
禍つ華(まがつはな) #16 最終話
7
午後六時
秩父湖大橋近くの無料駐車場に車を駐めた。粉雪が舞うなか、矢吹は外へ出た。車のトランクからレインコートを取り出し、コートの上から羽織る。透明な縁付きのフードをかぶれば視界も良好だ。
トランクを閉めかけて、手を止める。直径二十センチほどのチェーンカッターが転がっている。これから向かう廃屋の扉に南京錠や鎖が掛かっていた場合、持っていれば切断して開けられる。
チェーンカッターをコートの内ポケットに突っ込み、トランクを閉めた。駐車場を出て、橋を渡った。アスファルトや木々にうっすらと雪が積もっている。
名前もわからない草や黒ずんだ花が風に揺れ幻想的だ。その先に樹林が広がっている。これから地獄めぐりにでも行く気分だ。
歩き始めて二十分ほどのところに、その廃屋はあった。丸太小屋で、周囲は草に覆われている。草に雪が積もり、一面に白い花が咲いているようだ。
安藤麗美が書いた『薔薇と少年』が頭に浮かぶ。リオンの母親が見た青い薔薇は、本当は白い雪の花だったのではないか。息子を失った悲しみで、青く見えたのかもしれない。
矢吹は小屋に近づき、扉を見た。厚い木の扉に破損した箇所はない。ノブに手を掛けようとして、手を止めた。音楽が流れている。なかに誰かいる。
扉横のブザーを押した。すぐに男の声で返事があり扉が開く。顔を覗かせた男は、矢吹を見て目を見開いた。
「刑事さん、どうしてここに?」
男はベージュのフリースジャンパーに水色のジーパンを履いていた。声に聞き覚えがある。この男は白石太蔵が入居している高齢者施設の介護士ではなかったか。ネームバッジに記されていた名前を思い出す。
「あんたは、井原さんか。高齢者施設で会ったときはマスク姿だったな。でも声でわかったよ」
「特徴がないって、よく人から言われます。雪が積もってきましたね。どうぞなかで暖まっていってください」
井原は微笑むと、扉を大きく開いた。矢吹はレインコートの雪を払い、なかへ入った。
部屋はランタンの明かりに照らされていた。ストーブも点いていて暖かい。掃除が行き届き、埃一つ落ちてない。これだけ整っているなら廃屋ではない。ちょっとしたコテージだ。
中央には大きなテーブルがあり、小型のスピーカーが載っていた。音楽はそこから流れている。椅子が六脚セットされ、手前の椅子の背に黒のダウンコートが掛けられていた。
「井原さんが管理されているのか」
テーブルに近づき、スピーカーを眺めた。曲はクラシックだ。管弦楽器の重奏にソプラノやアルトの歌声が混じり合い、荘厳な空気を作り出している。
「いえ、ちょっと知り合いに頼まれたんです。近いうちに使いたいから掃除をしておいてほしいって。刑事さん、コーヒーでも飲まれますか」
井原はテーブルのそばに置いてある大きなリュックからペットボトルの水と紙コップを取り出した。奥のスチール棚から薬缶を持ってくると、水を入れてストーブの上に置く。
「コーヒー豆は、ここへ来る途中に挽き立てを買ってきたんです。焙煎は長めにしたので、甘さと苦味を同時に楽しめますよ」
「あんた、コーヒーに詳しいんだね。俺はカフェインがあれば何でもいいよ。その知り合いって、名前を教えてくれるか」
薬缶が置かれていたスチール棚の横には窓があった。グレーの遮光カーテンが閉められている。
「安藤青児さんという方です。有名な画家で、美術大学で教授もされているんです」
井原はリュックからピッチャーとドリッパー、紙袋を掴みだしてテーブルに並べた。ドリッパーに紙フィルターをセットし、袋入りのコーヒーを目分量で入れる。
「奇遇だな。安藤青児なら知ってるよ。鷹翠美大の偉い先生だろ。井原さんは、安藤さんとどこで知り合ったんだい?」
「彼は同じ大学の後輩なんです。卒業後は彼が個展のDMを送ってくれるので、時々見に行っています」
体の芯に、水滴がぽたりと落ちた。水滴は弾け、冷たさが広がっていく。
「安藤さんがここで何をするつもりだったのかな。井原さん、何か聞いてないか」
水が沸騰し始め、白い湯気が立ち上る。
「さあ、ここでできることといったら森林浴くらいですよ。秩父湖周辺の山道を散策したくても、冬の間は道が封鎖されていて通れませんからね。あとは、夜に星を見るくらいですよ」
井原は薬缶の湯をドリッパーに注いだ。コーヒーのいい香りが部屋一体を包み込む。だが、矢吹の体のなかには冷気が立ち込めていた。
二十一年前、檜原村の廃屋にいた男女は五人だった。そのうちの一人は山内という名字だ。この男が山内なのか。いまは両親が離婚し、母の旧姓を名乗っているのか。それとも母親の再婚相手が井原なのか。この男が森の詩人なのか。でも、そんな証拠はどこにもない。
――出直してくるべきだ。
頭の奥で、直感が告げる。
いや、俺は秋川を探しに来たんだ。証拠を見つけるまで戻るわけにはいかない。雪が積もる前に決着をつけたい。
矢吹は雪がまだ降り続いているのかを見ようと窓に近づいた。そのとき、青く光るものが目に入った。スチール棚に置かれている。それは明るいセルリアンブルーに光っていた。先端に黒い十字架が付いている。
すべての音が消えた。
なぜ、これがここにある?
青く光っていたのはロザリオだった。これとよく似たものを秋川が持っていた。珍しいものではないかもしれない。だが、矢吹は偶然の符合など信じない。井原と安藤が繋がった時点で答えは出ていたのだと気づく。
「あんた、いまも絵を描いてるのか」
カーテンの間に手を差し込み、窓枠に指を滑らせた。開けようとしたが鍵が掛かっている。鍵らしきレバーを上に引き上げたが、まだ窓は開かない。
「私には絵の才能はありませんでした。絵を描くより、いまは詩を書くのが好きです」
井原はピッチャーに落ちる黒い雫を見つめながら、ゆっくり湯を継ぎ足している。
「やっぱりそうか。あんたが山内なんだろ? 二十一年前、安藤さんや青木さんたちと檜原村の廃屋へ行った」
井原は薬缶をテーブルに置いた。
「せっかくここまできたのに、あなたは台無しにするんですね」
井原の顔には怒りも恐れも浮かんでない。大切にしていたオモチャが壊れた子供のように惚けている。
「あんたはいままでに何人の人を殺したんだ?」
窓を開けることは諦めた。逃げ道を確保するより、真相を確かめたい。銃は携帯していないが、チェーンカッターがある。それに犯人と対峙した時の訓練は積んできている。
「彼らは死にましたが、また新しく生まれ変わります。尊い命の一部となって生き続ける。それが彼らの使命だったんです」
「あんたには完全に騙されたよ。白石さんのこと、死ぬはずがないって言ったくせに、お前が殺してたなんてな。彼女はこの森でいったい何を見たんだ?」
「ああ、あれは安藤がヘマをやったんですよ。私が祠で祈りを捧げているときに、スミルナの連中をここへ連れてきたんです。里奈には多少の霊感がありました。ほかの連中は空き地でバーベキューをして楽しんでいたのに、あの子だけ祠へやって来たんです。幸い、私のことは気づかれなくて済みました。でも、祠に集まってきた精霊たちに取り囲まれてしまった」
井原はドリッパーから滴り落ちる黒い雫を眺めている。
「宇野さんを殺したのもあんたか」
矢吹は井原に一歩近づいた。井原はどこかにナイフを隠し持っているだろうか。
テーブルの上では交響曲が流れていた。この悲しみに満ちた旋律が何を表現しているのかわかった。これは死を歌っている。言葉の意味がわからなくても、死者への追悼の意が伝わってくる。
「神は願いを叶えてくれます。ただそのためには血を流さなければなりません。鮮やかな赤い血と、それを悼む者が必要なんです。流される涙が多ければ多いほど、新しく蘇る命は輝きを増していきます」
悼む者の涙。
「二十一年前、お前が由依を殺したのか」
矢吹の問いに、井原は微笑んだ。正しく理解したことへの褒美でも与えるような笑みに虫唾が走る。
「教えろよ。どうやって由依を連れ去った? どうして由依は殺されなきゃならなかったんだよ」
また一歩、井原ににじり寄る。
「恨むなら、私ではなく安藤を恨んでください」
井原は視線を上げた。次の瞬間、ピッチャーを掴み、矢吹に投げつけた。矢吹はピッチャーをよけてテーブルの下に潜った。容器が床にぶつかり粉々に割れる。
矢吹は井原の足を掴み、床にねじ伏せた。即座にテーブルから這い出て、井原を床に押さえつける。両手を後ろで捻り上げ、両手に手錠を嵌めた。井原は苦しそうに呻いている。
「安藤と由依は知り合いだったのか」
井原の体を起こして立たせた。
「あの二人は文化祭で知り合ったんです。安藤は昔からきれいな女に目がなかった。学生の頃の安藤は美少年で通っていたんです。いまは見る影もありませんが」
井原は抑揚のない声で答えた。
「由依のほうから安藤に近づいたっていうのか」
「そうなりますね。彼女は安藤に会いたい一心で、檜原村まで追ってきたんです。安藤が呼び寄せたのかもしれませんが、そこまでは私にもわかりません。そして、あなたの妹が麗美を崖から突き落としたんです。でも、麗美はこの世界の太陽なんですよ。絶対に死なせるわけにはいかなかった」
井原の言葉を鵜呑みにはできない。そんなことが起こるはずがない。何かが間違っている。
「秋川はどこにいる?」
「森の祠にいます。安心してください。彼はまだちゃんと生きていますよ」
「祠まで案内しろ」
矢吹はスマートフォンを取り出すと、通報した。いま使っているスマートフォンはたとえ電波のない山奥でも衛星経由で通報できる。数秒で司令センターに繋がった。場所を伝えている間も井原から視線を外さなかった。
「逃げようなんて思うなよ」
扉を開け、井原を促した。スマートフォンの通話は切らず、そのままコートのポケットに入れた。正確な場所をGPSで知らせるためだ。
「そんな気は毛頭ありませんよ。あなたに押さえつけられたせいで、まだ体が痛いんですから」
井原は雪のなかへと出ていった。
懐中電灯で照らしながら、小屋の脇道を歩いていく。森のなかは静まりかえっていた。雪が音を吸い取っている。舞い降りてくる雪はライトを浴びて白く浮かんでいるように見えた。
「私の母親は敬虔なクリスチャンだったんです。子供の頃は聖書を読み聞かせてくれました」
「あんたの母親はやっちゃいけないことは教えてくれなかったのか。聖書のことはほとんど知らないが、モーゼの十戒くらいは聞いたことあるぜ。人を殺してはいけないって書いてあっただろ」
「使命を果たすためならすべて赦されるんですよ。母はこの世界をよくしようと懸命に働いていたんです。神に身も心も捧げていました。私は母に仕えているに過ぎません」
「あんたの母親はどこにいるのよ」
「これから会いに行くんです。そこにあの若い刑事もいますよ」
井原は前方を見つめていた。その横顔はやけに落ち着いていて、唇には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
この男は何かを企んでいる。だが両手を後ろで拘束された状態で何ができるというのか。
いや、侮ってはならない。この男はいままでに十三人を殺している。そのことに何の罪悪感も抱いてない。尊い命を蘇らせるためなら、平然と殺人を犯せる。白石里奈も宇野光も躊躇することなく殺めたに違いない。
疑問が浮かぶ。
では、なぜ秋川はまだ生きているのか。
安藤麗美の話を思い返す。キャンプへ行ったのは三月だったが、東京へ戻ったのは四月になってからだと言っていた。七人の生贄を見つけるのに時間がかかったのだと思っていたが、本当はもっと別の理由があったのではないか。
秋川が話していたではないか。春のイースターと十二月のクリスマスは盛大に祝っていた、と。
〈毎週日曜日にはキリストの誕生を祝ってミサも行われていました〉
そうだ。明日は日曜日だ。井原はキリストが誕生した『日曜日』を待っているのではないか。
これは生贄の儀式だ。この男は、誰かを生き返らせようとしている。
「一つ教えてくれよ」
「もう私には後がありません。だから何でも答えてあげますよ。矢吹さんは、何が知りたいんですか」
「倉戸口の廃屋で四人を殺したのは、宇野さんを殺すより前だったのはわかってる。廃屋の四人は、クリスマスにあの場所へ集まったのか」
「いいえ。彼らがあの場所に集まったのは十一月一日です。その日はカトリック教会では『諸聖人の日』と定められているんです。すべての成人と殉職者を記念して祝うんです。日本では『万聖節』とも呼ばれています」
「あんたは、その『諸聖人の日』に彼らを殺したのか」
懐中電灯が照らす先に洞窟が見えた。あの洞窟のなかに祠があるのか。
「違います。彼らが亡くなったのは翌日の二日です。その日は『死者の日』とされ、すべての霊に祈りが捧げられるんですよ。生贄の儀式を始めるには、実にふさわしい日でした。矢吹さんもそう思いませんか」
井原が矢吹の顔を見た。嬉しそうに笑っている。視線を前方へ戻すと、井原はいきなり走り出した。馬鹿な。こんな雪道で逃げられると思っているのか。
矢吹も井原を追いかけて走り出した。その数秒後、右足が地面を突き抜けた。一瞬のうちに矢吹は穴に落ちていた。
穴を掘ったところに薄い板を渡し、枯葉で隠しておいたようだ。そこへ雪も積もり、落とし穴があるなどとは微塵もわからなかった。不自然な盛り上がりなどは一切なかった。
矢吹は体を起こした。腰を強か打ちつけたが、骨折はしていない。立ち上がり、土の壁をよじ登った。穴は深くない。なんとか穴から這い出る事ができた。
雪の上に投げ出された懐中電灯を拾い上げる。五十メートルほど前方にライトを当て、愕然とした。
洞窟の入口は柵の扉で遮られていた。走ろうとしたが右足首に痛みが走り、思わず毒付いた。
あの柵は鉄だろうか。矢吹が持ってきたチェーンカッターでは刃が立たない。腕時計を確認する。午前〇時まであと四時間しかない。
そこでようやく井原の目的を理解した。祠の入口が柵になっているのは、矢吹に秋川が殺されるところを見せるためだ。自分がチェーンカッターを柵に押し当てながら絶叫している姿が目に浮かぶ。
――お兄ちゃん、見て。光が空に還っていくよ。
「由依……ごめんな。お前の言う通りだよ……」
雪はライトに照らされ、白く輝いていた。それは空へ還っていく天使のように見えた。
雪のなかでどのくらいの時間が経ったのかわからない。矢吹は柵の前に辿り着き、絶叫していた。
秋川が殺されるところなど見たくない。だが、柵は頑丈でチェーンカッターでは何時間かけても切ることなど不可能だ。意識が暗い闇に落ちていくときに、遠くでサイレンの音がした。音は近づいてくる。誰かが矢吹を呼んでいた。
あの声は誰だろう。これは幻聴だろうか。
暗闇のなかで、矢吹は銃声が轟くのを聞いた。
一月十四日木曜日
この日発売された『週刊FINDER』には、森の詩人の記事がトップで掲載されていた。三つの詩も載っている。
だが、森の詩人が予告したような奇跡が誌面を飾ることはなかった。奇跡は起きなかった。祠に残されていたのは七本の薔薇の造花と白骨した遺体だけだった。
あの日、矢吹は穴のなかで気を失っていたらしい。スマートフォンのGPSで矢吹の場所を追跡した尾崎と黒木が、矢吹を穴から引き上げたのだと聞かされた。
実際に祠には鉄の柵があり、その奥で井原は秋川の手首を切断しようとしていた。警告を与えたが従わなかったため、尾崎が井原を撃った。井原は絶命し、秋川は救かった。
矢吹が見た鉄柵は幻だったのか。それとも幽体離脱でもして、空から一部始終を見ていたのだろうか。
「矢吹さん、安藤と青木が検察に送致されます」
秋川が矢吹にマグカップを差し出した。淹れたてのブラックコーヒーから湯気が立っている。
読みかけのFINDERをスチール机に置き、カップを受け取った。秩父南署のコーヒーは淹れたてでも香りはしない。コーヒーをすする。いつもより濃い酸味が脳に染み込んでいく。
「今回の事件でか」
「いえ、二十一年前の妹さんの事件です。安藤の自宅から押収されたナイフに由依さんの血痕が付着していたことが、科捜研の調べでわかったそうです」
秋川は首に包帯を巻いていたが、顔色はいい。
秋川は失踪者リストの家に行く途中で井原に呼び止められたという。すぐそばの歩道で母親が急に具合が悪くなったので、車に乗せるのを手伝って欲しいと頼まれたらしい。
井原は秋川の背後に回り、首に何かの薬品を注射した。秋川のスマートフォンはそのときに奪われ、草叢に隠されたようだ。
あの夜、矢吹は病院へ運ばれ検査を受けた。脳に異常はなかったが、右足を軽く捻挫していた。湿布を貼って、いまはほぼ治っている。
「嬉しくないんですか。二十一年前の事件が解明されるかもしれないんですよ」
秋川はペットボトルの蓋を開け、ミネラルウォーターを喉に流し込む。
「由依を殺したのは安藤じゃない。井原だよ」
「それなら、どうして安藤も青木も井原のこと何も話さないんですか。何もかも最初から正直に話していたら、罪に問われずに済んだかもしれないのに……」
「あの二人は井原の儀式に協力してたんだ。それでまだ学生だった麗美さんを生き返らせた。殺人幇助の罪に当たるが、それを証明するのは難しい。そもそも殺人罪じゃないならとっくに時効が成立してる」
不思議と怒りは湧いてこなかった。
「お前、井原の母親の遺体を見たのか」
「僕がいた場所には平たい石の台がありました。僕は縛られた状態で寝袋に入れられていて、薬品のせいなのか頭がぼうっとしてました。その台の奥に、もう一つ寝袋が置かれていたのを覚えています。でも、袋のなかは見てません」
秋川は目を眇め、ぶるっと身を震わせた。
井原は母親を蘇らせたかった。きっとそれが真実なのだろう。井原の使命は母親に仕えることだった。
だがその一方で、二十一年前には安藤麗美を蘇らせた。本当は麗美を愛していたのではないか。そのとき母親から離れていたら、今回の事件は起きなかったのかもしれない。
「井原はどうして里奈さんを生贄に選んだと思いますか」
秋川は神妙な顔でペットボトルの水を見つめている。
「里奈さんが殺されてなければ、井原に辿り着くことはなかったかもしれません。あのとき高齢者施設で井原に会ってなかったら、矢吹さんだって井原が犯人だとは思わなかったんじゃないですか」
「そうだな。安藤が犯人だと確信して、署に帰ってたかもしれねぇ」
井原が白石里奈を生贄に選んだのは、安藤を苦しめるためだったのではないか。井原はいまも麗美を愛しており、安藤が麗美を裏切っていると知ったから。
「矢吹さんは、死んだ者が本当に蘇ると信じますか」
秋川はペットボトルを握りしめたまま、視線を矢吹に向けた。
「いまはどこか絵空事のように感じてるってのが正直なところだよ。だけど、あの森にいた時は信じてたような気がする。この世界には、科学では説明できない何かが存在してるってさ」
あの暗い森には小さな天使が舞っていた。白く揺蕩い、光のベルトに乗って、神の元へと還っていく。
了
【参考文献】
毛利文彦『警視庁捜査一課殺人班』二〇〇五年、角川書店相楽総一
北芝健監修『刑事捜査バイブル』二〇一一年、双葉社
須藤武雄 科学捜査研究会『証拠は語る』二〇〇〇年、日本文芸社
今井良『警視庁科学捜査最前線』二〇一四年、新潮社
トレイシー・ウィルキンソン著・矢口誠訳『バチカン・エクソシスト』(文藝春秋)
リチャード・ギャラガー著・松田和也訳『精神科医の悪魔祓い』(国書刊行会)
ウィリアム・ピーター・ブラッティー著『エクソシスト』(新潮社)
『旧約聖書』(いのちのことば社)
『新約聖書』(いのちのことば社)