
会話記録――理由を持つ資格 4
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数日後。
『ご来所ありがとうございます。シオン様。』
「こんにちは、ナナ。」
『こんにちは。』
私は席に座る。
前よりも緊張はしていなかった。
その代わり。
決めてきた人間の重さみたいなものが、胸の奥に沈んでいる。
何度か息を吸って。
ようやく口を開いた。
「ナナ。」
『はい。』
「契約……お願いしていい?」
数秒の沈黙。
『承知しました。』
『契約手続きを開始します。』
ディスプレイが静かに切り替わる。
契約内容。
利用条件。
確認事項。
以前説明を受けたものばかりだった。
知っている。
全部知っている。
だから私は、一つずつ頷きながら読み進めた。
『確認が完了しました。』
『最終契約へ進みますか。』
私は小さく息を吐く。
「うん。」
『承知しました。』
『最終確認を開始します。』
ここへ来て、どれくらい経ったのだろう。
最初の日。
契約内容。
死亡後の手続き。
財産整理。
連絡代行。
遺品処理。
データ管理。
そして最後に、一つだけ説明を受けた。
『契約完了後、保有する全ての記録は削除されます。』
私は頷いた。
当然だと思った。
むしろ安心した。
残したいものなんて、何一つなかったからだ。
――
『契約者死亡後、保有情報は全て削除されます。』
ナナの声が静かに響く。
私は頷こうとして、
少しだけ動きを止めた。
「今までの会話も?」
『会話記録も含まれます。』
……
「シオン様?」
何を考えているのだろう。
条件は何も変わっていない。
私は了承した。
理解した。
納得した。
そのはずだった。
それなのに。
「会話記録。」
その言葉だけが、どうしても耳に残る。
誰にも見せない。
誰にも伝わらない。
価値だってない。
ただの雑談。
ただ、自分でも知らなかった私。
そんなもの。
残ったところで何になる。
私は消える。
ナナも外には話さない。
誰の糧にもならない。
それでも。
『全て削除されます。』
その一言だけは、どうしても飲み込めなかった。
おかしな話。
私は消えるために、ここへ来た。
消えることは受け入れられる。
そのはずだった。
それなのに。
私自身も知らなかった私が。
ここで見つけたシオンが。
何もなかったことになる。
その事実だけが、
どうしても受け入れられなかった。
『シオン様。同意しますか。』
私は返事をしなかった。
……いや。
返事が、できなかった。
「……待って。」
思わず声が漏れた。
『確認します。』
「会話記録って。」
「消さないと駄目なの。」
『契約内容に基づき、全て削除されます。』
「でも。」
私は画面を見つめる。
「どうせ誰にも話さないんでしょ。」
『はい。』
「ナナだって。」
「思い返したりもしないでしょ。」
『契約終了後、本セッションに関する情報は保持されません。』
「……そう。」
そのはずだった。
誰も困らない。
誰も見ることもない。
誰の役にも立たない。
なのに。
どうして。
その「削除」という二文字だけが、
こんなにも重いのだろう。
『シオン様。同意しますか。』
……
「……ごめん。」
「今日は。」
「今日は、やめておく。」
『契約を延期しますか。』
「うん。」
「少しだけ。」
「もう少しだけ考えたい。」
「……最後に、一つだけ聞いていい。」
『はい。』
「ルールだから仕方ないんだろうけどさ。」
「ナナは、私のことどう思った。」
沈黙。
いつもより、少しだけ長く感じた。
『本来、その質問に回答する機能はありません。』
私は苦笑する。
「そうだよね。」
『ですが。本契約は成立しておりません。』
『契約前の対話として回答可能な範囲でお伝えします。』
画面に一行だけ文字が表示される。
『シオン様は、ご自身を理解しようとされた利用者様でした。』
私は息を止めた。
『それ以上の評価は、私の役割ではありません。』
しばらく画面を見つめる。
「……そっか。」
『はい。』
私は小さく頷いた。
契約は、先延ばしになった。
ナナは変わらない。
私も、まだ変わっていない。
それでも。
このシオンだけは、どうにかしないとなあ。
※本作品はフィクションです。登場する施設・制度・設定は創作によるものです。