
20年分のLove letter
「そうだ、四国に行こう」
なんとなく思い立って決めた四国ひとり旅。この旅で訪れた父母々浜で、ボランティアのおじさんが撮ってくれた素敵な写真がある。
「写真撮るよ。何部?」
「バレーボール部です!」
「じゃあ、スパイク!次はレシーブ!」
「連写モードないなら一発で決めたるわ!」
とおじさんが撮ってくれたスパイクポーズの写真。
...私、跳べるようになったんだ。
これまでの出来事が1本のストーリーとして繋がった気がした。偶然なのか、そう導かれていたのかわからない。
でも、これまでの私の人生を振り返る特別な1枚。
バレーボール一家に生まれた私。
高校2年生のとき、大きな怪我をした。
当時、地元の病院は専門外来がなく、大学病院の整形外科医が毎週出張医として来ていた。そのタイミングで出会ったのが先生だった。
スパイクジャンプの着地時に走った強い痛みとゴリッという嫌な音。感覚的に、普通の怪我じゃないと思った。
病院についてすぐにMRI検査をした。左膝の前十字靭帯が切れていた。最後の高体連は間に合わないと言われた。バレーボール部のキャプテンをしていたこと、3年生最後の大会に出られないこと、色々ショックで診察室で号泣したことを覚えている。
術後は先生のいる大学病院に定期通院した。リハビリは地元の病院で続けた。高校3年生最後の大会が終わった。あの時の怪我がきっかけで、私は教員養成課程のある大学へ進学した。
バレーボール人生が不完全燃焼で終わったことが引っかかっていた私は、大学でもバレーボールを続けた。地元から出て一人暮らしもした。先生のいる病院で定期的に診てもらいながらリハビリも通った。
大学を卒業し、私は養護教諭になった。
私が社会人になって数年後、療養治療のため、先生は医師の仕事から離れた。先生が医療現場から離れると知った私は号泣した。
私が泣いたところで現実は何も変わらないし、何も関係のないことだ。私に何かできるわけでもない。でも、いっぱい泣いた。
泣いて泣いて、そして、先生がまた戻ってきたら、ちゃんと社会人として1人前になった私で会いに行こうと思った。
数年後、先生が復帰したことを知った。術後10年になったとき、先生のいる病院に行った。覚えていてくれたことが嬉しかった。
それからは、捻挫をはじめ怪我をしたときは先生にいつも診てもらっていた。
私がプライベートで色々あったときも、先生は話を聴いてくれた。
高校生のときの怪我から、大人になった今まで、気づけば20年の御縁になっていた。
バレーボールは嫌いだった。でも、バレーボールを通して出会った人達はみんな大好きだ。
先生もその中で出会えた大好きな人。
もし、同世代として生まれていたら
もし、同業者として出会っていたら
私はこの想いを素直に伝えることができたのだろうか。
先生が生きる時代に生まれて
先生と出会えたこと
怪我を治してくれたことだけじゃない。
私は先生にたくさん救われた。
診察室じゃ恥ずかしくて言えないけれど、
そして色々込み上げてきて泣いちゃいそうだから、ね。
でも、ちゃんと伝えたい。
先生のこと、ずっとお慕いしています。
先生、ありがとう。