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『振られた手と笑顔が導く〈光の道〉という名の偉人たちの物語−−1年で35館巡った私が紡ぐ巡行記』

    第一章:はじまりの1歩ー物足らないで歩み始めた、巡行記

     社会人三年目になって、、。
     1年目の初心な心、2年目のよくある後輩が出来たことで「しゃんとしなくては!」という緊張感。それらがなくなるのが、社会人3年目。そして、それまで感じていたものは〈もの足りない〉という気持ちに変わってしまった。
     だからなのか、「おはよう」と布団から起き上がった時の1歩目が重くなっていた。そういう〈もの足りなさの沼地〉のような人生を過ごしていると感じていた。
     とある日。その日の1歩目も重かった。さらにその日は「こんな、もの足りなさの沼地から抜け出すにはどうしたら良いものか。」とグルグルグルグル頭の中で自問自答を繰り返していた。
     「な〜んか、新しいことやってみたいなぁ〜」
    そんなフワフワとしたフレーズが頭の中にゆっくりと入ってきた。それなのに、「う〜んでも、新しいこと、新しいこと?」と独り言をブツブツと言っていた。
    −「ていうか、新しいことよりも今までしていた最近やっていない趣味を復活させようか!」
     私は思い出した。「元々やっていた博物館・美術館巡りはどうだ?」
    うん?いや、よーく考えると?
    「今までは気にしていなかったが、展示のテーマも施設の広さも広大すぎて何を見るべきか、どういうふうに見たら良いのかと目をキョロキョロ泳がせるばかりで集中出来ていなかったではないか。」
      てことは?私が本当に求めていたのは、まるで〈ギュッと濃縮された100%みかんジュース〉のような1つのテーマに絞った展示と向き合いたかったんだ。と気付いた。
     −うあっ!
    と言い、頭の中に「記・念・館」という3文字が降ってきた。
    それからの私はすぐに行動を取った。
     まずは都内の記念館に行こうと思い、「都内 記念館 一覧」とGoogleで検索した。すると、10館ほどの記念館がズラ〜っと出てきた。画面をスクロールしていくと1つの記念館で手が止まった。
    −「台東区立樋口一葉記念館」。 
     手が止まった理由は直感が7割だが、それ以外にもその当時の私と同い年で亡くなったという歴史を知っていたから気になったというのもある。
     私はすぐに行動を開始した。まずは、記念館の公式サイトを調べ、記念館へのアクセス方法や入館料などの画面をスクショした。
      さらにAmazonでその日に届くように自分の好きなノートブランドのノートを購入し、無事に注文当日の夜にノートが届いた。
    次の日が休みだったので、お気に入りのクリーム色のリュックサックの中に届いたばかりのノート、お気に入りのシャーペンが入ったペンケース、財布、モバイルバッテリーを入れた。
     それから、万全な体調で次の日を迎えるために温かいお風呂に入り、温かい布団に入って英気を養った。

    −さぁ、いよいよ新しい物語の始まりだ。−  

    第二章:偉人の物語を聞きに行く−樋口一葉記念館にて

     翌日。目覚ましが鳴り、起床。ここまではいつも通り。
    ただ、いつもよりもリビングまでの足取りが軽かった。頭の中にアルプスの少女ハイジのOPが流れているような気分になって心もスキップしているかのように軽かった。
     さぁ、朝ごはんを食べて動きやすい服を着て、いざ出陣と行こう!

     私の最寄りからは電車で約1時間ほど。記念館は三ノ輪駅から住宅街の中を10分ほどひたすら歩くと突如スタイリッシュな建物が出現する。
     そのスタイリッシュな外観に、一瞬「ここか!?」と心のなかで小さく驚いた。だが、表の看板に達筆な筆文字で「一葉記念館」と書かれているから、ここで間違いない。と入口の前に立ち止まった。その看板が建物の雰囲気と合っていて、まだ中を見ていないにもかかわらず興奮した。
     その後もその興奮は止むことなく「お邪魔します。」と心のなかで言い、お辞儀して中に入った。
      建物は3階建てで入館料は300円と安く、中も広々としている。入って左側には、彼女が描かれた肖像画と彼女の略年譜(=彼女の歴史)、銅像、彼女が当時暮らしていた家の絵が展示されていた。
    (ずっと、「うわ〜〜。」と言いながら、ゆっくり歩いていた。)
    右側には立派な階段があり、木製だからか木の匂いがした。
     2階は常設展示室、3階は企画展示室となっていた。
       2階の展示室には彼女の生涯や家族のこと、そして暮らしていた町ごとに展示がされていた。
     ここで、展示にあった彼女の人生を簡単にまとめるとこうだ。
      彼女は4人兄妹の3番目。小さい頃から頭が良く、学校でも首席を取るほどの成績だった。だが、母親に「女に学問はいらない。」と言われ、小学校を退学させられた。そして彼女は学ぶことへの道が閉ざされた。
     それを可哀想に思った父親が彼女にとっての〈光の道〉を作った。近所の和歌教室に通わせたのだ。彼女はそこでも好成績をもたらした。
     ただ、また彼女は暗い道に入ってしまった。父親と長男が相次いで結核で亡くなったのだ。そして、次男は離縁になるなどと10代にして一家の大黒柱になったことで、母親と妹を支えることになった。またもや彼女の光の道が閉ざされてしまった。その後、彼女達は何回も引っ越し、雑貨屋などの商いによって生計を立てていた。
     そんなある日。彼女の友人が執筆活動の原稿代で生計を立てていたことを知り、自分も執筆活動を始めた。
     すると、彼女の才能が開花した。彼女は歓楽街での暮らしで見たことや聞いたこと、自分の師への片思いの恋愛経験をもとに小説を書いた。
     そして、代表作の「たけくらべ」や「にごりえ」などを執筆した。その中でも、「たけくらべ」は森鴎外が主催する「三人冗語(=現代で言う、「ボクらの時代」のようなもの)」という対談会で称賛を得て、有名作家となった。
     だが、運命のいたずらは残酷だ。彼女は24歳という若さで父親と長男と同じ結核になり、約1年数カ月という短い作家人生を終えてしまった。
     そんな彼女は死ぬ間際、妹に遺言として、こう告げた。
    −私が書いた作品や日記は全て捨ててほしい。−
     だが、妹は全て捨てずに残した。
    そのおかげで後世の私達に彼女が残した功績が広く知れ渡り、旧5000円札にもなるほど大きな影響を与えた。
     彼女の人生は、暗いトンネルが多い波乱な人生だった。だが、最終的に彼女が蒔いた〈光の道〉の種が開花し、それが私達の暮らしの中に咲き続いているのだ。
     そんな〈光の道〉を築いていった彼女の人生は展示品からも伝わった。
     父親から貰った机。これが1つ目の種。彼女の文学への道が無意識のうちに始まっていたことを表している。
       次に彼女が使用していた道具たち。これが2つ目の種。大変ながらも彼女とともに文学の道を歩んできた道具たちも〈光の道〉を作る上で非常に重要だ。
     最後に、彼女が当時暮らしていた街のジオラマ。彼女は見ていたのだろう、この街が自分が蒔いた光の種で咲いた光の花で埋め尽くされている光景。まさしく、〈光の道〉のこと。
     3階の企画展示室では、私が訪れたとき、「樋口一葉の小説のつくり方」という展示が行われていた。二重線の修正跡が残った花の蕾のような未定原稿と師匠でもあり片思い相手でもあった半井桃水に宛てた小説の書き方に関しての質問の手紙、彼女が執筆した「たけくらべ」が雑誌や映画、ドラマとなった際のポスターなんかが展示されていた。
     このときに、−彼女の種まきは続いているのだ。−と実感した。
     見学し終えると、嬉しさと興奮が込み上げてきた。その嬉しさと興奮は彼女のことが知れたということに対する喜びとたくさんの記念館に行きたいとまるで子供がママに「あそこ、行きたい!行きたいの!」と駄々をこねているような興奮だった。
     退館して記念館の方に振り向き、貴重な体験をさせていただいた敬意として「ありがとうございました。」とお辞儀をした。顔を上げると記念館の窓の方に綺麗な着物を着て、微笑みながら私の方にゆっくりと手を振る樋口一葉が見えた。
     そんな姿を見て、再度深々とお辞儀をした。
     そして、この記念館を訪れる前に感じていたあの重めの1歩がこれからの自分の未来に突き進む軽やかな1歩に変化したのが自分の中でわかった。

    第三章:私に振られた手と柔らかい笑顔−偉人たちがくれた私へのエール

     樋口一葉記念館で見た彼女の優しい微笑みと振られた手。その光景は家に帰るまで忘れられなかった。同時に「どうして、自分に彼女のあんな姿が見えたのだろうか?」という新たな課題が出来た。
     その後も多くの記念館に行きたいと思い、次に行く場所を調べては訪れて、また行くということを繰り返した。そして、1年間で三十五館もの記念館を巡ることができた。
     それらの記念館を巡っているうちに実は、あの課題は解決していたことに気づいた。「あ。そういえば。」と自分の中で回想し始めた。
    -巡った全ての記念館であの体験をしていたんだ。-ということ。
     例えば「新宿区立林芙美子記念館」。その日は、雨が降っていた。記念館内にあるアトリエを出ると降っていた雨が強まり、強い風が私の背中を押すように吹いてきた。そして、いつも通り出るときに「ありがとうございました。」と呟き、お辞儀をした。すると林芙美子さんが口を大きく開け、笑顔で手を振る姿を見た。
     また、埼玉県の熊谷市にある「荻野吟子記念館」でも不思議な経験をした。
     その記念館には、入口横に荻野吟子さんの銅像がある。 見学し終え、記念館を出ると「こっちよ。」という声が聞こえたのだ。
    その声は銅像から聞こえてきた。私は銅像の方に向かい、一礼をした。顔を上げると彼女が奥の方で口の端を少し上げて小さく手を振る姿が見えた。他の全ての記念館でもそんな体験をしていたのだ。
     つまり、彼らは私に「応援しているよ。大丈夫だよ。」というエールを送ってくれていたんだ。ということに気づいた。
     こんな感じで課題が解決できて、最高な気分だった。同時に、新たな決心も生まれた。
     この趣味を自分の〈もの足りなさ〉を無くしたいだけという些細なきっかけから始めていた。だが、そんな短絡的な考えで進んではいけないということと記念館を巡るうちにとある思いの炎が自分の中に生まれたことに気づいた。
    −彼らの過ごしていた人生・残してきた功績を世の中に伝えなくては彼らの生きていた〈光の道〉が閉ざされてしまう。−
     その振られた手と柔らかな笑顔がその証拠。私が聞いた声・見たものを無駄にせず、「見学できて良かった。」と簡単に片付けるのではなく、まだまだ訪れていないたくさんの記念館を巡って、彼らの人生という物語にお邪魔する。
     そして、多くの人に伝えていくために作家となって彼らが築いた〈光の道〉を次に繋げていくという決心。
     それがー人生の目標が決まった瞬間だった。ー

    最終章:終わりなき巡行記−これからも紡ぐ私と偉人たちの物語

     今、この瞬間。この趣味を始める前に感じていた〈もの足りなさの沼地〉のような重い1歩が、これからの未来への軽やかな1歩に変わっていた。
    そして、この1歩はどんどん、どんどんと新しい道を作っていった。
     この趣味を始めてから1年間で、三十五館の記念館を巡った。
    最初のこの趣味のきっかけとなった樋口一葉を始めとする偉人たちは、皆彼女がしていたように種まきをして道を作っていた。自分たちの人生を作品や研究で私たちへ繋ぐ〈光の道〉というものを。
     だから、私も人生の目標を決めた瞬間から種まきを始めた。それが現在、四十三館巡った。そして、まだまだこの世の中には多くの記念館が存在している。
    自意識過剰かもしれないが、私の使命は彼らが私たちへ繋いだ〈光の道〉を見つけるということだ。
     だからこれからも私は彼らの物語を読み取り、彼らと一緒に〈光の道〉を紡いでいく。
     さぁ、お気に入りのシャーペンを入れた筆記用具とノートをお気に入りのリュックに入れて歩いていくぞ。
    −次は、どんな道だろうか?〈光の道〉という名の私と偉人たちの物語は。−

    つづく、、、。
     
     

     




     
     
     
    エッセイストを目指している文学初心者です! 趣味の記念館巡りを本業にしたく載せていきますので、温かい目でご覧下さいませ☺️ ※たまに修正して、載せ直すこともあるので、見にくいと思いましたらすぐにコメントください。

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