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夢を見た時間

創作大賞の中間発表があった。今年は18万件を超える応募があったそうだ。その中から、400作品ほどが選ばれた。

X(Twitter)を見なくなって久しいので、詳しいことは分からないけど、noteを見ていても「残った!」という喜びの声もあれば、「ダメだった」という悔しそうな声もある。

創作大賞は今年で5回目。回を重ねるごとに規模も大きくなって、参加する企業も増え、商業出版につながる道も広がっている。

noteで書いたものが本になったり、そこから仕事が始まったりする。そういうことが、以前よりずっと現実的になっている。書く人にとっては、すごくいいことなんだと思う。

「もしかしたら、自分も」

そう思えるからこそ、本気で書く人が増える。「もしかしたら」は、前に進む為のガソリンだ。どれだけ険しい道なのか、ゴールはどれほど遠いのか、走りださないと分からないし、やってみたからこそ分かることもある。

ただ、夢は保証できない。どれだけ頑張っても叶わないことはある。努力が足りなかったから、ということだけでは説明できないことがある。

ぼくは仕事上、デザイナー志望の学生作品を見る機会が多い。長くこの仕事をしていると、作品を少し見ただけでも、この人は伸びそうだなと感じることがある。逆に、かなり頑張らないと難しいだろうな、と思うこともある。

もちろん、人の未来なんて分からない。その時点ではそう見えても、何年か後にはまったく違う場所にいるかもしれない。だから、簡単に「向いていない」とは絶対に言わない。でも、「頑張ればきっとなれるよ」と言うのも違う気がする。夢を応援することと、夢を保証することは別物だからだ。

18万作品の中から400作品。
数字だけを見れば、とても厳しい。

その中には、最初から出版を目指していた人もいれば、なんとなく面白そうだから応募してみた人もいるだろう。

本気だった人もいる。
途中から本気になった人もいる。
結果が出るまで、自分でも驚くくらい夢中になった人もいるかもしれない。

その時間は、選ばれたかどうかとは別のものだと思う。落選したら、その全てが「残念でした」になるわけじゃない。

悔しくて悔しくて悔しくて、これで一区切りにする人もいるだろう。奮起して、もう一度挑戦する人もいるかもしれない。どちらの選択をしたにせよ、夢を見た時間までを、誰かに評価してもらう必要はない。

「出版に繋がったから価値があった」とか、
「賞に残ったから頑張った意味があった」とか、
そういう結果だけで、その時間の価値を決めなくていい。

夢は保証できない。
儚く散ることもある。

でも、その夢の価値を、結果と交換するのはもったいないと思う。



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