
『シーシャ屋の呼び込み』
雨の日に、傘をさして雑多な店が集まる狭い路地を歩いていると、シーシャ屋のお兄さんに声をかけられた。
僕はシーシャを知らない。
長い管で繋がれたタバコのような何かという浅い知識しかない。もちろんシーシャを吸ったことなどない。シーシャ屋のお兄さんには申し訳ないけれど、素通りした。
シーシャ屋のお兄さんは、街ゆく人にこう声をかけていた。
「雨宿りにシーシャいかがですか?」
シーシャを「雨宿りのついで」として勧めていたことに驚いた。
シーシャって「雨宿りのついでに軽く一発吸っていきますか」というほど手軽なものとして、シーシャの常連には通用しているものなのだろうか。シーシャを知らない人は、「ちょうど今雨宿りしたいから、ついでに初めてシーシャも吸ってみよう」という思考にはほとんどならないはずで、雨宿りのついでに勧められたら、なんとなくそれ以外の目的もありそうで僕は警戒してしまう。
雨宿りなんて屋根さえあれば、どこでもいい。そうだとしたら、やはりあの言葉はシーシャを吸ったことがある人に向けられていたものと考えられる。
シーシャを吸ったことがある人でも、「雨宿りのついで」なんてことはあるのだろうか。その時点でのいちばんの欲求が「雨宿りをしたい」で、その後に「ついでにシーシャも吸える」という流れになるはずだ。そもそも「雨宿りをしたい」が第一の欲求である瞬間があるのか?
ある。
そう、傘を持っていないときだ。
つまり、突然の雨に降られ、傘も何も持っていないとき、多くの人は「雨宿りをしたい」が第一の欲求になる。傘を持たずに雨に降られた人が、普段からシーシャをよく吸う人だとしたら、「雨宿りにシーシャいかがですか?」は、まさに天使の一声に聞こえるのではないだろうか。これぞ一石二鳥。
今度、雨の降っていない日にそのシーシャ屋の前を通ってみようと思う。晴れた日には、シーシャをどうやって勧めるのだろう。
「日陰で涼むついでにシーシャいかがですか?」
シーシャを吸ったことが無くても、足が向きそう。
やはり、ここでもしっかりと日傘をさす。
そうすれば、日陰で涼むついでにシーシャを吸う流れにはならないだろう。
シーシャを嫌悪しているわけではないのだけれど、僕はまだ、シーシャ屋のお兄さんを信じきることができていない。