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澤子の「ほうかっ」と「胃痛い」

「おばあちゃん、さっきもお経唱えてたで」

祖母の澤子が本日2度目のお経を唱え始めたので、一応一声かけた。


澤子の背中は一瞬ぴくんと動いたが、声の方角をかえりみるでもなく、般若心経の経本に顔を落としたまま「ほうかっ」とだけ放った。


当時わたしは大学生で、澤子は85歳前後であったと記憶する。日本人女性の平均寿命界隈まできている澤子は、物忘れが多くなっていた。


その頃の我が家は5人家族だった。父、母、祖母の澤子、わたしと妹。父は長男で、母は結婚してすぐに姑らと同居することになった。よって、わたしは産まれ落ちてから20年程、ずっと祖母澤子と共に暮らしていた。


「ほうかっ」


澤子の声。
今でも耳に残る声だ。



「ほうか」は彼女の口癖で「そうか」と言っているのだが、元々の彼女のイントネーションなのか、総入れ歯のせいなのか「そ」が「ほ」に聞こえた。その響きが独特で、かわいらしくて好きだった。

好きだったけれど、その「ほうか」には大抵、

(1)そうですか。
(2)そうでしたか?
(3)仮にそうだとしたら何だというのですか?

の3つの意図が織り混ぜられているように聞こえた。(3)の意図が強い時は「ほうか」が「ほうかっ」となり、語気が強まる。


話し言葉は、時にその人の性質を如実にあらわす。澤子は気が強かった。


「南ー無ー不ー可ー思ー議ー光ー」
(ナームーフーカーシーギーコウー)

何事もなかったように、澤子は読経を再開する。どこで買ったのか知らないが、パープルにグレーを混ぜたような色の割烹着がよく似合っていた。澤子パープル。背中はまん丸い。まん丸背中がいよいよ声を張り上げる。

「南ー無阿弥陀ーーー仏ーーー」
(ヌアームアミダーーンブウーーー)


般若心経というものを、わたしは澤子のイントネーションで覚えている。澤子の日課である読経。少なくとも20年近く、ほぼ毎日きいている読経。

まぁ読経に1日の制限回数なんてないのか。減るもんでもなし。何なら先祖は喜んでいるかもしれない。「ボケてるんと違う、何回唱えてもいいがな、放っておいて」と言っているようなまん丸背中に、わたしは少し申し訳ない気になる。


85年も生きてきた人だ。もうお経でも何でも、好きなだけ唱えたらいいのだ。止めてごめん、おばあちゃん。まん丸背中に「大学行ってくる」とだけ告げて家を出た。



澤子は大正生まれの関西人。
大正と、昭和を丸ごと、そして平成を生きた。

「気が強い」以外にもう一つ、澤子の性質をあげるとすれば、それは「我慢強い」だったろうと思う。口数が多い人ではなかったが、一緒に暮らす中で澤子は自身の半生に起きたエピソードをいくつか聞かせてくれた。


戦時中、大空襲で家を焼け出されたこと。死に物狂いで逃げたこと。淀川の堤防から自分の家が燃えていくのを見ていることしかできなかったこと。ジャガイモの葉っぱで食いつないだこと。


戦争が、その時代を生きるすべての人に我慢を強いた。澤子のベースにある我慢強さは、戦争を体験し、生き抜いたすべての人が持つ我慢強さと同じ種類のものだと思う。


そしてもう一人、澤子の我慢強さをさらに高みに導いた人物がいる。それが澤子の夫、わたしの祖父だった。


正義感が強く、喧嘩っ早い祖父に、澤子は生涯尽くした。祖父は電車で妊婦に席を譲らない輩を見咎め、「電車を降りろ」と啖呵を切り、なぜか衣服を脱いでフンドシ一丁の姿になって向かっていくような人だった。場内騒然のエピソードが尽きない夫を、澤子はぐっと堪えて支えた。


加えて祖父は大酒飲みだった。そして晩酌中は女房に酌をしてもらいたい人だった。さらにその酌が長い。平均3時間。かつ毎日だ。


その3時間、澤子は他の家事を進めることを許されなかった。あまりに退屈して横で編み物を始めたらちゃぶ台をひっくり返された。祖父のちゃぶ台返しはコントでも何でもなく正真正銘の実話であり、その頃幼かった父や伯母らを震え上がらせていたらしい。

祖父はわたしが5歳の時に亡くなったので思い出は多くないが、孫のわたしも叱られる時はピシャリと叱られた。「箸をきちんと持ちなさい!」とか「足を伸ばしてごはんを食べない!」とか。おじいちゃんて怖いな、と思っていたが、わたしは極当たり前のことで叱られているだけで、澤子とはわけが違った。

大酒飲みであったことはあまり覚えていないが、ある写真が証明していた。わたしが1歳の誕生日を迎えた時の写真。わたしはなぜか一升瓶を抱えて笑っている。もちろん祖父が持たせたのだ。



わたしはせいぜい5年だったが、澤子はこの祖父に連れ添ったことで、ひたすらに我慢強さを鍛えられた。歯向かわずに従っていたのは祖父が怖かったのももちろんあるだろう。


なかなかの昔気質の男。昭和、平成を経て、現在令和の世を生きるわたしに言わせれば「3歩どころか数十歩後ろを歩く女だよ澤子は!」である。


だが実のところ、澤子は祖父に惚れ切っていたのではないかとも思う。


祖父は澤子の初恋の人だった。澤子が尋常小学校に通っていた頃、運動会で一際足の速い人がいた。澤子はずっと「カッコいい人」と思っていた。それが後々、お見合いをすることになる祖父だったらしい。

It's soooo  ロマンティック!


その足の速いカッコいい人が、喧嘩っ早くて大酒飲みということは知る由もなかっただろう。でも祖父は、外で喧嘩をして警察のご厄介になったり、ちゃぶ台こそひっくり返したが、家族に手を挙げる人ではなかったし、路面電車の運転手の仕事もきちんとこなした。酒に関しては非常に考えものだが、正義感の強い、どこか人に愛される部分がある人だったのだと思う。


まあそれを差し引いたとしても、我慢強い。いくら初恋の人と一緒になれたといっても、毎日3時間のお酌+たまにちゃぶ台返し。わたしならもう我慢ならん!と歯向かうか、3日で音を上げただろう。


「どんなことがあっても、初恋の人と添い遂げてみせる」と思っていたのだとしたら、やはり我慢強さに加えて澤子の気の強さこそが、祖父の妻として添い遂げる最大要素だったのだろう。




祖父が亡くなってからの澤子は、長年の祖父のお世話から解き放たれ、孫のわたしの目にも幾分羽を伸ばしてみえた。初恋の人といえども、やはり大変に苦労はしたのだ。それに、数年前から家事の多くは同居の嫁(わたしの母)がしてくれることになったことも大きかっただろう。


日課の洗濯と読経を済ませた後、澤子は大好きなテレビをみて、よく朗らかに笑っていた。特に相撲と時代劇を愛していた。「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」などはわたしも好きで、よく澤子と一緒にみた。

澤子はまた、毎日たくさんテレビをみながら、毎日たくさん食べていた。特に果物が好きだった。


少し物忘れも多くなっていた澤子は、大好きなみかんを食べ、しばらくすると「みかんよばれよか」と言って、またみかんを食べた。

「ものが食べられない事があった時代の人やからな、まだ食い分(くいぶん)が残ってはるんやわ。好きなだけ食べはったらええねん」母は呆れながらも、よくそう言っていた。

食い分。その人が一生に食べることが許されてる食べ物の総量と受け取った。じゃがいもの葉っぱばかり食べていた時代の分を取り返すべく、澤子は食べているようだった。


ある時、澤子パープルのあの割烹着の両方のポケットがまあるく膨らんでいた。両ポケットに、みかんを忍ばせているのだった。

「おばあちゃん、さっきもみかん食べてたやん」と呆れ声で言うと、チラリとだけわたしをみてやはり「ほうかっ」と言った。




さて、澤子の「気の強さ」はいつまでもご健在であったが「我慢強さ」もまた、彼女がこの世を去る3週間前まで続いた。

たくさん食べていたのでちっとも気が付かなかったが、ある日澤子は「胃が痛い」と家族に訴えた。どこそこが痛いなど、ほとんど言ったことがない人だったので、家族はすぐに澤子を病院に連れていった。


結果、原因は胃ではなく膵臓であった。澤子の膵臓は健康な人の数倍、拳くらいに腫れ上がっており、末期の膵臓がんを患っていたことが分かった。ガンマ何とかという数値も、通常の何百倍にもなっていたらしい。


本当は、澤子はずっと前から胃のあたりが痛かったのかもしれない。我慢強過ぎたのだ。車いすに乗せられ、検査室から出てきた澤子の顔が真っ黄色だったことを今でも思い出す。黄疸が出ていた。もうテレビをみて笑っている澤子の朗らかな顔ではなくて、全くの別人にみえた。「おばあちゃん大丈夫?」なんとか話しかけると、眉をしかめながら「胃痛い」とだけ返した。黄色い顔が、本当に辛そうだった。


結局「胃痛い」が、わたしが澤子から聞いた最後の言葉となった。澤子はそのままほとんど意識のない状態となり、3週間後、家族とすべての子どもたちが彼女の見舞いに来た後、静かに息を引き取った。


亡くなる直前、病室のベッド脇の誰もいないほうを、澤子はじっと見ていたらしい。わたしはきっと、祖父が澤子を迎えにきていたのだろうと思っている。




彼女が亡くなって20年以上が経つが、我が家では会話の中で今でも時々「ほうか」が出てくる。


誰かに相づちを打つ時。
誰かに何か口うるさく言われた時。


父も母もわたしも、たまに里帰りする妹も、今こそタイミングという時に「ほうか」を使う。その度に「あ、今の、澤子ばあちゃんのやつやん」と言って懐かしんだり笑ったり、怒気を忘れたりする。めいめいが覚えている、澤子の声の記憶で遊ぶ。


そして澤子の我慢強さは、それぞれが心のどこかにしまって今も覚えている。澤子の思い出話が出る度「ほんまに我慢強い人やったな」と必ず誰かが言う。

「あのおじいちゃんの妻やからな」
「今の時代やったら信じられへんな」
「わたしやったら3日でギブアップ」
「膵臓が拳みたいに腫れてたんやで」
「ギリギリまで我慢してたんやろな」



毎回同じような話にはなるのだが、めいめいに澤子を語る。


澤子が最期のとき、祖父が澤子を迎えにきていたとわたしは信じているので、今も二人はあちらで一緒にいると思う。あちらでも祖父は、毎日お酒を飲んでいるだろう。あちらに行ったからといって、大人しく過ごしているわけがない。だがあちらの警察のご厄介にはなるな。

そして澤子には。


祖父に「今日もお酌を頼む」と言われても、たまには「今日は編み物をするから嫌です」と断っていたりしてほしい。「暴れん坊将軍があるので、今日はご勝手にどうぞ」とか。じっくり祖父のそばでお酌を続ける澤子もいい。でもたまには、わたしたちに「ほうかっ」を言うときみたいな、気の強い澤子もおもしろいじゃない。


祖父もきっと、惚れ直すんじゃないかな。

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