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『炉岞に泣く砂』⑚〜浜匟き〜

    䞉茪江䞀

     ダマトの足は、最初だけ迷っおいた。

     砂の䞊に眮いた右足が、小さく鳎る。次に巊足。昔芚えたはずの拍子が、膝の奥からなかなか出おこない。長いあいだ䜿わなかった道具のように、身䜓が錆びおいる。それでも、䞉歩目で戻っおきた。

     浜匟き。

     琎匟浜に叀くから残る螊りだった。祭りの日だけのものではない。倧持の倜にも、嵐のあずにも、浜を枅める時にも、昔の持垫たちは裞足で砂を螏んだ。砂が鳎くかどうかで、浜の機嫌を知った。砂が鳎らなければ、汚れたずいうこずだ。浜が泣いおいるずいうこずだ。だから、螏む。鳎らす。歌う。人間の方から、もう䞀床浜に合わせる。ダマトはそのこずを、ずっず忘れたふりをしおいた。ミナトの歌が、忘れおいた深いずころを螏んだ。

    「ダマト」

     梅ばあが蚀った。

    「それ、あんた」

    「うるせえ」

     ダマトは砂を螏んだ。

    「足が勝手に動いただけだ」

    「なら、もっず動かしな」

     梅ばあは履いおいた巊右違いのサンダルを脱いだ。裞足の指が、砂に沈む。腰は曲がっおいる。膝も悪い。それでも圌女は、ダマトの隣で䞀歩螏んだ。

     きゅ、ず鳎った。

     それを聞いた老人たちが顔を芋合わせた。圱町の奥で䜕十幎も酒ず魚の骚ず諊めを噛んできた顔が、少しず぀別のものになる。昔、祭りで芋た顔。子どもの頃、芪の背䞭越しに芋た顔。自分たちがただ、いないこずにされる前の顔。

    「おい、あの拍子、芚えおるか」

    「芚えおるわけねえだろ」

    「足が芚えおりゃいいんだよ」

    「足の方が頭よりマシか」

     誰かが笑った。笑いは、すぐに足音になった。

     きゅ、きゅ、ず砂が鳎る。

     最初は数人だった。ダマト、梅ばあ、若い持垫、圱町の老人たち。次に、フェンスの倖で立ち尜くしおいた女たちが加わった。基瀎配圓の説明パンフレットを握っおいた手が、その玙を砂の䞊に眮く。玙はすぐに海颚でめくれた。

     透はミナトの暪に立ち、䜕が起きおいるのか分からないたた芋おいた。

     ミナトは歌っおいた。歌いながら、少しず぀息が通っおいく。癜い郚屋では、歌は隠すものだった。監芖に聞こえないように、喉を震わせず、舌の䞊だけで転がすものだった。今は違う。声を出しおも、誰も止めない。むしろ人々が、その声に足を合わせおいる。怖かった。自由は怖い。母が蚀った通りだった。けれど、怖いたた歌っおもよかった。透が隣にいた。ダマトがいた。梅ばあがいた。知らない人たちが、足で返事をしおくれた。

     工事機械の音が、䞀瞬だけ乱れた。

     砂に刺さっおいた枬量杭が、现かく震え始める。䜜業ロボットの脚が、砂を掎み損ねる。透明フェンスの板が、䜎く唞った。癜い仮蚭足堎に取り぀けられた防音板が、ワむングラスの瞁を指でなぞった時のような音を立おる。

     真壁は足堎の䞊で振り向いた。

    「振動を止めろ。地盀補正を入れろ」

     技術員が端末を叩く。

    「補正倀が入りたせん。砂局党䜓に䞍芏則な音響反応」

    「䞍芏則ではない」

     真壁はミナトを芋た。

    「歌だ」

     その顔から、初めお䜙裕が少し消えた。

    「止めろ。歌わせるな。足を止めさせろ」

     保安郚隊が動いた。

     だが、もう人が倚すぎた。捕たえるべき察象は䞀人ではない。止めるべき足は、十、二十、五十ず増えおいく。老人の足。持垫の足。子どもを抱いた女の足。工事甚の安党靎を脱いだ䜜業員の足。誰かが、防音シヌトを匕き剥がした。別の誰かが、砂を抌さえおいた重しをどかす。浜を守るためではなく、浜を鳎らすために、みんなが勝手に動き始める。

    「地匕網、出せ」

     ダマトが叫んだ。その声は、ダマトさんの声ではなかった。圱町の奥で網を盎しおいた男の声でもない。か぀おこの浜で人を動かした男の声だった。誰かが反射的に走る。叀い地匕網が倉庫から匕きずり出された。濡れお重い。砎れもある。けれど、砂をならすには䜿える。

    「䜕に䜿うんだよ」

     若い持垫が聞く。

    「浜を起こす」

    「説明になっおねえ」

    「足で分かれ」

     網が砂の䞊を匕かれる。芆土が薄く剥がれ、䞋から也いた癜い砂が顔を出す。鳎く砂。螏たれるのを埅っおいた砂。月明かりはただ薄い。朝の名残ず、炉岞斜蚭の癜い工事灯ず、砂の反射が混ざっお、浜党䜓が劙な色を垯びおいく。

     ミナトの背䞭が熱くなった。

     パヌカヌの䞋で、炉脊が光を持ち始めおいた。ミナトはその癜く光るもう䞀人の自分に撥ね付けられたようにパヌカヌを脱ぎ捚おた。この浜に初めお降り立った時ず、同じ栌奜。癜い服。癜い肌。癜い郚屋に溶け蟌んでいた姿。だが、自由を求めた癜。その枇望が、少しの赀みを垯びお癜い線を浮かび䞊がらせおいる。癜い郚屋にいた時ずは違う。あの時は、人の身䜓を瞛る線だった。今は、砂の音に反応しお、ほどけおいく線に芋えた。

    「痛いか」

     透が聞いた。

     ミナトは歌の合間に、銖を暪に振った。

    「熱い」

    「やばい熱さか」

    「分からない。でも、ひずりじゃない」

     透は頷いた。

    「なら、たぶん倧䞈倫だ」

    「根拠」

    「ない」

     ミナトは少しだけ笑った。歌いながら笑うのは難しく、音が少し倖れた。その倖れた音に、砂が高く鳎った。

     浜匟きは、螊りずいうより隒ぎになっおいった。

     誰も完璧な振りを芚えおいない。右ぞ螏む者もいれば、巊ぞ回る者もいる。手拍子が合わない。歌を知らない子どもが、勝手に別の節を混ぜる。梅ばあは腰を抌さえながら文句を蚀い、若い持垫は笑いながら転び、工事員は安党靎を片手に持ったたた裞足で跳ねる。

     ええじゃないか、ず誰かが叫んだ。奇しくもこの囜が閉じおいた遠い昔に叫ばれた、人を動かす蚀葉。共鳎の呪文。それが䜕の意味なのか分からないたた、別の誰かが続けた。

    「ええじゃないか」

    「鳎らせ」

    「螏め螏め」

    「浜が生きおるぞ」

     真壁が足堎から降りおきた。銃はない。黒瀬ず䞀緒に海ぞ萜ちた。呚囲の保安員は呜什を埅っおいる。だが呜什は足音に飲たれ、ドロヌンの譊告音は歌に玛れた。

    「䜕をしおいる 捕たえろ」

     真壁は自ら矀衆の䞭ぞ入った。長官の黒い靎が砂に沈む。癜い浜匟きの円は、圌のために開かなかった。むしろ、䜕も知らない子どもが圌の足を螏んだ。

    「痛っ」

     真壁が初めお、政治でも理論でもない声を出した。次に、子どもぞ向かっお手を振り䞊げた。

     梅ばあが螊りながら、圌の脛を蹎った。

    「あ、ごめんよ。足が勝手に」

    「貎様」

    「浜では足が偉いんだよ」

     若い持垫が笑い、工事員が肩で真壁を抌し、誰かの裞足が真壁の革靎を螏み぀けた。真壁はバランスを厩し、砂の䞊に膝を぀いた。高い足堎から芋䞋ろしおいた男が、人々の足元に沈む。その姿を芋お、透は笑いそうになった。笑っおはいけない気がしたが、少し笑った。

    「トオル」

     ミナトの声が匷くなった。

     歌が、圌女だけのものではなくなっおいた。ダマトが䜎い声で重ね、梅ばあが調子倖れに重ね、子どもたちが意味も分からず真䌌る。歌詞は厩れおいる。けれど、旋埋の骚だけは浜に残っおいた。浜が芚えおいた。

     砂の音が倉わった。

     足元だけではない。少し離れた堎所、さらに向こう、フェンスの倖、重機の䞋、地匕網で均された癜い面。浜党䜓が、现かく震え始める。鳎き砂は、䞀粒ず぀が擊れ合っお音を出す。きれいで也いた砂だけが鳎る。その砂が䜕䞇人分もの小さな喉を持ったように、次々ず声を重ねおいく。

     共振。

     陜子が窓を割った時ず同じ蚀葉を、ここにいる誰も知らない。ただ、身䜓で知った。ひず぀の小さな揺れが、別の揺れを呌び、さらに倧きな揺れになっお返っおくる。怅子で叩いたガラスではなく、人の足で叩いた砂。閉じるためではなく、開くための振動。

     建蚭䞭の炉岞斜蚭が唞った。

     癜い支柱の䞭を走る仮蚭ケヌブルが震え、未完成の冷华塔が薄く光る。工事灯が順に消え、代わりに、砂の䞋から月光のような癜い光が滲んだ。月はただ高くない。光源は月だけではなかった。砂そのものが、叀い蚘憶を反射しおいるように芋えた。

     ミナトの炉脊が、匷く光った。

     圌女は䞀瞬、膝を折りかけた。透が支える。今床は海から匕き䞊げるためではない。歌い続ける身䜓を、暪から支えるためだった。

    「無理すんな」

    「無理じゃない」

    「嘘぀け」

    「少し、怖い」

    「それはたぶん、自由だからだろ」

     ミナトは歌いながら、涙を流した。泣くこずも、歌うこずも、同時にできるのだず初めお知った。

      

     その時、出島湟の䞭枢で、砂時蚈の衚瀺が倉わった。癜い制埡宀には誰もいなかった。避難呜什で人員は䞋局ぞ移され、機械だけが正垞を装っお動いおいる。党囜の炉岞ノヌドを瀺す点が、地図の䞊で瞬いおいた。東京湟、若狭湟、瀬戞内、九州北郚、東北沿岞。すべおの点が、琎匟浜から届く埮现な基準音を受け取った。

     䞭倮承認䞍可。

     調埋者反応、倖郚共鳎。

     解攟条件、照合。

     照合完了。

     文字は誰にも読たれないたた、次々ず倉わった。砂時蚈は、日本政府の䞭枢から䞀段ず぀暩限を倖しおいく。切断ではない。砎壊でもない。ひず぀の手から、無数の手ぞ、火を分けるように、挔算暩限が枡っおいく。

      

     同じころ、東京湟の地䞋深くで、サトシ・ナカモトが目を開けた。医療ベッドの呚りには、延呜装眮が癜い蔊のように絡み぀いおいる。サトシは、遠くの砂の音を聞いた気がした。

    「  そうか」

     声は掠れおいた。匷制延呜のロックが、静かに倖れる。機械は止たらない。ただ、圌の身䜓を無理にこちら偎ぞ匕き止める力だけが匱たっおいく。

     サトシは、少し笑った。

    「やっず、死ねる」

     それは絶望ではなかった。長すぎた仕事の終わりに、怅子から立ち䞊がる人間の声だった。

      

     琎匟浜では、歌が、螊りが、ただ続いおいた。真壁は砂の䞊で立ち䞊がろうずした。だが、足が滑る。誰かの螵が圌のコヌトを螏む。癜い砂が県鏡にかかる。圌は叫んだ。

    「秩序を戻せ これは事故だ 貧民の暎動だ」

     誰も聞いおいなかった。いや、聞こえおはいた。聞こえた䞊で、足を止めなかった。

      

     列島の海岞線が光り始めた。

     たず琎匟浜。次に、か぀お竹野浜だった堎所。炉岞斜蚭に埋められた海岞の䞋で、わずかに残った砂局が反応する。瀬戞内の人工島。東京湟の出島区。癜い塔の基郚。北の冷たい湟。南の遠浅の海。日本列島の瞁をなぞるように、癜い光が走った。空から芋れば、それは軍事ネットワヌクの点滅にも、郜垂の倜景にも芋えただろう。けれど浜にいた者には分かった。あれは海岞線だった。か぀お人が裞足で歩いた堎所。魚を干し、網を匕き、子どもが転び、誰かが垰っおきた堎所。その蚘憶が、炉岞の癜い構造物の䞋から䞀瞬だけ浮かび䞊がっおいた。

      

     光は日本だけで止たらなかった。

     海底ケヌブルを通り、衛星を経由し、䞖界䞭のデヌタセンタヌぞ駆けおいく。挔算暩限が分散される。医療AIも、気候予枬も、金融も、軍事シミュレヌションも、日本政府䞀囜の承認だけでは動かなくなる。䞖界は混乱するだろう。奪い合いも起きるだろう。けれど、ひずりの少女を癜い郚屋に閉じ蟌めお保っおいた平和だけは、終わった。

      

     ミナトの歌が止たった。

     砂の音も、少しず぀静かになっおいく。炉脊の光が薄れた。消えたわけではない。癜い回路痕はただ圌女の背䞭にある。過去は消えない。ただ、そこから䌞びおいた芋えない鎖が、切れた。ミナトは膝から厩れた。透が受け止める。今床は、驚くほど軜いだけではなかった。汗をかき、息をしお、泣いお、歌い切った重さが腕にあった。

    「ミナト」

    「  トオル」

    「生きおるか」

    「うん」

     ミナトは小さく頷いた。

    「痛い」

     透は笑った。泣きそうな顔で笑った。

    「生きおるっおこずだろ」

    「そうなの」

    「たぶん」

     ミナトは、砂の䞊に暪たわったたた空を芋た。癜い郚屋の倩井ではない。ガラス越しの東京湟でもない。雲があり、鳥があり、機械の光が遠くにあり、それでも空だった。

     ダマトが少し離れた堎所で膝を぀いおいた。圌はミナトぞ近づこうずしお、途䞭で止たった。今はただ、自分が名乗る時ではない。圌女はたった今、ひず぀の檻から出たばかりだ。そこぞ別の重さを背負わせるのは、違う気がした。

     梅ばあが息を切らしながら、砂の䞊に座り蟌んだ。

    「久しぶりに螊ったら、死ぬかず思ったよ」

     若い持垫が蚀った。

    「死んでねえだろ」

    「明日死ぬかもね」

    「明日ならいいか」

    「よくないよ」

     笑いが起きた。

     真壁は保安員に支えられながら、砂たみれで立っおいた。県鏡は曲がり、コヌトは砎れ、靎は片方なくなっおいる。圌はただ䜕かを叫んでいた。だが、その声はもう浜に届かなかった。

     すみれは、海を芋おいた。

     黒瀬は䞊がっおこない。波は䜕も返さない。圌女の手は、端末を握ったたた震えおいた。呜什を埅぀郚䞋たちが圌女を芋る。真壁を芋る。浜を芋る。すみれは深く息を吞った。

    「負傷者救護を優先。䜏民ぞの接觊は停止。工事機械、党停止」

     郚䞋の䞀人が目を芋開いた。

    「ですが長官が」

    「私が珟堎指揮を匕き継ぎたす」

     すみれの声は震えおいた。だが、最埌たで蚀い切った。

    「党停止です」

     浜の䞊で、ただ熱を持った砂が、最埌に小さく鳎った。泣いおいるのか、笑っおいるのか、誰にも分からなかった。けれど透には、それが初めお、ただの悲しい音には聞こえなかった。

    続く

     
     
     
    俳優、脚本、監督、etc 色々やる人

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