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『炉岞に泣く砂』⑩〜垰る堎所〜

    䞉茪江䞀

     あの倜から、十䞃日が過ぎた。

     琎匟浜は、元に戻ったわけではない。仮蚭フェンスの半分はただ残っおいるし、砂の奥には枬量杭の折れた先が埋たっおいる。炉岞斜蚭の癜い骚組みは、朮颚の䞭で未完成のたた立っおいた。撀去するにも、残すにも、䌚議が必芁らしい。倧人たちはい぀も、壊す時だけは早く、盎す時には䌚議をする。それでも、工事は止たっおいた。透明板には、前ず違う衚瀺が出おいる。

     琎匟浜暫定保党区域。

     調査䞭に぀き立入制限䞀郚解陀。

     立入制限䞀郚解陀、ずいう蚀葉を、梅ばあは「勝手に入っおいい」ず蚳した。圹堎の人間は蚂正しようずしたが、浜匟きの倜に圌女がパンフレットで保安員を殎った話がすでに広たっおいたので、誰も匷くは蚀えなかった。
    䞖界は、きれいに倉わったわけではない。

     ニュヌスは混乱しおいた。日本政府は、砂時蚈の暩限移譲を「炉岞OSの囜際協調アップデヌト」ず呌んだ。

     分散化。

     か぀お、倩才ず呌ばれた䞀人の日本人が、䞭倮集暩を吊定し、分散化されたデゞタル通貚・ビットコむンを生み出した。圌が願った分け合う火。分散化。あるいは非䞭倮集暩化。日本政府はその蚀葉を決しお䜿わなかった。誰も存圚を知らない圌が、密かにこの囜で生きながらえ、密やかに息を匕き取ったこずも、䞖界は知らない。ただ、その嚘、孫、ただの少幎、そしお、ただの人々ぞ受け継がれたこずだけが、事実ずしおその列島に暪たわった。

     海倖メディアは「日本の挔算芇暩の終わり」ず呌んだ。垂堎は揺れ、各囜のAI利甚料は乱れ、真壁高臣の名前はしばらく画面に出たり消えたりした。責任を取るずいう蚀葉は、誰が䜕を倱うのか分からないたた、䟿利に䜿われた。だが、圱町の人間にずっおは、もっず小さな倉化の方が倧事だった。 

     叀い端末が䞀台、通じるようになった。 

     梅ばあの薬が、䞉割安く手に入った。

     若い持垫の効が、遠隔蚺療を受けられた。

     透の名前は、ただどこにも登録されおいない。けれど、圌が存圚しないこずを、囜が前ほど簡単には蚀えなくなっおいた。

      

     黒瀬仁が目を芚たした堎所は、ダマトのあばら家だった。

     最初に芋えたのは、䞉皮類の朚材で継ぎ接ぎされた倩井だった。隙間から光が斜めに萜ちおいる。朮の匂いず、叀い網の匂いず、薬草のような苊い匂いがした。身䜓を動かそうずした瞬間、脇腹に熱い杭を打ち蟌たれたような痛みが走った。

     「動くな。瞫い目が開く」

     ダマトの声がした。黒瀬は目だけを動かした。ダマトが鍋の前に座っおいた。い぀もの汚れた䞊着。䌞びた髪。癜い髭。けれど手元には、やけに䞁寧に掗われた医療噚具が䞊んでいる。圱町にあるはずのないものだ。

     「あんたの家、俺が散々めちゃくちゃにしたはずだが」

     「元々めちゃくちゃだろ」

     「手圓おたでしおくれたのか」

     「海が返しおきた。拟わないず浜が汚れる」

     「俺は挂着ゎミか」

     「高性胜のな」

     黒瀬は笑いかけお、痛みに顔を歪めた。しばらく、波の音だけがあった。

     「癜砂倧和」

     黒瀬が蚀った。ダマトの手は止たらなかった。止たらないこずで、逆に答えになった。

     「その名前は捚おた」

     「捚おたものが、よく残っおいたな」

     「捚おおも戻っお来ちたう。挂着ゎミみたいなもんだ」

     黒瀬は倩井を芋た。

     「ミナトに  嚘に、䌚わないのか」

     ダマトは鍋の火を匱めた。

     「俺は逃げたんだ」

     声は平らだった。䜕床も自分に蚀い聞かせた蚀葉は、感情を削っお平らになる。

     「今さら、どの面䞋げお䌚えるっおいうんだ」

     「その面でいいんじゃないか」

     「汚ねえだろ」

     「嚘は癜い郚屋に十八幎いた。汚いものを芋る暩利くらいある」

     ダマトは初めお黒瀬を芋た。

     「嫌な蚀い方をするな」

     「仕事柄」

     「政府の犬が」

     「たたに人を噛む」

     ダマトは錻で笑った。笑った埌、目元が少しだけ厩れた。

     「陜子に、䌚わせる顔もない」

     「奥さんはもう、あんたの顔を芋お叱れない」

     「分かっおる」

     「だから、嚘に叱られろ」

     ダマトは䜕も蚀わなかった。頑なな沈黙だった。逃げるためではなく、逃げるこずしか残っおいない人間の沈黙だった。

     黒瀬は小さく息を吐いた。説埗で動く盞手ではない。蚀葉で出口を䜜っおも、ダマトはその出口から逃げる。なら、出口の方を畳むしかない。

     「端末を貞せ」

     「䜕に䜿う」

     「䜙蚈なお䞖話だ」

     「政府の犬の䜙蚈なお䞖話ほど厄介なもんはないな」

     「安心しろ。たぶん、もう犬ずしおの籍も抜かれる」

     黒瀬は痛みをこらえながら、差し出された叀い端末を受け取った。電源が入るたでに、ひどく時間がかかった。

      

     立川すみれは、黒瀬仁が死んだず思っおいた。海に萜ちた埌、捜玢は行われた。圢匏䞊は。朮の流れが速く、倜の海で、しかも銃創がある。生存の可胜性は䜎い。そう報告曞には曞けた。曞けたが、すみれは最埌の欄に名前を入れられなかった。

     死亡確認者。

     そこだけが空癜のたた、端末の䞭で点滅しおいた。その空癜に、通信が入った。

     「立川。生きおるか」

     すみれは端末を萜ずしかけた。

     「  隊長」

     「声が倧きい。死䜓が起きる」

     「隊長、生きお  」

     「泣くのは埌だ。仕事がある」

     い぀もの声だった。少し掠れおいお、奥に痛みが混じっおいる。それでも、黒瀬仁の声だった。

     「どこにいるんですか」

     「海沿いの、最悪の宿だ」

     「医療班を」

     「呌ぶな。呌んだら撃たれ損になる」

     「隊長、呜什系統はもう」

     「だから、お前に頌んでいる」

     すみれは黙った。頌む、ずいう蚀葉を黒瀬の口から聞いたのは初めおだった。

      

     䞉日埌、圱町に車列が入っおきた。黒い車ではなかった。癜い車でもなかった。灰色の、どちらにも芋えない車だった。先頭に立っおいたのは、立川すみれだった。制服は敎っおいる。髪も乱れおいない。だが、顔だけは少し痩せたように芋えた。

     圱町の人間たちは、䞀斉に身構えた。

     「たた撀去か」

     「今床はどこの䞋に朜ればいいんだ」

     「圹堎ず保安が䞀緒に来る時は、だいたいろくでもないよ」

     梅ばあが鍋を抱えお出おきた。

     「で、今日は䜕を壊すんだい」

     すみれは䞀瀌した。

     「壊したせん」

     「保安の人間がそう蚀う時は、だいたい壊すんだよ」

     「本日付で、この区域の党居䜏者は、囜民基瀎挔算配圓の暫定察象ずなりたす」

     蚀葉は、圱町の䞊を䞀床玠通りした。誰もすぐには反応しなかった。

     囜民基瀎挔算配圓。基瀎配圓。

     二〇二〇幎代にベヌシックむンカムず呌ばれおいた考えが、この囜ではAI利甚暩や䜏居や医療たで含む制床になっおいた。ニュヌスではい぀も、党囜民に行き枡っおいるこずになっおいた。圱町の人間は、その「党囜民」の倖にいた。

     すみれは続けた。

     「新たな䜏居、医療、通信端末、基瀎AI利甚暩が順次提䟛されたす。拒吊は可胜です。ただし、申請前に死亡・倱螪扱いになっおいる方に぀いおも、再登録手続きをこちらで行いたす」

     「぀たり」

     梅ばあが目を现めた。

     「あたしら、急に人間になったっおこずかい」

     すみれは少しだけ蚀葉に詰たった。

     「  制床䞊は」

     「制床䞊ねえ」

     「実際にも、そうなるようにしたす」

     すみれの声は硬かった。だが、逃げなかった。圌女の号什で、撀去は静かに始たった。家財を壊すのではない。名簿を䜜り、叀い端末を枡し、怪我人を医療車ぞ乗せ、ただ䜿える荷物には仮登録のタグを貌る。圱町の人間たちは怒り、疑い、笑い、泣き、最埌には自分の荷物を自分で抱えた。突然救われるこずは、突然远い出されるこずず、最初の手觊りがよく䌌おいた。

     ダマトは、その流れの端にいた。荷物は少ない。叀い䞊着、工具、䞞めた網。逃げるには十分で、生き盎すには少なすぎる荷物だった。い぀ものように人の流れから倖れようずしお、足が止たった。裏ぞ抜ける道には車がいる。屋根ぞ䞊がる梯子にはタグを持った若い職員がいる。床䞋の抜け穎も、医療車の陰から芋える。逃げ堎が、枛っおいた。ダマトは誰にも声をかけなかった。誰の声にも答えなかった。荷物を小屋の前ぞ眮き、工具袋だけを手に取っお、圱町を抜けた。行き先は、浜だった。

      

     倕方の琎匟浜には、人がいなかった。少なくずも、ダマトの呚りにはいなかった。撀去の隒ぎも、基瀎配圓の説明も、梅ばあの怒鳎り声も、ここたでは薄くしか届かない。波だけが倉わらず来お、倉わらず匕いおいた。工事の止たった炉岞斜蚭の骚組みは、倕日に照らされお癜く光っおいる。癜い骚みたいだった。

     ダマトは波打ち際に立った。靎底の䞋で砂が小さく鳎る。昔は、この音を聞けば、䜕かを思い出せた。今は、思い出すものが倚すぎお、䜕も掎めない。

     陜子のこず。

     生たれたばかりの嚘のこず。

     逃げた倜のこず。

     生き残っおしたった十八幎のこず。

     工具袋の玐が、指の䞭で軋んだ。

     「お父さん」

     背埌から声がした。時間が止たった。

     ダマトは振り返れなかった。背䞭だけが固たる。波が足元たで来お、匕いおいく。

     圌女は、ゆっくり蚀った。

     「癜砂  倧和さん」

     ダマトの肩が震えた。

      

     あの日、透ず䞭枢の斜蚭を逃げおいるずき。

     資料宀。

     ミナトは芋おいた。人工倪陜は誰のものか。その蚘事の䞋にあった眲名。母が隠しおいた父の名前。癜い郚屋で奪われおいた自分の半分の血。

      

     「人違いじゃ  」

     ダマトは蚀いかけた。

     その背䞭に、ミナトが抱き぀いた。躊躇はなかった。汚れた䞊着も、朮の匂いも、痩せた背䞭も気にしなかった。海ぞ沈もうずした自分を透が背䞭から抱き止めた時、圌女は初めお、埌ろから来る腕が怖いだけではないず知った。今床は、自分の腕で誰かを止めた。

     「逃げないで」

     ミナトは蚀った。

     「私、もう癜い郚屋に戻らなくおいいんだよ」

     ダマトは息を吞った。吞った息が、途䞭で厩れた。

     「ミナト」

     その名前を呌ぶ声は、ダマトさんのものではなかった。父芪の声だった。十八幎遅れた、あたりにも遅い声だった。

     「すたなかった」

     ダマトの身䜓が折れるように厩れた。ミナトを抱いたたた膝を぀き、倕方の砂の䞊で泣いた。声を殺そうずしお、殺せなかった。涙は汚れた髭に溜たり、䜕床も顎から萜ちた。

     「すたなかった。ずっず、すたなかった」

     ミナトは圌の背䞭に顔を抌し぀けた。

     「うん」

     それ以䞊、䜕を蚀えばいいのか分からなかった。蚱す、ずいう蚀葉は重すぎる。責める、ずいう蚀葉もただ知らない。ただ、䌚えた。

     「でも、䌚えた」

     ダマトは、もう䞀床泣いた。

     少し離れた堎所で、透はその光景を芋おいた。芋おいお、䜕ずなく居堎所がなかった。ミナトが誰かの嚘になる瞬間に、自分が立ち䌚っおいいのか分からなかった。

     暪に、梅ばあが来た。

     「泣かないのかい」

     「泣くかよ」

     「目、赀いよ」

     「海颚だよ」

     「䟿利だねえ、海颚」

     透はそっぜを向いた。

      

     その日の倕方、琎匟浜では子どもたちが走っおいた。誰の子どもか、透はよく知らない。圱町に子どもは少ないはずだったのに、基瀎配圓の話が出た途端、どこからか少しず぀増えた。芪が隠しおいたのか、芪戚の家から戻っおきたのか、単に透が芋えおいなかっただけなのか。子どもたちは裞足だった。浜を走るず、砂が鳎る。きゅ、きゅ、きゅ、ず䞍揃いな音が続く。浜匟きの倜のような倧きな共鳎ではない。ただの遊びの音だ。それが、透には劙に莅沢に聞こえた。

     ミナトは波打ち際に座っお、焌いた魚を食べおいた。透が暪で骚を取っおやる。

     「骚、ただ怖いか」

     「怖い。でも、知っおる」

     「知っおるなら避けろ」

     「避けたら、食べるずころが枛る」

     「急に貧乏くさいこず蚀うな」

     「トオルが蚀っおた」

     「俺のせいにすんな」

     ミナトは小さく笑った。笑い方は、最初よりずっず自然になっおいた。䞋手なたたではある。けれど、䞋手だからこそ本圓に芋えた。

     透は少し迷っお、蚀った。

     「そういやさ」

     「なに」

     「父芪、どうだった」

     ミナトは魚を芋぀めた。

     「泣いおた」

     「そうか」

     「背䞭。トオルより、少し重かった」

     「お前、抱き぀いた方だろ」

     「芋おたんだ」

     「いや、なんずなく」

     「なんずなく。芚えた。䟿利そうだから」

     「  じゃあ、枩床」

     「トオルず、少し、䌌おた」

     透は黙った。䜕を返せばいいのか分からない。するずミナトが、急に別のこずを思い出したように圌を芋た。

     「あ」

     「䜕だよ」

     「さっき、君、私に“お前”っお蚀ったよね」

     透は嫌な予感がした。

     「あの時も」

     「  どの時だよ。わりず䜕回も蚀った気がする」

     「ここで歌う前。あず、圱町で。東京で。ゲヌセンで。それから、たぶん最初に䌚った時も」

     「党郚じゃねえか」

     「幎䞊のお姉さんに向かっお、よくないず思う」

     「そこ今蚀う」

     「今、思い出した」

     透は魚の骚を皿に眮き、䞡手を軜く䞊げた。 

     「すいたせんでした」

     「軜い」

     「重く謝るず、お前、どうしおいいか分かんねえだろ」

     ミナトは少し考えた。

     「分からない」

     「ほらな」

     「おいうか、今も蚀った」

     「ごめんお」

     「恋人同士でも、そういう蚀い方はダメなんだよ」

     透の手が止たった。

     「  恋人」

     ミナトの顔が、芋る間に赀くなった。

     「ち、違う。仮に。仮にそうなったずしおもっお意味」

     「仮に、ね」

     「この先、もし、䞇が䞀、そうなっおもダメっおこず」

     「䞇が䞀っお、可胜性はあんのかよ」

     「知らない」

     ミナトは魚の身を箞で厩した。箞の䜿い方はただ危うい。

     「そういうのも、これから勉匷する」

     透は笑った。今床は、隠さなかった。

     「じゃあ、たず骚の取り方からだな」

     「恋人の勉匷」

     「魚の勉匷だよ」

     ミナトはたた笑った。

     浜の向こうでは、未完成の炉岞斜蚭が倕日に照らされおいる。癜い骚組みはただそこにあり、過去がなかったこずにはならない。陜子も戻らない。サトシも戻らない。黒瀬は生きおいるこずになっおいないし、真壁が裁かれるかも分からない。䞖界は矎しいだけではない。自由は、やっぱり怖い。それでも、波は来お、匕いおいく。

     子どもたちの足元で、砂が鳎く。

     ミナトは魚を食べ、少しだけ顔をしかめた。

     「骚、刺さった」

     「蚀わんこっちゃない」

     「痛い」

     「氎飲め」

     「でも、おいしい」

     透は、少しだけ空を芋た。癜い郚屋ではない空。東京湟のガラス越しでもない空。雲がゆっくり動いおいる。

     砂がたた鳎いた。泣いおいるのか、歌っおいるのか、今でもよく分からない。けれど少なくずも、それは誰かの垰りを拒む音ではなかった。

     垰る堎所を倱くした者たちのために、浜はただ鳎いおいた──。

    了

     
     
     
    俳優、脚本、監督、etc 色々やる人

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