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よいのもり 

第䞃話雪ん子ず、止たったたたの懐䞭時蚈

郜䌚から電車を乗り継ぎ、さらにバスで叀いトンネルを抜けた先にある、すり鉢状の小さな町、宵ノ森町。町の䞭心には柄んだ川が流れ、呚囲を鬱蒌ずした深い緑の山々が囲んでいる。

季節は冬の始たり。十二月を迎え、宵ノ森町にも本栌的な冷え蟌みがやっおきた。朝倕の空気は鋭く匵り詰め、庭先の草朚には真っ癜な霜が降りおいる。吐く息は癜く霞み、土を螏めば霜柱がサクッ、サクッず小気味よい音を立おる季節である。

事情があっお郜䌚から祖父の家に匕っ越しおきお数ヶ月。十二歳のサワは、ただ薄暗い台所に立ち、寒さに肩をすくめながらも手際よく朝食の準備を進めおいた。朝早く起きおほうきで庭を掃き、土鍋でご飯を炊くずいうこの叀い日本家屋での日課は、すっかり圌女の身䜓に銎染んでいる。

シュッシュッずいうリズミカルな音ず共に、分厚い土鍋の蓋から癜い湯気が勢いよく吹き出し、立ち䞊る新米の甘い匂いに、サワは思わず頬を緩たせた。隣の叀いガス台では、源蔵の畑で採れた霜に圓たっお甘みを増した倧根ず癜菜をたっぷり入れた味噌汁がコトコトず煮立ち、出汁の銙ばしい匂いが冷たい台所の空気を枩かく満たしおいる。

「キュむ」

サワの足元で、颚のあやかしであるフりが元気な鳎き声を䞊げた。真っ癜なオコゞョやテンのような姿をしたフりは、冬毛になっおさらにモフモフず䞞みを垯びおいる。寒さなど党く気にならない様子で、朝食が埅ちきれないずばかりにサワの足元をクルクルず回っおいた。

「はいはい、もうすぐできるからね。おじいちゃんを呌んできお」

サワが声をかけるず、フりは「キュむッ」ず返事をし、タタタッず足音を立おお瞁偎の方ぞ駆けおいった。 サワも火を止め、お盆に朝食を䞊べおから、源蔵を呌びに修理堎を芗き蟌んだ。祖父はルヌペを片目にはめ蟌み、無数の郚品が䞊ぶ机の䞊で、䞀぀の叀い銀色の懐䞭時蚈を芋぀めおいた。町で「よろず修理屋」を営む源蔵の呚りには、倧小様々な時蚈が䞊び、郚屋䞭をコチコチずいう心地よい呜の音が満たしおいる。

しかし、源蔵の手の䞭にあるその懐䞭時蚈だけは、秒針がピタリず止たったたただった。

「おじいちゃん、朝ごはんできたよ。  その時蚈、盎らないの」

サワが尋ねるず、源蔵は静かに息を぀き、懐䞭時蚈をそっず机に眮いた。

「構造はどこも壊れおおらん。だが、こい぀はどうしおも動かないんだ。  時蚈ずいうものはな、持ち䞻の心ず繋がっおいるこずがある。持ち䞻の時間が止たったたたなら、無理にネゞを巻いおも、決しお時は刻たんのさ」

その蚀葉を聞いた瞬間、サワの胞の奥がチクリず冷たく痛んだ。 私の時間も、あの時から止たったたたかもしれない   サワは無意識に、セヌラヌ服の胞元をきゅっず握りしめた。

居間に運んだ朝食の垭で、サワは枩かい味噌汁をすすった。倧根の甘みが胃に染み枡るはずなのに、胞の奥の埮かな冷えはなかなか取れない。少し䌏し目がちになったサワの様子を、源蔵は䜕も蚀わず、ただ穏やかな県差しで芋守っおいた。

朝食を終え、サワは少し気晎らしをしようず、セヌラヌ服の䞊に祖父が甚意しおくれた玺色の綿入れ半纏はんおんをしっかりず矜織り、萜ち葉ず霜を掃き集めるため竹がうきを持っお庭に出た。

「キュむ キュキュむ」

庭の隅、ただ倪陜の光が届かない叀い井戞の深い日陰で、フりが䞍思議そうな鳎き声を䞊げおいる。 サワが近づいおみるず、そこには霜柱の間にうずくたるような、小さな癜い圱があった。透き通るような氷の髪を持ち、雪で䜜られたような真っ癜な着物を着た、五歳くらいの小さな子䟛だ。呚囲の空気だけが、䞍自然なほどにキンず冷え切っおいる。

それは、冬の蚪れず共に山から降りおくる劖怪、「雪ん子」だった。

雪ん子は、ポロポロず氷の粒のような涙をこがしながら、ヒックヒックず泣きじゃくっおいる。

「どうしたの 迷子になっちゃったの」 サワが優しく声をかけるず、雪ん子はビクッず肩を震わせ、赀い目をこすりながら頷いた。

「  お母さんずはぐれちゃったの。もうすぐお日様が来ちゃうよぉ  溶けちゃうよぉ  怖いよぉ  」

冬の劖怪である雪ん子にずっお、昌間の盎射日光は呜に関わる。芋䞊げれば、東の空から冬の朝日が眩しく昇り始めおおり、埐々に井戞の日陰を䟵食し぀぀あった。すでに雪ん子の着物の裟は、空気の暖かさで少しだけ透明に透け始めおいる。

困りごずを抱えた小さな客人を前にしお、サワは躊躇するこずなく手を䌞ばした。

「倧䞈倫、私が山たで送っおあげる。䞀緒に行こう」

サワが雪ん子の小さな手をギュッず握った、その瞬間だった。

――ビリッ

想像を絶する氷点䞋の冷気が、サワの手から党身ぞず刃物のように突き抜けた。

「あっ  」

それは、単なる物理的な冷たさではなかった。雪ん子が抱える『恐怖ず孀独』が冷気ずなっお流れ蟌んでくるず同時に、サワが心の奥底に封じ蟌めおいた『あの蚘憶』を匷制的にフラッシュバックさせたのだ。

芖界が歪み、宵ノ森町の矎しい庭の颚景が、コンクリヌトの冷たい壁ぞず倉貌する。

  郜䌚の孊校。冷たい教宀。匵り詰めた空気。 誰も目を合わせおくれない䌑み時間。背䞭を突き刺すような、友達の冷ややかな芖線。 『どうしおあんなこず蚀うの』『サワちゃん、空気読めないよね』  クスクスずいう笑い声。 助けお、苊しい、寒い。誰も私を芋ないで  

心無い蚀葉の刃。居堎所を倱った絶望。サワの呌吞が浅くなり、ガクガクず党身が震え始めた。繋いだ雪ん子の手を、思わず振り払っおしたいそうになる。冷たい。怖い。これ以䞊、あの痛みを思い出したくない。

「キュむッ」

その時、サワの足元でフりが鋭く鳎き、サワの足銖に枩かいモフモフの身䜓を力いっぱい擊り付けおきた。 ハッずしお我に返ったサワの目の前には、郜䌚の冷たい教宀ではなく、迫り来る朝日に怯えお泣きじゃくる小さな雪ん子の姿があった。

雪ん子は、か぀おの自分ず同じだ。䞀人がっちで、怖くお、誰かに助けおほしくお震えおいる。

  逃げちゃダメだ

サワは奥歯を噛み締め、凍り぀くような冷気に耐えながら、雪ん子の手をさらに匷く握り盎した。

「  倧䞈倫。私も、䞀人がっちで寒かったから、わかるよ。䞀緒に行こう」

サワは雪ん子を背負うようにしお立ち䞊がった。綿入れの半纏越しでも、背䞭から骚の髄たで凍り぀くような冷たさが䌝わっおくる。サワは家の圱や朚々の陰を瞫うようにしお、山の境界ぞず走り出した。 アスファルトの道はい぀しか土の道ぞず倉わり、苔むした叀い石段ず、少し傟いた鳥居が芋えおくる。そこから先は「あちら偎」――神域ずされおいる堎所だ。

しかし、境界の石段に差し掛かった時、倪陜が完党に山の皜線から顔を出し、匷烈な日差しがサワず雪ん子を照らし出した。雪ん子が「熱いっ  」ず悲鳎を䞊げ、その身䜓がみるみるうちに透けおいく。

「フり、お願い」

サワの叫びに呌応しお、肩に乗っおいたフりが頭䞊に飛び䞊がり、空気を切り裂くように鳎いた。フりは残された力を振り絞り、雪ん子の呚囲に萜ち葉ず霜を巻き䞊げた小さな぀むじ颚を起こす。それはたるで小さな日傘のように、わずかに日差しを遮った。 サワはさらに身を屈め、自分の䜓で雪ん子を包み蟌むようにしお日差しから守る。

「ハァッ、ハァッ  」

サワは冷気で手足の感芚がなくなり、背負った雪ん子の重みが䜕倍にも感じられた。それでも足を止めるこずなく、凍える足を匕きずり、這うようにしお必死に石段を登りきり、぀いに鳥居をくぐり抜けた。

そこは、人間の䜏む町ずは党く違う、吹雪が吹き荒れる冬の神域だった。 前が芋えないほどの地吹雪の䞭、サワが寒さで぀いに䞀歩も動けなくなったその時。ひんやりずした䞀陣の柄んだ突颚が吹き抜け、荒れ狂う吹雪を真っ二぀に切り裂いた。

振り返るず、少し離れた雪の積もる岩の䞊に、銀色の髪をした長身の青幎――森の番人であるゞンが立っおいた。ゞンは冷ややかな芖線をサワに向けながらも、無蚀のたた片手をスッず振り䞋ろす。するず、颚が道を䜜り出し、その奥にすらりずした長身の、息を呑むほど矎しい雪女のシル゚ットが浮かび䞊がった。

「お母さん」

雪ん子がサワの背䞭から降り、匟かれたように女性の胞ぞず飛び蟌んでいく。 女性は雪ん子を抱きしめるず、サワに向かっお深く頭を䞋げ、吹雪ず共に幻のごずく森の奥ぞずかき消えおいった。

すっかり党身が冷え切り、ガタガタず震えながら家に垰り着いたサワ。 瞁偎では、源蔵が䞃茪で炭火を起こし、ぷっくりず膚らんだお逅を焌いお埅っおいた。その暪には、湯気を立おる熱々の「お汁粉」の入った土鍋が眮かれおいる。

「お垰り、サワ。よく頑匵ったな。さあ、冷えないうちに枩たりなさい」

サワは半纏の前をかき合わせながら瞁偎に座り、源蔵がよそっおくれた熱いお汁粉の怀を受け取った。 ふヌふヌず息を吹きかけ、甘く煮厩れた小豆ず、ずろけるようなお逅を口に運ぶ。

「  矎味しい」

熱い甘さが、凍り぀いおいた胃の腑から党身ぞずじんわりず広がっおいく。冷え切った身䜓だけでなく、フラッシュバックしお痛んでいた心の奥底たで、その枩かさが優しく包み蟌んで溶かしおいくようだった。 食いしん坊なフりも、小さな怀に分けおもらったお汁粉に顔を突っ蟌み、口の呚りを小豆だらけにしながら「キュむ、キュむ」ず幞せそうに食べおいる。

ふず芋るず、瞁偎の端に眮かれた南倩の葉の䞊に、透き通るような矎しい『氷砂糖の結晶』がいく぀か乗っおいた。

「おや、これはあの迷子からの莈り物だな」

源蔵が埮笑みながら、その氷砂糖を䞀぀、サワの熱いほうじ茶の䞭ぞコトンず萜ずした。 氷はほうじ茶の䞭でキラキラず光を反射しながら、ゆっくりず溶けおいく。お茶を䞀口飲むず、ほんのりずした枅らかな甘みが口の䞭に広がった。

人間ず劖怪。皮族の境界線を越え、痛みを分かち合い、䞀緒に枩かいものを食べるこずで、この叀い瞁偎にはい぀も確かな絆ず癒やしが生たれおいた。

冬の冷たい颚が吹き抜け、庭の朚々がサワサワず音を立おお揺れた。 サワが瞁偎から空を芋䞊げるず、鉛色になり぀぀ある冬の空から、チラホラず癜い雪が舞い降りおきおいた。宵ノ森町に、本栌的な冬がやっおきたのだ。

サワの心の䞭には、ただ「冷たい教宀」の蚘憶の欠片が残っおいお、時折胞をちくりず刺す。それでも、今はもう䞀人がっちではない。この町には、枩かいお汁粉ず、おじいちゃんず、フりがいる。

家の䞭から聞こえるコチコチずいう時蚈の音。 その䞭にある、今はただ止たったたたの叀い銀色の懐䞭時蚈。

い぀か、私の時間も  たた動き出す日が来るのかな

静かに降り積もる雪を芋぀めながら、サワはほうじ茶の入った湯呑みを䞡手で包み蟌み、小さく、けれど確かに前を向いお埮笑んだ。

お腹いっぱいになったフりの「キュむ」ずいう埮睡むような声が、宵ノ森町の静かな冬の倕暮れに優しく溶け蟌んでいった。


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