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地元は消滅した 〜それでも私は与野と言う〜


    【あらすじ】
    二〇〇一年、埼玉県の与野市は浦和市・大宮市との合併によって地図から消えた。
    しかし、市の名前が消えても、人々の記憶までは消えない。
    埼玉県さいたま市中央区上落合に暮らす著者は、自分の住む場所を今でも「与野」と呼ぶ。そこには祖父母の時代から続く暮らしがあり、家族の記憶があり、変わりゆく街並みの中にも変わらない風景がある。
    高度経済成長、バブル崩壊、政令指定都市への移行。そして令和。
    消滅した地名を手がかりに、三世代の家族史と地域の歴史をたどりながら、「地元とは何か」「幸せとは何か」を見つめ直すノンフィクション・エッセイ。
    これは、なくなった町の物語ではない。
    今も誰かの中で生き続ける「与野」の物語である。

    プロローグ
    与野は消滅した
    私は埼玉県さいたま市中央区上落合に住んでいる。
    そう言うたびに、少しだけ違和感がある。
    中央区ではない。
    上落合だ。
    もっと言えば、与野だ。
    行政上、与野市はもう存在しない。
    二〇〇一年、浦和市、大宮市、与野市は合併し、さいたま市になった。
    だから今の住所は、さいたま市中央区である。
    それは分かっている。
    郵便も届く。
    宅配便も届く。
    役所もそう言う。
    でも私の周りで、自分のことを中央区民だと言う人に会ったことがない。
    みんな与野と言う。
    私も与野と言う。
    たぶん死ぬまでそう言う。
    俳優の萩原健一さんも、きっと与野と言うだろう。
    俳優の成田凌さんも、テレビで与野と話していた。
    行政上は消えた街なのに、人の中では今も生きている。
    与野は消滅した。
    しかし誰も消えたと思っていない。
    私はこの街で四十年以上暮らしている。
    生まれた家に今も住んでいる。
    私は三代目だ。
    娘は四代目になる。
    隣の家は五代目だ。
    田舎なら珍しくない話かもしれない。
    けれど、ここは東京駅まで三十分ほどで行ける街である。
    新幹線も通る。
    高層ビルも見える。
    決して田舎ではない。
    それでも人はあまり出ていかない。
    家は建て替わる。
    駐車場になる。
    マンションになる。
    リフォームされる。
    景色は少しずつ変わる。
    でも不思議なことに、人は残る。
    同じ場所に違う建物で同じ人がいる。
    この人は知らない。
    でも親は知っている。
    親は知らない。
    でも祖父は知っている。
    そんなことが普通に起こる。
    子供の頃に遊んだ友達も、気がつけば近くに住んでいる。
    一度遠くへ行ったと思ったら、結局チャリで来られる場所に家を買っている。
    だから同窓会をしても、近況報告だけでは終わらない。
    昔話になる。
    しかも、終わらない。
    四十歳を過ぎても。
    五十歳が近づいても。
    みんな、どこか子供のままだ。
    私は埼玉の良いところを三つ挙げろと言われても困る。
    逆に悪いところを三つ挙げろと言われても困る。
    特別な何かがあるわけではない。
    海もない。
    富士山もない。
    観光地も少ない。
    でも私はここを離れない。
    宝くじが当たっても、たぶん離れない。
    港区に無料で住めると言われても、別荘にすると思う。
    なぜだろう。
    その答えを、ちゃんと考えたことはなかった。
    ある日、昔の写真を見つけた。
    そこには小さな頃の私が写っていた。
    写真に写る電信柱は、今も家から二十メートルほどの場所に立っている。
    道も残っている。
    家も残っている。
    変わったものもあった。
    なくなったものもあった。
    そして気づいた。
    私が覚えていたのは、街ではなかった。
    そこにいた人たちだった。
    アスモのカントク。
    グンジさん。
    魚屋の親父。
    床屋のおばちゃん。
    クリーニング屋のおじさん。
    みんな有名人ではない。
    けれど、私にとっては街そのものだった。
    この本は、埼玉の観光案内ではない。
    与野の歴史書でもない。
    埼玉県民の取扱説明書でもない。
    これは、一つの街で四十年以上暮らした私が、
    なぜ地元を離れなかったのかを考える話である。
    そしてたぶん、
    普通に暮らすことの、思ったより深い話である。

    与野市は行政上消滅した。
    しかし人の記憶の中の地名は簡単には消えない。
    これは与野で生まれ育った私が、家族三代の記憶をたどりながら、消えた故郷の正体を探していく物語である。

    第一部
    上落合8丁目から世界を見ていた
    街は変わる。
    家は建て替わる。
    店はなくなる。
    空き地は公園になる。
    名前も変わる。
    それでも、変わらないものがある。
    人だ。
    私の知る上落合は、建物よりも人が残る街だった。
    この第一部では、私が子供の頃に見ていた上落合を書く。
    アスモ。
    カントク。
    グンジさん。
    魚屋の親父。
    床屋のおばちゃん。
    空き地。
    電信柱。
    どれも有名ではない。
    でも私にとっては、街そのものだった。
    第一章
    同じ場所に違う建物で同じ人がいる
    私の住む上落合は、よく変わる。
    家は建て替わる。
    空き地はなくなる。
    駐車場になる。
    マンションになる。
    気づけば、見慣れた景色が少しずつ変わっている。
    子供の頃にあった店も、ほとんど残っていない。
    魚屋の親父はいなくなった。
    床屋のおばちゃんもいなくなった。
    クリーニング屋のおじさんもいなくなった。
    昔は住宅街の中に、いろんな店がぽつぽつとあった。
    商店街というほどではない。
    でも確かに、生活の匂いがあった。
    雨の日の匂い。
    洗剤の匂い。
    車の排気ガスの匂い。
    夕方になると、晩ご飯の匂いもした。
    今は便利になった。
    でも、匂いは少なくなった気がする。
    そんな話をすると、
    「ずいぶん変わりましたね」
    と言われる。
    確かに変わった。
    でも私は、少し違うことを思う。
    建物は変わった。
    人は残った。
    これが上落合の不思議なところだ。
    あの家は建て替わった。
    でも住んでいるのは、昔から知っている人だ。
    あそこも新しくなった。
    でも娘さんが住んでいる。
    その隣も変わった。
    でも孫が住んでいる。
    この人は知らない。
    でも親は知っている。
    親は知らない。
    でも祖父は知っている。
    そんなことが普通に起こる。
    だから街を歩いていても、知らない街を歩いている感じがしない。
    景色は変わっているのに、空気は変わっていない。
    不思議な感覚だ。
    私の家は三代目になる。
    娘は四代目だ。
    隣は五代目。
    田舎なら珍しくない話かもしれない。
    でもここは埼玉だ。
    東京駅まで三十分ほどで行ける。
    新幹線も走っている。
    決して山奥ではない。
    それでも人は残る。
    同級生も残る。
    親世代も残る。
    気づけば、自分も残っている。
    昔、東京に憧れたこともあった。
    六本木ヒルズの展望台から見た景色には圧倒された。
    大手町の高層ビル街にも驚いた。
    でも家に帰ると、いつもの上落合だった。
    そして不思議なことに、それで十分だった。
    私は上落合が特別な街だとは思っていない。
    絶景があるわけでもない。
    観光地があるわけでもない。
    有名なものも少ない。
    それでも離れない。
    たぶん理由は簡単だ。
    街が残っているからではない。
    人が残っているからだ。
    同じ場所に違う建物で同じ人がいる。
    それが、私の知る上落合である。
    第二章
    私には帰省がない
    友人から帰省の話を聞くことがある。
    お盆だから帰省する。
    年末だから帰省する。
    実家に顔を出す。
    そんな話だ。
    私はいつも、少し不思議な気持ちになる。
    帰省という感覚がよく分からない。
    私は生まれた家に、今も住んでいる。
    実家もここだ。
    自宅もここだ。
    だから帰る場所がない。
    いや、正確にはある。
    ずっといる。
    帰省のための新幹線もない。
    高速道路もない。
    荷物をまとめる必要もない。
    仕事が終われば帰る。
    それだけだ。
    子供の頃から見ていた景色がある。
    同じ道がある。
    同じ駅がある。
    もちろん細かい部分は変わった。
    店はなくなった。
    空き地もなくなった。
    でも帰る場所は変わらなかった。
    だから帰省という言葉に、少し憧れたこともある。
    遠くに故郷がある人は格好良く見えた。
    青森。
    北海道。
    沖縄。
    京都。
    どこか特別な場所から来た人たち。
    私は違う。
    上落合だ。
    昨日もいた。
    今日もいる。
    明日もたぶんいる。
    でも最近思う。
    帰省がないことは、少し幸せなことなのかもしれない。
    帰る場所を探さなくていい。
    思い出を確認しに行かなくていい。
    昔の友達に会うために日程を合わせなくていい。
    会いたければ会える。
    親の顔も見られる。
    同級生にも会える。
    近所の人もいる。
    いつでもそこにある。
    帰省がないということは、故郷を失っていないということなのかもしれない。
    もちろん窮屈さもある。
    良いことばかりではない。
    噂は広がる。
    親同士が知り合いだったりする。
    知らないところで話がつながっていることもある。
    それでも私は嫌いではない。
    なぜなら、それが普通だったからだ。
    四十年以上同じ場所に住んでいると、故郷は過去ではなくなる。
    現在になる。
    思い出の場所ではなくなる。
    生活の場所になる。
    帰省はない。
    でも故郷はある。
    それが、私の上落合である。

    第三章
    アスモ
    埼玉県民はなぜ幸せそうなのか。
    そんなことを考えていて気づいた。
    答えは大宮駅ではなかった。
    浦和レッズでもなかった。
    東京へのアクセスでもなかった。
    アスモだった。
    今は北公園という名前になっている。
    けれど私たちは誰もそう呼ばない。
    今でもアスモだ。
    たぶん死ぬまでアスモだ。
    子供の頃、私は毎日のようにそこへ行った。
    何をしていたのかと聞かれると困る。
    サッカーをした。
    鬼ごっこをした。
    花火をした。
    バーベキューをした。
    ただ集まってしゃべっていた日もある。
    でも一番楽しかったことは思い出せない。
    全部楽しかったからだ。
    アスモには先生がいなかった。
    校長先生もいなかった。
    ルールもほとんどなかった。
    そこにいたのはカントクだった。
    管理人の鈴木さんだ。
    みんなそう呼んでいた。
    祖父も知っている。
    父も知っている。
    私も知っている。
    三世代が同じ人を知っている。
    今思うと少しすごい。
    軽トラックでグラウンド整備をしていた姿を覚えている。
    後ろに大きな器具を引っ張りながら砂埃を上げて走る。
    子供の私には格好良く見えた。
    手伝うとリポビタンDをくれた。
    コーヒー牛乳をくれたこともある。
    今なら怒られそうだ。
    でも当時は誰も気にしていなかった。
    アスモには仲良しもいた。
    嫌いなやつもいた。
    年上もいた。
    年下もいた。
    でもみんな同じ場所にいた。
    サッカーをしていたはずなのに、
    気づけば鬼ごっこになっている。
    グンジさんへ行く。
    また戻る。
    人が増える。
    暗くなる。
    帰る。
    次の日も同じだった。
    何も起きていないようで、
    毎日何かが起きていた。
    今、グンジさんの店はない。
    アスモも昔のままではない。
    なくなったものはたくさんある。
    でも思い出だけは残っている。
    アスモは北公園になった。
    綺麗になった。
    安全になった。
    でも私たちは今でもアスモと呼ぶ。
    正式名称を知らないわけではない。
    それでもアスモだ。
    思い出に付いた名前だからだ。
    なくなったから消えるとは限らない。
    人の記憶の中では、
    今も営業中の店がある。
    今も子供たちが走り回る空き地がある。
    そして今も、
    カントクが軽トラックでグラウンドを整備している。
    思い出というのは不思議だ。
    残ったものを覚えているのではない。
    なくなったものを忘れないのだ。
    だから私は今でもアスモと言う。

    第四章
    カントク
    本名は鈴木さんだった。
    でも誰もそう呼ばなかった。
    みんなカントクと呼んでいた。
    私もそう呼んでいた。
    今思うと不思議だ。
    なぜカントクだったのだろう。
    でも子供の頃は疑問にも思わなかった。
    そこにいるのが当たり前だったからだ。
    カントクはアスモにいた。
    軽トラックに乗っていた。
    グラウンドを整備していた。
    怒っていた。
    笑っていた。
    いつもいた。
    アスモの風景そのものだった。
    後になって知った。
    カントクは本当に監督だった。
    私が小学校一年生と二年生の頃、
    サッカーの監督をしていた。
    そして口癖があった。
    「Jリーグの前身の最初の日本一は俺たちだ」
    子供の頃は、
    また始まったと思って聞いていた。
    でも大人になって調べると、
    まんざら嘘でもなかった。
    この地域には昔からサッカー文化がある。
    浦和だけではない。
    与野にもあった。
    だからカントクの自慢話は、
    半分伝説で半分事実だったのだと思う。
    私たちにとって日本一なんてどうでも良かった。
    カントクだった。
    それが全てだった。
    グラウンド整備を手伝う。
    リポビタンDをもらう。
    コーヒー牛乳をもらう。
    その方が記憶に残っている。
    カントクは祖父を知っていた。
    父を知っていた。
    私を知っていた。
    地域には昔、
    そういう人がいた。
    先生でもない。
    政治家でもない。
    有名人でもない。
    でもみんな知っている。
    そんな人だ。
    今は少なくなった気がする。
    子供の頃の私は、
    カントクがいなくなる日なんて考えたこともなかった。
    アスモがなくなる日も。
    グンジさんの店がなくなる日も。
    当たり前は続くと思っていた。
    でも続かなかった。
    人も歳を取る。
    街も変わる。
    店もなくなる。
    空き地もなくなる。
    それでも思い出だけは残る。
    今でもアスモの話になると、
    必ずカントクの名前が出る。
    それはアスモを守っていたからではない。
    私たちの子供時代そのものだったからだ。
    思い出には場所がある。
    そして人がいる。
    私にとってアスモの真ん中には、
    今もカントクが立っている。

    第五章
    グンジさんの駄菓子屋
    グンジさんの店は駄菓子屋だった。
    特別な店ではない。
    テレビに出るわけでもない。
    観光地になるわけでもない。
    上落合にある普通の駄菓子屋だった。
    だから良かった。
    子供の頃、私はよくそこへ行った。
    アスモで遊ぶ。
    グンジさんへ行く。
    またアスモへ戻る。
    そんな毎日だった。
    何を買っていたのかはあまり覚えていない。
    でも場所は今でも分かる。
    当たり前だ。
    今も同じ地域に住んでいるのだから。
    なくなった今でも、
    そこを通れば自然と思い出す。
    グンジさんの店の前には遊びがあった。
    十円玉を車に見立てたレースだ。
    子供たちは真剣だった。
    十円玉なのに。
    ただ転がすだけなのに。
    なぜあんなに夢中になれたのだろう。
    そして面白いことに、
    その遊びは長く残った。
    ある日、私は園児だった娘を連れて店へ行った。
    そして娘と一緒に十円玉レースをした。
    昔、自分が遊んでいた場所で。
    昔、自分が遊んでいた遊びを。
    娘と一緒に。
    不思議な気持ちだった。
    横には小学生たちもいた。
    私はつい話しかけた。
    「これ、俺が子供の頃からあったんだぞ」
    たぶん興味はなかったと思う。
    でも私は少し嬉しかった。
    昔話をしたかったわけではない。
    続いていたことが嬉しかったのだ。
    私の世代。
    その後の子供たち。
    そして娘の世代。
    何十年も違うのに、
    同じ場所で同じ遊びをしていた。
    今思えばすごいことだった。
    グンジさんの店はもうない。
    でも寂しいだけではない。
    娘も知っているからだ。
    私だけの思い出ではない。
    親から子へ。
    世代から世代へ。
    静かに受け継がれた場所だった。
    グンジさんの店はなくなった。
    でも十円玉レースは残った。
    少なくとも私の中には残った。
    たぶん娘の中にも残っている。
    それで十分なのだと思う。

    第六章
    魚屋の親父と床屋のおばちゃん
    子供の頃、近所にはいろんな店があった。
    商店街というほどではない。
    住宅街の中にぽつぽつと店があった。
    魚屋。
    床屋。
    クリーニング屋。
    豆腐屋。
    今思うと不思議な並びだ。
    特別な店ではない。
    どこにでもありそうな店ばかりだった。
    でも私の記憶には残っている。
    魚屋の親父はいつも店の前に立っていた。
    何をしていたのかは分からない。
    仕事をしていたのだろう。
    でも私の記憶の中では、
    いつも店の前に立っている。
    それが魚屋の親父だった。
    床屋のおばちゃんも覚えている。
    歩けなくなったおじいさんの家まで行って髪を切っていた。
    子供の頃の私は、
    それが特別なことだと思っていなかった。
    床屋なんだから、
    そういうものだと思っていた。
    でも大人になって分かった。
    あれは当たり前ではなかった。
    商売だけではない。
    近所付き合いだけでもない。
    もっと曖昧で、
    もっと温かい何かだった。
    クリーニング屋の前を通ると、
    いつも洗剤の匂いがした。
    少し湿った独特の匂いだ。
    配達のおじさんはカブに乗っていた。
    あのエンジン音も覚えている。
    匂いも覚えている。
    顔も覚えている。
    不思議なものだ。
    何を話したかは覚えていない。
    でも存在は覚えている。
    店はなくなった。
    建物も変わった。
    景色も変わった。
    でもあの人たちは今も上落合の一部だ。
    地図には残っていない。
    看板も残っていない。
    それでも私の記憶には残っている。
    街というのは建物でできているのではない。
    人でできている。
    私はそのことを、
    魚屋の親父と床屋のおばちゃんから教わったのかもしれない。

    第七章
    空き地が消えた日
    子供の頃の上落合には空き地がたくさんあった。
    今の子供たちには信じられないかもしれない。
    何もない場所が普通にあった。
    柵もない。
    遊具もない。
    注意書きもない。
    だから自由だった。
    私たちはそこでサッカーをした。
    鬼ごっこをした。
    花火をした。
    自転車で走り回った。
    何をしていたのかと聞かれると困る。
    何でもしていた。
    が正しい。
    空き地には何もなかった。
    でも何でもあった。
    ゴールもない。
    ベンチもない。
    線も引かれていない。
    それでも遊べた。
    いや、
    何もないから遊べたのかもしれない。
    大人になると、
    何かを作ることばかり考える。
    効率。
    安全。
    利便性。
    どれも大切だ。
    でも子供の頃の私たちが好きだったのは、
    たぶん余白だった。
    何も決まっていない空間だった。
    私が好きだったアスモもそうだった。
    子供の頃の私たちにとって、
    ただの空き地だった。
    だから特別だと思ったこともない。
    空気みたいな存在だった。
    でも空気は失ってから気づく。
    どれだけ大切だったのかを。
    今のアスモは北公園になった。
    綺麗だ。
    安全だ。
    人工芝もある。
    昔より良い公園なのかもしれない。
    私はそれを否定するつもりはない。
    でも少しだけ思う。
    何もない場所が良かった。
    何もないから自由だった。
    何もないから集まれた。
    何もないから想像できた。
    今の上落合は昔より便利になった。
    綺麗にもなった。
    でも空き地は少なくなった。
    そして私も大人になった。
    だから時々思う。
    空き地が消えたのは、
    街の変化だったのだろうか。
    それとも、
    私たちが大人になったということだったのだろうか。

    第八章
    1989年と2026年
    最近、昔の写真を見つけた。
    写っていたのは子供の頃の私だった。
    何歳だったかは覚えていない。
    でも場所はすぐに分かった。
    上落合だったからだ。
    写真の中の私は笑っていた。
    背景には家があった。
    道があった。
    電信柱があった。
    そして驚いた。
    電信柱が今も残っていた。
    家を出て左へ二十メートルほど。
    あの小さい方の電信柱だ。
    もちろん街は変わった。
    建物も変わった。
    空き地も減った。
    店もなくなった。
    でも残っているものもあった。
    私はその写真を見ながら考えた。
    一体何が変わったのだろう。
    景色だろうか。
    建物だろうか。
    それとも私だろうか。
    子供の頃の私は未来を知らない。
    スマートフォンも知らない。
    インターネットも知らない。
    AIも知らない。
    娘が生まれることも知らない。
    それでも毎日楽しそうだった。
    アスモへ行く。
    グンジさんへ行く。
    暗くなったら帰る。
    それだけだった。
    一方で2026年の私は、
    子供の頃には想像もしなかった時代を生きている。
    便利になった。
    世の中は速くなった。
    知ることも増えた。
    でも写真の中の自分を見て思った。
    本当にそうだろうか。
    子供の頃の私には、
    今の私が持っていないものがあった気がする。
    時間だ。
    余白だ。
    意味のない一日だ。
    今思うと、
    あれは贅沢だった。
    1989年の上落合と2026年の上落合。
    比べれば違うところはいくらでもある。
    でも一つだけ変わらないものがある。
    人だ。
    同級生がいる。
    近所の人がいる。
    親世代がいる。
    名前は変わった。
    建物も変わった。
    与野市は消滅した。
    それでも人はいる。
    だから私は昔の写真を見ても、
    帰りたいとは思わない。
    だって今もここにいるからだ。
    1989年の私と2026年の私は、
    同じ場所を見ている。
    その間に三十年以上の時間が流れた。
    でも家を出て左へ二十メートルの場所には、
    今もあの電信柱が立っている。
    そしてたぶん、
    それがこの街らしさなのだと思う。

    第二部
    与野は消えた。でも誰も消えたと思っていない
    与野市は消滅した。
    地図から名前は消えた。
    行政も変わった。
    住所も変わった。
    でも不思議なことに、
    誰も消えたと思っていない。
    それは建物が残ったからではない。
    歴史が残ったからでもない。
    人が残ったからだ。
    同級生がいる。
    親がいる。
    近所の人がいる。
    昔話を共有できる人がいる。
    だから与野は消えなかった。
    第二部は、
    そんな人たちの話である。

    第九章
    与野は全員仲間
    与野の人は少し変だと思う。
    もちろん良い意味でだ。
    私は子供の頃から与野に住んでいる。
    だから当たり前だと思っていた。
    でも大人になって気づいた。
    どうやら当たり前ではないらしい。
    浦和の人と話す。
    大宮の人と話す。
    すると面白いことが分かる。
    みんな地元愛はある。
    でも少し違う。
    浦和には浦和の文化がある。
    大宮には大宮の文化がある。
    そして与野には与野の文化がある。
    私は昔から思っている。
    与野は全員仲間だ。
    もちろん全員友達という意味ではない。
    そんなわけがない。
    嫌いなやつもいる。
    苦手なやつもいる。
    意見が合わない人もいる。
    でも仲間だ。
    不思議だがそう思う。
    たぶん街が小さいからだ。
    小さいから顔が見える。
    小さいから繋がる。
    小さいから誰かの知り合いは誰かの知り合いになる。
    私は知らない。
    でも父は知っている。
    父は知らない。
    でも祖父は知っている。
    そんなことが普通に起こる。
    だから与野では、
    知らない人にも少しだけ親近感がある。
    友達ではない。
    でも仲間なのである。

    第十章
    中央区ではない
    私の住所はさいたま市中央区である。
    これは事実だ。
    郵便も届く。
    宅配便も届く。
    役所もそう言う。
    だから間違いではない。
    でも何かが違う。
    中央区ではない。
    与野だ。
    少なくとも私の感覚ではそうだ。
    誰かに
    「どこ住んでるの?」
    と聞かれる。
    私は与野と答える。
    中央区とは言わない。
    たぶん一度も言ったことがない。
    周りもそうだ。
    中央区民です。
    という人に会ったことがない。
    みんな与野と言う。
    不思議な話である。
    行政は中央区。
    住民は与野。
    認識が一致していない。
    そもそもなぜ中央区なのだろう。
    今でも少し思う。
    与野で良かったじゃないか、と。
    もちろん今さら戻せとは言わない。
    でも気持ちはある。
    与野には歴史があった。
    思い出があった。
    人がいた。
    それなのに突然、
    中央区になった。
    なんだか芸名を勝手に変えられた気分である。
    しかも本人に相談なしで。
    面白いのは若い世代だ。
    最初から中央区で育っている。
    それでも与野と言う。
    親が言うからだ。
    祖父母が言うからだ。
    近所のおじさんも言うからだ。
    だから結局、
    与野になる。
    言葉というのは不思議だ。
    行政より強いことがある。
    地図より強いことがある。
    与野は消滅した。
    でも消えていない。
    少なくとも私の中では。

    第十一章
    与野はなぜ消えなかったのか
    与野市は消滅した。
    これは事実である。
    二〇〇一年。
    浦和市、大宮市、与野市が合併した。
    地図から与野市という名前は消えた。
    だから普通に考えれば終わりだ。
    でも終わらなかった。
    なぜだろう。
    私はずっと考えていた。
    答えは意外と簡単だった。
    人が残ったからだ。
    もし街の人たちがみんな出て行っていたら、
    与野という名前も消えていたと思う。
    でも出て行かなかった。
    家を建て替えた。
    リフォームした。
    世代交代した。
    でも同じ場所に住み続けた。
    私の家は三代目だ。
    娘は四代目になる。
    隣は五代目だ。
    近所にも似たような家は多い。
    建物は変わる。
    人は残る。
    すると何が起きるか。
    会話が残る。
    「あそこ昔なんだったっけ?」
    「魚屋だよ」
    「その前は?」
    「知らない」
    「お前の親父知ってるぞ」
    そんな会話が普通に始まる。
    そして最終的に祖父母の話になる。
    時間が長い街には、
    こういう現象が起きる。
    私が面白いと思うのは、
    後から来た人まで同じ空気になることだ。
    昔から住んでいる人だけではない。
    新しく引っ越してきた人もいる。
    家も増えた。
    マンションも増えた。
    でも気づけば地域の仲間になる。
    友達ではない。
    でも仲間だ。
    この感覚は説明が難しい。
    同級生もいる。
    親もいる。
    近所の人もいる。
    だから昔話が終わらない。
    昔話をしているのではない。
    登場人物がまだ現役だからだ。
    魚屋の親父はいなくなった。
    グンジさんの店もなくなった。
    アスモも変わった。
    それでも話題に出る。
    その話を共有できる人がまだ近くにいるからだ。
    与野は地図から消えた。
    でも人の記憶からは消えなかった。
    いや、
    記憶だけではない。
    生活の中に残った。
    だから今でもみんな与野と言う。
    たぶん与野が消えなかった理由は、
    立派な歴史があったからではない。
    有名な観光地があったからでもない。
    ただ、
    人が残ったからだ。
    そして案外、
    それが一番強いのかもしれない。

    第十二章
    昔話しかしない人たち
    不思議なことがある。
    久しぶりに地元の仲間と会うと、
    最近の話をあまりしない。
    しないわけではない。
    最初はする。
    仕事はどうだ。
    子供は大きくなったか。
    親は元気か。
    そこまでは普通だ。
    でも長くは続かない。
    話はいつの間にか昔へ戻っていく。
    小学校の話。
    中学校の話。
    サッカーの話。
    先生の話。
    アスモの話。
    気づけば何十年も前の話をしている。
    冷静に考えると変である。
    みんなそれなりに生きてきた。
    結婚した人もいる。
    子供がいる人もいる。
    転職した人もいる。
    家を買った人もいる。
    本来なら話題はいくらでもある。
    それなのに昔の話になる。
    なぜだろう。
    たぶん答えは簡単だ。
    昔話ではないからだ。
    続きの話だからだ。
    あの時一緒にいたやつが目の前にいる。
    先生の話をすれば知っている人がいる。
    近所の話をすれば知っている人がいる。
    場所も残っている。
    人も残っている。
    だから過去にならない。
    不思議なことに、
    結婚した話は五分で終わる。
    転職した話も五分で終わる。
    でも小学校の話は二時間続く。
    そして全員笑っている。
    与野の人たちは、
    年齢を重ねても少しだけ子供のままなのだと思う。
    それが良いことなのかは分からない。
    でも私は嫌いではない。
    昔話というのは、
    過去を懐かしむことではない。
    同じ時間を生きた人同士の確認作業なのかもしれない。
    だから何十年経っても終わらないのである。

    第十三章
    ずっとみんな子供のまま
    与野の人たちは少しおかしい。
    もちろん良い意味でだ。
    四十歳を過ぎても。
    五十歳が近づいても。
    どこか子供のままである。
    久しぶりに会う。
    すると最初だけ大人の会話になる。
    仕事。
    家族。
    健康。
    親の話。
    でも長続きしない。
    気づけば昔と同じ空気になっている。
    誰かをいじる。
    誰かが反撃する。
    また誰かが笑う。
    小学校の休み時間と大差ない。
    不思議なのは、
    誰も無理をしていないことだ。
    若作りしているわけでもない。
    昔に戻ろうとしているわけでもない。
    自然にそうなる。
    たぶん昔から知っているからだ。
    格好つける必要がない。
    説明する必要もない。
    学生時代の失敗も、
    恥ずかしい話も、
    みんな知っている。
    今さら隠しても仕方がない。
    だから楽なのだと思う。
    地元の集まりで面白いのは、
    肩書きがほとんど機能しないことだ。
    社長でも。
    部長でも。
    偉くなった人でも。
    子供の頃に転んで泣いていたことを知っている。
    そういう世界である。
    私はこれが好きだ。
    人を肩書きで見なくなるからだ。
    成功したかどうかより、
    そいつがどんなやつだったか。
    そこが基準になる。
    そして与野には、
    もう一つ不思議なことがある。
    なぜか同級生にハゲがいない。
    一人くらいいても良さそうなのにいない。
    もちろん全員確認したわけではない。
    ただ見当たらない。
    与野の七不思議である。
    健康診断の話はする。
    血圧の話もする。
    親の介護の話もする。
    でもハゲはいない。
    本当に不思議だ。
    そんなくだらない話で笑っている。
    四十代にもなって。
    でも私は思う。
    それでいいのだ。
    大人になると、
    賢くなる。
    効率も良くなる。
    責任も増える。
    その代わり、
    くだらないことで笑う時間は減っていく。
    だから地元の仲間と会う時間は貴重だ。
    大人になった自分を、
    少しだけ休ませられるからだ。
    与野の人たちは子供のままではない。
    ちゃんと大人になっている。
    働いている。
    家族もいる。
    責任もある。
    でも心のどこかに、
    昔の自分を残している。
    だから会うと安心する。
    そして私は思う。
    幸せというのは、
    大人になることではなく、
    子供の頃の自分を少しだけ残しておくことなのかもしれない。

    第十四章
    嫌いだったあいつ
    子供の頃、
    嫌いなやつがいた。
    たぶん向こうも私を嫌いだったと思う。
    理由は覚えていない。
    子供だからだ。
    サッカーで揉めたのかもしれない。
    生意気だったのかもしれない。
    単純に気が合わなかったのかもしれない。
    とにかく嫌いだった。
    でも不思議なことがある。
    翌日も会う。
    また翌日も会う。
    学校で会う。
    アスモで会う。
    駄菓子屋でも会う。
    逃げられない。
    今なら距離を置く。
    SNSを見ない。
    連絡先を消す。
    関わらない。
    そんな選択肢もある。
    でも当時はない。
    嫌いでも会う。
    気まずくても会う。
    そしてまた遊ぶ。
    今思うと変な話だ。
    仲良しだけで集まるわけではなかった。
    年上もいた。
    年下もいた。
    嫌いなやつもいた。
    でも同じ場所にいた。
    それが普通だった。
    私は今でも思う。
    あれは良い経験だった。
    もちろん当時はそう思わない。
    面倒だった。
    腹も立った。
    ケンカもした。
    でも人間というのは、
    好きな人だけではできていない。
    嫌いな人もいる。
    苦手な人もいる。
    それでも付き合わなければならない。
    私は大人になってから、
    その練習を子供の頃からやっていたのだと気づいた。
    面白いことに、
    大人になると嫌いだった理由を忘れる。
    何に怒っていたのか覚えていない。
    何が気に入らなかったのかも覚えていない。
    でも顔は覚えている。
    名前も覚えている。
    そして会えば普通に話す。
    場合によっては笑う。
    子供の頃には想像もしなかったことだ。
    地元には不思議な力がある。
    時間が経つと、
    勝ち負けが消える。
    正しかったかどうかも消える。
    残るのは、
    同じ時間を過ごしたという事実だけだ。
    だから私は思う。
    嫌いだったあいつも、
    地元の仲間だったのだと。
    友達だったかは分からない。
    今でも分からない。
    でも仲間だった。
    それだけは確かである。

    第十五章
    同級生の親の葬式
    子供の頃、
    親は親だった。
    当たり前だ。
    友達の親も親だった。
    先生より近くて、
    でも家族ではない。
    そんな存在だった。
    今思うと、
    私たちは友達だけで育ったわけではない。
    その親たちにも育てられた。
    近所のおじさん。
    近所のおばさん。
    友達のお父さん。
    友達のお母さん。
    いろんな大人がいた。
    怒られたこともある。
    助けられたこともある。
    名前は知らなくても顔は知っていた。
    そんな人たちだ。
    子供の頃は考えもしなかった。
    その人たちが年を取ることを。
    いなくなることを。
    でも大人になると、
    そういう日が来る。
    同級生の親の訃報を聞く。
    昔なら遠い話だった。
    今は違う。
    知っている顔だからだ。
    遊びに行った家のお父さんかもしれない。
    部活の試合を見に来ていたお母さんかもしれない。
    直接話したことは少なくても、
    記憶の中にはいる。
    だから少し不思議な気持ちになる。
    友達の親なのに、
    どこか自分の思い出でもある。
    与野ではこういうことが起こる。
    友達の親を知っている。
    その親同士も知り合いだったりする。
    さらに祖父母まで繋がることもある。
    関係が長いのだ。
    だから誰か一人の話にならない。
    その家族の話になる。
    その時代の話になる。
    その街の話になる。
    私は昔、
    地元とは場所のことだと思っていた。
    上落合。
    与野。
    そういうものだと思っていた。
    でも違った。
    地元とは人だった。
    その人たちがいるから地元になる。
    その人たちがいなくなると、
    景色は同じでも少しだけ街が変わる。
    建物がなくなる時より、
    人がいなくなる時の方が大きい。
    私はそう思う。
    だから同級生の親の話になると、
    少しだけ静かになる。
    みんな同じことを考えているからだ。
    自分たちも子供ではなくなった。
    親の世代から、
    見送る側の世代へ近づいている。
    そんなことを感じる。
    でも不思議と寂しいだけではない。
    その人たちは今も会話の中にいる。
    思い出の中にいる。
    昔話の中にいる。
    与野が消えなかったように、
    人も簡単には消えない。
    少なくとも、
    覚えている人がいるうちは。

    第十六章
    建物は変わった。でも人は残った
    最近、昔の写真を見ている。
    すると面白いことに気づく。
    建物がない。
    いや、正確には今の建物がない。
    見慣れたマンションもない。
    公園も違う。
    店も違う。
    空き地ばかりだ。
    私の記憶の中の上落合は、
    今よりずっと広かった。
    もちろん本当に広かったわけではない。
    空き地が多かったのだ。
    だから広く感じた。
    あの頃あった店も、
    ほとんど残っていない。
    魚屋もない。
    床屋もない。
    クリーニング屋もない。
    グンジさんの駄菓子屋もない。
    アスモも昔の姿ではない。
    景色だけ見れば、
    別の街と言われても不思議ではない。
    それなのに、
    私は知らない街だと思わない。
    なぜだろう。
    考えてみると理由は簡単だった。
    人がいるからだ。
    同級生がいる。
    その親がいる。
    近所の人がいる。
    昔遊んだ仲間がいる。
    建物は変わった。
    でも話している相手は変わらない。
    だから街も変わっていないように感じる。
    不思議なものだ。
    普通は逆だと思う。
    建物が残る。
    人が入れ替わる。
    都会はそういう場所が多い。
    でも上落合は少し違う。
    建物が入れ替わる。
    人が残る。
    私はこの感覚を当たり前だと思っていた。
    でも大人になって気づいた。
    案外珍しいらしい。
    友達が近くに住んでいる。
    親も近くにいる。
    同級生の親も知っている。
    祖父母の代から知っている人もいる。
    そんな環境は、
    どこにでもあるわけではない。
    私は埼玉の良いところを聞かれても困る。
    観光地もよく知らない。
    名物もあまり思いつかない。
    でも一つだけ分かることがある。
    人が残る。
    それが埼玉の強さだと思う。
    少なくとも私の知る与野はそうだった。
    与野市は消滅した。
    アスモは北公園になった。
    店もなくなった。
    空き地も減った。
    それでも私は今も与野と言う。
    今もアスモと言う。
    今もグンジさんと言う。
    たぶん周りのみんなもそうだ。
    名前が残ったのではない。
    人が残ったのだ。
    だから言葉も残った。
    思い出も残った。
    街も残った。
    建物は変わった。
    でも人は残った。
    この街を一番短く表現するなら、
    たぶんその一言で十分なのだと思う。

    第三部
    埼玉県民はなぜ幸せそうなのか
    私は埼玉県民である。
    正確には与野の人間だと思っている。
    でも与野の話ばかりしていると、
    一つの疑問が残る。
    なぜ埼玉県民は幸せそうなのか。
    もちろん全員ではない。
    悩みもある。
    苦労もある。
    人生だから当たり前だ。
    それでも、
    不幸そうな人が少ない気がする。
    私はずっとその理由を考えてきた。
    第三部は、
    その答えを探す話である。

    第十七章
    東京は好きだが住みたくはない
    私は東京が嫌いではない。
    むしろ好きだ。
    よく行く。
    働く。
    遊ぶ。
    買い物もする。
    美術館もある。
    高層ビルもある。
    美味しい店もある。
    東京は面白い。
    だから東京を否定するつもりはない。
    若い頃、
    東京に憧れたこともあった。
    六本木ヒルズの展望台から見た景色には圧倒された。
    大手町の高層ビル街も格好良かった。
    都会には都会の魅力がある。
    それは間違いない。
    でも不思議なことに、
    帰りたくなる。
    東京から。
    埼玉へ。
    別に埼玉に絶景があるわけではない。
    有名な観光地があるわけでもない。
    世界に誇る何かがあるわけでもない。
    でも帰りたくなる。
    理由はよく分からない。
    たぶん落ち着くのだ。
    東京は刺激がある。
    埼玉は生活がある。
    そんな感じかもしれない。
    私の周りにも似たような人は多い。
    東京で働いている。
    東京で遊んでいる。
    でも住んでいるのは埼玉だ。
    そして不思議と満足している。
    東京はすごい。
    それは認める。
    でも埼玉も悪くない。
    埼玉県民の多くは、
    たぶんその辺で思考が止まる。
    東京に勝とうとは思わない。
    東京になろうとも思わない。
    必要な時に行く。
    終わったら帰る。
    その距離感が、
    案外ちょうどいいのである。

    第十八章
    池袋までは埼玉である
    これは埼玉県民の中でも意見が分かれると思う。
    でも私は言いたい。
    池袋までは埼玉である。
    もちろん地図上は東京だ。
    行政上も東京だ。
    誰が見ても東京だ。
    そんなことは分かっている。
    それでも池袋までは埼玉である。
    少なくとも感覚的には。
    なぜなら近すぎるからだ。
    大宮から池袋は三十分もかからない。
    上野も近い。
    新宿も近い。
    気づけば着いている。
    だから特別感がない。
    旅行でもない。
    遠出でもない。
    少し出かける。
    その程度だ。
    地方から来た人には驚かれる。
    東京へ行くのに、
    なぜそんなに普通なのかと。
    逆に私は思う。
    そんなに特別なことだろうかと。
    東京は遠い憧れではない。
    生活圏なのだ。
    だから埼玉県民は東京を過大評価しない。
    かといって過小評価もしない。
    普通に利用する。
    普通に帰る。
    それだけである。
    そして池袋を過ぎると、
    少し東京になる。
    新橋。
    銀座。
    六本木。
    大手町。
    この辺になると、
    さすがに東京感が出てくる。
    高層ビルも増える。
    人の流れも変わる。
    空気も変わる。
    でも池袋までは違う。
    あそこは埼玉県民の前線基地である。
    だから私は今でも思う。
    池袋は東京なのだろう。
    きっとそうなのだろう。
    でも埼玉県民の心の中では、
    たぶんまだ埼玉なのである。

    第十九章
    何でもある。でも何もない
    埼玉には何があるの?
    そう聞かれることがある。
    私はいつも少し困る。
    何でもあるからだ。
    でも何もないからだ。
    矛盾しているようだが本当である。
    大きなショッピングモールがある。
    映画館もある。
    サッカーもある。
    新幹線もある。
    高速道路もある。
    電車も便利だ。
    池袋も近い。
    新宿も近い。
    上野も近い。
    東京駅も近い。
    生活する上で困ることはほとんどない。
    だから何でもある。
    でも、
    埼玉と聞いて真っ先に思い浮かぶものは何だろう。
    それを考えると少し難しい。
    北海道なら自然。
    京都なら歴史。
    沖縄なら海。
    そういう分かりやすいものがある。
    埼玉はどうだろう。
    もちろん名所はある。
    名物もある。
    でも県民自身があまり語らない。
    なぜだろう。
    たぶん自慢する必要がないからだ。
    普通に暮らせるからだ。
    埼玉県民は、
    埼玉が最高だとはあまり言わない。
    でも引っ越したいともあまり言わない。
    この感覚が面白い。
    足りないわけではない。
    満ち足りているとも少し違う。
    ただ普通なのだ。
    そして私は思う。
    埼玉は人間に似ている。
    誰にでも自慢できる才能があるわけではない。
    世界一でもない。
    日本一でもない。
    でも普通に生きている。
    普通に笑う。
    普通に暮らす。
    普通に誰かを好きになる。
    埼玉も同じだ。
    何か一つで勝負する県ではない。
    いろんなものが少しずつある。
    だから目立たない。
    だから見落とされる。
    でも実際に住むと困らない。
    むしろ快適だったりする。
    昔はそれを欠点だと思っていた。
    今は少し違う。
    それは埼玉の強さなのかもしれない。

    第二十章
    東京は埼玉に支えられている
    もし都民に一つだけ言えるなら、
    私はこう言いたい。
    東京は埼玉に支えられている。
    もちろん冗談である。
    半分は。
    朝になる。
    埼玉県民が電車に乗る。
    東京へ向かう。
    仕事をする。
    学校へ行く。
    買い物をする。
    夜になる。
    また埼玉へ帰る。
    毎日そんなことを繰り返している。
    東京は巨大だ。
    日本の中心だ。
    世界でも有数の都市だと思う。
    それは間違いない。
    でもその東京で働いている人の中には、
    埼玉県民もたくさんいる。
    千葉県民もいる。
    神奈川県民もいる。
    東京だけで東京はできていない。
    当たり前の話だ。
    でも時々忘れられている気もする。
    埼玉県民はよくいじられる。
    何もない。
    ダサい。
    東京の隣。
    いろいろ言われる。
    別に慣れている。
    むしろ自分たちでも言う。
    だからあまり気にしていない。
    ただ一つだけ気になることがある。
    地方から出てきて、
    急に都民代表みたいな顔をする人だ。
    私は少し面白いと思う。
    いや、
    少しだけ腹が立つ。
    だって私だって引っ越せば都民なのだから。
    住所変更だけである。
    もちろん冗談だ。
    半分は。
    埼玉県民は東京に憧れる。
    でも執着はしない。
    東京を利用する。
    楽しむ。
    働く。
    そして帰る。
    その距離感がちょうどいい。
    だから東京に勝とうとも思わない。
    埼玉の方が上だとも思わない。
    ただ、
    埼玉も悪くないと思っている。
    私はそれが健全だと思う。
    東京は東京。
    埼玉は埼玉。
    比べるものではない。
    でも朝の通勤電車を見るたびに思う。
    今日もたくさんの埼玉県民が東京を動かしているなと。
    たぶん千葉県民も思っている。
    神奈川県民も思っている。
    だから結論はこうだ。
    東京は東京だけのものではない。
    みんなで動かしている。
    そして埼玉県民は今日も何事もなかったように東京へ行く。
    誰にも気づかれず。
    誰にも褒められず。
    でも少しだけ誇らしげに。
    そんな県民なのである。

    電信柱
    先日、娘と散歩をしていた。
    家を出てすぐの場所だった。
    私はふと立ち止まった。
    娘が不思議そうな顔でこちらを見る。
    「どうしたの?」
    私は一本の電信柱を指さした。
    「あれ、昔からあるんだよ」
    娘は電信柱を見上げた。
    どこにでもある普通の電信柱だった。
    もちろん娘にとっては特別でも何でもない。
    毎日見ている景色の一部だ。
    「ふーん」
    返事はそれだけだった。
    私は思わず笑った。
    そういうものだと思う。
    私にとっては特別でも、娘にとっては当たり前なのだ。
    子供の頃の写真がある。
    黄色い上着を着た私が写っている。
    背景には道があり、家があり、そしてその電信柱がある。
    あの頃から何十年も経った。
    魚屋の親父はいなくなった。
    床屋のおばちゃんもいなくなった。
    グンジさんの店もなくなった。
    アスモも変わった。
    与野市も消滅した。
    でも電信柱は残っていた。
    もちろん電信柱が偉いわけではない。
    ただ、そこに立ち続けていただけだ。
    それでも私は少し嬉しかった。
    変わったものを数えるより、
    変わらなかったものを見つける方が好きだからだ。
    娘はもう電信柱のことなど忘れているだろう。
    でもそれでいい。
    私だって子供の頃はそうだった。
    大人が大切にしているものの意味なんて分からなかった。
    いつか娘が大人になった時、
    ふと思い出すことがあるかもしれない。
    父が散歩の途中で立ち止まったこと。
    一本の電信柱を見上げていたこと。
    そして、その時に気づくのかもしれない。
    人は場所を受け継ぐのではない。
    記憶を受け継ぐのだと。
    私は三代目である。
    そして娘は四代目だ。
    物語は、まだ続いている。

    第二十一章
    埼玉県民はなぜ幸せそうなのか
    この本を書きながら、
    ずっと考えていたことがある。
    埼玉県民はなぜ幸せそうなのか。
    もちろん全員ではない。
    人生だからいろいろある。
    悩みもある。
    失敗もある。
    苦労もある。
    それは埼玉県民も同じだ。
    だから本当に幸せなのかと聞かれると分からない。
    でも私は思う。
    不幸そうな人が少ない。
    少なくとも私の周りはそうだ。
    なぜだろう。
    東京が近いからだろうか。
    交通が便利だからだろうか。
    災害が少ないからだろうか。
    住みやすいからだろうか。
    どれも理由の一つだと思う。
    でも、それだけではない気がする。
    私はこの本の中で、
    たくさんの人を思い出した。
    カントク。
    グンジさん。
    魚屋の親父。
    床屋のおばちゃん。
    同級生。
    その親たち。
    みんな特別な人ではなかった。
    有名人でもない。
    お金持ちでもない。
    歴史に残る人でもない。
    普通の人たちだ。
    そして埼玉もそうだ。
    普通である。
    特別ではない。
    日本一ではない。
    世界一でもない。
    でも普通に暮らせる。
    普通に働ける。
    普通に遊べる。
    普通に歳を取れる。
    私は昔、
    それを退屈だと思っていた。
    もっと何かあると思っていた。
    もっと特別な場所があると思っていた。
    でも四十年以上生きてきて思う。
    普通は案外難しい。
    普通に学校へ行く。
    普通に働く。
    普通に家へ帰る。
    普通に家族がいる。
    普通に仲間がいる。
    普通に笑う。
    本当はそれだけで十分すごい。
    埼玉県民は、
    そのことを何となく知っている気がする。
    だから無理をしない。
    背伸びもしない。
    東京になろうともしない。
    誰かに勝とうともしない。
    自慢もしない。
    ただ暮らしている。
    そして気づけば、
    それなりに幸せそうに見える。
    私は思う。
    埼玉県民が幸せなのではない。
    幸せの基準が少し違うのだ。
    すごいことではなく、
    続いていること。
    特別なことではなく、
    当たり前のこと。
    失わなかったもの。
    残っているもの。
    そこに価値を感じている。
    だから埼玉県民は幸せそうに見える。
    いや、
    もしかすると本当に幸せなのかもしれない。
    少なくとも私は、
    そう悪くない人生だと思っている。
    そして埼玉も、
    そう悪くない県だと思っている。
    たぶんそれが答えなのだ。

    エピローグ
    四代目
    私は三代目である。
    そして娘は四代目だ。
    この言葉を昔は何とも思わなかった。
    当たり前だったからだ。
    でも今は少し違う。
    考えてみると不思議である。
    私が子供の頃に走り回っていた場所を、
    娘も歩いている。
    私が見ていた景色を、
    娘も見ている。
    私が通った道を、
    娘も通っている。
    もちろん同じではない。
    アスモは変わった。
    グンジさんの店はなくなった。
    魚屋も床屋もない。
    与野市もなくなった。
    私の子供時代そのままの街ではない。
    でも街は続いている。
    人も続いている。
    だから娘は今もここで育っている。
    私は昔、
    この街のことを特別だと思ったことはなかった。
    だって地元だからだ。
    当たり前すぎて見えなかった。
    でもこの本を書いて気づいた。
    特別だったのは街ではない。
    人だった。
    残った人たちだった。
    繋いだ人たちだった。
    私の祖父母がいた。
    父と母がいた。
    近所の人たちがいた。
    同級生がいた。
    カントクがいた。
    グンジさんがいた。
    たくさんの人がいた。
    その人たちがいたから、
    私はここまで来られた。
    そして今度は娘の番なのだと思う。
    娘が将来どうなるかは分からない。
    与野に住み続けるかもしれない。
    どこか遠くへ行くかもしれない。
    それは娘が決めることだ。
    でも一つだけ確かなことがある。
    娘には帰ってこられる場所がある。
    それは建物ではない。
    住所でもない。
    人だ。
    思い出だ。
    私はこの本の中で、
    何度も昔の話を書いた。
    でも本当に書きたかったのは過去ではない。
    未来だったのかもしれない。
    娘が大人になった時、
    ふと思い出すような何か。
    それが残れば十分だ。
    そして何十年後かに、
    娘が誰かにこう言うかもしれない。
    「そうなんだけどね。
    与野なんだよ。」
    もしそう言ったら、
    私は少し嬉しい。
    たぶん祖父母も嬉しい。
    きっと父と母も嬉しい。
    それだけで十分だ。
    埼玉県民はなぜ幸せそうなのか。
    最後まで答えは分からなかった。
    でも一つだけ分かったことがある。
    幸せというのは、
    特別なものではない。
    誰かから受け取ったものを、
    次の誰かへ渡せることなのかもしれない。
    私は三代目である。
    そして娘は四代目だ。
    物語はまだ続いている。


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    #創作大賞2026

     
     
    別業種で現場のカイゼン・業務改善に携わり、現在は都内ラグジュアリーホテルの勤務。元ソーシャルフットボール日本代表。 Management、AI、投資、仕事や日常の「なんか変だ」を、構造から考え、言葉にします。 正解を語るより、当たり前を疑い、組み直す。 違和感を、再設計へ。

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