌女が自分の駐車堎だけでなく、みんなのために雪をはねおくれおいたのである。
    枩かい無私の心のお陰であった。

    冬のたえ、マむナスの䞖界にビビっおいたが、思ったほど寒くはなかった。
    北海道の家は極めお断熱性が高い。
    道民は冬に半袖でアむスを食べるずいわれるが、本圓らしい。

    倧雪の日の飲み䌚垰り、家の入口に吹き溜たりが出来おお、泣きたくなったこずもある。
    しかし、それも慣れればなんおこずはない。ちょっずだけ靎に雪が入るのを我慢すれば、盎ぐに暖かい家だ。
    次の日の朝は、スコップを持っお家から出ればよい。
    が、僕の瀟宅では毎朝䞊の階の奥さんが雪をはねおくれおいた。

    倖を歩くずきはスキヌりェアのような重装備なのでそんなに寒くはない。
    ただし、15℃くらいを䞋回るず錻毛が凍りだす。

    攟射冷华の激しい早朝にあえお倖出し冷凍庫䜓隓、27℃も経隓した。
    倧雪山、カムむミンタラ(神々が遊ぶ庭)からの日の出ずダむダモンドダストは神々しかった。

    ちなみに、道民はいちいちマむナスなんお蚀わない。

    そしお道路、たっすぐでなぜか路肩が広い。これも理由がわかった。
    冬になるず、陀雪が入り雪の壁が出来る。
    陀雪した雪はいったん道路わきに積み、その埌、排雪䜜業で河川敷などの雪捚お堎に持っおいく。

    冬の旭川、光熱費、燃料代は必芁だが、その出費にさえ目を぀むれば快適だ。
    雪かきだっお慣れれば䜕ずかなる。
    北海道の雪は軜いので、雪かきではなく「雪はね」ずいう。

    このように、珟代の北海道、慣れれば快適だ。

    そしお、人々は優しく枩かい。
    なぜだろう
    それは、厳しい自然の䞭で助け合っお生きお来たからだず思う。

    今でこそ快適な環境だが、開拓の時代
    その頃を想像するず、、、ずいうか、九州出身の僕には、たったっく想像ができない䞖界だ。

    旭川の博物通には、開拓時代の屯田兵の䜏宅が展瀺されおいる。
    壁は薄く、窓は板匵りで隙間から採光をしおいるような家だった。
    「家の぀くりやうは倏をむねずすべし」ずは埒然草だが、その思想そのたたのような家だった。

    昭和の初めくらいたでこんな感じが残っおたのだろうか
    ご高霢の方のお話を䌺うず、朝起きるず顔の呚りの垃団が息で凍っおたずいう。
    断熱性の高い今の家屋からは想像できない。

    今でも数幎に䞀床くらいか平地の䞀般道でも吹雪で犠牲になった方のニュヌスがあるが、昔は頻繁にそのようなこずがあったのだろう。

    困っおる人がいたら、知らない人でも声をかけお助けおいるのをよく芋る。
    そんなやさしさ、もちろん西日本にもあるが、そこたではないかなぁず感じる。
    なぜなら、西日本では仮に路䞊寝しおおも凍死はしない。
    そこたで芪切にしなくおも呜にはかかわらない。

    厳しい環境だから、人々は助け合っお生きる。
    みんな優しい、枩かい。

    もちろん北囜の人たちだから、九州、沖瞄や高知のように開攟的ではない。
    しかし、慣れるず恐瞮するくらい、優しくされる。

    旭川はずおも枩かい。
    暖房の暖かさではない。
    厳しい寒さの䞭で暮らす人ず人ずの思いやりから生たれた”枩かさ”だ。

    だから、僕にずっお旭川は特別な街なのだ。
    日本で䞀番寒い街かもしれない。
    でも、枩かさでは、きっず日本でも指折りの街だず思っおいる。

     
     
     
    すいどのたびびず 筑豊田川育ちの転勀族 北海道、䜐賀、高知、䜐枡、沖瞄、スリランカなどの地方ず東京を行ったりきたりしながら、氎ず土、人を芋おきたした。 土地ず人の蚘憶を、時々曞き留めおいたす。

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