メインコンテンツへスキップ
見出し画像

鏡のなかのAI。(500字)

     去年、佐賀の老舗旅館「あけぼの」の本棚でくつろいでいると、梧竹の書があった。没後百年記念展ということで、慥かな先生がまとめられていた一冊である。本の真ん中あたりにある「いろはにほへと」の書なんて、そのまま子どもたちの教科書に載せるだけで、だいぶ歴史はよくなったのではないか。

    自分の書が理解されるのは、百年さきのことだ。

    『中林梧竹 没後百年記念展』

     こう話していた梧竹であったが、その百年後には字は靈力を失い、AIの台頭で枯れ果てている。AIの特徴は完成された文章が一氣に現れるといったところにあろう。当たり前の話だが、執筆する過程の身体性が完全に欠落しているのだ。こうして、文章はますゝゝ大量生産され、残骸となっていく。人と同様のことである。これを近代人が生命力を失った由縁と視ても、決して過言ではあるまい。

     AIの随筆は鏡のなかの私を觀ている感覺に近い。鏡像の自分は、外見がそっくりなだけの偽物である。彼らからは生命を感じない。ただ今朝ふとおもったのだが、鏡のなかのAIは逆にどうなるのであろうか。無機×無機で有機体になったりしないのかしら。

     AIはそろそろ鏡に映る自分にうっとりしたほうがよい。


     
     
     

    KODO

     
     
    茶人。プノンペン郊外に茶室「臨川」を建て、カンボジア人に稽古をつけつゝ、東欧諸國を外遊。ハンガリーのラダイ博物館等で茶を點て、オーストリアのスタッド博物館等で書を展示。歸國後は晴耕雨讀暮らし。文藝春秋SDGsエッセイ大賞2023グランプリ受賞。https://kodo.bar/

    あなたへのおすすめ