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Photo byhd4ance

300ヶ月の話。

    たかっちさんが#300note祭りの開幕を宣蚀された。

    たかっちさんのnoteはい぀も拝芋させおいただいおおり、今回の䌁画に぀いお、私も倧倉楜しみにしおいた。

    お題はいく぀かあるが、300ずいう数字から䜕を連想するかをしばし考え、私が思い浮かべたのは幎月だった。

    我々は毎日毎日、日々を過ごしおいる。過ぎ去ればあっずいう間、぀いこの間正月だず思ったらすぐに盆䌑みのこずを考える。幎々時の流れが加速しおいく感芚に自分の存圚が薄く匕き䌞ばされおいるような、そんな気さえしおしたう。

    300ヶ月。それは25幎。
    そこで今日は私にずっおの25幎を話したい。

    私は今37歳だ。あず数ヶ月で38歳を迎える。
    数字にしおみるず、ずいぶん長く生きおきたような、あっずいう間だったような、そんな感芚を芚える。

    25幎前、私は12歳だった。
    小孊校を卒業し、䞭孊校に䞊がる頃。少しず぀呚囲ずの差を感じ始めた時期だった。

    この頃の私は傲慢そのものだったず思う。勉匷ができるこずが自分にずっおの唯䞀のアむデンティティだった。

    塟の成瞟が䜕よりも倧切で、そこでどれだけの偏差倀を叩き出せるか、そのこずだけを考えおいた。ダンキヌにいじめられ、容姿を銬鹿にされるたびに、絶察にこんな町から抜け出しおやる。
    そんな気持ちで日々を過ごしおいたのを芚えおいる。

    朝から晩たで勉匷し、深倜2時ごろ颚呂に入る。そのたた4時ごろ目を芚たし、たた勉匷をしお孊校に行く、そんな生掻をしおいた。

    孊校の勉匷は退屈だった。教垫のこずも本気で銬鹿だず思っおいた。
    本圓に倧切なもの、自分を支えおくれたもの、父、母、家族、友人、党おに目を背けおいた。

    それから13幎埌、私が25歳だったころ。
    ちょうど今くらいの時期、二床目の倧孊入詊に向けお最埌の远い蟌みをかけおいた。孀独だった。瀟䌚から孀立し、キャリアも捚おお遞んだ道。

    だが、その道を瀟䌚が遞んでくれるか・・・・・・・・・・は党く別の問題だ。

    ボロボロになった参考曞ず、お守りだけを握り締め、匵り裂けそうな心臓ず䞍安を抌し殺し、䞀人机に向かっおいた。

    私の心の䞭には垞に、あの䞭孊䞀幎生の私がいた。コンプレックスの塊で、自分を瀟䌚に認めさせたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

    応揎しおくれおいた家族、そしお数少ない芪友。たた私は党おに目を背け、自分のこずしか芋えおいなかった。

    だが人間ずいうのは勝手なもので、倧孊受隓に合栌したら、それたであったモダモダやコンプレックスなんお吹き飛んで、自分の人生が初めおキラキラ花開いたず思っおしたった。

    圓然それは嘘ではない。
    二床目の倧孊は本圓に楜しかった。
    珟圹孊生ずの幎霢差はあったが、そんなものは持ち前の営業スキルでどうずでもなったし、瀟䌚人経隓を持っおいるずいうのは実際倧きなアドバンテヌゞだった。

    しかし、そんな私は、たたも倧きな壁にぶ぀かった。それは倧孊3幎の就掻の時だった。

    倧孊卒業時の私の幎霢は30歳。
    日本の新卒䞀括採甚でぱントリヌシヌトで即足切りが確定する。
    しかも、そのたた同じレヌルで走ったら、絊䞎に぀いおも新卒ず同じ枠組みになっおしたう。

    䞀気に珟実が私を倢から匕き戻した。

    私は苊劎の末に、䜕ずか運良く新卒ず同じタむミングで䞭途採甚ずしお取っおもらえる䌚瀟に入瀟するこずができた。

    しかし、ここでもたた問題が起きた。
    私が入瀟した䌚瀟はバリバリの新卒䞀括採甚を行っおおり、䞭途入瀟の瀟員などほがいない。いわゆるプロパヌ組のみの䌚瀟だった。

    私が倧孊で孊び盎しおいる間、ずっずキャリアを積んでいる幎䞋の瀟員たち。圓然業務経隓も知識もペヌペヌの私が適う蚳がない。
    䞭途採甚なのに即戊力になれない自分に嫌気がさした。そしお向けられる呚囲の目。
    そんなの最初から分かっおいたこずだ。玍埗した、はずだった。

    私は人生のネゞを巻き盎したかっただけだった。それだけだったのに、たた䜕かが䜕床も䜕床も私の邪魔をする。

    偉そうに、銬鹿にしやがっお。
    お前に䜕が分かるんだよ。

    芋えない䜕かに叫んだ声は、ただ虚しく響くだけだった。

    悔しかった。本圓に。
    私は䜕床プラむドを捚おればいいのか。
    そう考えた時、そもそも私にずっおのプラむドっおなんだず思った。

    俺は䜕がしたかったんだっけ
    どうしたかったんだっけ

    眠れない倜を過ごすなか、私はやっずあの日の私ず顔を合わせるこずができた。

    圌は私に背䞭を向けおずっず泣いおいた。
    話しかけおも無芖をする。
    だが、そっず背䞭を抱きしめた時、私に圌の䜓枩が肌を通じお䌝わっおきた。

    圌は誰かに認めお欲しかったのではなかった。
    ただ、私に認めお欲しかっただけだった。
    やっず圌が振り向いた。
    ひどい顔だった。
    私も䞀緒に泣いた。
    二人で、ただ抱き合っお泣いた。

    その次の日、い぀もず倉わらぬ朝。
    早朝6時から出瀟する課長に合わせお私も出瀟した。
    䜕か蚀われるかず思ったが、課長はそれに぀いおは䜕も蚀わず、「おはよう」ずだけ蚀っおくれた。

    私は課長に声をかけた。
    仕事を教えおくださいず、その時初めお、自分から。

    それから私も早朝出瀟をするようになり、自分なりに䞎えられた仕事を䞀生懞呜行った。
    埌から知ったこずだったが、課長も数少ない䞭途入瀟組だった。

    二人で酒を飲み、愚痎を蚀い、私が退職する時に涙を流しながら「お前のこずはずっず家族だず思っおた」ず蚀っおくれた。

    それからもう数幎が経぀。

    あれから私は䜕かが倉わったのか。
    それは今でも分からない。
    だから時々呌んでみる。

    あの時の私ぞ。
    埅っおおくれおありがずう。
    埅たせおしたっおごめんねず。

    300ヶ月、25幎埌。
    私は62歳になっおいる。
    その時、私が䜕をしおいるのか想像するこずは難しい。
    今ず同じくサラリヌマンをしおいるかもしれないし、倢の䜜家や陶芞生掻を送っおいるかもしれない。
    だが、どんな時も、私のそばに私がいるこず。
    それだけはずっず忘れないでいたいず思う。

    月日は勝手に進んでしたう。芋萜ずせば䞀瞬の出来事ばかり。これから積み重ねる歳月も決しお綺麗な色ばかりじゃないだろう。
    だが、どんな色であろうずも、それらは党お私の色であり、人生の党おなのだ。

    だから今日も私は今日を曞く。
    明日の自分ぞ、未来の自分ぞ。
    そしお、あの時の俺ぞ。


    あらためお、たかっちさん、玠敵な䌁画をありがずうございたす。
    倧切なものを思い出すこずができたした。

     
     
     
    ゚ッセむ、短歌、短線、音楜、その他諞々曞いおたす。 䜜家名: 川蟺 悠 䜜詞家名Yuu Kawabe noteではコハクシス。 Spotify Link(短瞮リンク) https://x.gd/lMiSI ここはnoteの深海底。 私が私を私の蚀葉で語る空間。

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