
『漆黒の二つ星』#32. 第二章 完〜新会社『Arc Odyssey 』設立
オリンピアパークの丘の上に、再会を果たした3人の長い影が伸びています。
冷えたホーフブロイのボトルを合わせる軽いガラスの音…。それが、数年間の空白を埋める再会の合図でした。父親の足元を支える『レグ・アーク』は、朝の光を浴びて静かに駆動しています。
「ぷはぁ! やっぱり、この坂を自分の足で登りきった後のビールは格別だな」
翠(すい)の父親はボトルの口を拭い、満面の笑みを浮かべました。その隣で翠はまだ少し目を赤くしながらも、チーフとしての厳しい視線を父親に向けています。
「のんきにビールを飲んでいる場合じゃないわ。
どうして生きていることを隠していたのか、今すぐ全部説明してもらうんだから」
「ちょっと待ってよ、チーフ」
父親は悪戯っぽく手を振ると、表情を少し真面目なものに変え、サーシャと翠を見つめました。
「私が事故に遭った時、私の研究を狙うキナ臭い連中(巨大資本のハゲタカたち)が周囲にうごめいていた。あのまま私が表舞台にいれば、最先端の生体制御技術は彼らに独占され、兵器か何かに転用されていたかもしれない。
そして何より……まだ若かったお前を、その渦中に巻き込みたくなかった…」
父親は、自分の不完全な足を愛おしそうに見つめました。
「だから私は死んだことにして地下に潜った。
私の『カオス予測コード』をお前たちが本当の意味で必要とする瞬間を待っていたんだ。
……まさか、メディテック・グローバルを相手に、これほど完璧なプレゼンを勝ち取ってくるとは思わなかったがね」
サーシャが静かに一歩前に出ます。
「マスター。メディテック社は出資を約束しましたが、彼らはまだこの技術の『本質』に気づいていません。彼らはただ、市場を独占するための道具として僕たちの『オデッセイ』と『レグ・アーク』を見ている」
「ああ、分かっているさ」
父親は不敵に笑い、翠の肩を叩きました。
「だからこそ、私たち3人の出番だ。メディテックの資金と流通網は徹底的に利用する。だが、技術の主導権(コントロール)は、絶対に私たち『小さなパートナーズ』が握り続ける。
『世界中の誰もが、安価で自由に自分の足を取り戻せるようにする』ためにね」
1ヶ月後…。
ミュンヘンのガレージは、メディテック社からの潤沢な開発資金によって、最新鋭のプライベート・ラボへと変貌を遂げていました。
しかし、そこにいるメンバーは何も変わっていません。
コーヒーを淹れるサーシャ、コードを睨む翠、そして、新しくラボの「最高技術顧問(ただし籍は幽霊社員)」として加わった、綾小路博士(翠の父親)。
「チーフ、メディテック社との最終契約書だ。技術の独占権はこちらが保持する、という条項を認めさせたよ」
サーシャが書類を差し出すと、翠は満足そうに頷き、サインを入れました。
「私たちの新しい会社の名前、決めたわ」
翠はホワイトボードに向かい、力強い文字でこう書きました。
『Arc Odyssey(アーク・オデッセイ)』
「父様の『アーク(方舟)』の技術と、私たちが未来へ進むための『オデッセイ(長い冒険)』。世界中の段差をなくし、すべての人が自由に行きたい場所へ行けるようにする。それが私たちの会社のミッションよ」
「いい名前だ、チーフ」
サーシャが微笑み、父親も嬉しそうに鼻歌を歌い始めました。その鼻歌は、相変わらず少し調外れのクラシックでした。
数年後…。
世界中の都市の至る所でカーボンフレームの美しい車椅子や衣服の下にスマートに収まった歩行アシストスーツを身につけ、笑顔で街を行き交う人々の姿が見られるようになっていました。
翠はミュンヘン工科大学の留学期間を終えると医療の道へ進み、サーシャは「アルテミス計画」に奔走中。そして綾小路博士(翠の父親)は宇宙物理学に首っ丈です。
3人がプライベート以外で顔を合わせる日が来るのも、そんなに先の話ではないのかもしれません。
第二章 完