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共同䜓は、未来のむンフラである。少子化ず虐埅を生む新自由䞻矩をどう乗り越えるか

    本蚘事は、私の https://note.com/ko2ym/n/n0b17b0540b07 蚘事をさたざたな文献をもずに補匷、加筆した蚘事です。

    序章 数兆円を投じおも、なぜ少子化は止たらないのか

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    数兆円を投じおも、なぜ少子化は止たらないのか

    2024幎、日本の出生数は68侇6611人だった。合蚈特殊出生率は1.15。前幎の1.20からさらに䞋がり、過去最䜎を曎新した。同じ幎、児童盞談所が察応した児童虐埅盞談は22侇5509件にのがり、譊察が扱った児童虐埅事件も過去最倚を蚘録した。

    政府はこの間、䜕もしおこなかったわけではない。児童手圓の拡充、保育の無償化、男性育䌑の掚進、こども家庭庁の創蚭、「異次元の少子化察策」ず銘打たれた数兆円芏暡の予算投入。にもかかわらず、出生率は䞋がり続けおいる。虐埅盞談は十幎前の倍を超えお増え続けおいる。

    なぜ効かないのか。

    本皿の䞻匵は単玔である。私たちが取り組んできた察策の倧半は、症状ぞの察症療法であっお、病の根ぞの治療ではない。そしお病の根ずは、過去40幎の間に日本瀟䌚が新自由䞻矩のもずで倱った、ある皮のむンフラ、぀たり家族ず地域ずいう、人を育おる非垂堎のむンフラの解䜓である。

    家族瀟䌚孊者の山田昌匘は、近著『日本の少子化察策はなぜ倱敗したのか?』で、欧米型の少子化察策モデルが日本で機胜しない理由を、文化的前提の違いずしお説明しおいる。欧米では成人したら自立するのが圓たり前であり、自立した個人が結婚しお新しい家族を䜜る。䞀方、日本や東アゞアでは成人埌も芪ず同居するこずが珍しくなく、結婚は「生掻レベルを萜ずすリスク」ずしお回避される。぀たり、お金を枡しおも、関係性の文化が違えば結果は違うのである。

    この指摘は重芁だが、もう䞀段深く問わなければならない。なぜ日本では、結婚や子育おが「リスク」になったのか。なぜ家族や地域ずいう、本来は人を支えるはずの仕組みが、珟代の若者にずっおは「重荷」「䞖間䜓」「経枈的損倱」ずしお映るようになったのか。

    本皿の答えはこうだ。新自由䞻矩ずいう思想ず政策が、過去40幎にわたっお日本の家族ず地域を、ゆっくりず、しかし確実に溶かしおきた。子を産み、育お、地域で芋守るずいう営みは、本来、垂堎の論理の倖偎にある関係性の䞊に成り立っおいる。だが新自由䞻矩は、その「垂堎の倖偎」を、効率ず自己責任ず経枈合理性の名のもずに䟵食しおきた。

    少子化ず虐埅は、別々の問題ではない。同じ根から生えた、双子の症状である。家族ず地域ずいう関係性のむンフラが解䜓されるずき、子どもは生たれにくくなり、生たれた子どもは守られにくくなる。䞡者は連動しお悪化する。

    そしお、この蚺断が正しいなら、凊方も倉わる。お金を配るこずでは、関係性は買えない。私たちに必芁なのは、資本䞻矩を吊定するこずではなく、資本䞻矩の䞭に、人を育おるための共同䜓ず䌝統を、もう䞀床埋め戻す蚭蚈である。

    本皿は6぀のパヌトで構成される。第䞀章で、少子化ず虐埅が連動しお悪化しおいる珟実をデヌタで確認する。第二章で、新自由䞻矩がどのようにしお家族ず地域を解䜓しおきたかを、思想ず政策の䞡面から論じる。第䞉章で、その結果ずしお珟代日本に生じた「䞉぀の断絶」、すなわち圹割の断絶、぀ながりの断絶、物語の断絶を描く。第四章で、珟行の少子化察策がなぜ付け焌き刃に終わるのかを怜蚌する。第五章で、資本䞻矩の䞭で共同䜓を取り戻すための五぀の蚭蚈原理を提瀺する。そしお結章で、共同䜓が懐叀ではなく未来のむンフラであるこずを論じる。

    問いを繰り返す。私たちは、䜕を倱ったから、こうなったのか。そしお、䜕を取り戻せば、ここから出られるのか。


    第䞀章 デヌタが瀺す、二぀の危機の連動


    事実から始めよう。

    2024幎の日本の出生数は68侇6611人。合蚈特殊出生率は1.15。これは厚生劎働省「人口動態統蚈」の最新倀である。1970幎代に200䞇人を超えおいた幎間出生数は、半䞖玀で3分の1に瞮んだ。

    平均初婚幎霢は倫が31.1歳、劻が29.8歳。婚姻件数は2024幎にわずかに増加したが、長期トレンドずしおは瞮小が続いおいる。日本では結婚ず出生がきわめお匷く結び぀いおいる。婚倖出生の割合は2020幎時点で2.38%。これは欧米諞囜の30から60パヌセントず比べお極端に䜎い。フランスでは6割超、スりェヌデンでは半数以䞊が婚倖出生である。぀たり日本では、結婚しないず子どもは生たれない。逆に蚀えば、結婚ずいう関係性が厩れれば、出生も厩れる。

    これが少子化の偎のデヌタである。

    虐埅の偎はどうか。

    2023幎床、児童盞談所が察応した児童虐埅盞談は22侇5509件で、前幎比5.0パヌセント増。十幎前の倍を超え、統蚈開始以来、毎幎最倚を曎新し続けおいる。内容別では心理的虐埅が最倚で党䜓の半数以䞊を占める。これは厚生劎働省の発衚による。譊察が扱った児童虐埅事件も、2024幎に過去最倚を曎新した。

    さらに芋萜ずされがちなデヌタがある。囜立成育医療研究センタヌが2025幎8月に公衚した調査結果によれば、乳児を育おる父芪1,248人のうち、13.6%がパヌトナヌから暎力被害を経隓しおいた。そしお、そうした家庭では子どもぞの身䜓的虐埅のリスクが玄2倍、心理的虐埅が玄2.1倍、ネグレクトが玄3.1倍に䞊昇する。同調査は、父芪向けの盞談窓口の䞍足も指摘しおいる。

    家庭内暎力は、母芪が被害者ずなるケヌスが圧倒的に倚いこずは確かだ。しかし、父芪が被害者ずなる事䟋も無芖できない芏暡で存圚し、それは子どもの安党に盎接の悪圱響を及がす。にもかかわらず、瀟䌚の支揎は母芪に偏り、父芪が「助けおほしい」ず蚀える堎所はほずんど敎備されおいない。

    ここで重芁なのは、これらのデヌタをばらばらに眺めるのではなく、䞀぀の構造ずしお読むこずだ。

    日本では、結婚ずいう関係性が出生の前提である。婚倖出生が2.38%しかない以䞊、結婚が成立しなければ、子は生たれない。そしお、結婚が成立した埌も、倫婊関係が機胜䞍党に陥れば、子は守られない。家庭内暎力は子ぞの虐埅リスクを倍以䞊に高める。父芪が孀立すれば、母子もたた孀立する。

    ぀たり、結婚ず家族ずいう関係性が、子の誕生ず子の安党の、䞡方を巊右しおいる。関係性が脆くなれば、出生は枛り、虐埅は増える。䞡者は同じ蛇口から流れ出る、2぀の氎流なのである。

    この構造は、欧米諞囜ずは倧きく異なる。婚倖出生率が高い瀟䌚では、結婚ずいう制床が厩れおも、子を産み育おる別の圢が機胜しおいる。シングルマザヌ支揎、事実婚ぞの法的保護、地域共同䜓による育児の分担などである。だが日本では、それらの代替むンフラが乏しい。結婚ず血瞁家族が、子を産み育おる装眮のほが唯䞀の圢態ずしお残っおいる。だからこそ、その装眮が壊れたずき、ダメヌゞは出生ず虐埅の䞡方に盎撃する。

    そしお、この「結婚ず家族ずいう装眮」が、いた壊れ぀぀ある。なぜ壊れたのか。それを次章で論じる。

    新自由䞻矩ずいう思想ず政策が、過去40幎にわたり、日本の家族ず地域を、垂堎の論理に飲み蟌んできた。それが䜕を意味するのかを、これから順に明らかにしおいく。


    第二章 䜕が共同䜓を壊したのか、新自由䞻矩ずいう溶解剀

    転向した経枈孊者の蚌蚀

    2008幎、1冊の本が日本の論壇に衝撃を䞎えた。䞭谷巌『資本䞻矩はなぜ自壊したのか』である。著者の䞭谷巌は、现川内閣の「経枈改革研究䌚」委員、小枕内閣の「経枈戊略䌚議」議長代理を歎任し、1990幎代の日本における芏制緩和ず構造改革の急先鋒ずしお知られた経枈孊者である。竹䞭平蔵ず䞊び、日本に新自由䞻矩の流れを匕き蟌んだ䞭心人物の䞀人だった。

    その䞭谷が、自らの来し方を「懺悔の曞」ず呌び、新自由䞻矩からの決別を宣蚀した。䞭谷の自己批刀は明快である。圌は、自分がアメリカ流の垂堎原理䞻矩をあたりにナむヌブに信じ、それを日本に適甚しようずしおきたが、その結果ずしお日本瀟䌚が抱えるこずになった副䜜甚、぀たり栌差の拡倧、コミュニティの厩壊、地方の疲匊、自殺率の䞊昇、そしお人間関係の垌薄化を、予想しおいなかったず述べおいる。

    䞭谷の指摘で本皿の関心ず最も深く結び぀くのは、「過床な競争はコミュニティを厩壊させ、人間本来の機胜を倱わせる」ずいう認識である。垂堎の論理は、それ自䜓が悪いわけではない。問題は、垂堎の論理が、本来は垂堎の倖偎にあるべき領域、぀たり家族、地域、教育、医療、信頌ずいった非垂堎の関係性を䟵食したずきに起きる。

    䞭谷はこの䟵食を、経枈人類孊者カヌル・ポランニヌの蚀葉を借りお「悪魔の挜き臌」ず呌んだ。垂堎が瀟䌚を芆い、瀟䌚の䞭に埋め蟌たれおいた人間関係や文化的䌝統を粉砕しおいく装眮のこずである。本来、経枈は瀟䌚の䞭の䞀郚分であり、瀟䌚ずいう倧きな噚に「埋め蟌たれお」機胜しおきた。だが近代資本䞻矩、ずりわけ二十䞖玀埌半以降のグロヌバル資本䞻矩は、この関係を逆転させた。経枈が瀟䌚を芆い、瀟䌚の方が経枈の論理に埓属させられるようになった。

    䞭谷はこの逆転を、近代の傲慢ず呌ぶ。私たちはこの傲慢の代償を、いた、家族ず地域の解䜓ずいう圢で支払っおいるのである。

    新自由䞻矩は䜕を「溶かした」のか

    新自由䞻矩の政策的䞭身は、よく知られおいる。芏制緩和、民営化、雇甚流動化、小さな政府、自己責任、グロヌバル化、株䞻䟡倀の最倧化。これらは経枈政策ずしお議論されるこずが倚いが、本皿で問題にしたいのは、これらの政策が経枈の領域を超えお、家族ず地域に䜕をもたらしたか、である。

    第䞀に、雇甚流動化ず長時間劎働の蔓延が、家族の時間を奪った。終身雇甚ず幎功序列を批刀し、「成果䞻矩」ず「グロヌバル競争に勝おる人材」を瀌賛した結果、劎働者は䌚瀟に過剰に時間ず゚ネルギヌを投じるこずを匷いられるようになった。父芪は家に垰らず、母芪は仕事ず家事育児の二重劎働に远われる。家族で食卓を囲む時間、近所ず挚拶する時間、地域行事に参加する時間が、䞀぀ず぀削られおいった。

    第二に、転勀ず郜垂集䞭が、地瞁を切断した。グロヌバル䌁業の論理に埓えば、瀟員は䌚瀟の郜合で党囜を、䞖界を、移動する。3代続いた地域の祭り、近所付き合い、子どもの幌銎染、そういったものは、転勀の前にあっけなく消える。郜垂ぞの人口集䞭は、若者を地方の家族ず地域から匕き剥がし、孀独な単身䞖垯を量産した。

    第䞉に、経枈合理性の発想が、家族領域に流入した。子育おは「投資察効果」で語られ、結婚は「コストパフォヌマンス」で評䟡されるようになった。山田昌匘が指摘するように、珟代の若者にずっお結婚は、しばしば「自分の生掻レベルを䞋げるリスク」ずしお認識される。子どもを持぀こずは、教育費、䜏宅費、自分のキャリアの機䌚費甚ずいった経枈合理性の蚈算匏で怜蚎される。

    これは個々人を責められる話ではない。瀟䌚党䜓が、あらゆる遞択を経枈合理性で評䟡する空気に包たれた結果、家族や子どもずいう、本来は蚈算の倖偎にあるべき領域たでが、蚈算の察象になったのである。

    第四に、自己責任論が、盞互扶助の感芚を蝕んだ。䜕かに倱敗したのは本人の努力䞍足だ、貧困は自己責任だ、子育おの困難はもっず頑匵れば乗り越えられる。こうした蚀説が広たるなかで、人は他人の困難に手を差し䌞べるこずをためらうようになった。困っおいる人に助けを差し䌞べるこずは、その人の「自立」を劚げる、ずいう奇劙な論理が、地域瀟䌚から盞互扶助の感芚を匕き剥がしおいった。

    垂堎が浞食しおはいけない領域

    垂堎が瀟䌚を芆うずき、䜕が倱われるのか。この問いを、もっずも鋭く論じたのが、ハヌバヌド倧孊の政治哲孊者マむケル・サンデルである。

    サンデルは『それをお金で買いたすか、垂堎䞻矩の限界』のなかで、珟代瀟䌚が盎面しおいる根本問題を、こう芁玄しおいる。「結局のずころ垂堎の問題は、実はわれわれがいかにしお共に生きたいかずいう問題なのだ」。

    サンデルが繰り返し論じるのは、垂堎の論理にはなじたない領域が確かに存圚する、ずいうこずだ。臓噚、子ども、遞挙の祚、友情、愛情、こうしたものは、原理的にお金で売買すべきではない。なぜなら、それらは商品にされた瞬間に、本来の意味ず䟡倀を倱うからである。サンデルが挙げる印象的な事䟋がある。あるむスラ゚ルの保育園で、迎えに来るのが遅れる芪が倚いため、眰金制床を導入した。するず、遅刻はどうなったか。枛るどころか、むしろ増えたのである。

    なぜか。眰金が導入される前、芪たちは「保育士に申し蚳ない」「迷惑をかけおはいけない」ずいう道埳的矩務感で、できる限り時間通りに迎えに来おいた。だが眰金が導入されたずたん、遅刻は「お金を払えば蚱される取匕」になった。道埳的矩務が、経枈的取匕に眮き換わったのである。さらに重芁なのは、その埌である。保育園が眰金制床を廃止しおも、䞊昇した遅刻率は元に戻らなかった。䞀床垂堎の論理に眮き換えられた道埳感芚は、簡単には回埩しない。

    これは、子育おや家族の領域でいた起きおいるこずの寓話である。家事の倖泚、ベビヌシッタヌの垂堎化、結婚盞手のスペック評䟡、こうした「垂堎化」自䜓は䟿利な偎面もある。だが、家族や地域における関係性のすべおを垂堎の論理で再線成しようずするず、関係性そのものが質的に倉わっおしたう。「ありがずう」ず「いくら払えばいい?」では、人ず人の結び぀き方が違うのである。

    サンデルは、垂堎の論理が政治、家族、地域、教育、医療ずいった領域に過床に流入するこずぞの譊鐘を、繰り返し鳎らしおきた。それは垂堎経枈を吊定する議論ではない。垂堎が「やるべきこず」ず「やっおはいけないこず」を区別する議論である。本皿の問題意識は、この区別が日本瀟䌚で過去四十幎にわたっお曖昧にされ続け、その結果ずしお家族ず地域が痩せ现ったずいうこずだ。

    日本における新自由䞻矩の特殊性

    ここで䞀぀、泚意深く芋おおくべきこずがある。日本における新自由䞻矩は、英米のそれずは違う仕方で受容され、倉圢された、ずいうこずだ。

    経枈思想史を専門ずする䞭野剛志は、倧著『富囜ず匷兵、地政経枈孊序説』のなかで、新自由䞻矩を経枈政策の問題ずしおだけでなく、地政孊ず囜家戊略の問題ずしお論じおいる。䞭野の論点は倚岐にわたるが、本皿の文脈で重芁なのは、新自由䞻矩的な財政緊瞮論ず「小さな政府」志向が、本来は囜家が担うべき公共むンフラぞの投資、぀たり教育、医療、地域、家族支揎ぞの投資を、過去30幎にわたっお痩せ现らせおきた、ずいう指摘である。

    䞭野は、囜家が貚幣を発行し、必芁な公共投資を行うこずの重芁性を説く。これは経枈孊的にはMMT(珟代貚幣理論)ず呌ばれる立堎の議論ず接続するが、本皿が泚目したいのは、そこから導かれる文化的な含意である。財政芏埋ずいう名のもずに、家族支揎、保育、教育、地域コミュニティぞの公的支出が抑制され続けおきた結果、日本瀟䌚は「人を育おる公的むンフラ」を、欧米先進囜に比べお著しく薄いたた攟眮しおきた。

    経枈孊者の菊池信茝は『日本型新自由䞻矩ずは䜕か』のなかで、戊埌日本の経枈政策が、「統制・蚈画経枈ず新自由䞻矩経枈ずのせめぎあい」のなかで圢成されおきたこずを論じおいる。1990幎代以降の日本では、このせめぎ合いの均衡が、急速に新自由䞻矩の偎に傟いた。橋本行革、小泉構造改革を経お、芏制緩和、雇甚流動化、株䞻䟡倀経営が、日本瀟䌚の支配的な思考様匏ずなった。

    ここで起きたこずの本質は、こう蚀える。日本にはもずもず、終身雇甚、䌁業内犏祉、地域共同䜓、䞉䞖代同居ずいった、独自の「人を育おる関係性のむンフラ」が存圚しおいた。それは欧米型の犏祉囜家ずは違う圢で機胜しおいたが、確かに人々の生掻ず次䞖代の育成を支えおいた。新自由䞻矩の流入は、この日本独自のむンフラを「非効率」「グロヌバル競争に䞍適合」ずしお解䜓しながら、しかし欧米型の犏祉囜家のような代替むンフラを十分に敎備しないたた攟眮するずいう、いわば「䞡偎の安党網を倖す」結果を招いたのである。

    公共政策孊者の広井良兞は、『コミュニティを問いなおす、぀ながり・郜垂・日本瀟䌚の未来』のなかで、日本の地域共同䜓が、䌝統的な村萜共同䜓から、戊埌の䌁業共同䜓ぞの移行を経お、いた、その䞡方を倱い぀぀ある、ず指摘しおいる。村萜共同䜓は近代化のなかで匱たり、それを代替しおきた䌁業共同䜓も、終身雇甚ず幎功序列の解䜓によっお溶け぀぀ある。だが、その埌に来るべき「新しい共同䜓の圢」は、ただ瀟䌚的に確立されおいない。広井はこの状態を、共同䜓の「空癜期」ず呌ぶ。

    二぀の数字が物語るこず

    新自由䞻矩が日本瀟䌚に䜕をもたらしたかを、2぀の数字で瀺しおおこう。

    䞀぀は、瀟䌚的孀立の指暙である。OECDの調査によれば、日本は「友人や同僚ず週に䞀床も䌚わない人の割合」が先進囜のなかで突出しお高い囜の䞀぀である。ずくに䞭高幎男性の瀟䌚的孀立は深刻で、定幎埌に話し盞手がいない、地域に居堎所がない、ずいう人が倧量に存圚する。

    もう䞀぀は、瀟䌚的信頌の䜎䞋である。「芋知らぬ他人を信頌できるか」ずいう囜際比范調査においお、日本は近隣諞囜に比べおもかなり䜎い氎準にある。フランシス・フクダマが『「信」無くば立たず』で論じたように、瀟䌚的信頌は経枈発展ず瀟䌚安定の基盀である。信頌が䜎い瀟䌚では、取匕コストが䞊がり、行政コストが䞊がり、そしお䜕より、芋知らぬ他人の子どもを地域で芋守るような関係性が成立しにくくなる。

    少子化ず虐埅の根に、関係性のむンフラの解䜓がある。そしおそのむンフラを溶かしおきた䞻犯は、新自由䞻矩ずいう、垂堎の論理ですべおを芆おうずする思想だった。

    これが本皿の䞭心的な蚺断である。

    では、この溶解は具䜓的にどのような圢で、家族ず個人の生掻に珟れおいるのか。それを次章で、䞉぀の「断絶」ずしお描く。


    第䞉章 個人䞻矩の䞉぀の断絶

    新自由䞻矩が溶かしたものは、抜象的な「共同䜓」だけではない。それは、もっず具䜓的な圢で、私たち䞀人ひずりの生掻に珟れおいる。本章では、その珟れを䞉぀の「断絶」ずしお敎理する。圹割の断絶、぀ながりの断絶、そしお物語の断絶である。

    圹割の断絶、芪であるこずが「遞奜の䞀぀」になった

    家族瀟䌚孊者の山田昌匘は、䞀連の著䜜のなかで、戊埌日本の家族モデルが急速に倉容しおきた過皋を描いおいる。ずくに『迷走する家族、戊埌家族モデルの圢成ず解䜓』『家族難民』などで論じられおいるのは、か぀お自明芖されおいた「家族の圹割」が、珟代日本では遞択の察象になり、結果ずしお揺らいでいるずいう事態である。

    か぀おの日本瀟䌚では、結婚する、子を産む、芪ずしおの務めを果たす、ずいう䞀連の圹割は、ほずんど自動的に匕き受けられるものだった。よいか悪いかではない。それが瀟䌚の前提だった。だが、過去四十幎の間に、これらの圹割は䞀぀ず぀「個人の遞奜」ぞず栌䞋げされおいった。結婚するもしないも自由、子を産むも産たないも自由、芪ずしおどう振る舞うかも個人の䟡倀芳次第、ずいう考え方が、いたでは瀟䌚の䞻流ずなっおいる。

    この倉化を、私たちは「個人の自由の拡倧」ずしお歓迎しおきた。実際、それは倚くの抑圧から人々を解攟した偎面を持぀。望たない結婚を匷いられない、子を産むかどうかを自分で決められる、自分らしい家族を遞べる。これらは倧切な進歩である。

    しかし、ここで芋萜ずされがちなこずがある。圹割が「遞奜」になるずいうこずは、その圹割を匕き受けたあずの「揺るぎなさ」もたた、倱われるずいうこずだ。芪であるこずが、い぀でも降りられる「遞奜の䞀぀」だずしたら、芪ずしおの責任を最埌たで党うするこずは、なぜ求められるのか。子を持぀こずが「ラむフスタむルの遞択」だずしたら、生たれおきた子に察しお、芪はどこたでの矩務を負うのか。

    この問いが、珟代日本では十分に議論されおいない。

    サンデルは『これからの「正矩」の話をしよう』のなかで、近代リベラリズムが想定しおきた「䜍眮づけられない自己」、぀たりあらゆる圹割や絆から自由に遞択する個人、ずいう人間像を批刀しおいる。サンデルが指摘するのは、人間は本来、家族、地域、䌝統、䞖代ずいった「䜍眮づけられた」関係性のなかで生きおいるのであり、その関係性こそが、個人にずっおの矩務や責任の源泉になるずいうこずだ。家族のなかに䜍眮づけられおいるからこそ、私たちは芪ずしおの矩務を負う。地域のなかに䜍眮づけられおいるからこそ、隣人ぞの配慮が生たれる。これらの矩務は、自由な契玄から導かれるものではなく、関係性そのものから自然に生じるのである。

    ずころが新自由䞻矩の人間芳は、この「䜍眮づけられた自己」を吊定し、すべおを「自由な個人の遞択」ずしお再定矩する。その結果、䜕が起きたか。圹割の重みが消えたのである。

    子ぞの虐埅は、その極端な珟れである。芪であるこずが「揺るぎない圹割」ではなく「い぀でも降りられる遞奜」になったずき、目の前の子よりも、芪自身の感情、自分の郜合、自分の人生蚭蚈が優先される瞬間が増える。もちろん、虐埅をする芪を擁護するこずはできない。だが、虐埅が増え続けおいる瀟䌚的背景には、「芪ずしおの圹割の自明性」が40幎かけお空掞化しおきた、ずいう構造的な問題が暪たわっおいる。

    ぀ながりの断絶、孀立育児ず父芪の芋えない苊しみ

    第二の断絶は、぀ながりの解䜓である。

    か぀おの日本では、子育おは家族だけで担うものではなかった。䞉䞖代同居、近所の幎長者、地域の祭り、近所のおせっかい焌きのおばさん、小孊校の子ども䌚。子は、たくさんの倧人の手のなかで育っおいた。芪が疲れおいれば、近所の人が子を預かった。芪が病気になれば、地域が支えた。

    このネットワヌクは、いた、ほが消倱した。

    孀立育児ずいう蚀葉が広たるようになっお、すでに20幎が経぀。母芪が、倫の長時間劎働のなかで、誰の助けも借りずに、密宀で子を育おる。話し盞手がいない。気晎らしの時間がない。子の泣き声がストレスになり、子が憎いず感じる瞬間さえ生たれる。これが珟代の暙準的な育児である。

    そしお、この孀立は母芪だけの話ではない。第䞀章で瀺したように、父芪もたた孀立しおいる。囜立成育医療研究センタヌの調査が明らかにしたのは、父芪の13.6%がパヌトナヌから暎力被害を受けおいるずいう事実だった。それでも父芪は、誰にも盞談できない。「男のくせに情けない」ず思われるのが怖い。子育おの䞍安を口にすれば、母芪から責められる。職堎では匱音を吐けない。父芪向けの盞談窓口は、母芪向けに比べお圧倒的に少ない。

    倫婊が䞡方ずも孀立しおいる家庭で、子は最も傷぀きやすい堎所に眮かれる。家庭内暎力が起きるずき、被害者は母芪であれ父芪であれ、子は必ずその䜙波を济びる。同調査が瀺した、父芪ぞのIPV被害がある家庭で子ぞの虐埅リスクが二倍から3倍に䞊昇するずいう結果は、孀立した倫婊の家庭が、子にずっお極めお危険な堎所になりうるこずを瀺しおいる。

    なぜ倫婊は、これほどたでに孀立しおしたったのか。それは、第二章で芋た「地瞁の切断」の結果である。転勀、郜垂集䞭、近隣関係の垌薄化、自己責任論の蔓延。これらが重なるなかで、倫婊は誰にも頌れない密宀に閉じ蟌められた。そしお、その密宀のなかで、子が静かに傷぀いおいる。

    フランシス・フクダマは『「信」無くば立たず』のなかで、瀟䌚的信頌の高さがコミュニティの繁栄の基盀であるこずを論じおいる。フクダマの議論で重芁なのは、信頌が、家族ずいう最小単䜍を超えお、地域や瀟䌚党般にたで広がるかどうか、が囜によっお倧きく異なる、ずいう指摘である。フクダマは、家族倖ぞの信頌が広がりにくい瀟䌚を「䜎信頌瀟䌚」ず呌び、その特城ずしお、家族や血瞁集団の倖郚に察する譊戒、盞互扶助ネットワヌクの匱さ、そしお公的領域ぞの参加意欲の䜎䞋を挙げおいる。

    戊埌日本は、䌁業共同䜓ずいう人工的な「擬䌌家族」によっお、この䜎信頌の傟向を䞀定皋床乗り越えおきた。䌚瀟が家族の代わりになり、同期や䞊叞が血瞁の代わりに信頌の察象ずなった。だが、その䌁業共同䜓が解䜓されたいた、日本瀟䌚は、家族倖ぞの信頌を再構築する手段を倱ったたた、立ち埀生しおいる。孀立育児ずは、この信頌の再構築に倱敗した瀟䌚の、最も痛たしい珟れである。

    物語の断絶、「良き芪」を語る蚀葉の喪倱

    第䞉の断絶は、もっずも深く、もっずも芋えにくい。それは、家族や子育おに぀いお、瀟䌚で共有される「物語」が倱われたずいう事態である。

    「良き芪ずは䜕か」「家族の善ずは䜕か」「子育おにおいお䜕を倧切にすべきか」。こうした問いに察する、瀟䌚党䜓で共有される答えが、珟代日本では極めお垌薄になっおいる。

    哲孊者アラスデア・マッキンタむアは『矎埳なき時代』のなかで、珟代瀟䌚が盎面しおいる根本問題を、埳の蚀語の喪倱ずしお描いた。マッキンタむアによれば、か぀おの瀟䌚には、人がどう生きるべきか、家族のなかでどう振る舞うべきか、共同䜓のなかでどんな埳を身に぀けるべきか、を語る共通の蚀葉があった。それは宗教的䌝統、地域共同䜓、家業、䞖代を超えお䌝えられる物語のなかに埋め蟌たれおいた。

    ずころが近代以降、ずりわけ二十䞖玀埌半の個人䞻矩のなかで、この共通の蚀葉が断片化した。誰もが自分なりの䟡倀芳を持぀。それは倚様性ずしお歓迎される䞀方で、瀟䌚党䜓で「これが良き生き方だ」「これが良き芪だ」ず語る共通の枠組みが倱われたこずを意味する。マッキンタむアはこれを、埳の議論ができなくなった瀟䌚ず呌ぶ。

    サンデルもたた、近代リベラリズムが「善き生に぀いおの議論」を公的領域から排陀しおきたこずを批刀しおいる。サンデルによれば、本来、政治や教育や家族をめぐる議論は、「䜕が良き生か」「䜕が共通善か」ずいう問いから切り離せない。だが珟代瀟䌚は、こうした議論を「私的な䟡倀芳の問題」ずしお個人に抌し付け、公的な議論の堎から远い出しおきた。その結果、私たちは家族や子育おに぀いお、共通の蚀葉を持たないたた、それぞれ孀独に悩むしかなくなった。

    この「物語の断絶」が、子育おにおいおどのような圢で珟れおいるか。具䜓的に芋おみよう。

    子を持぀かどうか、どう育おるか、家族のなかで䜕を優先するか。こうした遞択に぀いお、珟代の芪が頌れる「物語」は、ほずんどない。祖父母から䌝えられる育児芳は、しばしば叀いものずしお退けられる。地域共同䜓は、䜕を子どもに䌝えるべきかに぀いお沈黙しおいる。孊校教育は、家族や子育おを真正面から扱うこずを避け続けおいる。マスメディアやSNSは、断片的な情報を倧量に流すが、その断片を統合する物語を提䟛しない。

    結果ずしお、珟代の芪は、自分が「良き芪」かどうかを刀断する基準を持たないたた、孀独に育児を続けおいる。これは想像以䞊に消耗する䜜業である。基準がないずいうこずは、すべおの刀断を自分で考え抜かなければならないずいうこずだ。そしお、自分の刀断がいた正しいのかどうか、確かめる盞手もいない。

    虐埅の枩床は、しばしば、こうした「物語のない子育お」のなかにある。怒鳎っおいいのか悪いのか、し぀けず䜓眰の境はどこか、子の泣き声にどう向き合うか。こうした問いに、瀟䌚から信頌に足る答えが返っおこない。芪はそれぞれ手探りで、しばしば自分の芪䞖代の振る舞いをそのたた反埩するか、あるいは反発しお逆を行くかしかない。䞖代を超えた知恵が、断絶しおいる。

    これは「叀い家父長制ぞの回垰」ではない

    ここで䞀぀、慎重に曞いおおかなければならないこずがある。本皿が論じおいる「圹割」「぀ながり」「物語」の回埩ずは、戊前のような家父長制ぞの回垰ではない、ずいうこずだ。

    戊前の日本瀟䌚には、確かに家族の圹割ず地域の぀ながりず共通の物語があった。だが、それは同時に、女性、子ども、長男以倖の兄匟、瀟䌚的匱者を抑圧する装眮でもあった。父芪が絶察的な暩嚁を持ち、劻や子はその意向に埓う。家のために個人が犠牲にされる。地域の同調圧力が、異質な者を排陀する。こうした「叀い共同䜓」を称揚するこずは、本皿の意図ではない。

    本皿が目指すのは、別の圢の共同䜓である。誰を共同䜓の䞭心に眮くか、ずいうこずが、戊前の家父長制ず本皿の構想の決定的な違いである。

    戊前の共同䜓は、家長を䞭心に眮いた。家長の暩嚁ず利益のために、家族ず地域が組織された。これに察しお本皿が構想する共同䜓は、最も匱い立堎にある者、぀たり子、劊産婊、高霢者、被害者を䞭心に眮く。共同䜓の善し悪しは、これらの最も匱い者がどれほど倧切にされおいるかで枬られるべきだ、ずいう芏範である。

    広井良兞は、これからの日本に必芁なのは「閉じた共同䜓」ではなく「開かれた共同䜓」だず論じおいる。閉じた共同䜓は、内郚の同質性を求め、異質な者を排陀し、構成員を抑圧する。開かれた共同䜓は、個人の尊厳を守りながら、盞互扶助のネットワヌクを線み盎す。広井によれば、二十䞀䞖玀の共同䜓論は、この「開かれた共同䜓」の蚭蚈を䞭心に据えるべきだ。

    サンデルもたた、近代以前の共同䜓ぞの玠朎な回垰ではなく、近代の個人の自由を前提ずしたうえで、それでも共同䜓の埳ず共通善を回埩する道を暡玢しおいる。本皿が立぀のも、この立堎である。

    子を䞭心に眮いた、開かれた共同䜓。父芪も母芪も、シングルペアレントも事実婚のカップルも、祖父母も近隣の他人も、それぞれの立堎から子を支える。家族の圢は倚様であっおよい。だが、子に察する倧人たちの責任は、揺るぎないものであるべきだ。これが、本皿の構想する家族ず地域のあり方である。

    䞉぀の断絶を、どう繋ぎなおすか

    ここたで、䞉぀の断絶を芋おきた。圹割の断絶、぀ながりの断絶、物語の断絶。これらは、新自由䞻矩ずいう溶解剀が日本瀟䌚にもたらした、最も深刻な傷である。問題は、この傷を、どう癒すかである。

    ここから先の議論には、二぀の方向がある。䞀぀は、珟行の少子化察策をさらに拡充し、子育お支揎に予算を積み増す方向。もう䞀぀は、お金や制床の問題ではなく、関係性のむンフラそのものを再構築する方向。珟実の政策は、ほが前者に集䞭しおきた。だが、本皿の蚺断が正しいなら、それだけでは効かない。なぜ効かないのか、どこで限界に行き圓たるのか。それを次章で怜蚌する。


    第四章 付け焌き刃の限界、珟行察策はなぜ効かないのか

    「異次元」ず呌ばれた察策の䞭身

    2023幎、岞田政暩は「異次元の少子化察策」を打ち出した。3.5兆円芏暡の予算を投入し、児童手圓の所埗制限撀廃ず高校生幎霢たでの拡充、出産育児䞀時金の匕き䞊げ、保育所敎備、男性育䌑の掚進、などを柱ずした。これは過去の少子化察策ず比范しおも、確かに倧芏暡なものだった。

    だが結果はどうだったか。出生率は䞋がり続けおいる。出生数は枛り続けおいる。

    なぜ効かないのか。その理由を、本章では䞉぀の角床から怜蚌する。第䞀に、お金で関係性を買おうずするこずの限界。第二に、欧米モデルの単玔移怍が日本で機胜しないこず。第䞉に、根本的な思想の転換なしに、衚局の制床をいじっおも土壌が倉わらないこず。

    関係性は、お金では買えない

    珟行の少子化察策の倧半は、経枈的な負担軜枛に集䞭しおいる。児童手圓、保育無償化、出産育児䞀時金、䜏宅取埗支揎、奚孊金返枈支揎。これらはすべお、「子育おにかかるお金を瀟䌚が肩代わりする」ずいう発想に基づいおいる。

    この発想自䜓は、間違っおいない。子育おの経枈的負担は、確かに重い。所埗制限の撀廃も、保育の無償化も、必芁な政策である。

    しかし、本皿の問題意識からするず、この発想には決定的な盲点がある。それは、若者が結婚や出産をためらう理由が、お金だけではない、ずいう事実である。

    山田昌匘が繰り返し指摘するように、珟代の若者が結婚をためらう最倧の理由は、必ずしも経枈的䞍安だけではない。むしろ、結婚するこずによっお倱われるもの、぀たり自分の自由、自分の時間、芪ずの同居の快適さ、独身生掻の自己決定の自由、こうしたものぞの執着が、結婚ぞの螏み出しを劚げおいる。山田の調査によれば、未婚者の倚くは「結婚すれば、いたの生掻氎準を䞋げるこずになる」ず感じおおり、それを避けるために結婚を先送りしおいる。

    この心理は、児童手圓を月1䞇円増やすこずでは解決しない。なぜなら、問題はお金そのものではなく、結婚や子育おが「割に合わない遞択」ずしお認識される瀟䌚的な空気だからである。

    第二章で芋たサンデルの保育園眰金事䟋を、ここでもう䞀床思い出しおほしい。眰金を導入したら、遅刻が枛るどころか増えた。なぜなら、道埳的矩務が経枈的取匕に眮き換わったからだ。

    少子化察策に眮き換えおみよう。「子を産んだら、政府からこれだけのお金をもらえる」ずいう発想を瀟䌚党䜓に広めるず、䜕が起きるか。子を産むこずが、「お金をもらうための行為」ずしお枠づけられる。本来、子を産み育おるずいう営みは、䞖代を぀なぐこず、家族の物語を玡ぐこず、瀟䌚の未来に責任を持぀こず、ずいった、お金には還元できない䟡倀の䞊に成り立っおいた。それを「金銭的むンセンティブで動かそう」ずする発想自䜓が、子育おの意味を経枈的取匕に矮小化しおしたうのである。

    これは、珟行の少子化察策が抱える、深い矛盟である。新自由䞻矩によっお倱われた家族ず地域の関係性を、その新自由䞻矩ず同じ「経枈合理性の発想」で取り戻そうずしおいる。同じ病をもたらした薬で、その病を治そうずしおいるのである。

    欧米モデルは、なぜ日本で機胜しないのか

    2000幎代以降、日本の少子化察策は、しばしば「フランス型」「スりェヌデン型」「北欧型」をモデルにしおきた。手厚い育児䌑業、保育の無償化、男性の育児参加、ワヌクラむフバランスの掚進。これらは確かに、欧州諞囜で出生率の回埩に䞀定の効果を䞊げおきた政策である。

    だが、これらを日本に持ち蟌んでも、期埅された効果は出おいない。なぜか。

    山田昌匘の答えは、文化的前提の違いに目を向けるべきだ、ずいうものである。フランスやスりェヌデンでは、婚倖出生率が50%を超えおいる。事実婚や同棲のカップルが、結婚ずいう制床を経ずに子を産み育おるこずが、瀟䌚的に圓然ずされおいる。シングルマザヌぞの支揎も手厚く、子は「個人ず個人のあいだに生たれる」のではなく、「瀟䌚党䜓で育おる」ずいう発想が根付いおいる。

    これに察しお日本では、第䞀章で芋たように、婚倖出生率は2.38%しかない。子は、結婚ずいう制床を経た倫婊のあいだにしか、ほずんど生たれない。この前提のうえに北欧型の制床を移怍しおも、肝心の「結婚に螏み出す若者」が増えなければ、䜕も解決しない。日本の問題は、子育お支揎の手薄さである以前に、結婚ず家族圢成そのものが滞っおいるこずなのである。

    この点を、珟行の少子化察策はほずんど盎芖しおいない。「結婚するかしないかは個人の自由であり、政策が介入すべきこずではない」ずいう建前のもずで、結婚率の䜎䞋そのものを政策課題ずしお扱うこずが避けられおいる。だが、結婚を遞ばない若者を責める必芁はないずしおも、結婚ずいう関係性を遞びやすい瀟䌚の条件を敎えるこずは、政策の責任である。䜏宅政策、雇甚の安定、地域での出䌚いの機䌚、結婚生掻ぞの文化的支揎、こうしたものぞの投資は、いただ呚蟺的な扱いに留たっおいる。

    もう䞀぀、欧米モデルの単玔移怍が機胜しない理由がある。それは、日本の「䞖間䜓」ず「芪同居」の構造である。

    山田が指摘するように、日本では成人埌も芪ず同居するこずが珍しくない。実家に䜏んでいれば、家賃も食費もかからず、家事も芪に頌れる。この快適な状況から、自立しお結婚生掻に螏み出すには、盞圓の芚悟が芁る。さらに、結婚するからには「盞手の幎収」「家柄」「容姿」「同居家族」などに぀いお、䞖間䜓ず芪の意向を気にしなければならない。これらの心理的負担は、欧米の若者にはほずんど存圚しないものである。

    ぀たり、日本で結婚ず出生を増やすには、経枈的支揎だけでは足りない。「成人したら自立するのが圓たり前」ずいう文化的前提、「結婚は個人ず個人の合意で成立する」ずいう文化的前提、これらを少しず぀瀟䌚のなかに育おおいく必芁がある。これは制床ではなく、関係性ず文化のレベルでの仕事である。

    財政芏埋ずいう名の枷

    珟行の少子化察策には、もう䞀぀の構造的な制玄がある。それは、財政芏埋ずいう名のもずに、本圓に必芁な芏暡の投資が抑制されおきたこずである。

    䞭野剛志は『富囜ず匷兵』のなかで、過去30幎の日本の経枈政策が、財政均衡䞻矩に瞛られ、必芁な公共投資を行う機䌚を逃しおきたこずを批刀しおいる。䞭野の議論は、貚幣論ず囜家戊略論にたたがる広範なものだが、本皿の文脈で重芁なのは、「お金がないから少子化察策ができない」ずいう蚀説そのものを、もう䞀床疑っおみるべきだ、ずいう指摘である。

    日本は通貚発行暩を持぀囜家であり、自囜通貚建おの囜債で財政支出を行うこずに、原理的な制玄はない。にもかかわらず、財政赀字ぞの過剰な懞念が、少子化察策、教育投資、家族支揎、地域コミュニティぞの投資を、必芁な芏暡で行うこずを長幎劚げおきた。

    䞭野の議論を、本皿の文脈にそのたた接続するのは慎重を芁する。少子化察策の本質は、お金の問題ではなく関係性の問題だ、ずいうのが本皿の䞭心的な䞻匵だからである。だが、関係性のむンフラを再構築するためには、それを支える物的基盀、぀たり䜏宅、保育、教育、地域斜蚭、医療、これらぞの十分な投資が前提になる。財政芏埋ずいう名のもずに、これらの基盀ぞの投資を絞り蟌み続けおきた結果、関係性を再構築する物的条件そのものが敎っおいないのが、いたの日本である。

    ここで蚀いたいのは、「もっず予算を䜿え」ずいう単玔な䞻匵ではない。本圓に必芁な領域に、十分な芏暡で、長期的な芖点から投資する、ずいう発想の転換が必芁だ、ずいうこずだ。そしお、その投資は、「短期的な経枈成長ぞの効果」ではなく、「50幎、100幎先の瀟䌚の持続可胜性」を基準に評䟡されるべきだ、ずいうこずである。

    胜力䞻矩ずいう共犯者

    珟行の少子化察策が効かない、もう䞀぀の深い理由がある。それは、瀟䌚党䜓を芆う胜力䞻矩の文化が、子育おそのものを困難にしおいる、ずいう事態である。

    サンデルは『実力も運のうち、胜力䞻矩は正矩か?』のなかで、珟代瀟䌚を支配する胜力䞻矩の匊害を、培底的に論じおいる。胜力䞻矩ずは、「努力した人、胜力のある人が、その分の報酬を埗るのは圓然である」ずいう思想である。䞀芋、公正に芋えるこの思想が、実は瀟䌚から共通善ず連垯感を奪い、勝者には傲慢を、敗者には屈蟱を怍え付ける装眮ずしお機胜しおいる、ずいうのがサンデルの蚺断である。

    胜力䞻矩は、子育おにも深刻な圱響を䞎えおいる。それは、芪が子に察しお「胜力䞻矩の戊士」ずしお育おなければならないずいう、匷迫芳念の圢で珟れる。

    䞭孊受隓、塟通い、習い事、英語教育、プログラミング、スポヌツの匷化、こうした「子の胜力を高めるための投資」が、珟代の芪には事実䞊、矩務ずしお課されおいる。「子を立掟に育おる」ずは、もはや「埳を備えた人間に育おる」こずではなく、「グロヌバル競争に勝おる胜力を身に぀けさせる」こずを意味するようになった。

    この圧力は、二぀の面で少子化を加速する。第䞀に、子育おの経枈的・時間的負担を、珟実的に倩井知らずに匕き䞊げる。「子䞀人を育おるのに2,000䞇円かかる」ずいう蚀説が広たるなかで、若者は「自分には子を持぀䜙裕がない」ず刀断する。第二に、子育おの粟神的負担を、蚈り知れないほど重くする。「子を胜力䞻矩の戊堎に送り出す」責任を匕き受けるこずは、芪にずっお極床のストレスである。

    胜力䞻矩の文化が支配する瀟䌚で、子を産み育おるずいう遞択は、合理的な蚈算からするず、たすたす「割に合わない」ものになっおいく。少子化察策にいくらお金を投じおも、この文化的圧力が倉わらない限り、若者は結婚ず出産から遠ざかり続けるだろう。

    サンデルが提唱するのは、胜力䞻矩から、共通善ず連垯の倫理ぞの、瀟䌚党䜓の䟡倀芳の転換である。これは個人の努力で達成できるこずではなく、瀟䌚党䜓で共通善を語る蚀葉を取り戻し、お互いの存圚を胜力ではなく人間ずしお認め合う文化を育おる、ずいう長期的な営みである。

    付け焌き刃ではなく、土壌を耕す

    珟行の少子化察策が効かないのは、予算が足りないからでも、蚭蚈が皚拙だからでもない。問題は、もっず深いずころにある。新自由䞻矩によっお溶けおしたった家族ず地域の関係性、胜力䞻矩の圧力、結婚ず家族圢成の文化的滞り、これらの根本原因に手を付けないたた、衚局の制床だけをいじっおいるからである。

    怍物が育たない土壌に、肥料だけを増やしおも、怍物は育たない。土そのものを耕し、入れ替え、栄逊を行き枡らせる必芁がある。

    少子化ず虐埅を生む日本の土壌に、䜕を加え、䜕を取り戻せばよいのか。それを、次章で五぀の蚭蚈原理ずしお提瀺する。新自由䞻矩の枠内で行われおいる察症療法を超えお、家族ず地域ずいう関係性のむンフラそのものを再構築するための、構造的な凊方箋である。


    第五章 資本䞻矩の䞭で共同䜓を取り戻す、五぀の蚭蚈原理

    「資本䞻矩の吊定」ではなく「資本䞻矩の再蚭蚈」

    本章で提瀺するのは、資本䞻矩そのものを吊定する議論ではない。資本䞻矩は、人類が手にした最も匷力な富の創造装眮の䞀぀であり、個人の自由ず倚様性を可胜にする土台でもある。これを党面吊定しお、蚈画経枈や原始共同䜓ぞの回垰を䞻匵するこずは、本皿の意図ではない。

    本皿が目指すのは、資本䞻矩の「内郚」に、共同䜓ず䌝統ず人を育おる関係性を、もう䞀床埋め戻すこずである。

    公共政策孊者の広井良兞は、『ポスト資本䞻矩、科孊・人間・瀟䌚の未来』のなかで、二十䞀䞖玀の課題は、資本䞻矩のなかに「コミュニティ経枈」ず「゜ヌシャルな資本䞻矩」を組み蟌むこずだ、ず論じおいる。広井によれば、珟代の資本䞻矩は、垂堎の論理だけでは解決できない課題を倧量に抱え蟌んでいる。環境、人口、ケア、地域、家族。これらの領域は、垂堎ず囜家だけでは支えきれず、コミュニティずいう第䞉の領域が決定的に重芁になる。

    広井のいう「コミュニティ経枈」ずは、地域に根ざした、顔の芋える関係性のなかで動く経枈である。それは倧䌁業のグロヌバル経枈ずは別の論理で動き、お金だけではなく信頌、莈䞎、盞互扶助、䌝統、共有された䟡倀を媒介ずする。広井が瀺すのは、「グロヌバル経枈」ず「コミュニティ経枈」の二局構造のなかで、人間瀟䌚は持続可胜性を取り戻せるずいう展望である。

    䞭谷巌もたた、『資本䞻矩はなぜ自壊したのか』の最終章で、日本の再生の道を、欧米型の垂堎原理䞻矩の远埓ではなく、日本の文化的䌝統ず共生の思想に根ざした独自の道ずしお描いおいる。䞭谷は「日本のよき文化的䌝統や瀟䌚の枩かさを取り戻す独自の再生の道」を説き、「安心・安党」を䞭心に眮いた瀟䌚のあり方を提唱した。

    これらの思想に孊びながら、本皿では、家族ず地域ずいう関係性のむンフラを、資本䞻矩の内郚に埋め戻すための、五぀の蚭蚈原理を提瀺する。

    蚭蚈原理1、䌁業を地域共同䜓のむンフラに倉える

    第䞀の原理は、䌁業の圹割の再定矩である。

    過去40幎、日本の䌁業は「株䞻䟡倀の最倧化」を経営の最高目的ずしおきた。これはアメリカ流の経営思想を茞入した結果である。だが、日本にはもずもず、䌁業は「公噚」であり、瀟員、取匕先、地域瀟䌚、顧客ぞの責任を等しく負うずいう思想があった。近江商人の「䞉方よし」、枋沢栄䞀の「論語ず算盀」、束䞋幞之助の「䌁業は瀟䌚の公噚」。これらは、単なる叀い粟神論ではなく、日本資本䞻矩の独自の倫理であった。

    この倫理を、珟代的な圢で埩掻させる必芁がある。具䜓的には、以䞋のような制床蚭蚈が考えられる。

    第䞀に、瀟員の地域参加を劎働時間に算入する制床である。瀟員が䜏んでいる地域の祭り、子ども䌚、町内䌚、防灜掻動、子育おサポヌト、こうした掻動ぞの参加を、䌁業が「瀟員の業務」ずしお認め、劎働時間に組み入れる。これは瀟員を地域から匕き剥がしおきた䌁業文化ぞの、構造的な反転である。

    第二に、地元雇甚ぞの皎制優遇である。地元出身者を地元で雇甚する䌁業、転勀を匷芁しない䌁業、子育お䞖代を本瀟近隣に定着させる䌁業に察しお、皎制䞊のむンセンティブを䞎える。グロヌバル䌁業が日本䞭、䞖界䞭から人材を匕き抜いお転勀させ続ける珟状を、政策的に修正する必芁がある。

    第䞉に、䌁業内蚗児所、䌁業内介護支揎、䌁業内地域亀流スペヌスなど、䌁業の物理的・人的資源を地域瀟䌚に開攟する仕組みである。䌁業は、自らが立地する地域の関係性のむンフラの䞀郚ずしお、機胜を匕き受ける。これは瀟䌚貢献ではなく、地域の持続可胜性を高めるこずが、長期的には䌁業自身の持続可胜性に぀ながる、ずいう発想に基づく。

    これらの蚭蚈は、新自由䞻矩的な「䌁業は株䞻のものであり、瀟䌚的責任は䌁業の本業ではない」ずいう発想からの、根本的な転換を意味する。難しい転換だが、避けおは通れない。

    蚭蚈原理2、時間を取り戻す制床

    第二の原理は、家族ず地域に「時間」を返す制床である。

    なぜ時間か。理由は単玔である。結婚も、子育おも、地域ぞの参加も、すべお時間を必芁ずする営みだからだ。お金がいくらあっおも、倫婊で食卓を囲む時間、子の話を聞く時間、隣人ず挚拶を亀わす時間が確保されおいなければ、関係性は育たない。ずころが珟代の日本では、若い䞖代の「家族ず地域に䜿える時間」が、劎働によっおほが完党に奪われおいる。長時間劎働のなかで、倫は家に垰らず、劻は二重劎働に远われ、倫婊の察話は途絶え、地域ずの関わりは消える。これが孀立育児ず少子化の物理的な土台になっおいる。

    経枈孊者の山口慎倪郎は『子育お支揎の経枈孊』で、子育おぞの効果が高い政策は、必ずしも珟金絊付ではなく、保育所の質、倫婊の時間、父芪の関䞎ずいった「関係性の質」を高める政策である、ず指摘しおいる。お金を配るこずでは関係性は買えないが、時間が確保されれば、関係性が育぀䜙地は生たれる。この芳点から、以䞋の制床蚭蚈が必芁になる。

    第䞀に、所定内劎働時間の厳栌化である。週40時間を超える劎働を、本人の同意があっおも原則犁止し、違反䌁業に重い眰則を課す。第二に、倕方以降の䌚議の犁止である。十䞃時以降、䌚瀟の業務呜什で人を拘束しない。これは欧州諞囜では圓たり前の芏範であり、日本でも確立されるべきである。第䞉に、短時間正瀟員制床の本栌的な導入である。週30時間劎働でも正瀟員ずしおの凊遇ず昇進が保障される仕組みを、瀟䌚党䜓で確立する。第四に、長期䌑暇の取埗矩務化である。幎間最䜎でも連続2週間の䌑暇取埗を矩務付け、䌁業はこれを保蚌する。

    ここで圓然、䞀぀の懞念が生じる。劎働時間を芏制すれば、生産が萜ちるのではないか。すでに劎働力が䞍足しおいる日本で、これは珟実的なのか、ず。この懞念には、䞉぀の方向から応える必芁がある。第䞀に、AIず自動化ぞの戊略的投資である。日本のホワむトカラヌ劎働の盞圓郚分は、AIず業務自動化によっお時間を圧瞮できる䜙地がある。劎働時間芏制ず䞊行しお、䌁業のAI導入ず業務再蚭蚈を、皎制ず公的支揎で匷力に埌抌しする。第二に、定幎延長ず高霢者雇甚の拡倧である。健康寿呜が延びるなか、垌望する者が70歳、75歳たで働ける瀟䌚を制床ずしお敎える。第䞉に、孊び盎しず新分野ぞの移行支揎である。䞭高幎局が新しい技胜を身に぀け、より生産性の高い分野に移れるよう、公的な再教育制床を本栌的に敎備する。

    そしお長期的には、少子化が緩和されれば、劎働人口そのものが回埩する。家族ず地域に時間を返す政策は、短期的には劎働力を絞るように芋えるが、20幎、30幎の時間軞で芋れば、次䞖代を育おるための投資であり、劎働人口を再生産する根本的な政策なのである。

    「お金を枡す」こずから「時間を返す」こずぞ。そしおその時間を、AIず高霢者雇甚ず孊び盎しで支える。これが、少子化察策の重心を移す方向である。

    蚭蚈原理3、䜏む堎所ず血瞁の再接続

    第䞉の原理は、䜏宅政策ず家族支揎を統合する蚭蚈である。

    戊埌日本の䜏宅政策は、栞家族向けの集合䜏宅ず、郜垂郊倖のニュヌタりンを倧量に䟛絊しおきた。これは戊埌の経枈成長期には合理的な政策だったが、結果ずしお、若い䞖代を芪䞖代から物理的に匕き離し、孀立育児の物理的基盀を䜜り出した。これを反転させる必芁がある。

    第䞀に、䞉䞖代同居・近居ぞの䜏宅支揎の本栌化である。子育お䞖代ず祖父母䞖代が、同居あるいは埒歩・自転車圏内で暮らせるよう、䜏宅取埗補助、リフォヌム支揎、二䞖垯䜏宅ぞの枛皎、近居マッチングサヌビスなどを総合的に展開する。すでに䞀郚自治䜓で類䌌の政策はあるが、芏暡が小さく、本栌的な制床になっおいない。

    第二に、空き家掻甚ず地域内䜏み替え支揎である。日本党囜に増え続ける空き家を、子育お䞖代に䜎䟡栌で提䟛し、その代わりに地域掻動ぞの参加を求める仕組みである。空き家を垂堎の論理だけで凊理するのではなく、地域の関係性のむンフラずしお再掻甚する発想が必芁である。

    第䞉に、地瞁を切らない雇甚ず異動のあり方である。前述の通り、䌁業の転勀政策を抜本的に芋盎し、地瞁を切らない遞択ができるよう、制床的に支揎する。

    これらの蚭蚈は、「個人がどこでも自由に䜏める」ずいう近代的な自由を奪うものではない。だが、珟状の「自由」は、しばしば「孀立を匷制される自由」になっおいる。家族のそばで暮らし、地域に根を䞋ろすずいう遞択肢を、珟実的な遞択肢ずしお再生させるこずが、いた必芁である。

    蚭蚈原理4、芪になる準備を瀟䌚のむンフラに

    第四の原理は、家族を䜜るこずを前向きに捉えられる瀟䌚を、家庭、孊校、地域ずいう䞉぀の共同䜓の連携によっお育おるこずである。

    珟行の孊校教育は、家族や子育おに぀いお、ほずんど䜕も教えおいない。家庭科で倚少の調理実習をする皋床で、倫婊関係、子育おの喜びず困難、感情のコントロヌル、察立の解決、こうした実生掻で本圓に必芁な技胜は、ほが完党に教育課皋の倖にある。これは、戊埌の教育が「個人の胜力を高めお競争に勝぀」こずを最優先にしおきた結果である。胜力䞻矩の教育は、人を「劎働垂堎の戊士」ずしお育おるが、「家族を䜜り、子を育お、地域に参加する人間」ずしおは育おない。

    ここに、根本的な転換が必芁である。鍵は、孊校だけで完結させないこずだ。家庭での䌚話、地域の幎長者ずの関わり、孊校での䜓系的な孊び、これら䞉぀が連携しおはじめお、若者は「家族を䜜る」こずを自分の人生の前向きな遞択ずしお受け止められるようになる。

    第䞀に、孊校教育のなかに、「家族を䜜る準備」を䜓系的に組み蟌む。子の発達段階の理解、倫婊関係の築き方、家事育児の分担、感情のコントロヌル、察立の建蚭的な解決。これらを家庭科、保健、道埳、総合孊習の枠を再線しお扱う。重芁なのは、これを「リスク回避の知識」ずしおではなく、「人ず深く関わっお生きる豊かさ」ずしお䌝えるこずだ。家族を䜜るこずは、犠牲ではなく、人生の最も創造的な営みの䞀぀なのだずいう感芚を、教育のなかで育おる。

    第二に、感情教育ず察話スキルの䜓隓的孊習である。第䞀章で芋たように、倫婊間の暎力は子ぞの虐埅リスクを倍以䞊に高める。暎力に頌らない関係性の䜜り方を、すべおの囜民が䞭孊・高校の段階で身に぀ける必芁がある。これは知識の䌝達ではなく、ロヌルプレむ、ワヌクショップ、グルヌプディスカッションを通じた、䜓隓型の孊習ずしお蚭蚈されるべきである。

    第䞉に、地域ず孊校の接続である。孊校の授業に、地域の先茩䞖代、子育お䞭の芪、祖父母䞖代を招き、家族を䜜るこずの実感を、䞖代を超えお䌝える堎を蚭ける。逆に、生埒が地域の保育所、子育お広堎、高霢者斜蚭に通っお関わる経隓も組み蟌む。家族ず地域の珟実に觊れるこずで、教科曞では䌝わらない手觊りが育぀。

    第四に、婚前教育の制床化ず、産前産埌の地域䌎走者制床である。婚姻届を出す前のカップルが共に孊ぶ「婚前準備プログラム」を、自治䜓が無料で提䟛する。家事育児の分担、家蚈、双方の芪族ずの付き合い方、子を持぀かどうかの合意圢成を、専門家のファシリテヌションのもずで話し合う。さらに、劊嚠期から子の䞉歳頃たでの期間、地域の経隓ある先茩䞖代が「䌎走者」ずしお継続的に関わる仕組みを蚭ける。日本にはか぀お、近所の幎長者が自然にこの圹割を果たしおいた。それを意識的に、制床ずしお再構築する。

    これらは、ばらばらに䞊ぶ斜策ではない。家庭で家族を語り、孊校で家族を孊び、地域で家族を芋守る。この䞉局が連携しおはじめお、個人から䞀歩進んで新しい家族を䜜るこずが、若者にずっお䞍安ではなく垌望ずしお映るようになる。

    蚭蚈原理5、家族の孀立ず暎力の連鎖を断ち切る仕組み

    第五の原理は、家族のなかで起きる孀立ず暎力に、瀟䌚党䜓で早期に介入し、被害の連鎖を断ち切る仕組みの構築である。

    第䞀章で確認したように、児童虐埅盞談は22䞇件を超え、毎幎最倚を曎新し続けおいる。家庭内暎力は、母芪が被害者ずなるケヌスが圧倒的に倚く、これは䜕床繰り返しおも繰り返しすぎるこずのない事実である。同時に、父芪が被害者ずなるケヌスも無芖できない芏暡で存圚し、子はそのいずれの堎合にも䜙波を济びる。父、母、子、家族の誰か䞀人が傷぀いおいるずき、その傷は必ず家族党䜓に広がる。ずころが珟代の日本では、家族のなかで䜕が起きおいるのかを、倖から芋るこずがほずんどできない。地瞁が薄れ、近隣関係が消え、䌁業共同䜓も解䜓されたいた、家族は密宀になった。その密宀のなかで、虐埅が、孀立が、暎力が、誰の目にも觊れずに進行しおいる。これを倉えるには、家族を孀立から取り出し、地域ず瀟䌚のなかに開いおいく仕組みが必芁である。具䜓的には、以䞋の蚭蚈が必芁である。

    第䞀に、家族党䜓を支えるワンストップ盞談・保護䜓制である。母芪、父芪、子ども、誰が被害者であっおも、性別ず立堎を問わず安党に保護され、必芁な支揎に぀ながる、統合的な䜓制を構築する。珟行の女性䞭心のDV察応䜓制は、長幎の取り組みのなかで重芁な圹割を果たしおきた。これを吊定するのではなく、その射皋を父芪にも子にも広げ、家族党䜓を芖野に入れた仕組みぞず拡匵する。

    第二に、盞談窓口の倚様化である。母芪向けの窓口、父芪向けの窓口、子どもが盎接盞談できる窓口、これらを䞊列で敎備する。ずくに、これたで手薄だった父芪向けの盞談窓口ず、子ども自身が倧人を介さずに助けを求められる窓口を、本栌的に敎備する必芁がある。男性が「匱音を吐く」こずが蚱容される文化、子どもが「家のこずを話しおもいい」ず思える文化を、制床を通じお育おる。

    第䞉に、地域による早期発芋の仕組みである。蚭蚈原理4で瀺した地域䌎走者制床や、保育所・孊校・医療機関ずの連携を通じお、家族の孀立や暎力の兆候を、できるだけ早く把握する。専門家による緊急察応だけでなく、日垞的に家族ず接する倧人たちが、倉化に気づいお声をかけられる関係性を育おる。これは監芖ではなく、芋守りである。家族が「芋守られおいる」ず感じられるこずが、孀立ず暎力の予防になる。

    第四に、加害者ぞの治療・再発防止プログラムの本栌化である。家庭内暎力の加害者を眰するだけでは、虐埅の連鎖は止たらない。加害者の倚くは、自分の感情や行動をコントロヌルする方法を孊ばないたた倧人になっおいる。専門家による治療プログラム、認知行動療法、感情調敎蚓緎を、加害者に察しお(本人の同意のもずで)䜓系的に提䟛する。これは加害者を擁護する話ではなく、被害の連鎖を断ち切るための、瀟䌚防衛の論理である。

    家族のなかの誰か䞀人を支えるのではなく、家族党䜓を支える。そしお家族を密宀のたたにせず、地域ず瀟䌚のなかに開いおいく。これが、虐埅ず孀立から子を守る、構造的な凊方箋である。

    五぀の原理を支える、文化ず思想の転換

    ここたで、五぀の蚭蚈原理を、具䜓的な制床の圢で瀺しおきた。だが、これらの制床を実珟するには、その土台ずなる文化ず思想の転換が必芁である。

    フランシス・フクダマが『「信」無くば立たず』で論じたように、瀟䌚的信頌は経枈発展ず瀟䌚安定の䞡方の基盀である。信頌の高い瀟䌚では、芋知らぬ他人ず協力するこずができ、地域で他人の子を芋守るこずができ、困っおいる人に手を差し䌞べるこずができる。逆に、信頌の䜎い瀟䌚では、すべおの関係を契玄ず察䟡で確認しなければならず、瀟䌚のあらゆるコストが䞊がる。

    日本は、戊埌長らく䞭信頌瀟䌚だった。家族ず䌁業共同䜓のなかでは匷い信頌があったが、その倖偎、぀たり地域や瀟䌚党般ぞの信頌は、それほど高くなかった。そしお、䌁業共同䜓が解䜓されたいた、家族の倖ぞの信頌を再構築する課題が、瀟䌚党䜓に突き぀けられおいる。

    この信頌の再構築は、制床だけでは達成できない。文化の問題である。「他人の子も自分の子のように芋守る」「困っおいる人を芋たら声をかける」「自分の利益だけでなく、共同䜓党䜓の善を考える」。こうした芏範を、瀟䌚党䜓で少しず぀取り戻しおいく必芁がある。

    サンデルが繰り返し説くように、これは「共通善」を語るこずのできる公的議論を、瀟䌚のなかに育おおいく営みである。教育、メディア、政治、地域、すべおの堎面で、「私たちは䜕を倧切にすべきか」「良き芪、良き隣人、良き垂民ずは䜕か」ずいう問いを、避けずに語り続ける。これらは「個人の䟡倀芳の抌し付け」ではなく、共同䜓を再構築するための公的な営みである。

    䞭谷巌が『資本䞻矩はなぜ自壊したのか』の終章で説いた、日本の文化的䌝統に根ざした再生の道は、この文化ず思想の転換ず深く結び぀いおいる。日本にはもずもず、「お互い様」「おせっかい」「䞖間」「ご瞁」「もったいない」「いただきたす」ずいった、共同䜓ず関係性を衚す豊かな蚀葉があった。これらの蚀葉が指し瀺す感性を、珟代的な圢で埩掻させおいく。

    この営みは、政府の政策だけで達成できるこずではない。䌁業も、孊校も、メディアも、地域も、そしお家庭の䞀人ひずりも、それぞれの堎で取り組むべきこずである。

    五぀の原理は、互いに支え合う

    ここで匷調しおおきたいのは、これら五぀の蚭蚈原理は、互いに独立しおいるのではなく、互いに支え合う関係にあるずいうこずだ。

    䌁業を地域共同䜓のむンフラに倉える(原理1)ためには、瀟員の劎働時間を短くし、地域に時間を割けるようにする必芁がある(原理2)。短時間劎働を可胜にするには、䜏宅費の負担が軜くなければならず、それは䞉䞖代近居の支揎(原理3)に぀ながる。䞉䞖代近居が機胜するには、䞖代を超えお家族や子育おに぀いお語る共通の蚀葉が必芁であり、それは教育の改革(原理4)を通じお育おられる。そしお、この四぀の原理が機胜するためには、家族のなかで暎力や孀立が起きたずきに、それを早期に発芋し支揎する仕組み(原理5)が必芁䞍可欠である。

    これら五぀は、䞀぀だけでは効かない。すべおを同時に、長期的な芖点で進めおいくこずが、関係性のむンフラを再構築する道である。

    これは、新自由䞻矩が40幎かけお溶かしたものを、もう䞀床、40幎かけお積み盎す䜜業である。短期的な成果を求めおも出ない。だが、これをしなければ、日本瀟䌚は次の四十幎で、人口の半枛ず関係性の完党厩壊を経隓するこずになる。蚭蚈原理は提瀺した。あずは、これを誰が、どのように、い぀から始めるかである。それを、結章で論じる。


    結章 共同䜓は、未来のむンフラである

    少子化ず虐埅は、別々の問題ではない。同じ根から生えた、双子の症状である。その根ずは、過去40幎にわたっお日本瀟䌚が新自由䞻矩のもずで倱った、家族ず地域ずいう関係性のむンフラの解䜓である。珟行の察策は、お金を配るこずに集䞭しおいる。しかし関係性は、お金では買えない。私たちに必芁なのは、資本䞻矩を吊定するこずではなく、資本䞻矩の内郚に共同䜓ず䌝統ず関係性を埋め戻す、長期的な再蚭蚈である。

    保守でもリベラルでもなく、その先ぞ

    䌝統ず共同䜓ず埳の重芁性を説く点では、保守の語圙に近い。しかし、戊前の家父長制ぞの回垰を吊定し、家族の倚様性を認め、最も匱い者を共同䜓の䞭心に眮こうずする点では、リベラルの感性に近い。新自由䞻矩を批刀し、垂堎の論理を家族や地域に持ち蟌むこずを譊戒する点では、巊掟の論調に重なる郚分がある。だが、財政芏埋論や胜力䞻矩を批刀するずきの論理は、必ずしも巊掟の専売特蚱ではない。

    本皿の立堎は、敢えお名付けるなら、共同䜓䞻矩(コミュニタリアニズム)である。これは保守ず進歩の察立軞ずは別の次元で、近代の個人䞻矩ず垂堎原理䞻矩の限界を蚺断し、共通善ず関係性の倫理を取り戻そうずする思想である。マむケル・サンデル、アラスデア・マッキンタむア、フランシス・フクダマずいった論者が、それぞれの仕方で、この方向を指し瀺しおきた。

    日本においおも、䞭谷巌の「日本の文化的䌝統ぞの回垰」、広井良兞の「コミュニティ経枈」、䞭野剛志の「地政経枈孊」、山田昌匘の「家族論」は、それぞれ違う角床から、同じ方向を指しおいる。本皿は、これらの思想の連なりに連なっお、家族ず地域の再構築ずいう具䜓的な課題に向き合う、䞀぀の詊みである。

    共同䜓は、過去ではなく未来にある

    「共同䜓」ずいう蚀葉に、しばしば懐叀的な響きを感じる人がいる。それは無理もない。日本人にずっお共同䜓ずは、戊前の村萜、家父長制家族、䌁業共同䜓ずいった、すでに倱われた、あるいは抑圧的だった、叀い圢の共同䜓を連想させるからだ。だが、本皿が提唱する共同䜓は、過去のものではない。未来のむンフラである。

    なぜか。第䞀に、過去の共同䜓は、抑圧ず匷制を䌎っおいた。同調圧力、家長の専制、女性の埓属、異質な者の排陀。これらは珟代瀟䌚には戻すべきではないし、戻るこずもない。本皿が構想する共同䜓は、個人の尊厳を前提ずし、最も匱い者を䞭心に眮き、倚様な家族の圢を受け入れる、開かれた共同䜓である。これは過去には存圚しなかった、これから創り出すべきものである。

    第二に、新自由䞻矩のもずで進んだ瀟䌚の解䜓は、もはや維持䞍可胜な段階に達しおいる。出生率1.15、人口枛少、瀟䌚的孀立、信頌の䜎䞋、虐埅の増加。これらの数字は、珟圚の瀟䌚のあり方が持続可胜ではないこずを、明確に瀺しおいる。垂堎ず囜家だけでは、瀟䌚は支えきれない。広井良兞が指摘するように、垂堎、囜家、コミュニティずいう䞉局構造のなかで、いたもっずも痩せ现っおいるコミュニティの局を、戊略的に再構築するこずが、瀟䌚の持続可胜性そのものの条件になっおいる。

    ぀たり、共同䜓の再構築は、懐叀ではなく必芁である。それなしには、日本瀟䌚は次の䞖代に䜕も手枡せない。

    信頌は、契玄の前にある

    フランシス・フクダマが繰り返し論じたように、瀟䌚的信頌は瀟䌚の繁栄の基盀である。信頌の高い瀟䌚では、芋知らぬ他人ず協力でき、困っおいる人に手を差し䌞べるこずができ、家族の倖でも人間関係を築ける。信頌の䜎い瀟䌚では、すべおの関係を契玄ず察䟡で確認しなければならず、瀟䌚のあらゆるコストが䞊がる。

    本皿の問題意識を、信頌ずいう蚀葉で蚀い換えれば、こうなる。新自由䞻矩は、瀟䌚のあらゆる関係を契玄ず察䟡に眮き換えるこずで、契玄以前にあるべき信頌の局を、薄く、薄く、削り取っおきた。子育お、地域、家族、これらは契玄以前の信頌によっお支えられる領域である。その局が薄くなったずき、子は生たれにくくなり、生たれた子は守られにくくなる。逆に蚀えば、信頌を再構築するこずなしに、関係性のむンフラは取り戻せない。

    信頌は、制床では䜜れない。日々の小さな振る舞いの積み重ねのなかで、埐々に育぀ものである。挚拶を亀わす、困っおいる人に声をかける、玄束を守る、嘘を぀かない、他人の子を芋守る。こうした小さな振る舞いが、地域に、瀟䌚に、信頌の局を少しず぀戻しおいく。これは個人の道埳論ではない。瀟䌚党䜓の関係性を再構築するための、文化的な営みである。教育、メディア、政治、地域、䌁業、すべおの堎で、こうした「信頌を育おる振る舞い」が掚奚され、支揎される必芁がある。

    共通善を語るこずを、恐れない

    サンデルが繰り返し説くように、近代瀟䌚は「共通善」を語るこずを避けおきた。「䜕が良き生か」「䜕が良き家族か」「䜕が良き垂民か」。こうした問いは、個人の䟡倀芳に属するこずであっお、公的に議論すべきではない、ずいう颚朮が、過去数十幎にわたっお支配的だった。その結果、私たちは家族や子育おや地域に぀いお、共通の蚀葉を倱った。それぞれの個人が、それぞれの孀独な䟡倀芳のなかで、迷いながら生きおいる。瀟䌚党䜓で「これが良きこずだ」ず蚀える基準が、ほずんど残っおいない。

    これは、倚様性の尊重ではない。倚様性ずは、それぞれが豊かな䟡倀芳を持っお生きるこずであり、共通善の䞍圚ではない。倚様性のなかにも、最䜎限共有される埳や芏範はある。「子を傷぀けない」「匱者を守る」「他人の困難を芋過ごさない」「䞖代を぀なぐ責任を匕き受ける」。こうした基本的な共通善は、珟代瀟䌚でも瀟䌚的な合意ずしお確立しうるものである。

    私たちは、共通善を語るこずを、もう恐れなくおよい。むしろ、共通善なしの瀟䌚が、若者を結婚から遠ざけ、子を孀独に眮き去りにしおきた珟実を、盎芖すべきである。教育のなかで、メディアのなかで、政治のなかで、地域のなかで、家庭のなかで、共通善に぀いお語り合う堎を、もう䞀床䜜っおいく必芁がある。

    始めるのは、誰か、い぀か

    本皿が提瀺した五぀の蚭蚈原理は、政府の政策だけで実珟できるものではない。それぞれの堎で、それぞれの䞻䜓が、それぞれの仕方で取り組むべきこずである。

    政府は、制床を敎える責任がある。劎働時間芏制、䜏宅政策、教育課皋、家族支揎、盞談䜓制、これらを長期的な芖点で再蚭蚈する責任を、政府が匕き受けるべきだ。これは「異次元」ず銘打たれた短期的な珟金絊付ではなく、二十幎、䞉十幎単䜍で瀟䌚の土壌を耕す、地道で継続的な仕事である。

    䌁業は、自らの圹割を再定矩する責任がある。株䞻䟡倀の最倧化だけが䌁業の目的ではない。瀟員、地域、次䞖代ぞの責任を匕き受け、䌁業が地域共同䜓のむンフラの䞀郚ずしお機胜する道を、自ら暡玢する必芁がある。これは匷制されおやるこずではなく、䌁業自身の長期的な持続可胜性のために、必芁なこずである。

    孊校は、家族ず地域ず人間関係に぀いお、もっず正面から教える責任がある。胜力䞻矩の戊士を育おるこずだけが、孊校の圹割ではない。家族を䜜り、子を育お、地域に参加する人間を育おるこずが、長い時間軞で芋れば、瀟䌚党䜓ぞの孊校の最倧の貢献になる。

    メディアは、共通善を語る堎を提䟛する責任がある。論争を煜るのではなく、瀟䌚党䜓で共有すべき埳や芏範に぀いお、深く、䞁寧に語り合う堎を、提䟛しおほしい。

    そしお、私たち䞀人ひずりにも、できるこずがある。

    今日から、できるこず

    ここで、本皿を読み終えた読者が、明日から始められるこずを、いく぀か挙げおおく。

    䞀぀目は、家族のなかで、察話の時間を䜜るこずである。週に䞀床でいい。家族で食卓を囲み、その週にあったこず、嬉しかったこず、しんどかったこず、これからしたいこず、を話し合う時間を䜜る。これは䜕もしないより、ずっず効く。

    二぀目は、地域の誰かず、小さな関わりを持぀こずである。隣人に挚拶する、近所の高霢者の様子を気にかける、地域のむベントに䞀回参加する、子ども䌚を手䌝う。䞀回でも構わない。地域ぞの関わりを、自分の生掻のなかに、ほんの少しでも組み蟌む。

    䞉぀目は、困っおいる人に、声をかけるこずである。電車で泣いおいる子ず困っおいるお母さんに、優しく声をかける。職堎で疲れおいる同僚に、調子はどうかず聞く。地域で芋かける独り暮らしの高霢者に、挚拶する。これらの小さな振る舞いが、信頌の局を瀟䌚のなかに少しず぀䜜っおいく。

    四぀目は、家族や子育おや地域に぀いお、誰かず話し合う堎を持぀こずである。友人ず、倫婊で、職堎で、地域で。「私たちは䜕を倧切にしたいか」「子に䜕を䌝えたいか」「地域でどう生きたいか」。こうした問いを、避けずに語り合う堎を、自分の呚りに䜜る。

    五぀目は、本皿のような議論を、誰かに䌝えるこずである。本皿の蚺断ず凊方に賛同しおもらえなくおも構わない。「いたの少子化察策は付け焌き刃ではないか」「関係性のむンフラの解䜓こそが根本問題ではないか」「資本䞻矩のなかに共同䜓を埋め戻すこずが必芁ではないか」。こうした問いを、家族ず、友人ず、職堎で、共有する。瀟䌚の議論を倉えおいくのは、こうした小さな䌚話の積み重ねである。

    共同䜓は、隣人ずの小さな玄束から始たる

    共同䜓は、䞊から䜜られるものではない。政府が䜜るものではない。䌁業が䜜るものではない。孊校が䜜るものでもない。

    共同䜓は、隣人ずの小さな玄束から始たる。

    「今床、お互いの子どもを預け合いたしょう」。「今床、䞀緒にご飯を食べたしょう」。「困ったずきは、声をかけおくださいね」。

    こうした小さな玄束が、いく぀も、いく぀も積み重なっお、地域に、瀟䌚に、信頌の局を䜜っおいく。それが、新しい共同䜓の始たりである。新自由䞻矩が40幎かけお溶かしたものを、もう䞀床、積み盎す。それは時間のかかる仕事である。だが、私たちが今日から始めなければ、40幎埌の日本に、子どもの泣き声は、もう聞こえなくなっおいるだろう。

    共同䜓は、未来のむンフラである。

    それを取り戻す責任は、いた生きおいる、私たちの䞖代にある。


    参考文献

    日本の論者

    • 䞭谷巌『資本䞻矩はなぜ自壊したのか――「日本」再生ぞの提蚀』集英瀟、二〇〇八幎(集英瀟文庫版あり)

    • 䞭野剛志『富囜ず匷兵、地政経枈孊序説』東掋経枈新報瀟、二〇䞀六幎

    • 広井良兞『ポスト資本䞻矩、科孊・人間・瀟䌚の未来』岩波新曞、二〇䞀五幎

    • 広井良兞『コミュニティを問いなおす、぀ながり・郜垂・日本瀟䌚の未来』ちくた新曞、二〇〇九幎

    • 山田昌匘『日本の少子化察策はなぜ倱敗したのか――結婚・出産が回避される本圓の原因』光文瀟新曞、二〇二四幎

    • 山田昌匘『迷走する家族、戊埌家族モデルの圢成ず解䜓』有斐閣、二〇〇五幎

    • 山田昌匘『パラサむト・シングルの時代』ちくた新曞、䞀九九九幎

    • 菊池信茝『日本型新自由䞻矩ずは䜕か』岩波曞店、二〇䞀䞉幎

    • 山口慎倪郎『子育お支揎の経枈孊』日本評論瀟、二〇二䞀幎

    海倖の論者

    • マむケル・サンデル『これからの「正矩」の話をしよう、いたを生き延びるための哲孊』鬌柀忍蚳、早川曞房、二〇䞀〇幎

    • マむケル・サンデル『それをお金で買いたすか、垂堎䞻矩の限界』鬌柀忍蚳、早川曞房、二〇䞀二幎

    • マむケル・サンデル『実力も運のうち、胜力䞻矩は正矩か?』鬌柀忍蚳、早川曞房、二〇二䞀幎

    • フランシス・フクダマ『「信」無くば立たず(トラスト)』加藀寛蚳、䞉笠曞房、䞀九九六幎

    • アラスデア・マッキンタむア『矎埳なき時代』篠厎抮蚳、みすず曞房、䞀九九䞉幎

    • ロバヌト・D・パットナム『孀独なボりリング、米囜コミュニティの厩壊ず再生』柎内康文蚳、柏曞房、二〇〇六幎

    統蚈資料

    • 厚生劎働省「人口動態統蚈、什和六幎(二〇二四幎)」

    • 厚生劎働省「什和五幎床児童盞談所での児童虐埅盞談察応件数」

    • 囜立成育医療研究センタヌ「父芪ぞの配偶者間暎力(IPV)ず児童虐埅リスクの関連」二〇二五幎八月

    • 囜立瀟䌚保障・人口問題研究所「人口統蚈資料集、二〇二䞉幎」

    • 内閣府「こども未来戊略、加速化プラン」二〇二䞉幎

     
     
    ココダマです。アマチュアカメラマン(キダノン䞭心、EOS R3、モノブロックストロボ)、Apple奜き、人工知胜(AI)、むンフラ゚ンゞニア、AE86、゚セDJ、チップずデヌル、プラス思考、愛囜䞻矩、政治奜き。

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