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秘伝のレシピはどこにある?266年前の料理書を読んでいたら「出直して来な」と書いてあった

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    『秘伝というものは、たとえば睫毛のようにきわめて身近なところにある。』
    古今名物御前菓子図式(1760年)
    字:新居 希予

     昔、名のある料理書のレシピ本の多くは秘伝の書であり、一子相伝だったようで、「気軽に教えて」と言ったり、タダで根掘り葉掘り教えてもらえるものではなかったようで。

     しかも、「細かく教えてもらわなくても分かる料理を選んでやればよい。分かるよう精進してから分相応な料理に取り組んでくれ」と、若干スパルタ気味なレシピとなっているのが面白い😆

     「この書き方でわからないなら出直して来な」
    ってな具合である。 

     あの有名な話『忠臣蔵』のパラレルワードがあったとして怒らないで読んでいただきたいのだけど、話の見方を変えると、

     お上のお達しで家宝である秘伝をタダ同然でライバルにシェアしなくてはならなくなったK爺と、
    「分かるように優しく詳しく僕でも分かるように教えてほしい」と、万金に値する秘伝の法を、特産物のスダチを土産にシェアしてもらおうとした若い現代っ子のすれ違いの物語になったらどうだろう。

     双方の気持ちを想像すると、レシピ考案者側の人ならK爺に寄り添いたくなるんじゃないだろうか。 
     そんな時代を越えて、家宝であり自分の家が存在する理由でもあった秘伝のレシピは、時代と共にほとんど誰も知らないものになってしまった。

     料理書がたくさん出版されはじめたのは、江戸時代に印刷技術が発展したからではありますが、一方で、大飢饉の時代でもあったことにもびっくりする。
     食べる事への憧れがレシピ本を沢山作らせたのではないかと私は思う。

     食を作り出す農書をたくさん出版するのは理解しやすいけれど、大飢饉の最中に出版された膨大な料理書に、人の食への執念を思い知らされ、想像の中でも食べる生き物なのだと感じる。

     料理書のレシピや、農書のエピソードを読みながら、自分の経験と生活を重ねながら想像すると、昔人の姿がイキイキと生々しく立体的になる気がする。
     
     時代を越えても尚、レシピに浮かび上がる人間の感情こそが秘伝だと感じる。

     私はその秘伝を少しでも良いから味わってみたい。

    『秘伝というものは、たとえば睫毛のようにきわめて身近なところにある。

    古今名物御前菓子図式(1760年)
     
     
    在来種のお米、阿波晩茶、養蜂、伝統食材を生産している12代目農家。 なかがわ野菊の里 新居希予です。 食材豊かな田舎暮らしなのに料理に困った経験から「知るほどおいしくなる料理と食文化」を書いていきたいと思っています。古典料理を解説する食いしん坊の料理メモ。昔の不思議な食材探求。

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