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下山の思想―人生後半を軽く生きるために⑤

    第5回「下山の思想」は諦めではない

    ここまで私は、かなりいろいろなものに文句を言ってきた。

    だが、別に何もかも否定したいわけではない。
    私はただ、
    人の人生を重くしやすいもの
    を、少し冷静に見てみたかったのである。

    世の中には、「あったほうがよい」とされるものがたくさんある。
    そして多くの場合、それらはたしかに一理ある。
    まったくの嘘ではない。
    だからこそ厄介なのだ。

    ・家がある安心
    ・家族がいる安心
    ・墓がある安心
    ・地域とのつながり
    ・趣味の充実
    ・生きがい
    ・活動的な老後
    ・人生の後半の挑戦

    どれも、それを本当に望み、楽しめる人にとっては意味があるだろう。

    しかし問題は、それらがしばしば
    「ないといけないもの」「あるのが正しいもの」
    として扱われることだ。

    そして、その結果として、
    人は自分にとってはそれほど必要でもないものまで抱え込み、
    背負い込み、維持し、後始末に追われることになる。

    私は、その構造にかなり違和感を持っている。

    (1)老後は「立派に生きる」より、「無理なく回る」ほうが大事である

    若い頃は、立派に生きることに意味がある時期もある。
    そういう時期があってよい。
    人生の前半には、ある程度そういう力が必要なのだと思う。

    しかし老後まで、同じように
    「もっと」「さらに」「まだまだ」で生きるのは、かなりしんどい。

    なぜなら、老後に必要なのは、立派さや拡張性よりも、
    無理なく回ること
    だからである。

    ・体調が悪くても破綻しない
    ・一日家にいても苦しくない
    ・物が多すぎない
    ・面倒な役割が少ない
    ・管理対象が多すぎない
    ・他人に迷惑をかけにくい
    ・自分でも後始末できる

    こういうことのほうが、ずっと現実的で、ずっと大事である。

    だが世の中は、こういう地味なことをあまり褒めない。
    代わりに、活動的で、前向きで、まだまだ元気で、
    挑戦している人を好んで持ち上げる。

    それも悪くはない。
    だが、老後の生活を本当に支えるのは、
    華やかさではなく、壊れにくさ
    だと私は思っている。

    (2)「少ないこと」は、貧しさではなく、自由である

    私はここで何度も
    「減らす」「縮小する」「持ちすぎない」という話を書いてきた。

    それを読むと、人によっては少し寂しい印象を受けるかもしれない。

    ・家を小さくする
    ・物を減らす
    ・趣味を絞る
    ・人付き合いを減らす
    ・役割を減らす
    ・伝統をたたむ
    ・作品を増やしすぎない

    たしかに、見ようによっては「何でも減らす話」に見える。

    だが私自身は、これを貧しい話だとは思っていない。
    むしろ逆である。

    少ないことは、かなり自由だ。

    物が少なければ、探さなくてすむ。
    家が小さければ、掃除も修繕も楽になる。
    役割が少なければ、気力を温存できる。
    趣味が軽ければ、後始末に追われない。
    持ち物が少なければ、引っ越しも、病気のときも、老後の片づけも楽になる。

    つまり、少ないことは、
    身軽であることなのである。

    そして年を取るほど、この「身軽さ」はかなり大きな価値になる。

    若い頃のように、力で何でも押し切れない。
    気合で片づけるのも難しくなる。
    体調や気分にも波が出る。
    そういう時期に、暮らしそのものが軽いというのは、非常に強い。

    私は、老後において本当に豊かなのは、
    たくさん持っている人ではなく、少ないもので楽に回せる人
    ではないかと思っている。

    (3)老後に必要なのは、「何を持つか」より「何を持たないか」の判断である

    人生の前半では、人はどうしても「何を持つか」を考えがちである。
    それは自然なことだろう。
    若い頃は、人生の土台を作る時期でもあるからだ。

    だが、老後に入ってもなお、その発想のままでいると、どうしても重くなる。

    老後に本当に重要なのは、
    何を持つかではなく、何を持たないか
    のほうである。

    ・持たなくていい家
    ・持たなくていい物
    ・持たなくていい役割
    ・持たなくていい義務
    ・持たなくていい見栄
    ・持たなくていい世間体
    ・持たなくていい理想の老後像

    これらを見極めていくこと。

    そして、「これはなくても困らない」「これはもう引き受けない」と判断していくこと。

    それは消極的なことではない。
    むしろ、かなり主体的な生き方だと思う。

    なぜなら、人は放っておくと、世間や善意や惰性によって、
    いくらでも余計なものを持たされるからである。

    (4)老後に必要なのは、「まだまだ」ではなく「もう十分」の感覚かもしれない

    今の社会は、「まだまだ」という言葉が好きである。

    まだまだ若い。
    まだまだやれる。
    まだまだ可能性がある。
    まだまだ楽しめる。
    まだまだ挑戦できる。

    もちろん、それで元気が出る人もいるだろう。
    それを支えにできる人もいる。

    だが私は、老後においてもっと大事なのは、
    「もう十分」
    という感覚ではないかと思っている。

    もう十分働いた。
    もう十分持った。
    もう十分頑張った。
    もう十分集めた。
    もう十分広げた。

    だから、これ以上は増やさなくていい。
    これ以上は背負わなくていい。
    これ以上は証明しなくていい。

    この「もう十分」は、あきらめではない。
    敗北でもない。
    むしろ、かなり成熟した感覚である。

    人生をある程度生きてきたからこそ言える言葉だと思う。

    そして、この感覚を持てると、人はかなり楽になる。

    世間に煽られにくくなる。
    余計なものを欲しがりにくくなる。
    他人の理想に引っ張られにくくなる。

    つまり、「もう十分」と思えることは、
    老後の自由を守る力
    でもあるのだと思う。

    (5)壊れにくい生活は、たいてい少し地味である

    ここまで読んで、
    もしかすると「結局、地味に暮らせという話か」と思う人もいるかもしれない。

    まあ、かなりその通りである。

    実際、壊れにくい生活というのは、だいたい少し地味だ。

    ・家は大きすぎない
    ・物は多すぎない
    ・趣味は重すぎない
    ・人付き合いは濃すぎない
    ・日々の予定は詰めすぎない
    ・体力を試すようなことはしない
    ・維持に手間のかかるものを増やさない

    派手さはない。
    インスタ映えもしない。
    人生の成功例として雑誌に載る感じでもない。

    だが、そういう生活のほうが、実際にはかなり強い。

    なぜなら、地味な生活は
    トラブルに強い
    からである。

    病気になっても崩れにくい。
    疲れても回る。
    人手がなくても何とかなる。
    収入が増えなくても破綻しにくい。
    気力が落ちても維持できる。

    これは老後において、ものすごく大きな価値だと思う。

    私は、老後を「いかに輝かせるか」より、
    いかに壊れにくくするか
    で考えたほうが、ずっと賢いと思っている。

    (6)人に迷惑をかけないとは、「全部自分でやること」ではない

    老後の話になると、多くの人が「人に迷惑をかけたくない」と言う。
    これはかなり強い感覚としてあると思う。

    私も、その気持ちはよくわかる。
    できることなら、家族や周囲に大きな負担を残したくない。
    その感覚自体は、ごく自然でまっとうなものだろう。

    ただ、ここで一つ気をつけたいことがある。

    それは、
    人に迷惑をかけないことと、全部を自分で抱えることは違う
    ということだ。

    ときどき、人は「迷惑をかけたくない」という思いから、かえって無理をする。

    ・一人で危ないことまでやる
    ・助けを頼まない
    ・片づけや整理を先延ばしにする
    ・家や墓や物を抱え込んだままにする
    ・限界が来るまで何も変えない

    しかし、それは長い目で見れば、
    むしろ周囲にもっと大きな負担を残すこともある。

    本当に人に迷惑をかけにくくするには、
    早めに小さくしておくこと
    のほうが効く。

    ・物を減らしておく
    ・管理対象を減らしておく
    ・危険な趣味を見直しておく
    ・維持できないものをたたんでおく
    ・できないことを早めに認めておく

    これは、依存ではなく、現実的な配慮である。

    つまり、「人に迷惑をかけない」とは、
    無理して全部自分でやることではなく、
    破綻しにくい規模にしておくこと
    なのだと思う。

    (7) 静かに、軽く、壊れにくく――それで十分だと思う

    ここまでいろいろ書いてきたが、最後に言いたいことは、案外単純である。

    老後は、
    静かに、軽く、壊れにくく
    生きられれば、それでかなり十分なのではないか。

    別に立派でなくていい。
    誰かに評価されなくていい。
    「充実した老後」の見本みたいにならなくていい。
    世間が勧める理想像に合わせなくていい。

    その代わりに、

    ・自分で回せる
    ・無理がない
    ・後始末に困らない
    ・日々に小さな楽しみがある
    ・身の丈に合っている
    ・誰かに大きな負担を残しにくい

    そういう暮らしのほうが、
    ずっと誠実で、ずっと強いのではないかと私は思っている。

    少なくとも私は、そういう方向の老後のほうに魅力を感じる。

    華やかではない。
    しかし、無理がない。
    そして無理がないというのは、人生の後半ではかなり大きな価値である。

    もしこの記事が何か一つでも役に立つとしたら、それはたぶん、
    「世間が当然だと思っている重たいものを、少し疑ってみてもよい」
    と思えることではないかと思う。

    嫁も、墓も、持ち家も、趣味も、生きがいも、人生100年時代も。
    それらは全部、本当に自分に必要なら持てばよい。
    だが、そうでないなら、持たなくてよい。

    持たない自由。
    増やさない自由。
    たたむ自由。
    もう十分と言う自由。

    老後には、その自由のほうが案外大切なのではないか。

    私は、そう思っている。


     
     

    優嵐

     
     
    人生後半の「下山の思想」を考える人。実家売却や地方の変化、老後の縮小と整理について、自分の体験をもとに書いています。

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