
傷だらけの心臓音 第3話
あらすじ
28才、天草心音は毎日、会社と家の往復だけの日々に疲れ果てていた。
毎日代わり映えのない日々、閉ざされた自分の空間。
疎遠になった友達、最愛の人との別れ。
気付けばひとりぼっちになっていた。
いつも自分の心は後回し。
相手の顔色を伺ってばかり。
このままではいけないと、いつだって傷だらけの心の中からそっと一歩を踏み出してきた、心音の物語。
▼前回のお話はこちら▼
第3話「檻から出た世界」
日が長くなっていく。
この季節は明るくて嬉しくなるが、汗ばむ季節であるため、長袖の心音にとっては少し苦痛であった。
特に気にしているわけではないけれど、人目に触れてしまうと「その傷どうしたの?」と必ず聞かれるのだ。
いちいちはぐらかすのも面倒で、いつからか長袖を着るようになった。
学生の頃、自傷行為をした時の傷跡がうっすら残っている。
社会人になってからはしなくなったものの、度々自傷行為に走ることもあった。
したくてしているんじゃない。
そうすることでしか息が出来ないくらい苦しかったのだ。
愛し愛されることを知りたくて、誰でも良いから必要としてほしくて、体を重ね馬鹿げたことをしては虚しくなり、罪悪感に苛まれ自身を傷付けてきた。
もう二度とこんなことはしないと誓い、真っ直ぐに生きてきて、本当に心から好きな人と出会い一緒になれた。
幸せなはずだった。
でも幸せなんかじゃなかった。
日に日に歪んでいく愛。
過去に登録していたSNSの名残、そこで不特定多数の男性とのやりとりを探られ、何から何まで疑われる日々。
過去の自分のせいで、相手と、今の自分が苦しむ羽目になった。
でも、それでも。
人格を否定されるようなこともたくさん言われてきた。
底辺だ、信用ならない、クズだ、ふしだらだ、と。
「過ちを犯した奴は二度、三度繰り返す」
と言われては、罪人のような気分になった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「嘘つき、裏切り者」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………」
罵倒されるのが怖くてひたすら謝るしかなかった。
怒らないで、怒鳴らないで、私が全部悪いから、悪い子だって言わないでー……
いつも人の顔色を伺っては謝ってきた。
全部自分が悪いんだと思っているからだ。
しかし、過去があるから今の自分がある。
失敗したからこそ二度としないと誓い、失敗したからこそ痛みが分かる。
全てを否定されたとき、心音はもう自分が生きていることが罪なんだと苦しくなった。
新たに切り刻んだ傷跡。
こうすることで、自分を傷付けることでしか罪を償うことができないんだと思い込んでいた。
そして彼もまた、心音から離れていった。
失った悲しみは計り知れない。
後悔もたくさんある。
けれど、もう責められなくて済むんだと思うと気持ちが楽になっている自分もいた。
確かに心から好きになったけれど、もう後半は健全な関係ではなかったのだ。
ただ好きな人と笑って一緒に過ごす未来を望んでいるだけなのに、どうしてこうもうまくいかないのだろう。
だが、そんなことを考えても仕方ない。
心音は仕事に打ち込むことで、ネガティブな感情に蓋をし、目の前のことを一生懸命に取り組み続けた。
今日もまた、利用者の方々から感謝をされる。
それだけでありがたく幸せな気持ちになれる。
昼休憩の時に外へ出れば、自然の木々たちに癒されて気分も晴れやかになる。
そんな幸せを噛み締めて、今日も一日仕事を無事に終え帰路についた。
帰宅して早々、ベッドに寝転ぶ。
(あ、そういえば)
ふと、以前見かけた社会人交流会のことを思い出した。
そういえば、ここしばらく職場以外の人と話したり会ったりしていない。
人と会うのが億劫になっていたし、なにかと彼に疑われるのが怖くて、なるべく家にいるようにしていたのも事実。
なんだか檻の中にいるような気分だったのかもしれない。
一人が嫌なわけではないが、心音はこのままではいけない気がした。
心音自身の過去、トラウマ、失敗、今日までの人生。
それは心音自身の世界であって、一歩踏み出せばもっと色々な経験をしている人達がいるはず。
狭い世界に閉じ籠っていると、変なプライドの押し付けや、自分が正しいと信じて他者を傷付けるような人間にはなりそうで嫌だった。
(色んな人の話を聞いてみたい)
心音は社会人交流会のホームページを開き、怪しくないか、ちゃんとしたところなのかをくまなく調べた。
(動かなければ変わらない)
何度もホームページを開いたり閉じたりを繰り返す。
交流会は定期的にやっているようで、調べているとちょうど明日開かれるものがあった。
(この時間なら仕事終わりでも行ける…)
何分経っただろう。
心音は意を決して、参加ボタンを押した。
数分後、交流会の運営の方からメッセージが届いていた。
ーーー初めての方でも大丈夫です、緊張なさらずお茶をしながら気楽に談笑する会となっておりますのでよろしくお願い致します。
○月○日 ホッとカフェ
19:00~20:00
中谷で予約しておりますので、着きましたら受付の方にお知らせ下さい。
カフェの場所や時間が記載されている。
当日キャンセルも出来るようだ。
やっぱり無理かも…、とキャンセルボタンを押しそうにはなったが、ぐっと堪え心音は参加を固く決意した。
どんな感じなんだろう。
出会いが欲しいわけじゃなく、ただ純粋に色んな人と関わって見聞を広げてみたい。
そんな不安と期待の中、心音は明日の準備やシャワーを済ませ、早めに眠りについた。
次の日。
仕事終わりにまっすぐ社会人交流会へと向かう予定のため、いつもより少しだけ服装や身だしなみに気を遣いながら準備をした。
(こういうのって久しぶりだな…)
別に身だしなみなんか誰も見ていないだろう。
そもそも、見てほしくてやっているわけではない。
お洒落しよう、何を着よう、メイクはこうしようかな…、心音はそんな気持ちを久しぶりに思い出した気がした。
こういった感情は自分を大切にする魔法なんだと思う。
久しぶりにちゃんとした自分が映る鏡を見ると気分が晴れやかになった。
職場に着くと、いつものように仕事の段取りを行う。
社会人交流会のことを考えると楽しみな気持ちはあれど、不安のほうが大きい。
なんとか日中は仕事に全集中し、気を紛らわす。
そんな風に過ごしていると、あっという間に時間は過ぎ、気付けば退社時間だった。
心音は軽く身だしなみを整え、カフェへと向かった。
(えっと…、ここのカフェかな)
スマホを片手にカフェを探していると、それらしきお店を発見した。
どうやら運営の方は一足早くカフェにいるらしい。
辺りを見回す。
一般のお客さんもいるので、それらしき人物はどの方なのか、他の参加者はいるのかもパッと見では分からない。
緊張しながらも、心音は受付の人に声をかけた。
「すみません、中谷で予約しているのですが…」
「はい、お待ちしておりました。こちらへどうぞ、ご案内致します」
カフェのお姉さんに案内された先には、ノートパソコンをチェックしていた心音と同い年くらいの男性が一人、隣には40代くらいの男性が座っていた。
「こんばんは! お名前良いですか?」
「あ、天草心音です」
「天草さん、と…。初めて参加される方ですね。僕は運営の中谷秀太です。よろしくお願いします」
秀太は爽やかに心音に自己紹介をする。
続けて隣にいた男性も会釈をし挨拶をしてくれた。
「私は阿部優と申します。社会人交流会は二回目の参加なんですよ。よろしくお願いしますね」
緊張しながらも優しい雰囲気の2人に、心音はホッとした。
すると、秀太がメニュー表を差し出しながら口を開いた。
「初めての方の参加、久しぶりで嬉しいな。そうだ、予定ではあと5名来る予定です。先にドリンクでも決めておきましょうか」
「はい、ありがとうございます」
どんな方がいらっしゃるのだろう。
どんな会になるのだろう。
心音はメニュー表を見ながらワクワクしてドリンクを選んだ。
第4話へ続く。