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沖縄単車紀行(ユタ編)

    昨夜そのままスガちゃんと別れ、再びホテルで朝を迎える。これ以降は旅中にnoteを書いて旅の時間を割いてしまうのはもったいと、一旦書くのはやめることに。
    この日は、宮崎は美々津の友人田辺さんの教えてくれたユタに占ってもらう予定だったので、ネットで調べて電話してみる。ネットの事前予約などはなく、当日の電話予約のみらしい。
    電話するとぼそぼそとした声で「15時ね。はいはいはいー、はい」と淡々とした口調でさらっと電話を切られたが、こういうのは実際に行ってみないとわからない。

    早々にチェックアウトし那覇方面へ。1日ぶりにバイクへと戻ると、かけておいたヘルメットが昨日の雨で水溜まりになっていた。ガッデム。中のスポンジを全部外し、手で絞り、出来るだけ水気をとる。しかし出発してからいっときは顔面の脇から水がぽたぽたと滴っていた。水も滴るなんとやら、ってことで我慢して走る。

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    ヘルメットガッデムの場面


    恩納村から那覇方面へ向かう道は見通しがよく広くて、バイクで走るのがとても気持ちいい。「風が騒ぐ夜は〜ウチへ帰りたくないよ〜♪」とボ・ガンボスの「トンネル抜けて」を歌いたくなる気分(実際歌ったかは覚えてない)。
    途中、北谷だったか、基地のあたりを通る。さも以前住んでいた近くの東京は福生市にある横田基地の通りによく似ていた。全面フェンスが張り巡らされていて、基地を中心に道路が作られている感じ。フェンスの向こうはアメリカ。やはり沖縄は独特な場所だった。とにかく外人が多い。50年も前に返還されたとはいえ、基地は多く、未だに純粋な日本というには程遠い。しかし日本人のコンビニの店員さんと黒人男性が気さくに冗談言ったりする場面も見たりで、生活してる人の中では隔たりはさほどないのかもしれない。もし自分がこのあたりで生活しててもきっとそんな風に接するのだろうけど。

    バイクの右うしろのウィンカーの球が切れていたので、基地の近くにあるホームセンターで球を買いに。店員のおじいちゃんに訪ねると同じワット数の球を念入りに探してくれた。
    とりあえずワット数は少ないけど合う奴を買い交換する。応急処置的に。

    さらに南下し、宮崎を発つ前に以前宮崎でタコス屋をやっていたクニヤさんが教えてくれた沖縄タコスのお店、「メキシコ」へ。沖縄タコスは普通のナチョスとは違い、沖縄の米粉を使っていてやわらかいと聞いていたが、これがめちゃくちゃ美味かった。4ピースも食えるかな、と思ったがペロリと平らげてしまった。

    腹ごしらえも済んだ所で、本日最初の目的地、アウトレットモール あしびなー内にある「金魚ミュージアム」へ到着。実は従姉の旦那さんがアクアリウムクリエイターという肩書きを持ち、お台場や全国のショッピングモールなどに何箇所かミュージアムを構えているらしく、叔母が沖縄にもあると教えてくれ訪れてみた。事前に従姉の旦那さんへ叔母が連絡を入れてくれてたみたいで、さささっと中へ通してもらった。

     中は綺羅びやかで、とても神秘的だった。シーサーと金魚のコラボもよかった。持ってきていた中古の一眼カメラでここぞとばかりに写真を撮る。マニュアルフォーカスで写真の練習。わざと暗めに撮るといい感じになった。


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     従姉の旦那さん、宮ちゃん


    従姉たちは埼玉に住んでいて、以前東京に住んでる時に一度だけ家にお邪魔させてもらったことがある。
    その時にスッキリという番組で取り上げられた後に、アクアリウムに凝ってるという竹内涼真と加藤浩次が見学に来たという話をしていた。普段テレビをまったく観ないので知らなかったが、すごい人なんだなとそこで知る。


    ユタの予約時間が迫っていたので、金魚ミュージアムを出るとすぐにそちらへ向かう。ユタの待つ「占いランプ亭」は国道から入り込んだ少し静かな場所にあった。建物の2階に上がりインターホンを押すと、扉がガチャッと開き「犬を奥にやるからちょっと待っててね、はいはいはい」とパタパタと部屋の扉を開け閉めしたのち部屋の中へ通される。普段から日常的にここで生活しているのだろうか、わりかし狭い部屋で真ん中にどんとテーブルがあり、横の本棚には無造作に占いに関するさまざまな本が置かれていた。
    一度奥へ行ったユタがお茶を淹れて戻ってくる。あれこれ整った所で「それで、今日はどんな事を占ってほしいの?」と。

    そもそもどんな感じで始まるかすらわからなかったので、とりあえずきっかけとして恋愛について視てもらう。
    まず自分の名前を漢字で書き、続けて生年月日を書く。「結婚経験は?」と聞かれたので「以前東京でしてました」と答えると前の奥さんの名前も書くよう促される。すると名前の画数から自分と前の奥さんとの縁について判断する。
    「あなたとはこの人とは縁はあるけど子供が出来ない運命だわね」と。まあまだ序盤だったので自分も半信半疑ながら聞いていた。
    次に、去年まで付き合っていた元彼女の名前を書く。この人とも仮に結ばれたとしても離婚する運命が出ていると。しかも元奥さんにしても元彼女にしても要因はこちら側にあると。どちらの人とも、特に決定的な要因、というよりは話すと長くなるような積もり積もった結果の果てにそうなったので、なんとも言い難いしその占いの判断をどのようにして受け取ったらいいのかわからぬまま次にどんどん進んでいく。

    次に両親の名前を書く。そこからさらに父方の祖父と祖母の名前を書く。父方の祖父は短命で、脳溢血で確か65ぐらいで急死してるので、それについて言及される。「この人は真面目な人だけど、悪い数字が出ちゃってるわね。この数字は博打、不倫、短命のどれかにあたることが多いの」と。
    すると唐突に、「先祖で戦死した人はいない?海で亡くなってる方が」と聞かれる。時代が時代だから戦死者がいる可能性というのは極めて高いが、ぼくはそこで思い当たる節があった。
    また別の機会に改めて綴るつもりでいるが、去年の暮れに叔母からの情報でぼくの父方の本家のある山之口町の墓を訪れた際に墓じまいが中途半端になされていた(墓石の頭が取り払われていたが墓地の隅に斜めに倒されていた)のを発見し、年明けにかけて正式な墓じまいの手配などに奔走されていた。
    その時に父親から借りた戸籍謄本の複写をもとに手書きの家系図を作ったのだが、家系図の中にあった父方の祖父の次男の名前がその墓地の古い墓石に記されていて、「陸軍曹長」とあった。つまり祖父の次男は戦死していたのだ。
    「その次男の骨は今どこにあるの?」
    と聞かれ、ぼくもそこまでは認識していなかったので、急ではあったがその場で叔母に電話をかける。「こういう時ってちゃんと電話に出るように出来ている」と謎の自信があり、まるで当然のように叔母は電話に出た。そして祖父の次男の骨がどこに引き取られたか可能性のある人の住む街と名前を教えてもらった。しかし同時にその可能性のある人はすでに亡くなっているらしかった。

    「これはとても良くない事が起きている」とユタは言う。祖父の骨は、本家の墓からぼくが今住んでいる地元の山の中に祖母が新たに墓を建てて移しており、今はそこに祖母と祖父が眠っている。しかし本来ならば、父と子の骨、つまり祖父と曾祖父の骨をそれぞれ別の場所にわけてはいけないらしい。ましてや戦死した祖父と曾祖父の骨も引き離されてる可能性があるので、そんな事をしては不幸が起きると。今の時代ならざらにあるとは思うが、ユタ曰く父と子の墓を分けるのは罰当たりになるらしい。そのへんの事情を知らないし、聞きながらぼく自身もかなり動揺し、混乱していたので、「じゃあまずぼくは何をすればいいですか?」と訪ねると、「この戦死した方の納められている墓を探し出して、お寺のお坊さんに供養してもらいなさい。その人からの災いがあなたの兄弟などにも連鎖している」と。
    戦死した祖父の次男の名前も家系図を見てわかっていたので、名前の字数を視てもらうと、「この方は短命でもないし、そもそも死ぬ人ではなかった。ただ、引っ張られた可能性がある」と言われた。
    本当は自分の兄弟の事を視てもらうのは別料金なのだが、サービスで兄の事も少し視てもらうと、「あなたの兄はこの祖父の次男と同じ、悪い数字が出ている。お兄さんに何かなかった?」と言われ、思い当たる節がビシバシあったので、それについて話す。
    兄とは先祖巡りの時期と被るぐらいからお金の相談をされていた。詳しくは書かないが、博打にまつわることで。そこでユタに言われた時は、さすがにドキッとした。

    「とにかく今あなたがやるべき事は、本当はお兄さんがやんなくちゃいけないんだけど、まず祖父の次男の霊を供養すること。まだ現世に漂ってるわよ」と。
    ユタは画数を見るのと同時に時たま目をつぶり「この方の先祖の誰々は何々〜」と、問いかけのようなものを行っていた。いわゆる霊視、というやつか。

    戸籍から出てきた家系図の最古の情報は1843年(天保14年)、つまり江戸時代、六代前からで、ここまで古い情報があるのはなかなか珍しいという。
    ぼくが家系図を書いてるのにユタも驚いていたし、まさかぼく自身の今後の恋愛の占いというわりかりあっさりした相談から、先祖代々脈々と繋がる流れについて判断してもらう事になるとは思っておらず、あっという間に1時間が経ち、ぼくとしてはまだまだ足りず、追加で5000円を払いもう1時間視てもらうことに。この時かなり自分の中にざわめきが生じていた。沖縄に行く前からなにか予感めいたものを感じていたのは、この先祖についての具体的な判示・判断と、次なる行動への助言をもらう事だったのだろう。鳥肌が立つ。

    ユタは5代目の姓名判断をしたところで「もしかしたら女方の分家(愛人の子供からの派生等)である可能性がある」という話をする。実際に帰って戸籍を見返したら5代前の戸籍ではちゃんと婚姻が交わされていたし、その線は薄いのだが、ユタ曰く「男が短命、または廃れていく家系」だという。だから分家であるという証拠がもし見つかったら、その先祖の眠る墓を調べて供養をした方がいい、と。それで運気がかなり良くなるらしい。こういうのは半信半疑でもいいからまず行動してみるのが吉なので、ぼく自身人生まるっとエンタメ感覚で生きてるので、スピリチュアルどっぷり、って感じでもなく、とにかくまずは祖父の次男の墓のありかを探して供養することをユタと約束した。ほかにも林業の仕事についても視てもらい、地域の山の神の場所を調べてお祈りしなさい等々助言をいただいたりもして、実際2時間でも足りないぐらいだった。



    そして最後に、「これは別件なんですけど、、、」とおそるおそる切り出す。
    実はここへ来るのも、そもそもここを知るきっかけになったのも、美々津の友人田辺さんのおかげで。
    田辺さんとは去年日向にあるPORTというレコード屋さんで知り合ったのがきっかけで、お店に行った時に田辺さんがいくつか出版するZINE(自主制作の小冊子)とコラージュ作品の展示販売をしていて、年齢が同じという事もあり、そこでいろんな話をし、インスタを交換し合う。

    今回ぼくが沖縄へ行くという話をした事で、田辺さんが最近出した新刊を沖縄のユタに渡していただけませんか?とのことで、田辺さんの住むDIY改装コンテナハウスのルームツアーも兼ねて沖縄行き直前に美々津にお邪魔したのだ。

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    田辺ハウス
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    田辺さんの新刊本

    田辺さんの本はこちらで買えます↑↑↑


    田辺さんは去年沖縄を旅した際にこちらの「占いランプ亭」のユタにユタ判示をしてもらったらしく、その時に「新刊が出来たら渡しに行きます」と約束をしたそうなのだ。その時のユタとのやりとりが新刊「スーパーカブを煽るな」にも書かれていて、ぼくも少し前に購入して読んでいた。


    その新刊本をついにユタに渡す時が来た(それまでのぼくの占いが凄すぎて普通に渡すの忘れそうだったのだが笑)、「これ、以前宮崎から来た田辺さんという方の本で」とこれこれこうこうと説明すると、「あー、あの子ね!覚えてるわ」と思い出してくれたようだった。そしてしっかりと購入してくださった。
    最後にお約束なんであろう、占いランプ亭の名刺のようなものと一緒に袋詰めされたお菓子を渡され、「気をつけてね」と別れる。少し晴れやかな気持ちと、これからやるべき事への覚悟の気持ちとでどっと疲れが出た。


    時間ギリギリまで視てもらって、実はこのあと待ち合わせの約束をしている従兄の待つイオンモール・ライカム沖縄店へバイクをぶっ飛ばす。なんとか待ち合わせ時間前に到着する。

    従兄は数年前に沖縄が地元である母親と一緒にそれまで住んでいた埼玉から移住してきたのだと少し前に聞かされていた。従兄とは小学生ぶりの再会。当時はとても太っていて、どんな感じになっているんだろうと待ち合わせ場所であるイオンモール内の巨大水槽のへりに腰掛けてまっていると、
    「イノキか?」と声をかけてきた人はまるで別人だった。誰このおじさん?となる。その人があの従兄だと理解するのに数秒かかった。
    従兄は今年40歳だというが、やせこけて疲れ切った顔をしていた。一時期アル中で何度か入退院を繰り返していたというので、少し合点がいく。しかし今は沖縄の母親と同じ職場で働いてて、ちゃんと社会復帰しているのというので安心した。
    「車について来て」とバイクで後ろを走り10分ほどして住んでいるマンションへ。後で知るのだが、従兄の住むライオンズマンションというのは全国にあり、看板は基本的にライオンが記されているのだが、沖縄だけシーサーなのだそうだ。
    エレベーターをあがり、部屋に入れてもらう。従兄の母であるキヨミさんに挨拶、再会する。


    キヨミさんとは以前東京に住んでる時に従兄の妹が癌で若くして亡くなり、その時の葬式以来の再会だった。およそ数年前か。
    親子共々元気そうでよかった。

    3人で外へ出て居酒屋へ。この一帯はコザという街で、外人がたくさんいた。治安もあまり良くないらしい。かなり昔このへんで暴動があったんだとか。
    静かなお店を探して入ってみたつもりが、入ると隣の座敷席の沖縄のおっちゃん連中が楽しそうに「カンパーイ!!」とやっていた。
    気にせずお酒とつまみを注文する。従兄も近頃はさほど飲まなくなったらしいが、ぼくが来たのを喜んでくれたみたいで、「今日はおれも飲むわ、多分二日酔いになるけど」とビールを注文。彼は彼の父親にそっくりの早口でなにやら矢継ぎ早に質問したり自分の話をしたりして、かなり聞き取れなかったが、喜んでくれてたのは伝わった。不器用なのも同時に伝わったし、友達もさほど多くはないらしいが、翌日案の定二日酔いになり、後々のLINEで「おれたちはもう他人じゃないから」のひとことに、不器用さなりのやさしさを感じて嬉しかった。そうして沖縄滞在4日目の夜が終わった。



    つづく。

     
     
    地元宮崎で林業をやりながら自然のことや地域のこと等、日々思ったことを綴っています。

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