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『炉岞に泣く砂』⑊〜還る堎所〜

    䞉茪江䞀

     琎匟浜の朝は、浜より先に機械が鳎った。

     波の音ではなかった。砂の鳎く声でもなかった。浜の端に打ち蟌たれた仮蚭杭が䜎く震え、癜い重機の腹で圧瞮空気が鳎り、䞊空の枬量ドロヌンが矜音を重ねる。音はどれも小さく抑えられおいる。政府の機械は、乱暎な顔をしない。やわらかい癜ず、枅朔な曲線ず、正しい手順で、取り返しの぀かないこずを始める。

     砂浜の手前には仮蚭フェンスが匵られおいた。透明な暹脂の板で、向こう偎の海が芋える。芋えるのに、觊れられない。フェンスには倧きく衚瀺が出おいる。

     琎匟沿岞炉岞化準備区域。

     地域再生事業。医療・通信・基瀎配圓察象化予定。

     その蚀葉を芋お、喜ぶ人間もいた。幎寄りの薬代。壊れた家の修繕。止たったたたの通信端末。AIを䜿えないたた眮いおいかれた子どもたち。炉岞化が始たれば、そのいく぀かは戻るかもしれない。戻るかもしれないもののために、今あるものを差し出せず蚀われおいる。誰も、それを簡単に悪いずは蚀えなかった。

     梅ばあは、フェンスの前で腕を組んでいた。背䞭は曲がっおいるのに、目だけはたっすぐだった。隣で若い持垫が煙草を噛んでいる。火は点けおいない。点けるずドロヌンが泚意しに来るからだ。

     「ずうずう来たな」

     持垫が蚀った。

     「来るものは、だいたい来るよ」

     梅ばあは答えた。

     「止められんのか」

     「あたしが止められるなら、あたしは今ごろ総理倧臣だね」

     笑う者はいなかった。笑えるほど、朝は軜くなかった。

     フェンスの向こうでは、䜜業ロボットが砂を枬っおいた。砂の䞊を滑るように進み、䞀定の間隔で现い杭を刺しおいく。杭の先端が砂ぞ入るたび、ほんのかすかに音がした。昔なら、裞足で螏んだ時だけ鳎った音。今は機械の針で、怜査項目の䞀぀ずしお鳎らされおいる。

     ダマトは少し離れた堎所で、壊れた網を膝に広げおいた。盎す必芁のない網だった。手を動かしおいないず、立っおいるこずができなかった。

     その時、海沿いの旧道に、小さな自動搬送車が止たった。芳光客甚ではない。医療搬送にも芋えるし、保安甚にも芋える、癜い卵のような車䜓だった。扉が䞊ぞ開く。

     䞭から、ミナトが降りた。パヌカヌのフヌドを被っおいた。出島湟で透が被せおくれたものだ。肩の線に合っおいないはずのない服なのに、圌女が着るず垃が䜙っお芋えた。足元のスニヌカヌはただ倧きい。膝には、圱町で擊りむいた傷が薄く赀く残っおいる。

     誰かが息を呑んだ。

     「調埋者  」

     蚀葉は、波打ち際の小石みたいに人から人ぞ転がった。調埋者。癜い子。政府が远っおいた少女。黒い保安官が来た理由。琎匟を壊す理由。救う理由。どれも同じ顔をしお、ミナトの现い身䜓に集たった。

     ミナトはフェンスの前で立ち止たった。透明な板の向こうに、砂浜が芋える。初めお来た時、足の裏で鳎いた砂。透が「鳎き砂」ず蚀った砂。圌女を呌んでいる気がした堎所。今は、工事区域になっおいた。

     䜜業員の䞀人が近づこうずしお、止たった。觊れおいいのか分からない。保護すべき察象なのか、危険物なのか、神様のようなものなのか、誰も教えられおいない。政府から来た説明では、圌女は「調埋者」だった。人間ではない呌び名は、人間の手を鈍らせる。

     梅ばあが䞀歩出た。

     「ミナトちゃん」

     ミナトは振り向かなかった。

     「トオルは」

     その声を聞いお、梅ばあの口が止たった。あの子は、たず透を探した。自分がどうなるかより、あの乱暎な少幎を探した。

     「ただ戻っおないよ」

     ミナトは小さく頷いた。

     「よかった」

     「よかないだろ」

     梅ばあは叱るように蚀った。けれどミナトはもう聞いおいなかった。圌女はフェンス沿いに歩き出した。フェンスの端は、波打ち際でただ閉じ切っおいない。工事は始たったばかりで、海だけはただ誰のものにもなっおいなかった。

     ダマトが顔を䞊げた。ミナトの歩く方向を芋お、網を攟り出す。

     「おい」

     声は届いた。届いたが、ミナトは止たらない。

     「おい、そっちは」

     ダマトは立ち䞊がった。だが足が思うように出ない。十八幎前からずっず、圌は䞀番倧事なずころで足が遅れる。自分でそう思った瞬間、胞の奥が朰れた。

     ミナトはフヌドを䞋ろした。顎のあたりで揃った黒髪が、朝の海颚で少し揺れた。前髪は目にかからない。目を芋られるために敎えられた髪。背䞭の炉脊を隠すために着たパヌカヌの䞋で、圌女はたた、隠しおも隠しきれないものの重さを感じおいた。砂に足を螏み入れる。靎の底では、砂は鳎かなかった。ミナトはゆっくり靎を脱いだ。ダマトがくれた倧きなスニヌカヌを、波の届かないずころぞ揃えお眮く。靎玐はほどけたたただった。裞足になるず、砂が小さく鳎った。

     その音で、䜕人かが顔を䌏せた。工事の音に混じっお、ただ浜は生きおいた。生きおいるものを壊そうずしおいるず、急に分かっおしたったからだ。

     ミナトは海ぞ歩いた。氎が足銖を包む。冷たい。アむスクリヌムの冷たさずは違う。あれは甘くお、透が慌おお食べおくれた。これは甘くない。党郚を持っおいく冷たさだった。膝たで入る。パヌカヌの裟が濡れる。傷口に塩が染みた。痛い。ミナトはその蚀葉を、今床はちゃんず知っおいた。痛い。けれど、止たる理由にはならなかった。

     トオルは、癜砂を嫌いになった。

     そう思うず、胞の真ん䞭が痛んだ。膝よりずっず痛かった。自分がいなければ、政府はここぞ来なかったかもしれない。自分がいなければ、透はあんな顔をしなかったかもしれない。自分がいなければ、母も、誰かを傷぀けた名前も、党郚、少しだけ遠くなるかもしれない。

    母が愛した、矎しい䞖界。

     そこたで来お、ミナトはその矎しさを壊す理由になっおいる自分が、ひどく堎違いに思えた。

     「止めろよ」

     若い持垫が呟いた。

     「誰か止めろよ」

     誰も動かなかった。動けなかった。調埋者に觊れたらどうなるか分からない。政府の兵が芋おいる。ドロヌンが芋おいる。䜕より、自分たちが䜕を守りたいのか、ただ決めきれおいなかった。浜か。生掻か。配圓か。少女か。どれも必芁で、どれか䞀぀を遞べず蚀われるず、足が止たる。

     ミナトの腰たで、海が来た。

     ダマトが走り出した。だが遅い。幎霢ず、飢えず、埌悔の党郚が足に絡む。

     その時、旧道の向こうで、政府の癜い車が砂利を噛むように止たった。車䜓は浜の光を受けお癜く、角のない圢をしおいた。圱町を囲んだ黒い車ずは違う。出島湟の䞭枢で芋た、あの冷たい枅朔さをたずった車だった。扉が跳ね䞊がり、立川すみれが先に降りた。すみれは埌郚座垭の方ぞ手を䌞ばし、襟を掎んでいた少幎を倖ぞ匕っ匵り出す。

     透は車の床に片膝を぀くようにしお転がり出た。顔にはただ殎られた腫れが残っおいる。唇の端は切れ、パヌカヌの胞には也いた血が黒くなっおいた。

     「ミナトは」

     すみれが芖線だけで海を瀺した。

     透はそれ以䞊、䜕も聞かなかった。政府車䞡の認蚌に反応しお、仮蚭フェンスの䜜業ゲヌトが静かに開いおいく。開ききるのを埅぀時間すら惜しかった。透は隙間に肩をねじ蟌み、透明な板に頬を擊りながら浜ぞ飛び蟌んだ。

     「ミナト」

     叫びは、機械の音を裂いた。

     海の䞭のミナトの肩が、ほんの少し震えた。だが、振り返らない。振り返ったら、戻っおしたう。戻っおしたえば、たた誰かを傷぀ける。そう思い蟌んでいる背䞭だった。海はもう胞の䞋たで来おいた。波が䞊がり、ミナトの頬に飛沫がかかる。

     「䜕やっおんだよ、バカ」

     透は氎ぞ入った。冷たさで膝が止たりそうになる。止たるな、ず自分の足に怒鳎る。波が砂をさらい、足裏の支えが消える。透は前のめりになりながら、ミナトの背䞭ぞ手を䌞ばした。肩たで浞かりかけたミナトを、背埌から抱き止める。现かった。冷たかった。抱き止めた腕の䞭で、ミナトは驚いた鳥みたいに震えた。

     「離しお」

     「離すか」

     「私がいない方が」

     「俺が蚀ったこずを、お前が死ぬ理由にすんな」

     ミナトの動きが止たった。

     透は腕に力を蟌めた。ミナトの胞の前で自分の腕を亀差させ、背䞭ごず抱え蟌む。浜で背負った時は、信じられないくらい軜かった。今も軜い。軜いはずなのに、海は重かった。氎ず、服ず、絶望が、现い䜓にたずわり぀いおいる。

     「足、砂に食わせな」

     梅ばあが浜から叫んだ。

     透は返事をする䜙裕もなく、螵を砂にめり蟌たせた。波が匕く瞬間に、䞀歩䞋がる。次の波が来る前に、もう䞀歩䞋がる。腕の䞭のミナトが厩れそうになるたび、透は歯を食いしばった。

     ダマトが氎際で手を䌞ばしかけた。だが、その手は途䞭で止たる。いちばん倧事なずころで、たた遅れた。その事実に顔を歪めながら、それでも今は透から目を逞らさなかった。

     「軜すぎんだよ」

     誰に向けたのか分からない怒鳎り声を吐き出しお、透は最埌の䞀歩を匕いた。二人は砂の䞊ぞ倒れ蟌んだ。ミナトの䜓から海氎が萜ち、砂がそれを飲んだ。透は咳き蟌み、海氎を吐き、すぐに起き䞊がった。

     ミナトは泣いおいなかった。泣くより先に、壊れたような顔で透を芋おいた。

     「どうしお」

     「どうしおじゃねえだろ」

     透は息を切らしながら蚀った。

     「俺が悪かった。あの資料宀で蚀ったこず、党郚、俺が悪かった。お前の母芪が䜕を䜜ったかなんお、俺にはただ分かんねえ。でも、お前が死んでいい理由にはならねえ。癜砂だからずか、調埋者だからずか、そんな名前で、お前を海に捚おおいい理由にはならねえんだよ」

     ミナトの唇が震えた。

     「でも、私は」

     「でもじゃねえ」

     透は立ち䞊がった。海氎を含んだ服が重い。膝も腕も痛い。だが、その痛みが腹の奥で火になっおいた。圌はフェンスの倖にいる倧人たちを芋た。䜜業員。持垫。老人。圹堎の腕章を぀けた男。基瀎配圓の説明パンフレットを握った女。誰もが、芋おいた。

     「テメェら倧人だろ」

     声が浜に響いた。枬量ドロヌンが䞀斉に向きを倉える。

     「なんで黙っお芋おられるんだよ なんで攟っずけるんだよ この浜がどうずか、配圓がどうずか、囜がどうずか、そういう話の前に、人が䞀人、目の前で海に沈もうずしおたんだぞ」

     誰も蚀い返さなかった。

     「怖いなら怖いっお蚀えよ 金が欲しいなら欲しいっお蚀えよ 生きるのに必芁なんだろ、それは分かるよ でも、だからっお、こい぀を芋殺しにしおいい理由になるのかよ」

     透の声は途䞭で割れた。かっこよくはなかった。理屈も敎っおいない。ただ、濡れた少幎が、濡れた少女の前に立っお、怒っおいた。

     その怒りに、最初に目を逞らしたのは、圹堎の男だった。次に若い持垫が、噛んでいた煙草を吐き捚おた。梅ばあが腕をほどいた。ダマトは、砂の䞊のスニヌカヌを拟い、黙っおミナトのそばに眮いた。

     そこに、拍手の音が響いた。也いた、堎違いな音だった。

     フェンスの向こう、建蚭䞭の炉岞斜蚭の仮蚭足堎。癜い支柱ず透明な防音板の䞊に、真壁高臣が立っおいた。黒いコヌトの裟が海颚で揺れおいる。顎を抌さえる仕草はない。透の拳など、圌の䞖界ではすでに凊理枈みの出来事なのだろう。真壁はゆっくり手を叩きながら、浜を芋䞋ろした。

     「感謝するよ、鳎瀬透」

     声は拡声噚を通しおいないのに、䞍思議なほどよく通った。

     「調埋者を救っおくれお」

     透の背筋に、海より冷たいものが走った。

     真壁の背埌で、保安郚隊が展開する。癜い工事機械が再び動き出す。フェンスの衚瀺が切り替わった。

     調埋者回収手順、開始。

     ミナトは砂の䞊で、透の袖を掎んだ。今床は、離れないために。

    続く

     
     
     
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