記録的大雨の夜
「ナムトゥワムマイ?(洪水してない?)」
いつも返信が遅くてイライラしている相手から、半日遅れで全く関係のないメッセージが届いた。
私は嬉しい気持ちと内容への不安が一瞬にしてふあっと立ち上がるのを感じながら、目の前の友達との会話に集中できなくなり早口で切り上げてしまう。洪水、そいえいば今日は朝から大雨で、スマホで天気をチェックした時は大雨洪水警報も出ていたけど、まさか本当に?今日は大雨の合間を縫って友達のライブを聴きに中心地まで足を運んでいたけど、確かに会う人誰もが「雨がひどいね」と言い合うくらいに今日の雨は一向に止む気配なく、おかしかった。
次の瞬間には返信も、友達への挨拶もよそに足早にクラブを後にしていた。私には絶対に乗らなくてはいけない明日朝の飛行機がある。早めにホテルへ帰って状況を確認しなくては。行けるところまで電車で帰って、途中からタクシーに乗ろう。渋滞のひどいバンコクでは、というかスクンビット界隈では、必ず電車移動するようにしている。安いし渋滞を考えるとなんだかんだ一番効率的だ。
夜10時、BTSモーチット駅でモノレールを降り、配車アプリでノンタブリーのホテルまでタクシーを手配する。その間もどんどんどんどん降り続く雨、全てが水浸し状態、目の前に滝が流れてるみたいだ。なんだかやばいことになりそうな予感がして来た。タクシー待ちしていたバス停には、帰宅を急ぐ老若男女たちが身を乗り出し遠くを見つめて電光掲示板に自分の行き先が示されたバスを今か今かと待ち続けている。私は申し訳ない気持ちで一人、Grabタクシーに乗り込み一息ついた。
ある交差点を境に一気に雲行きが怪しくなり、隣車線を走る車の水飛沫がダイナミックにガラス窓を叩きつけ始めた。広い四車線道路全体が深さ10cmほどの茶色い水に覆われている。
運転手は「ナムトゥワム(洪水だ)」とため息混じりにつぶやき、ハンドルを握る手に力を込めたのが分かった。アクセルを強く踏み、早く目的地に着きたそうだ。時より押し寄せる波をアトラクションのように超え、私は思わず悲鳴を上げながらカメラを向ける余裕もなくただ運転手の後ろ姿を見守っていた。
幸いホテルのあるソイ(小道)に洪水はなく、心配していた近くを流れる用水路のような細い川も奇跡的に冠水していなかった。
住みなれた部屋に戻れた時、とにかく足を洗いたかった。服を脱ぎ捨て、首の後ろに熱いシャワーをあてながら、またすぐに空港へ出かけなくてはいけないこと、日本に帰るということ、それに近づいていっていることをただ、認めていた。
「洪水、してなかったよ。」何かの期待をかけて、そうとだけ返信した。確かにホテルの周りは洪水していなかった。途中で冠水している場所があったけど。
あの人とはいつも噛み合わない。ていうかあの人と噛み合う人なんているんだろうか、腹を立てながら黙々と荷物をまとめた。
でも冷静になって考える、こんな記録的な大雨の夜、これでいいのだ。
どこまでも雨でびしょ濡れな世界に一人取り残されないよう、そのスーツケースの取手を強く強く握りしめていた。
