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モノが䜿えない。『クロヌれットの神様たち』ず生きる

    モノが䜿えない。それが私の長幎の悩みだった。

    正確にいうず、気に入ったモノ、倧事なモノほど䜿わずに、ずっおおいおしたう。服、メむク甚品、キッチン甚品、食噚に食品。ゞャンルは問わない。

    䞀芋、片付いおいる颚の郚屋も、匕き出しやクロヌれットを開ければ䞊から䞋たでパンパンの状態だ。それでも、空間自䜓は確保されおいるから、生掻に特に困るこずはなかった。

    䞀番の問題点は、モノが増え続けるこずだ。䞍思議なこずに、モノを䜿わないずモノが増える。私にはすでに、䞀生かかっおも䜿いきれないほどのメむク甚品がある。もちろん、適圓に買っおいるわけではない。ちゃんず詊しお、自分に合うものを厳遞しお買っおいる。なのに、いざ䜿うずなるず、なぜか持っおいるモノの「2軍、3軍」から手を䌞ばしおしたう。

    1軍は、䜿われないたた、匕き出しやクロヌれットの奥でひっそりず眠っおいる。奥で「祀た぀られおいる」のだ。

    私は、買うこずのハヌドルは䜎いが、䜿うこずぞのハヌドルが異垞に高い人間だった。

    そんな私だったが、急に、25幎ほど前に買った服が着たくなった。20代のずき、原宿の「PAUL & JOE」の路面店で買った服だ。

    䞀目惚れし、圓時のバむト代ずしおは砎栌の䞊䞋4䞇円を叩いお買った、癜地に花柄のブラりスずスカヌトのセットアップ。春を思わせる鮮やかなデザむンに心が躍った。襟元のリボンは、結ばなければボりタむ颚にもなる玠敵な䞀枚だ。どうしおも欲しくお、圚庫のあった「ワンサむズ小さいもの」を無理しお買った。20代の私には、その小さいサむズも問題なかった。

    だけど、もったいなくお着られなかった。クロヌれットから出しおは眺め、たたしたう。䞀床だけ、地元から遊びに来た友人に貞したこずがあるだけで、そのたた20幎以䞊が経過した。

    䜕床か匕っ越しをし、倧きな断捚離も経た。流行遅れかもしれないず手攟そうずしたこずもあったが、なぜかこの服だけは生き残っおいた。

    「こんなにモノに執着しお、私はなんおダメなんだろう」 モノを枛らしたい䞀心で片付け本を読み、完璧にできない自分を責める日々。

    着ない服、䜿っおいないモノをどうしおも捚おられない。眪悪感ばかりが募っおいた。

    ある日、私は決意した。あの服をクリヌニングに出し、袖を通しおみたのだ。去幎からのダむ゚ットのおかげで、ワンサむズ小さな服はするりず入った。

    ちょうど友人ず䌚う機䌚があったので着お出かけた。お気に入りのカフェのテラス垭。心地よい颚のなかで、「今日のブラりスかわいいね」ず耒められた。

    そのずき、25幎の時を経お、ようやくこの服が機胜しはじめた。

    テラスで気分よく話をしおいるず、私のブラりスを芋たからか、友人がこんな盞談をしおきた。

    「私ももっず掟手な服を着たいけど、勇気がない」

    圌女はシンプルなブルヌのブラりスを着おいた。それもよく䌌合っおいたけれど、もっずカラフルな方が圌女の華やかな雰囲気に合う気がしお、「絶察着たらいいよ」ず背䞭を抌した。

    そこからは、どんな服が䌌合いそうかのファッションの話で盛り䞊がった。

    別れた埌、圌女からLINEが届いた。あのカフェの近くのお店で、さっそく服を買っお垰ったらしい。

    「次に䌚う時が楜しみ」ず曞かれおいた。

    䞭々チャレンゞできない気持ちは、きっずみんな持っおいるのだ。私が1軍の服を機胜させたこずが、誰かの小さな䞀歩に繋がったような気がしお、嬉しかった。

    垰り道、はっず気づいた。 私は、モノを傷぀けたくない、汚したくない、䟡倀を倱わせたくないず思ううちに、それらを「䜿うもの」ではなく、神聖な「祀るもの」にしおしたっおいたのだ。

    それは、ある皮のお守りだったのかもしれない。 い぀か「この服を着おデヌトをする盞手に䌚える」、い぀か「このコスメを䜿おう」。そんな颚に、い぀も「い぀か」のために持っおいた。

    でもそれでは、珟実は倉わらないのである。モノを䜿っおこそ、珟実が倉わるのだ。 それなのに、い぀の間にか私は、モノを䜿っお豊かになろうずせず、なにも行動をしないたたでいた。

    だけど、それは私が本圓に望んでいたモノずの関係ではなかった。モノは、祀るためにあるのではない。私の人生を豊かにする、よきパヌトナヌであるはずだ。

    服は、着お䞀緒に思い出を重ねるもの。 鍋は、料理をしお暮らしを育おるもの。 本は、読んで考え、自分を倉えおいくもの。

    モノは私の延長であり、私の胜力や魅力を広げおくれる存圚だ。

    だからこそ、倧切なのは「持っおいるこず」ではない。「䞀緒に時間を過ごすこず」なのだ。傷が぀いおも、色耪せおもいい。それは䟡倀が倱われた蚌ではなく、私ずずもに生きた時間の蚌なのだから。

    私は、完璧に片付けるこずを蟞めた。

    匕き出しやクロヌれットは盞倉わらずパンパンのたただが、もう自分を責めない。片付けに远われる時間があるなら、その分、1軍のモノを䜿う時間に充おたい。

    モノは、過去の自分からのメッセヌゞだ。あの時、それを「買おう」ず思った自分は、䜕かにチャレンゞしたい、倉わりたいず願っおいたはずなのだ。

    これからは、匕き出しに眠るモノたちに蟌められた、過去の私の願望を䞀぀ず぀「成就」させおいこうず思う。停滞しおいた私の物事が、たた動き出す。来幎の今頃、自分がどう倉わっおいるかが、今からずおも楜しみだ。

    差し圓たっお、ずっず倧切にしたい蟌んでいた秋田の曲げわっぱのお匁圓箱を出そう。そこに、これたたずっおおきの「いちご煮」で炊いたご飯を詰めお、新宿埡苑にピクニックにでも行こうか。

    芝生の䞊でごろごろしながら、本棚で眠っおいる本でも読んだら、きっず最高だ。

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    運呜を創るラボ 運呜を、自分の手で創る🫶 婚掻、暮らし、関係性、習慣。 実䜓隓ず怜蚌を重ねながら、 「人生は行動で倉えられる」を発信しおいたす。 い぀からでも、小さな䞀歩が、 未来の運呜を倉えおいく。

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