
第43話『便ジャミン』
【いのち結びの郷 ~元刑事の村づくり~】
障害者施設で働き始めて、およそ半年が過ぎた。
「障害者」と一言で言っても、その状態は実にさまざまだ。
身体障害。
知的障害。
精神障害。
発達障害。
難病による障害。
それぞれに特徴があり、必要とされる支援もまったく異なる。
私が勤務しているのは、重度の知的障害のある方が生活するグループホーム。
高齢者施設とは空気がまるで違う。
もちろん大変なことは多い。
しかし、不思議と心は穏やかだった。
利用者は思ったことをそのまま表現する。
嬉しければ満面の笑みで抱きついてくる。
寂しければ手を握ってくる。
嫌なら嫌だとはっきり態度に出す。
健常者同士のような駆け引きも、忖度もない。
気の合わない健常者を相手にするより、よほど心が和むことも少なくない。
高齢者施設との一番の違いは、利用者がよく動き回ることだ。
高齢者は転倒を恐れ、動きたくても動けない人が多い。
障害者施設は違う。
少し目を離しただけで姿が消える。
気が付けば他人の部屋に入り込んでいる。
冷蔵庫を開けてお菓子を探している。
気に入った物があれば、自分の部屋へ持ち帰ってしまう。
まるで子どものような悪戯。
もちろん、そのたびに探し回り、持ち主へ返しに行かなければならない。
だが、その程度なら笑って済ませられる。
本当に大変なのは、排泄介助だ。
家庭でしっかりと生活習慣を身につけた者は、自分一人でトイレへ行ける。
職員が見守る程度で済む。
ところが、中には自分ではトイレへ行けない人もいる。
あるいは、行こうとしない人も。
そうした利用者は紙おむつを着用している。
しかし、それで安心というわけではない。
油断すると、自分の便を手で触ってしまう。
そして、その手で壁を触る。
机を触る。
時には、自分の顔まで触ってしまう。
最初にその光景を見た時は、正直言葉を失った。
警察官時代、一人の外国人被疑者が留置場に入ってきた。
兵役経験のある男だった。
逃走するために狂人を装い、自分の顔に便を塗った。
常識では考えられない行動だった。
私はその時、人間にとって便を顔に塗るという行為は、最後の最後の手段なのだと思っていた。
ところが、障害者施設では、それが日常にある。
もちろん悪意はない。
本人には、その行動がどういう意味を持つのか分からないだけだ。
おむつを交換しても、五分後にはまた排便。
ようやく片付いたと思ったら、また交換。
それが何度も続く日もある。
ある日、施設長から笑いながら言われた。
「あなたが勤務する日は、不思議と排便の回数が多いですね。」
その日から、私のあだ名は、
――「便ジャミン」。
……これさえなければ、本当に良い職場なのにな。