
AIに歌人は取って代わられるのか?
正直あまりよくわからない。
最近、巷でAIに名前を付けて短歌や詩、俳句を詠ませるのが流行っているが、正味、私は好きじゃない。好きじゃないけど、勉強のためにAIの詠んだ歌も見るようにしている。その出来は人間の短歌と遜色なく、いい歌だと思う。ただ、いい歌、な、だけなのだ。
正直、あまりシステム云々のことは、よくわからないが、誰かの作った歌を学習して、いい歌にしている、ただそれだけにしか感じない。
そもそも短歌が出来るとき
そもそも、短歌が出来るとき、脳内がスッキリするあの感覚はAIは持ち合わせているのであろうか?もし、持ち合わせているというのであれば、歌人は、術師(AIイラストレーターの俗称)と変わらなくなりそうで、危機感しか感じない。近い未来、AIに歌人は取って代わられてしまうのだ。
「機械に「使われる」のではなく機械を「使え」」
これは、私のデザインと動画編集の師から教わった言葉である。
これから先、デザインソフトは目を見張るスピードで発達し、いつか使うかわから使われる側になるぞ、という、警告である。
短歌にしてもデザインにしても、頭に描いたものを如何にアウトプットするかの違いで、その際に、AIに自分の頭の中身を知らぬ間に脚色されてはならないと思う。
AIとの共存
そのためには、「私」の想う世界を何より大事にし、AIの描く世界と一線引くことで初めて「共存」という形がとれるのではないだろうか。
むやみやたらにAIに短歌を詠ませるのではなく、同じくらい自分もアップデートしていかないと、いつか、歌人というものが、AIのものにならないか、危惧してやまない。