
異変を感じた日!〜あの日、何が起きたのか〜(後編)|命を繋いだ「あの夜」の、あまりに静かな闘い
(前編からの続き)
「運が良かっただけのタフガイだけど、ちょっと独り言を。実はね……」
横になり、目をつむり、眠ろうとする。けれど、なぜか眠れずに目が開いてしまう。そんなことをどれくらいの時間繰り返していたのだろうか。ふと手元の携帯を見たら、21時を回っていた。
「あれ? お腹が空いていないな」
その時の違和感はまだ、左半身がなんとなく動きにくい、という程度だった。 「このまま安静にして、もし朝になっても動かなかったら病院へ行こう」 そう自分に言い聞かせていた。
けれど、本当の恐怖はここからだった。
深夜、24時を過ぎた頃だろうか。猛烈な気持ち悪さに襲われた。 夕食を食べていないから空腹だからか、明らかに違う異質な感覚。吐き気まで込み上げてきた。 水分を摂ろうと立ち上がり、冷蔵庫へ向かおうとした瞬間、膝から崩れ落ちた。
明確だった。左足に、全く力が入らない。
「左足が、自分のものではない。」
『重い丸太』のようになっていた。
なんとか這いつくばって冷蔵庫に辿り着き、水を飲んだ。冷や汗がダラダラと止まらない。 「このまま、一人ぼっちで死んでいくのか……?」 大袈裟ではなく、マジでそう思った。
しばらくして、嵐が去るように吐き気がスッと治まった。ホッとしたのを覚えている。
ここで、あなたなら救急車を呼ぶだろうか?
実は、僕は呼ばなかった。 「夜中に近所に迷惑をかけるのもな」「救急車に乗るなんて、なんだか恥ずかしいな」 今思えば、訳の分からない変なプライドが、僕の判断を鈍らせていた。
だが、またすぐにあの気持ち悪さが戻ってきた。 「これは、朝まで待てない」 這うようにして、引きずる足でなんとか夜間救急の窓口へ向かった。
MRIとCT。真っ白な空間で結果を待つ。 ようやく現れた先生の口から出たのは、あまりにあっさりとした一言だった。
「脳梗塞ですね」
即、入院が決まった。 各種書類を書き、母親に連絡を入れ、病室へ移動しようとした時のことだ。 最後にトイレに行こうとしたら、もう一人では立てなかった。 歩けなくなっていたのだ。
看護師さんに車椅子を押してもらい、トイレの中まで付き添ってもらい、体を支えてもらってようやく用を足した。朝の5時。窓の外が白み始める頃だった。
後に、担当医からはこう言われた。
「あのお昼の異変を感じた時に来てくれていれば、もっと違う、軽い結果になっていましたよ。」
ぐうの音も出ない正論だ。プロの目から見れば、僕は「最善」を逃したのかもしれない。
でも、あの時、車椅子でトイレに運ばれていた男が、今、右手51kg・左手40kgの握力でこの文章を打っている。人生はどう転ぶか分からない。
あの時、もしあと数時間判断が遅れていたら。もし、あのまま「プライド」を優先して眠り続けていたら。 今こうして、リハビリや新NISAについて考え、未来を夢見る「今日」はなかったかもしれない。
冒頭の、眠ろうとしたのに眠れなかった夜。あれは僕の身体が「寝るな」と必死に拒否をしてくれたのかもとも思う。そして結果 、脳の中で一番細い右側の血管の詰まりでした。そのため後遺症は左半身だけにとどまりました。話せるし食べれる・飲める。
「運が良かった。本当に、それだけなんだ。」
これを読んでいるあなたにも、知っておいてほしい。脳梗塞は、音もなく、静かに忍び寄ってくるということを。
だからこそ、今こうして株価の上下に一喜一憂できる日常さえ、実は最高の贅沢なんだと思う。
最後に「この記事を読んでくれたあなたへ」
ご自身はもちろんですが、ご家族・一緒に暮らしているペットに対しても、「もし、少しでも違和感を感じたら、僕のような『変なプライド』は捨てて、すぐに病院へ行ってください。それは恥ずかしいことではなく、日常という最高の贅沢を守るための、たった一つの方法だからです。」