メインコンテンツへスキップ
見出し画像

きびだんごよりロキソニン。

    今日の私は明日の私の昨日【5/3.4.5】


    大雨強風の中、大会は始まった。


    数日前から雨の予報だったが、加減というものがあると思う。この世に神様がいるのかどうかは知らないけれど、少なくともこの大会には興味がないらしい。

    『佐世保-島原ウルトラウォークラリー』

    毎年ゴールデンウィークに開催される、ただ105キロ歩くだけの大会に今年も参加した。世間が国内やら海外やらに旅行だと騒がしい中、ただ歩くことを選択したバカたちが集まる大会だ。
    (※この『バカたち』というのは、ウォーカーにとっては誉め言葉だと理解していただきたい)

    朝5時に起きて準備をはじめる。スタート地点の島原までは妻と義姉が送ってくれることになっている。

    前回大会を無事完歩したおごりもあるのだろう、安定した精神状態で当日を迎えることができた。しかし、天候に対する不安は拭いきれていない。

    どんな天候だろうと参加すると決めたのは、この大会にすべてを賭けているだとか生まれ変わるんだとかいう立派な理由ではなく、すでに参加費を払っているからに過ぎない。

    お金を使っているという事実は、人を動かす原動力としては十分すぎる。

    会場までは車で片道3時間弱。車を使えばこれだけの時間で着く距離を、今から20時間以上かけて歩いて帰ってくる。

    途中でコンビニに寄っておにぎりを購入。今のコンビニおにぎりは高級品になりつつある。本当はふたつ食べたかったけれど、ひとつだけにした。

    会場には予定より早く到着。すでに多くの参加者が集まっていた。雨も降っていて、本当にこの天候の中を歩くことになるんだなと実感させられる。

    受付でゼッケンをもらい、雨合羽の前と後ろに安全ピンでとめる。送ってくれた妻と義姉に別れを告げ、開会式までのんびりと待機する。

    いつもなら受付会場近くの小学校からのスタートなのだけれど、雨脚が強まってきたため受付会場がそのままスタート地点になることがアナウンスされている。おかげで受付会場に人が溢れかえっている。

    少し前に職場を去った先輩と合流。お互い雨の中のウォーキングは不慣れで、装備品を確かめ合いながら準備を完璧にしていく。

    スタートまで30分を切る。受付会場はスタートを待つ参加者でパンパンだ。開会式が始まったけれど、雨音と足音と参加者の声でほとんど何も聞こえない。

    雨脚がさらに強まって、風もどんどん強くなっている。ワクワクと不安が混じって激しく鼓動する心臓を、深呼吸で無理矢理おとなしくさせる。

    スタートの合図。

    湧き上がる歓声の中、一歩目を踏み出した。


    雨風は思いのほか強かった。まっすぐ立つこともままならない悪天候の中、私はとにかく足を前に前にと運んだ。体力の減りと歩行速度が割に合わない。隣を歩く先輩も表情が固い。

    歩きはじめて3キロのところで、先輩のゼッケンが吹き飛んだ。横断歩道の近くだったことと、ゼッケンが取りに行けるところで止まってくれたおかげで回収することができた。

    雨に濡れないようにと靴に被せていた防水カバーは、5キロ付近ですでに穴が空いた。歩くたびにカバーの中で水が踊って、靴をどんどん濡らしていく。

    雨風はさらに激しさを増し、全方向から容赦なく叩きつけてくる。まともに前すら向けない。

    なぜ、こんな大荒れの天候の中を私は歩いているのか。早めのギブアップも視野に入れつつ、それでも歩くことをやめなかった。


    32キロ地点。ひとつめのチェックポイント。雨風はようやく落ち着いてきたが、すでに満身創痍だ。普段の何倍も疲れたし足が痛い。半月ほど前に怪我した股関節の痛みも出てきた。

    少し先に到着していた先輩に手伝ってもらいながら、着衣を整える。雨合羽は脱いでリュックにしまい込んだ。靴はすでにびしょ濡れで、靴下が足に張り付いて気持ち悪い。

    休みすぎると歩けなくなる。少しだけ足を休めてから出発した。常にギブアップの文字が頭をよぎっていた。

    まだ歩けると言い聞かせる。


    チェックポイントを出てすぐ吐き気に襲われる。身体が冷えすぎたのか、謎の吐き気は容赦なく私を責めた。私は草むらに嘔吐することになる。胃薬を飲んでなんとか歩き続けた。

    なぜ、私は歩いているのか。お金を払っているからという理由だけでは、もう歩けそうにない。どんな理由でもいい。ゴールまで私を運んでくれる何かが欲しかった。

    前回大会のことを思い出す。

    あの時はとにかく必死に歩いた。完歩することができたら、私は死ぬ気だった。何にも挑戦してこなかった人生。何かを達成して死のうと本気で考えていた。

    なのに今もこうして生きている。死ねなかった。生きたいと思った。

    この大会は、明日も生きるために歩こうと決めた。

    頭の中からギブアップという言葉が消えた。

    雨上がりの地面は濡れていて、ところどころに水たまりを作っていた。

    それを避けるように歩くのは、どれだけ疲れていてもそれなりに楽しいものだと思った。たまに踏んでしまって、乾きかけていた靴を濡らした。


    55キロ地点。第2チェックポイントに到着した時にはすっかり日は落ちていた。気温もぐんぐん冷えてきて、上着を着ても寒かった。

    股関節の痛みは限界だった。右足首も捻ったようで痛む。ただ歩くだけで人は満身創痍になれる。

    大会スタッフの方が準備してくれていた、おにぎりとお味噌汁を食べる。壊れかけていた身体が蘇っていく感覚がわかる。極限状態で食べるおにぎりはコンビニでは買えない。

    ロキソニンを服用するべきか悩む。まだ半分以上残っているし、最後に山を越える必要がある。その時まで取っておくべきだ。いつでも飲めるように、ロキソニンをひと粒ポケットに忍ばせる。

    まだ少しだけ吐き気が残っているが、それでも無理矢理おにぎりを食べる。どうせ吐くのだろうけれど、食べないと負ける。

    大丈夫。まだ歩ける。

    前回大会より速く歩けている。このペースを続けられたら記録更新は間違いない。ゴールする楽しみがひとつ増えた。

    去年の自分より成長していることを実感するが、歩くのが速くなったからといって何かが変わるわけでもない。年収は増えないし男としての魅力も上がらない。それでも、何も変わらないよりかはマシだ。

    人は歩くだけでも成長する。


    第3チェックポイントまでの道は比較的平坦な道が続く。途中でほかの参加者と喋りながら歩いた。歩く理由は人それぞれだが、ゴールを目指しているのは一緒。様々な思いを抱えて誰もが歩いている。

    彼は、少し前に服用したロキソニンが効いてきたと言う。おかげで身体が軽いし、どんどん歩けると。30分ほど一緒に歩いて、その軽くなった身体でどんどん置いていかれたが、その間に何回もロキソニンという言葉を聞いた。

    もし、私が桃太郎だとしたら……。私が桃太郎なら、彼にはきびだんごよりロキソニンを与えたほうが仲間になってくれるのではないか?

    そんなくだらないことを考える余裕がある自分に笑えた。なんだよ、まだまだ余裕じゃないか。

    私の身体も少しだけ軽くなった気がした。人というのは、笑顔になったり笑ったりした時、重力を無視してしまう時がある。そんなことにあらためて気づかされた。

    この大会に参加したことは間違いじゃなかった。私もその軽くなった身体で、また前へ足を運んだ。


    第3チェックポイントに到着した時、いよいよ股関節が悲鳴を上げていた。いつもの歩幅では痛すぎる。少しだけ歩幅を狭めて歩く必要が出てきた。それは同時に歩数が増えるということだ。

    残り約30キロ。まだやれるだろう?

    自分に言い聞かせる。トイレに行き、洗面所の鏡の前で笑顔を作る。ほら、まだまだいける。出発時よりヒゲが伸びていた。

    スタッフの方が準備してくれているおにぎりをひとつ、しっかり噛んで飲み込んだ。吐き気はどこかに置いてきた。

    ロキソニンを1錠だけ服用する。即効性なんてないけれど、痛みが引いていくような感覚があった。

    気持ちで痛みが飛ぶのなら、ロキソニンの代わりにきびだんごを食べても痛みがなくなったかもな。むしろ糖分も取れて一石二鳥じゃないか。

    そんな風に思ってまた笑えた。桃太郎さん、私にはロキソニンではなくきびだんごをお願いします。

    ほら、また少しだけ重力から解放された。まだまだ今からだ。

    チェックポイントから一歩踏み出す。


    山越えが待っていた。正念場だ。このタイミングでロキソニンが効いてくる計算だったが、股関節は容赦なく痛む。足の裏もマメが破けている感覚があるが、確認はしない。見てしまうと痛みが増す。

    覚悟を決めて歩みを進める。長距離を歩くとわかる。ゆっくり歩こうが速く歩こうが、痛みの感覚は同じだ。それならと速度を上げていく。

    他の参加者をどんどん抜いていく。痛みや疲労は足を止める理由にはならない。今の私に残された選択肢は、『歩くか、歩きまくるか』だ。

    それでも身体は正直で、少しでも気を抜くと一気に痛みと疲労が襲ってくる。もうやめたい。歩きたくない。そんな弱音も顔を出す。

    この大会は自分との戦いだとスタッフの方が言っていたが、まさにその通りだ。勝つも負けるも自分が相手なのだ。

    山越えは登りより下りがつらい。足にすべての負担が乗っかってくる。下りで速度を上げるべきではない。ゆっくり、少しでも足の負担が軽くなるようにゆっくり歩く。

    抜いていった他の参加者にどんどん抜かれていく。気持ちが焦る。つい、抜いていった人を追いかけたくなる。

    その人と闘っているのか?そう自分に問う。

    違う。戦う相手は自分だ。

    自分のペースを大事にゆっくりと歩く。これ以上の痛みには耐えられそうにない。ゴールまではまだまだ。ここで足を壊すわけにはいかない。

    最後のチェックポイントに着いた時、序盤で感じた満身創痍が嘘だったと気づく。今が本当の満身創痍だ。


    第4チェックポイントで最後の休憩をとる。椅子に座るとなかなか立ち上がれなかった。ここからゴールまで10キロ。今は休むべきだ。

    前回大会を思い出す。前回はここから一気に歩く速度を上げることができた。ゴールで待ってくれている人がいたからだ。あの時の爽快感が蘇る。

    今回も待ってくれている人がいる。しかしあの爽快感は感じることはできないだろう。痛みが強すぎる。

    それでも歩くしかない。速度なんて気にしない。遅くてもいいからとにかく歩け。明日歩けなくなってもいい。

    今はとにかく歩くんだ。

    椅子から立ち上がり歩き始める。もうひと踏ん張りだ。

    10キロが遠い。普段からその程度の距離は歩いている。いつもは短く感じる距離も今は遠く感じる。とにかく身体が重い。

    それでも足はゴールに向かっている。速度は遅い。人には抜かれる。そんなことはどうでもいい。私にはもうゴールしか見えていない。

    ロキソニンなんて効きはしない。痛みは気合でどうにかするしかない。そして、痛みとは気合でどうにかなるものなのだ。

    今、自分にできる全力で歩く。決して速くはない。それでも歩く。どんどん歩く。痛くても歩く。疲れても歩く。

    歩くか、歩きまくるか。


    ゴールが見えてきた。周りの参加者はここぞとばかりに速度を上げる。着いていくなんてできない。これ以上は速くは歩けない。

    それでも一歩ずつ足を前に出す。

    ゴール付近で待つ家族の姿が見えた。

    目頭が熱くなるのを感じる。そうだ、私はこのために歩いてきた。妻に、子どもたちに、かっこいい私を見せたかった。

    帰ってきたぞ。私はしっかり帰ってきたぞ。もうボロボロだ。こんな私はかっこいいだろう?しっかり生きているだろう?

    死にたいとか言い出す私はもういなかった。しんどいけれど、家族のそばで明日も生きたい私がいた。

    息子とグータッチをする。

    娘とグータッチをする。

    妻とグータッチを……少し照れるからしなかった。

    子どもたちと一緒にゴールラインを超えた。前回大会より1時間以上タイムを縮めていた。涙は流れない。そんな水分は体内に残っていなかった。

    少し先にゴールしていた先輩も待っていてくれていた。待つ人がいるということは幸せなことだ。今感じることのできる幸せを十分に嚙み締めた。

    相当に無理をしていたのだろう。ゴール直後から身体が思うように動かない。帰宅後にすぐロキソニンを服用し、泥のように眠った。


    ──翌朝、しっかり身体は痛かった。子どもの日だというのに立つことすらままならなかった。布団で横になる私を置いて、家族は出掛けて行った。

    ロキソニンを飲んでも、身体はちゃんと痛い。しかし、この痛みは嫌いじゃない。心地よくすらある。

    それはさておき、桃太郎さん。どこにだってお供しますので、私にはロキソニンより、やっぱりきびだんごでお願いします。

    そんなことを考えながら、私はひとり、少しだけ重力から解放された。


    ここまで読んでいただきありがとうございます。

    それでは、佐世保の隅っこからウバでした。

    皆様の今日が幸せな一日でありますように。

     
     
     
    佐世保の隅っこからウバログという本紹介ブログを書いています。 宜しかったらお訪ねください。 https://ubablog.com/ noteでは日記を書いていきます。 オッサンの日々に興味を持ってください。

    あなたへのおすすめ