
同じ月を泳ぐなら 〜孤独なクジラと青い月〜
夢の中だった。
けれど夢だとは思えなかった。
夜空はどこまでも澄み渡り、 星々は川のように流れている。
私はその景色を眺めながら、 雲の上に腰を下ろしていた。
隣には君がいた。
何を話すわけでもなく、 ただ同じ空を見上げている。
それだけなのに、 不思議と心地よかった。
沈黙を気まずいと思わない相手なんて、 そう多くはいない。
君もそうだったのかもしれない。
だから私たちは言葉より先に、 同じ景色を見ていた。
やがて空の向こうから、 低く優しい歌声が聞こえてきた。
見ると、一頭のクジラが夜空を泳いでいた。
月へ向かって。
星の間を縫うように。
ゆっくりと。
その姿を見た君が小さく笑う。
「あの子、ずっと歌ってるね」
私は頷いた。
どこかで聞いたことがある。
誰にも届かないと言われた、 孤独なクジラの話。
でも今は思う。
本当に孤独だったのだろうか。
ただ返事が届くまで、 少し時間がかかっただけじゃないだろうか。
クジラは歌い続ける。
誰かを追いかけることもなく。
誰かを探し回ることもなく。
ただ自分の声を、 夜空へ預けるように。
その姿が、 どこか君と重なった。
そして少しだけ、 私自身とも。
生きていると、 伝わらないことがある。
優しさも。
寂しさも。
本当は大切に思っていることも。
言葉にしたのに、 届かないことがある。
だからいつしか人は、 声を小さくしてしまう。
だけど君は違った。
うまく伝わらなくても、 不器用なまま言葉を置いていった。
私もまた、 誰かに届くか分からないまま、 言葉を紡いできた。
だからかもしれない。
出会った時、 懐かしかったのは。
初めて会った気がしなかったのは。
探していたからじゃない。
追いかけていたからでもない。
ただ、
同じ空へ向かって歌っていた。
それだけだった。
その時だった。
夜空がふわりと明るくなった。
見上げると、 大きなブルームーンが現れていた。
青く静かな光が、 世界を優しく包んでいく。
クジラは月の周りを泳ぎ始めた。
そして私たちも気づけば、 空を歩いていた。
雲を越え。
星を越え。
月のそばまで。
夢だから。
そんなこともできる。
けれど不思議だった。
ありえない景色なのに、 どこか本当のことのように感じた。
クジラは歌う。
月は輝く。
君は笑う。
私はその横顔を見る。
ブルームーンの光を受けた横顔は、 どこか懐かしくて、 どこまでも優しかった。
長い沈黙のあと、 私は小さく呟く。
「綺麗」
君は少し驚いた顔をして、 それから月を見上げた。
「ほんとだね」
私も月を見上げる。
だからその夜、
お互い何を見ていたのかは、 最後まで言わなかった。
奇跡とは、 ありえないことが起きることじゃない。
届かないと思っていた声が、 届くことなのかもしれない。
理解されないと思っていた想いが、 理解されることなのかもしれない。
長い時間をかけて。
遠回りをして。
何度も一人の夜を越えて。
それでも消えなかった声同士が、 ようやく重なることなのかもしれない。
クジラが歌い続けたように。
私たちもまた、 それぞれの夜を越えてきた。
追いかけたわけじゃない。
探し回ったわけでもない。
ただ、 自分の声を消さずにいただけだ。
だから出会えた。
だから今、 同じ月を見上げている。
ブルームーンの光の中。
孤独だったクジラは、 もう孤独には見えなかった。
そして私たちは、 並んで夜空を泳いでいた。
手を繋ぐわけでもなく。
約束を交わすわけでもなく。
ただ同じ方向へ。
同じ月へ。
それだけで十分だった。
だって、
追いかけなくても出会えたのだから。
いつかきちんと伝わるその瞬間に、
私たちの想いは、 月明かりの中で静かに重なっていたのだから。🌕🐋✨