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Photo byhakoism

義父のこと。

    義父に初めて会ったのは、初めて夫の家に行った日だった。
    古い鉄骨造りの車庫の前で、首からタオルをかけた男性がパイプ椅子に座っている。男性は車から降りてきた私たちを見て、「よう」と言うように左手を軽く上げた。
    「こんにちは」
    私が緊張しながら挨拶すると、義父も私に軽く会釈を返す。
    そのあと、何も言わずに夫に視線を向けた。夫は少し邪魔くさそうに「おう」と短く右手を上げて答え、そそくさと私を家の中に入るように促した。

    私には義父と夫が中学生男子のように思えた。
    初めてできた彼女を連れてきた親友を、からかい半分、応援半分で見ている男の子と、誇らしいような、照れくさいような気持ちでその前を歩くもう一人の男の子。
    義父と夫の視線のやり取りには、そういう空気が流れていた。
    このやり取りを見て、初めて恋人の家を訪れる緊張が少しだけほどけたのを覚えている。
     
    夫は私の初めての恋人だった。彼氏の家へ行く時の「彼女の正解」が分からない。ご両親とはどれだけ話すのがフツウなのか。
    しかも、夫の両親はろう者で、私は手話ができなかった。
    私は会釈で終わった義父との初対面に少しほっとした。でも、どこか拍子抜けもしていた。

    あの日、浮き足立っていた私はちっとも知らなかった。数分顔を合わせただけの、にやけ顔で夫を見ていた人のことで、こんなに心揺れる日が来るなんて。
     
    それからしばらくして、両家顔合わせが夫の家で行われた。
    玄関を入ってすぐ、古くて広い土間に大きなテーブルとパイプ椅子が置かれ、夫の一家と通訳さんが広い上がり框に、私の一家はパイプ椅子に座った。
     
    しばらくして、義父が手話で話し始めた。
    「私たちには障害があります。息子が結婚するのは難しいと思っていました。私たちは息子と離れて別に暮らしてもいい」
    私は、夫が両親の金銭管理や役所の手続きを全面的にやっていることを聞いていた。
    夫も当然のように「結婚するなら、うちに来てもらわなあかんのよ」と言っていた。
    義父の突然の言葉に、私は返事ができなかった。父も母も黙っていた。
    やがて、義父がゆっくり手を動かした。

    「手話は私が教えます」

    そう言った数十分後には、義父は手話講座を始めていた。
    両家顔合わせの後、みんなで何か食べに行こうということになり、近所のうどん屋さんへ行った。
    さっそく義父が「蕎麦の手話はこうだよ」と教えてくれた。
    うどん屋さんなのに、なぜ蕎麦だったのか。義父は徳島の祖谷生まれなのだ。祖谷といえば蕎麦である。
    「うどんはこう、ラーメンはこうだよ」
    矢継ぎ早に手話を教える義父に、「麺は全部うどんと同じでいいわよ」と義母は笑っていた。

    新婚生活が始まり、私と義父母との同居も始まった。
    私は「嫁として頑張らなければ!」と勝手に気合をいれて、毎日クックパッドとにらめっこしながら夕食を作っていた。
     
    ある日、中華スープを作ろうとした時に事件が起こった。
    「次は、片栗粉。片栗粉……」
    つぶやきながら、片栗粉でスープにとろみをつけようとした瞬間、ばさあ、と盛大に片栗粉が鍋に入ってしまった。
    ひどく慌てた私は、とりあえずスープを水で薄めた。
    味がとっても薄くなった。
    調味料を足した。
    塩辛くなった。
    ……。
    さて、鍋にはかさ増しした、塩辛いどろどろの汁が大量に入っている。
    あ、こりゃあ無理だわ、リカバリーは無理。
    あまりの失敗っぷりに、段々面白くなってきて、一人で笑っていると、台所へ義父がやってきた。
    「どうしたの?」
    「大失敗した。マズイ~」
     義父がお玉で汁をすくって口へ運んだ。たいていのものは黙って食べる義父だが、一口飲んで目を丸くした。
    「これは、マズイね!」
     2人で笑いながら、鍋いっぱいの汁を捨てた。
    「ごめん」と伝えた私に、義父は「みんな同じ。だんだん上手になる。妻もそうだった」と、私の目をまっすぐ見て真剣な表情で言った。

    義父とは手話と筆談でたくさんの話をした。義父が繰り返し話題にするのは子育てのことだった。
    「君の夫が赤ちゃんの時は、市役所から機械を借りていた。赤ちゃんが泣くと、ブブブと機械が震える。それを、赤ちゃんと自分の手首につなぐ。泣いたらブブブで、ハッと起きてミルクをあげる」
    雑談の終わりは、必ず自分の学生時代の話になった。義父が黒いベロア張りの大きなアルバムを持ってきて、アルバムに挟んだ新聞記事の切り抜きを指さす。
    「ろう学校で野球をしていた。ホームランを打ったんだ」
    義父はふさふさした眉毛をクッとあげて、きらきらした目で私の顔を覗き込んだ。私が「すごいね」と言うと、義父は「うん」と頷く。義父は何度も同じ記事を見せ、私も何度も同じように驚いてみせた。

    結婚2年目。新しい家族との生活にも慣れた頃、我が家に新メンバーの長女がやってきた。
    「子どもが小学生の時、妻がお弁当を作ってみんなで運動会に行った。この子が小学生になったら、運動会に行きたい」
    義父はよくそう言っていた。
    この子が小学生になる頃には―。義父も私たち夫婦も、その時が来るのを楽しみにしていた。

    ところが、その話をしていた頃から、少しずつ家の中に違和感が増えていった。

    「なあ、じいちゃんの部屋、なんか臭わん?」
    ある日、夫が言った。
    そういえば、義父の部屋の様子も以前と少し違っていた。
    いつの間にか、義父は散乱した新聞紙の上に横たわり、うたた寝をするようになっていた。
    「じいちゃん、部屋片付けよう」
     夫が消臭スプレー片手に新聞紙をめくると、古い畳に多数の丸いシミが現れた。長女をあやしている私のところへ夫がやってきた。
    「お父さん、トイレ間に合ってない。だいぶ前から、失敗、隠しとったみたい」

     その日、夫と義父は長いこと話をしていた。私は義父と夫の話を、そっと部屋のふすまを開けて見ていた。
    夫の手話を見る義父の表情は硬かった。
    いつもくるくる動く瞳が今日は動いていない。
    いつもおしゃべりな義父の手も空中で止まったままだ。
    私は迷った。嫁の私が口を挟んでいいのだろうか。

    「尿漏れパッド、っていうんがあってな。おむつではないんよ、下着に貼れるんがあって……」
    夫が一生懸命説明している。義父は首をかしげる。
    実物を見れたら、いいんやけど。あ、そうだ。
    夫の説明を一歩下がって聞いていた私は、閃いて生理用ナプキンを持ってきた。義父の前でナプキンを開く。夫に水を入れてもらって、ナプキンに水を垂らした。
    「女性はみんなこういうのを使ってる」
    手話で義父に伝えた。
    義父は「おむつじゃなくて、これならいいかもしれない」と言った。
    尿漏れパッドを使い始めた義父は、「もっと大きいのがいい」と言い、やがてあれほど嫌がっていた紙おむつも履くようになった。
     
    私はほっとした。けれど、その後、ふと義父の言葉を思い出した。
    「この子が小学生になったら、運動会に行きたい」

    2歳になった娘が、ふりかけの小袋を床にばらまいて遊んでいた夕方だった。
    「じいちゃん、トイレ長くない?」
    私は、数センチだけトイレのドアを開けて、そうっと中を覗いた。義父の頭は不自然に左へ傾いていた。目を閉じたまま動かない。ズボンもおろしたままだった。
    私は急いでドアを開けた。
    義父の肩を叩く。
    目は開かない。
    もう一度肩を叩く。
    返事がない。
    両肩を揺らす。
    ぐらり、と義父の大きな体が私の肩にのしかかる。
    義父の体を支えながら、ポケットのスマホを取り出して、夫に電話をかけた。夫が出るまでのコール音が永遠に思えた。自分の鼓動がとてもうるさかった。
    数分後、夫が帰ってきた。トイレから義父の体を引っ張り出し床に寝かせる。夫はばしんばしん、と義父の頬を叩いた。変わらず義父の目は閉じたままだ。
    「救急車呼ぼう」

     義父はパーキンソン病や便秘の薬を毎日十種類ほど飲んでいた。医師によると、薬の管理がうまくできなくなり、一時的に飲み過ぎたことで血圧が乱れたのだろうということだった。 
    「今日はいったん家に帰っていいですよ」
    医師の言葉に私も夫も大きく息を吐いた。

    「お化けがいる。女の首が浮かんでいる」
    義父がそう言い出したのは、2日後のことだった。
    「そこにいる」
    義父はビデオデッキのガラス戸を指さした。
     
    その日から義父は、女の幽霊や、床を這う虫を見るようになった。
    「危ない、お化けがいる。そっちへ行っちゃだめ」
    義父が娘の腕を強く引っ張る。娘が泣き出す。義父の力は弱っていると思えないほど強かった。

    義父から目が離せなかった。私は泣きながら娘を預かってほしい、と実家に電話した。

    娘がいなくなった家は静かだった。気づけば、結婚した頃のように、私と義父だけの時間が増えていった。

    ある夜、私は喉が渇いて目を覚ました。水でも飲もう、と体を起こす。
    台所には、もうすぐ完成する新築のために整理していた荷物が詰まった段ボールが並んでいた。その中の一つを開けて、義父が頭を突っ込むようにして何かを探している。
    私は義父の肩をそっと叩いた。
    「どうしたの?」
    義父は私の手をとった。手のひらに人差し指でゆっくり文字を書く。
    「ほ、う、ち、ょ、う」
    ぐっと拳をにぎって、お腹にもっていく。ゆっくりと、力を入れて拳を横に滑らせた。
    「包丁ない?」
    私は息をのんだ。 
    「知らない。ない」
    義父はまた段ボール箱を探し始めた。
    私は義父から見えないように、慎重に、でも素早く包丁を取り出して、刃先をキッチンペーパーで包み、輪ゴムで留める。腰の曲がった義父には届かない吊戸棚にしまった。

    義父の背中をしばらく見つめていた。
    どうしていいか分からない。
    途方に暮れて、寝床へ戻った。

    朝になっても、また包丁を探したらどうしよう。
    すぐには寝付けなかった。とにかく、目を閉じて、朝が来るのを待った。

    その年の夏、私は娘のいない部屋で、毎日幽霊と戦う義父のお経を聞いていた。お経が止むときは、義父が憔悴しきって眠る時だけだった。

    これはいつまで続くんだろう、娘はいつ帰ってこれるんだろう。

    数日後、私は義父の訪問リハビリの予定について話す夫の言葉を遮った。
    「言いたいことがあるんやけどいい?」
    夫は不思議そうな顔をしていた。
    「何?」
    「あなたは前に、『うちは両親とも障がい者だし、介護力の低い家庭だから、何かあった時にはお父さんにもお母さんにも施設に入ってもらう』って言よったよね?」

    私の言葉を聞いた夫の瞳がかすかに揺れる。

    「何かあった時って今だと思う。このまま続けるんは、限界ちゃうかな」
    夫はしばらく黙っていた。

    一度目を閉じて、
    「そこまで、かな?」
    と言った。

    「そこまで、だよ」
    私は答えた。
    「そうか……」
    少しうつむいて、夫は小さな声で呟いた。

    そうして秋になる頃、義父の入院先探しが始まった。

    3ヶ月経って、やっと入院先が見つかった。私は義父の着替えをもって面会に訪れた。義父はやっと入院できたんだ。ほっとしているだろう。

    病棟へ入ると、車いすに座る義父の背中が見えた。
    義父の体は、十字に車いすに括りつけられていた。

    「じいちゃん」
    うまく声が出なかった。

    「義父は暴れたりしましたか?」
    私は案内してくれた看護師さんに聞いた。
    「ええ、まあ、特にそういうことではないんですけども……」
    看護師さんは目をそらした。

    「昨日、トイレに行きたいと頼んだけど、行けなかった。このままで、おしっこをしてしまった」
    話した義父の目は、落ちくぼんでいた。
    「仕方ない。病院の人はみんな忙しい。迷惑をかけたくない」

    病院を出た後、私は泣いた。大声で泣きながら、車を運転した。

    「これは暴れたりした時のために、一応、念のためサインしてもらってるんです。特に必要なければつけませんから」
    入院の手続きの際の看護師さんの言葉を思い出した。少し気にはなった。それでも私は家族欄に自分の名前を書いた。

    どうして私はあの紙に名前を書いたんだろう。

    義父はその後、夫の勤める病院へ転院した。同じ系列の特別養護老人ホームに入るまでの待機入院だった。施設にすぐ入れると思っていたが、そのまま2年が経った。

    「では、これが入所の契約書になります。ご家族のサインをください」
    にこやかに告げた職員さんに私は尋ねた。
    「あの、ここは夫の名前でなく、私の名前でいいんでしょうか」
    「はい。今日来られている方のお名前をお願いします」
    私はペンを握り、名前と続き柄の欄を見た。最初の入院先でも私は名前を書いた。その時のことが頭をよぎった。
     
    それでも私は自分の名前を書いた。そして、続き柄の欄に「長男の妻」と記した。
    夫が体調を崩してから書き慣れてしまった言葉だった。

    車庫で私たちのデートを眺めていた人。
    「蕎麦」の手話を教えてくれた人。

    もう、この人は家には帰ってこられない。

    私は車いすに座る義父の前で、何枚もの書類にサインをした。

    義父が特養に入所してすぐ、コロナ禍になり、面会ができなくなった。施設からは、たまに電話があり、おやつやティッシュや足りない着替えなどの指定されたものを持っていった。
    楽しみのために施設に差し入れていたおやつは、義父の大好きなかりんとうから、やわらかいクッキーになり、プリンやゼリーになった。おやつが変わっていくのと同じように、義父の移動手段も、杖での歩行から歩行器になり、車いすに変わった。

    少し規制が緩まって、何度かガラス越しに面会したこともあった。
    「お兄ちゃんは大丈夫?」
    「具合は悪いけど大丈夫」
    「子どもは元気か?学校に行っているか?大きくなったか」
    「元気。学校行ってるよ。大きくなった」
    それで、もう話すことがなくなってしまった。
     
    ちょうどその頃、夫がうつ病で毎日寝込んでいた。子どものこともある。家のこともある。今は義父のことを考える余裕がない。
    義父のことが頭をよぎる度、私は会いに行かない言い訳を並べるようになっていた。誰に責められているのでもないのに、後ろめたい気持ちが湧いてきて、胸がチリチリした。それでも、そのチリチリをぎゅっと片隅に追いやって、毎日の雑事をこなした。

    コロナが終わった。
    「面会しますか?お義父さん、呼んできましょうか?」
    荷物を受け取った職員さんが言った。
    私は答えた。
    「あ、今日は、いいです」
    義父は施設のどこかにいる。
    会おうと思えば会えた。
    それでも私は会わなかった。

    「お義父さんなんですが、3日前から熱が下がらないんです」
    職員さんから電話があり、義父はもう一度入院することになった。主治医から「施設に戻ることはできない」と言われた。熱が下がっても食事から十分に栄養が取れなくなり、点滴が必要になった義父は、ずっと病院で暮らすしかなくなったのだった。
     
    生まれたばかりの息子のベビーカーを押して、夫と3人で病院へ行った。今度は夫が書類にサインするのを、私は見ていた。
    「面会もしていかれますか?……あ、無理にしろっていうことではないです、今度でもいいですから」
    押し黙った私たち夫婦を見て、主治医が付け加えた。
     
    この頃、義母が会いに行っても、義父は目を開けないことが増えていた。
    運よく起きていても、ぼんやりしていて手話を見てくれない。たまに何か伝えようとしても、震えが強く、義母や通訳さんでも手話を読み取れなくなっていた。

    「すみません、今日はいいです。赤ちゃんもいますし。また改めて」
     小さな声で主治医に告げて、私たちは席を立った。
    改めて、がしばらく来ないことを私たちは分かっていた。

    「ついに、かな」
     病院のケースワーカーさんから電話があるたび、そう思うようになっていた。こわごわ電話に出ると、「病棟が閉鎖するので、あと2ヶ月後までに転院先を探したい」との話だった。
    転院が決まり、夫婦で久しぶりに病院を訪れた。

    義父はベッドに横になっていた。
    「じいちゃん、来たよ」
    呼びかけて肩をたたいても、手を握っても、義父の目は開かない。
    手話と一緒によく上下した、ふさふさした濃い眉毛も今は動かない。
    無精ひげが生えた頬はこけていて、口は半開きになったままだった。
    体の拘縮が進んでクッションを挟んだ足は、眠っているのに固く、
    つま先までピンと伸びていた。

    「いつの間にか、よく見てた『患者さん』の顔になったなあ」
     長年病院で働いていた夫がぽつりと言った。
     私は返事ができなかった。
    「受け入れるまで時間がかかった。ようやく普通にできるようになった。よかった」
    入院してから一度も見舞いに行かなった夫が、目を細めて愛しそうに義父の頭をなでながら言う。
    夫は受け入れたんだ。よかった、と思った。
    同時に魚の骨が喉に刺さったままのような収まりのつかない気持ちも湧いた。
    私はまだ義父に普通に声をかけることは難しかった。

    ストレッチャーで転院先に移動するとき、病院の入り口で義父が薄く目を開けた。
    「分かる?」
    夫と私が順番に義父の顔を覗き込む。義父としばらくぶりに目が合った。
    「分かる」
    義父の手がかすかに持ち上がった。胸に手を当てようとしていた。
    私は義父母と通訳さんに考えてもらった、自分のニックネームの手話をした。かすかに義父が頷く。
    「妻は?いない?会いたい」
    それだけ言って、義父はまた目を閉じてしまった。
    それから目を開くことはなかった。

    転院先に移動して、看護師さんから説明を受けた。
    転院前の病院では、面会の時間や人数に制限はなかったが、新しい病院では、面会は1日2名まで、決まった曜日に30分しか会うことができない。今まではしょっちゅう義母が会いに行っていたが、それも難しくなることが分かった。

    転院先の新しい主治医はこう言った。
    「延命治療についてどうするか、ご家族で話し合って決めてください」
    手話通訳さんを呼んで、義母と夫と私で話をした。義弟にも家に来てもらって意見を聞いた。延命治療をしない方がいいというのが大方の意見だったが、夫だけは違った。

    「僕はまだ、もう少しお父さんにいてほしい」
    夫はまっすぐな目でそう言った。

    意外だった。義祖母が亡くなった時、夫は延命治療を希望しなかった。

    「本当はどう思うか、自分の心にちゃんと聴いてみたんよ。お父さんのことだけは割り切れないみたい。いなくなってしまうのは寂しい。まだ心の準備ができてない」

    私は夫に尋ねた。
    「でもさ、心の準備ができる時は来るの?あなたは本当にお義父さん・お義母さんのことが大好きだから。いなくなって寂しいと思うのは、いつになっても同じじゃない?」
    「……そうかもしれん。でも、今はもし、その時がきたら、胃ろうにしてほしい」
    夫の気持ちは強かった。
    私たちは、最後は夫の意見を受け入れることにした。

    家族の意思を主治医に伝えようとしていた矢先、主治医から連絡があった。
    「鼻から管で栄養を入れさせてほしい。食事だけでは栄養が足りない。そのせいで、発熱が続いている」
    そうして、胃ろうにはならなかったが、義父は経管栄養となった。

    それから、私は義父のことがふと頭をよぎる度、苦しい気持ちになった。施設入所の時に自分の名前を書いた時のことをたびたび思い出した。

    義父は「家に帰りたい」と言っていた。
    好きなテレビも見られない。
    新聞も読めない。
    大好きな甘いものも食べられない。
    今、楽しいことはあるんだろうか。
    あのサインを書かなければ、じいちゃんは大好きな妻の側にいられたかもしれない。
    でも仕方なかった。あの時、サインしない選択肢はなかった。

    それでも。

    あのサインが今の義父に繋がっている。

    その思いだけは、どうしても消えなかった。

    夫と一緒に見舞いに行っても、夫のようにやさしくじいちゃんの頬をなでたり、話しかけたりできなかった。
    「胃ろうになっても、まだいてほしい」と力強く言い切れた夫が羨ましくもあった。

    私は揺れていた。

    会いたい。
    会いたくない。
    申し訳ない。
    見たくない。
    大事に思いたい。

    義父のことを考えると、いろんな感情が一度に押し寄せた。

    私は、その揺れを書き始めた。
    なぜだろう。ずっと義父のことを書きたかったが、うまく書けなかった。
    今書かないといけない気がしたし、今の自分にしか書けないことがある気がした。

    義父のことを書く中で、義父と向き合えない自分と向き合った。
    私は家族の中で一番義父との付き合いが短い。私は義父のことをきちんと思えているのか、ずっと自信がなかった。

    でも、義父のエッセイが一万字を超えた頃、「ちゃんと『私とじいちゃん』にも関係性があったんだ」と気づき始めた。

    じいちゃんはもう何年も生きられないだろう。それは分かっている。

    いつもみたいに誰かと一緒じゃなくて、一人でじいちゃんに会いに行ってみよう。
    30分の面会でも、一人でじいちゃんと向き合ったとき、何か感じることや見えてくるものがあるかもしれない。
    そう思った。

    ナースステーションで義父の面会に来たことを伝えた。
    看護師さんが「ウォーターベット使用の同意書を書いてほしい」と私に言った。義父には大きな褥瘡ができており、少し前にウォーターベットの使用をしたいと主治医から連絡があったばかりだった。
    私は抵抗なく自分の名前を書いた。あの時のように、手は止まらなかった。

    義父は状態を起こしたベッドに座っていた。
    顔は天井を向いて、口は空いたままになっている。ごほごほと咳をしていた。一段と痩せて、のどの筋が見えていた。

    「じいちゃん、来たよ」

    義父の肩に触れようと近づいた時、義父の瞼に黄色い目やにが乗っかっているのに気付いた。私は子どもたちのために持ち歩いている手口拭きを出して、義父の目をぬぐった。

    「あんまり来なくてごめんね。じいちゃん、苦しくない?つらいことや痛いことが少しでも少ないといいな、と思うよ」
    そう言って、義父の肩をなで、手を握った。義父がとても強い力で握り返してくる。伸びた爪が私の皮膚に刺さる。
    「あー、あー」
    義父は手を握り返しながら、喉の奥の方からかすれた息と声を出した。息を出す度、喉の奥がごろごろと鳴ってむせた。眉間にしわが寄っている。

    私が手に触れたことで、誰か来たことは分かったのかもしれない。
    目を開けようとしているのか、ただの反射なのかはわからない。瞼がひくひくと動いた。でも、義父の目が開くことはなかった。
    体の拘縮も進んでいて、脚が曲がったままになっていた。義父は痛み防止のための大量のクッションで囲まれていた。あちこちが痛いのだということが見て取れた。

    30分間、義父の両手を握っていた。
    義父は一度、私の右手を、自分の右手でぐっと強く引いた。何が言いたいのかはもうわからないけど、義父には伝えたいことがある、でももう伝えられない。その苦しさを、両手を握って感じていた。

    苦しいことや痛いことは、少しでも少ない方がいい。もし今後、義父のことで決断する時がきたら、延命治療はもうやめようと言おう。

    ああ。
    私は逃げたいからそう思ったんじゃなかった。
    ちゃんと、じいちゃんのことを思って選択できていたんだ。

    その面会から4日後、主治医から電話があった。
    採血の結果、義父は極度の貧血になっているという。主治医は「お義父さんには、自分の体で十分な血液を作り出す力がないのです。輸血をしていいですか?」と言った。3日後に輸血が行われるとのことだった。了承して電話を切った。

    「お父さんの体は、もう生きようとしていないんかな」
    小さく夫が呟いた。

    夜通し、夫の言葉が頭をめぐった。一度よくなっても、また貧血になれば、輸血をする。それを繰り返すんだろうか。
    じいちゃんは、苦しいままで。そう思った。

    「今度、面会に来たタイミングでいいので、また輸血の同意書を書いてくださいね」とも主治医は言っていた。
    同意書にまた私がサインするかもしれない。
    私は想像した。
    今度は書けない、と思った。

    翌朝、私は夫に言った。
    「じいちゃんのことやけど、輸血をするので本当にいいの?もうじいちゃんの体は生きようとしてないって、あなたは言ったでしょ。生きようとしていない体の人に、こちらの気持ちだけで、輸血して、それでまた貧血になったら輸血して、って繰り返して。それでいいのかな」

    夫は頷いた。
    「わかるよ、言ってること、わかる。確かにそうだね。しない方がいい」

    「胃ろうの話し合いの時、まだいてほしい、って言ってたけど、もういいの?」
    私は夫に確認した。
    「いいよ。もう準備はできたよ」
    そして、義母と義弟とも話し合いをした。皆、輸血はやめよう、と言った。

    夫が病院に電話して、輸血をしないでほしい、と伝えた。そして、主治医から今後じいちゃんの身に起こるかもしれない様々な変化について聞いた。

    じいちゃんの人生が終わる、その瞬間がいつになるかは主治医にも分からないとのことだった。早くて2週間かもしれないし、ずっと先かもしれない。

    30分。
    また、じいちゃんの手を握ろう。
    今の私にできることはそれだけだし、それでいいんだと思う。

    じいちゃん、また会いに行くね。

     
     
     
    買い物依存症治療で、梶井はネットができないので、 夫に協力してもらって記事を投稿しています。 ●梶井 38歳/うつ病(20歳〜)/買い物依存症/1日500円生活/趣味は刺し子と編み物/ミルクティーとチョコが好き/子ども2歳と8歳/図書館は神 ●夫 梶井のコマ使い。うつ病。

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