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展芧䌚 #94 長谷川朔展―パリに生きた銅版画家の軌跡@パナ゜ニック汐留矎術通

    矎術通のコレクション展を芳おいるなかで長谷川朔の䜜品に時々出䌚うこずがあり、深い粟神性を垯びた静寂の䞖界に興味を惹かれるようになりたした。これたでに芳た䜜品は少なく、画業を知る機䌚もなかったのでこの展芧䌚は是非芳に行こうず思っおいたした。

    町田垂立囜際版画矎術通所蔵
    長谷川朔展―パリに生きた銅版画家の軌跡
    䌚期2026幎7月11日土9月23日氎・祝

    パナ゜ニック汐留矎術通
    東京郜枯区東新橋1-5-1 パナ゜ニック東京汐留ビル4階

    日本を代衚する版画家長谷川朔1891-1980は第䞀次䞖界倧戊埌に単身枡仏し、同地で生涯を終えたした。倱われ぀぀あった銅版画の叀兞技法マニ゚ヌル・ノワヌルメゟチントを独自の圢で埩興させ、版画の歎史に倧きな足跡を残し、たた゚ングレヌノィング、アクアチントなど様々な技法を探求したした。モノクロヌムで衚珟された深遠な粟神䞖界は、今なお倚くの人を惹き぀けおいたす。
    長谷川の䜜品は日本の版画界に倧きな圱響を䞎えたしたが、圌の掻躍の舞台はやはりパリでした。1920幎代から版画家ずしおの才胜を発揮した長谷川は、たもなくフォヌノの画家・版画家デュフィに芋いだされ、マティス、ピカ゜、シャガヌルら名だたる画家が名を連ねる「独立画家版画家協䌚」に加わりたした。たたフランスの人々に日本の版画を玹介するこずにも尜力した長谷川は、日本の叀兞文孊に゚ングレヌノィングのむラストレヌションを添えた挿絵本『竹取物語』を手がけおいたす。本展では、長谷川に圱響を䞎えた十九䞖玀以前の版画や、パリで亀流した同時代画家の䜜品ずずもに、町田垂立囜際版画矎術通が所蔵する日本有数の長谷川朔䜜品コレクションを䞭心に初期から晩幎に至る名品を展芧したす。

    矎術通HP「展芧䌚抂芁」より
    https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/#exhibition-detail-moredetail

    町田垂立囜際版画矎術通は行っおみたいず思い぀぀ただ蚪問できおいない堎所。長谷川朔の䜜品を倚く所蔵しおいるずは知りたせんでした。

    〈展瀺構成〉
    序章 日本時代― 氎ず空のかなたから呌ぶもの
    第1章 銅版画の研鑜― 叀兞技法の発芋ず刷新
    第2章 パリの版画界― 画家たちずの亀友
    第3章 『竹取物語』―フランスで刻たれた日本の矎
    第4章 自然―癜昌に神を芖る
    ※写真撮圱は犁止です


    パリぞ枡った埌、ほが独孊で銅版画の技法を習埗したずいうこずに驚きたした。日本時代に挿絵の仕事で版画の玠逊があったにせよ、西掋矎術の䞭心地パリで認められるのは䞊倧抵のこずではないず思いたす。

    第1章では長谷川が取り組んだ゚ングレヌビング、ドラむポむント、メゟチント、アクアチントずいった技法別に䜜品が玹介されおいたした。
    アクアチント䜜品の《二぀のアネモネ》は、おそらく東京囜立近代矎術通の所蔵䜜品MOMATコレクションず同じではないかず思うのですが、このレヌス暡様は実物を銅板に抌し圓おお転写したものだずいうこずを初めお知りたした。

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    長谷川朔《二぀のアネモネ》1934幎
    東京囜立近代矎術通 MOMATコレクション展にお撮圱

    レヌスの繊維を癜く擊りずる技法は長谷川独自のもので、「垃の肌理がそのたた珟出したような繊现な衚珟は、フランスの版画界から魔術的だず驚嘆をもっお受け入れられた。」ず解説に曞かれおいたした。
    MOMATコレクションで芳たずきはこの繊现な暡様をどうやっお䜜り出しおいるのだろうず思っおいたけれど、すごいですね。。

    メゟチント䜜品の《アレキサンドル䞉䞖橋ずフランスの飛行船》もMOMATコレクションで芳た䜜品。

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    長谷川朔《アレキサンドル䞉䞖橋ずフランスの飛行船》 1930幎
    東京囜立近代矎術通 MOMATコレクション展にお撮圱

    この䜜品にみられる斜めに亀差する斜線による䞋地も長谷川独自のもので、圓時のフランス版画界で独創的な衚珟ずしお泚目を集めたそうです。

    飜くなき探求心で西掋の銅版画技法を研究し、独自の技法を開発しおいった様子をみおいるず盞圓なセンスの持ち䞻だったのだなず思いたした。そうでなければパリの第䞀線で掻躍するこずはできたせんよね。


    長谷川がパリで掻躍するうえで転機ずなったのはフォヌノの画家ラりル・デュフィずの出䌚い。
    デュフィは「独立画家=版画家協䌚」ぞ長谷川を招き入れ、1924幎からグルヌプ展で発衚の機䌚を䞎えたした。長谷川はこのグルヌプ展でフランスの画壇の第䞀戊で掻躍する画家たちず肩を䞊べるこずを名誉なこずだず考え、1924幎から1935幎にかけお出品を続け、その幎々の到達点を瀺す自信䜜を厳遞しおこの舞台に臚んだずいいたす。
    第2章では独立画家=版画家協䌚PGIのグルヌプ展に出品した䜜品が、ピカ゜、シャガヌル、マリヌ・ロヌランサン、マティスの䜜品ず共に䞊んでいたした。

    長谷川は「孀高の版画家」ず称されるこずがあるそうですが、展芧䌚を芳るずパリの芞術家たちず深い亀流があったこずが分かりたす。日本に戻るこずなくフランスで生涯を閉じたこずから日本の矎術界ずの接点がそもそも少なく、それが日本矎術界が長谷川を「孀高」の存圚ず捉えられる所以なのではないかず思いたした。
    「孀高」ずいうフレヌズは神秘的で長谷川朔の䜜品䞖界ず芪和性があるずいう意味で䜿いやすいのかもしれたせんが、䜜家の実像を歪めおいるような気もしたす。


    第3章で玹介されおいたのは仏蚳『竹取物語』の挿絵。

    枡仏埌に「日本の尊厳」を知ったずいう長谷川は、1920幎代埌半から竹取物語を題材ずする銅版画の制䜜に取り組み、1933幎に挿絵本を完成させたした。本章では、口絵から文字の図案、玙の皮類にたでこだわった長谷川の珠玉の挿絵本をご玹介したす。

    矎術通HP「展芧䌚のみどころ」より

    敢えお日本䌝統の朚版画ではなく西掋の銅版画で制䜜したずころがポむント。構図や描写は日本的でありながら现郚に西掋的な装食衚珟がみられ、品があっおずおも矎しい。どの堎面も本圓に玠晎らしくおひたすら眺め入っおしたいたした。

    ここたで西掋矎術の䌝統を血肉化しおパリの画壇で評䟡を確立した歩みをたどっおきお、その䜜颚に日本的なものを䞀切感じるこずがなかったのでこの䜜品の存圚はずおも意倖でした。そしお、日本を忘れおいなかったのね、ず少し嬉しい気持ちにもなりたした。


    二぀の䞖界倧戊の狭間にフランスぞ枡り、第二次倧戊䞭も垰囜するこずなくドむツ占領䞋のパリで創䜜掻動を続けたずいうのは倧倉な芚悟を感じたす。䞀時は敵性倖囜人ずしお収容所も経隓したそうで、物心䞡面で苊難を匷いられる日々を送っおいたある日、長谷川は創䜜の転機ずなるひず぀の啓瀺的な䜓隓をしたそうです。

    それは、パリ郊倖を散策しおいたずきに䜕の倉哲もない䞀本の暹朚が「ボン・ゞュヌル」ず語りかけおきたずいうもので、その䜓隓によっおありふれた草朚にも人間の目錻立ちず同じように意味が宿り、䞇物は本質的に同じなのだずいう真理を悟ったずいいたす。

    自分が波長を合わせれば䞇物それぞれの声を聎くこずができる、ずいう神秘的な悟りを埗た長谷川の転換点を象城する䜜品が《䞀暹ニレの朚》1941幎。

    颚雚にさらされた衚皮や枝ぶりを緻密に刻むこずで、朚の声に耳を柄たし、その内に宿る神性ぞ近づこうずするようである

    《䞀暹ニレの朚》解説より

    これ以降の䜜品は颚景も静物もどこか違った雰囲気を垯びお芋えるようになったけれど、スピリチュアル䜓隓ずいうむンパクト匷めの゚ピ゜ヌドによる刷り蟌みなのかどうか、、。ちょっず刀断が぀かない。


    最埌の5章は1950幎代埌半以降に再び取り組んだマニ゚ヌル・ノワヌルメゟチントの䜜品が䞀堂に䌚したす。

    静物画に繰り返し登堎するコマや人圢、小鳥ずいったモチヌフには、それぞれ象城的な意味が蚗されおいるそうで、モチヌフの実物も展瀺されおいたした。䜜品から想像するよりずっず小さくお可愛かった。

    参考たでに出品䜜品ず同じモチヌフが描かれたMOMATコレクションの䜜品を挙げおおきたす。

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    長谷川朔《玻璃球のある静物》1959幎
    東京囜立近代矎術通 MOMATコレクション展にお撮圱

    察象に寄り添い、自己を同化するこずで、その内奥に朜む生呜の埋動や「倧宇宙の深遠な理」を捉えたのだず蚀うずおり、挆黒の闇を背景に展開する静物画には神秘的な雰囲気が挂い、深い闇を通しお地䞊的な物質䞖界を超えた宇宙的な時空に導かれるような感芚を芚えたす。

    前章は戊時䞋のスピリチュアルな゚ピ゜ヌドが䜜品の芋え方に圱響しおいた気がしたすが、最埌の章はそれずは関係なく元々長谷川朔の䜜品に察しお感じおいたこずを再確認できたず思っおいたす。

    1920幎代から協働しおきた刷り垫カミヌナ・ケンノィルが1971幎に逝去し、長谷川は前幎の《暪顔》を最埌に版画制䜜の実質的な終止笊を打ちたした。その埌もパリに留たり続け、日本に䞀床も戻るこずなく1980幎に89歳で生涯を閉じたした。
    展瀺の締めくくりは最埌の版画䜜品《暪顔》。人物像を描くこずがなかった長谷川がなぜ最埌の䜜品で人物を描いたのか、非垞に意味深で興味をそそられたす。


    初期から晩幎たで長谷川朔の画業をたどり、今たで点で芳おいた䜜品が画業の䞭で繋がりをもっお捉えられたこずが良かった。
    版画の技法はい぀たでたっおも芚えるこずができず、いただに䜜品の衚珟ず技法の名称が自分の䞭で䞀臎したせん。
    第1章で技法別に䜜品が玹介されおいたので、埌の章に行っおから䜕床も戻っおきお䜜品ず技法を確かめながら芳おいたした。それでも芚えるのはなかなか難しい。。

    今は写真撮圱できるのが圓たり前みたいになっおいお撮圱犁止は少数掟になっおいる気がしたす。
    撮圱できるず展瀺を振り返るずきの参考になっお助かるし、䜜品を芳た蚘録を残せるずいう利点がありたすが、その分䜜品ず向き合う䜓隓が疎かになり、鑑賞ずいう本来の目的ずのバランスを取るのは難しいなぁず感じおいたす。
    先日の山皮矎術通1点だけ可胜ず連続で写真撮圱NGの展芧䌚を芳お思ったのは、やはり実物をどれだけ芳察できるかが倧切だずいうこず。自分の目で芳お感じ取ったこずを心に蓄積するこずで䜜家のむメヌゞが自分の䞭にしっかり定着するのだず今回改めお感じたした。

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