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水の底で発酵する

    前回からの続き
    …場面は急転直下、幸せな家族像から…

    【結婚生活と葛藤の背景】

    自慢じゃないが、うちの夫婦は仲がいい。
    子供もからもいつも仲がいいと言われる。

    しかし、最初からそうだったわけではない。
    もちろん結婚当初は仲が良かった。
    しかしそれがずっと続いたというわけではないということだ。

    料理などは私の方がうまかった。
    一人暮らしが長いから自炊もしてきたし、美味いものを食べたいのでレシピを研究したりもしていたからだ。

    妊活の関係で彼女が仕事を辞め専業になった。
    料理をしてくれるようになったが、自分にはちょっと合わなかった。それに対して、上から目線で料理のダメ出しをしたり、自分の実家との感覚の違いを押し付けたりしていた。

    それらも、問題ではあったんだが、もっと根深い問題もあった。
    妻の実家にうちの両親が挨拶に行っていないといった、家同士のアンバランスさ。
    妻はどこかで「馬鹿にされている」という感情を抱えていた。
    このことは、両親になぜ行かないのか?と聞いてみたが、義母が一人暮らしだからとか、なんだかんだと理由を話すがなぜなのかはいまだに分からない。

    娘が生まれてからはさらに衝突するようになってしまった。

    原因の一つは、義母が頻繁に出入りするようになったことだ。週に何度も来る義母に対し、私の両親はほとんど来ない。そのアンバランスさへの苛立ちもつのっていった。
    私は生理的に受け付けられないという態度で示し、何度も彼女を泣かせた。

    仕事のためのルーチンやこだわりを優先し、自分のことしか考えられなくなっていた。

    妻を信頼して、自分がどう感じているか、どうしたいのか?など話せばよかったと今なら思えるが、当時はイライラを募らせるばかりで溝は深まっていった。

    【最初の異変:胆石】

    その後数年してから数々の病魔が襲ってきた。

    特に、胆石の時は大変だったと思う。

    着替えと、娘をベビーカーに乗せて毎日のようにきてくれた。

    遠くから赤ちゃんの泣き声がするなーなんて思っていると、だんだん近づいてくる。

    どこの子だろう?と思っていると娘だったということも何度もあった。
    看護婦さんにも可愛い娘さんがいらしたみたいですょ!なんて点滴を交換されながら言われていた。

    娘は茶髪でおめめぱちくり!
    まるでフランス人形だ!
    ちなみにデパートの写真館に写真が飾られた。
    「飾ってよいですか?」と連絡がきたので喜んで「どうぞ!どうぞ!お願いします」
    …見にいったら…写真を撮ったみなさま飾ってあった…
    ザッツ親バカ!

    退院後はしばらく仕事はせず家族とゆっくりと過ごした…。

    【二度目の告知:前立腺がん】

    胆石の術後も落ち着き、仕事が忙しくなってくるとまたイライラするようになっていった。

    そして胆石から数年後…癌が発覚した。

    目の前がまっくらになった。
    これから、どうする?
    娘はまだ、幼稚園生だぞ?

    間近に死を意識するようになった。
    妻と娘を置いて死ねないと思った。

    今思えば前立腺がんは予後がいい方だが、当時は死の恐怖に支配されていた。

    病院選びでも大喧嘩になった。
    最初にかかった病院は胆石でもお世話になっていた総合病院で泌尿器科もあったので検査数値に異常がでてからもずっとそこを受診していた。

    検査をするごとにPSAの値がどんどんあがっていく、検査の期間も最初は三ヶ月。しかし、どんどん数値があがるので一ヶ月間隔で…。
    通常は数値が4を超えた段階でなんらかの検査をし癌の疑いをもつ。ただ前立腺がんは進行が遅いという思いがあったのと病院を変えると通院先が増えてしまう。
    もともと病院嫌いだったのが災いした。

    妻はセカンドオピニオンを主張したが、私は面倒で引き延ばしていた。

    そして一年もしないうちに数値が20になった。
    やっと精密検査をすることになった。
    今思えば四を超えた時点で泌尿器科医が常駐している病院に転院するなり癌センターを紹介してもらい転院すべきだったと思う。

    かかりつけの病院で検査をした。
    通常なら別室なんだろうが、週に二日しか泌尿器科が開設されないからか診察室で局所麻酔をし、お尻から器具を入れ前立腺の組織を採取した。
    診察室から病室に移動は車椅子だった。看護師さんがおしてくれたのだが、ガウンの前がはだけてフルオープン!
    チンチンの先からは尿道カテーテルが伸びている。
    待合室の患者さんは目をそむけた…。
    近所の総合病院だったが知り合いがいなくてよかった…。

    次の時の診察ではあっさりと癌ですね、どこの病院にします?転移がないかの検査などもうちではできないので、大きな病院でとなった。
    前立腺がんのグリソンスコアという悪性度は8といささか厄介なものだった。

    このグリソンスコアというのは癌の性質なのだが、進行が早い、転移しやすいというめんどうな性質を表している。

    即座に癌センターに転院することになった。

    【手術の決断とアイデンティティの喪失】

    がんセンターでの受診も、数ヶ月の間があった。
    グリソンスコアも高いし、PSAの数値が検査するたびにあがっているのもあり、診察まで気が気ではなかった。

    検査、そして治療の内容のうちあわせ。
    治療には、手術、放射線、ホルモン療法とある。
    放射線を選択すると、男性機能は温存できるが癌が再発しても手術はできない。
    手術を選択なら癌が残存していても放射線、ホルモン療法も使える。しかし男性機能は消失する。

    いささか迷った。
    もう一人欲しいと思っていたが、諦めろ!と言われたような気がした…まあしょうがないか…。
    幸い可愛い一人娘もいるしね。

    手術前の検査で勃起神経はどうします?
    とっちゃいます?
    残しておいても射精機能はないですけど…。
    転移の可能性が高いので切除をお勧めします。
    医師はふつうに話してきた。

    命の方が大事だよねと思い「あ、そうですね。取っちゃってください!」
    この時はあっさりしたものであった。

    そして入院前日、坊主にした。
    手術後はシャワーも浴びられないし、拭ければいいという実利的な理由もあったが、それ以上に「戦場に行く気分」だったのだ。

    生還のための死線に向かう…自分なりの儀式だ。

    娘には「可愛くない」と言われた。
    ちょっとへこんだ…。
    いや…かなりへこんだ…。
    娘にとってはかっこよくいたいんだが…!

    そして、鏡の前で覚悟を決めながらも「もっとS○Xすればよかったな」なんて未練も同時に頭をよぎる。

    不妊治療のために散々してたから、もう年貢の納め時か……。

    覚悟と未練が、妙なバランスで同居していた。

    手術を終えても、即座に再発が発覚した。
    というか、手術で前立腺は取ったがまだ癌がどこかに残っていた。

    その後、放射線治療とホルモン注射の治療も始まった。

    放射線治療は一ヶ月以上毎日がんセンターに通った。
    照射の時間は短いが毎日だ!

    1時間近くかかるが歩いてもいけるので、散歩がてら歩いていくこともあり特に悲壮感もなく楽しく過ごしていた。

    ホルモン療法は三ヶ月に一度だが腹部注射、いささか痛みもあるがその時には体の変化はなかった。

    放射線治療が終わって数値はほぼゼロになり安心すると共に一つの仕事をやりおえた感じがした。

    しばらくすると、寂しく感じるようになってきた。

    「喪失の瞬間」を期待して待っていたわけではないが、劇的な瞬間なんてなかった。

    手術の時は一週間尿道カテーテルが入っているのでトイレに行くのが大便だけだし特に違和感などはなかった。

    というよりも、そのカテーテルの苦しみも前立腺がん手術経験者のあるあるだ!

    そして、気づいたら何かセクシーな視覚情報が入ってきても、何も起きない。

    無反応。

    男の性欲は視覚からと言うが、生理現象(反射)があることによって喚起される部分も大きいのではないか? 体の変化が「何も起きない」ことで、初めてそれに気づいた。
    体のプロである鍼灸師として、自分の体の変化を通じて初めて知る真実だった。

    最初は性衝動がないのは便利だと思った。
    人間の三代欲求の一つがなくなって煩わされないな!なんて、むしろ喜んだくらいだ。
    しかし、時間が経つにつれて、だんだんと虚しくなってきた。

    さらに、男性機能がなくなるだけで全てのアイデンティティが否定されているような気がしてきた。

    妻にも話はしたが、理解されなかった。

    辛さは聞いてくれるが理解はされてない気がする。
    理解はできないだろう。男ではないのだから。
    女性の生理が俺に理解できないように。

    【身体の変化と性生活】

    癌の治療をしていろいろと変わったことがあった。

    自転車にのると、サドルのあたるところが痛くて乗れない。
    放射線治療のときも痔にでもなったかのようなお尻の痛みがあった。
    放射線科の医師もひん剥いて診てくれたが、なんともないと言われる。これは、時が経つにつれきにならなくなった。

    しかし、最も変わったのはホルモン療法をして一年ほど過ぎたあたりからだ。
    ちなみに期間は二年間、また数値が上がるようなら再開だが現在も数値は0で安定。

    染色体が変わったわけではない。
    だが身体は確実に変わっていた。

    脇毛はなくなり、陰毛も薄くなる。

    挙げ句の果てには、おっぱいが大きくなってきた!
    Bカップくらいまで膨らみ、「ブラジャーするか?」と自嘲するほどだった。

    さらには、体重も増えていく。

    しかし、予想に反して毛髪は増えない。いな、むしろ減っている?
    おいおい!女性ホルモンがんばれ!
    髪の毛は増えないのかょ!

    さらには髭や眉毛、陰毛は白くなる。

    「おばさんだ!」

    鏡の中の自分を見て、そう思うしかなかった。

    いや、おばさんでもないか…太った仙人だ。

    二年ほどは気分の落ち込みやホルモン療法の影響もあり、性的なこともなんにも思わなかった。

    さらに数年経つうちに、「こういう時に性欲があったよな」と思い出すことが出てきた。
    しかし、それがもう性欲に変わることはない。

    EDの状態に近いのかもしれないが、そういう心配すら無い。
    機能そのものがないのだから。

    【転換点:有限の生と愛情の再発見】

    ところが、そのおかげもあるのだろうが家族に優しくなれる時間が多くなった気がする。

    人生の有限さを思い知り、悔いの無いように生きたい。そういう気持ちが、家族と向き合う姿勢を変えていった。

    妻は私のために必死になってくれた。
    ガンに効くからと家庭用サウナや生ジュース製造機を買い、漢方や代替医療を求めて栃木まで一緒に出かけた。

    正直、私は「標準治療だけでいい、これらは無駄だ」と思う気持ちもあった。だが、彼女の必死な気持ちを無下にはできなかった。

    本当に心が通った、一歩踏み込めたと感じたのは、自分の中で勃起の有無が人生そのものだったと感じたこと。

    それがなくなったいま生きている実感がなくなってしまったということを恐る恐る話した。
    何を馬鹿なこと言ってんだ!と、思われると思ったからだ。

    しかし、受け入れてくれた。その瞬間、涙が溢れ嗚咽が漏れた。

    娘が寝てから、他愛もない話をしていた。

    しかし、なぜか涙が溢れてくる…

    俺は一人の男として終わったんだという思いが溢れてくる…

    私はしばらく黙っていた。

    それでも、ぽつりと話した。

    「……男じゃなくなった気がするんだよな」

    妻は少し考えて、こう言った。

    「命があるだけ儲けもんだよ」

    …その言葉を聞いても、胸の奥の何かは静まらなかった。

    その前から、何かがおかしかった。
    妙に感受性が強くなり、事件などのニュースを見ると、感情が昂るのが抑えられなくなった。
    辛いという気持ちが倍増されている。

    意味もなく涙が出るようになった。いや、意味はあったんだろうと、いまなら思う。
    自分の変化に対して気持ちがついていっていなかったのだ。

    頭がおかしくなったと思った。

    実は手術で入院している時も、せん妄という幻覚が出た。

    病院に入院しているという意識はある。
    だが、昔ホラー映画でみた場面が二重写しで見えてくる。

    場所もスペースもないのに、隣のベットが2段ベットになっていて、太った豚の仮面をつけた男が踊っている…。
    そして、耳元ではバケツを叩いている音が鳴っている。

    このままにしていると、気が狂うのではないか?とおもった。

    入院当時は、まだコロナが全盛期で運の悪いことに手術が終わった翌々日に妻と娘がコロナに感染。
    お見舞いにも来れず一人で戦っていたのもあるかもしれない。

    妻と男性消失の感覚を完全に共有することは難しいと思う。

    でも、私が辛く思っていることは伝わった。
    何度もそのような性の話もできる患者会がないか?と、探してもくれた。
    患者会はあるが、悩みが相談できるような会はなかった。

    そして、何度も何度も私の話を受け取り続けてくれた。

    完全に理解し合えなくても、逃げずに受け取ってくれる人がいる。
    そこから、彼女は私にとって一番信頼できる人になった。
    今でも衝突がなくなったわけではないし、義母への感情が消えたわけでもない。

    それでも、彼女は必死だった。
    俺の命を守ることに。


    発酵とは「完成しない」こと

    思えば、怒涛の時間だったと思う。

    娘が生まれてからは楽しい時間も束の間、何度も手術を繰り返すことになった

    おかげさまで、手術なんか屁の河童になった。

    そこまで達観するには自分一人では無理だ。
    妻の支えによる精神的な支柱がなければどこかでもういいか!となっていたと思う。

    蓋をして密封すると腐る。
    でも、ぶつかりながら隣にいたことが、関係性を発酵させた。

    それは時が熟成を促すお酒のようにというとカッコ良すぎだろうか?

    中国では娘が生まれたら、紹興酒を瓶に入れて土に埋める。
    そのお酒を娘の結婚式に振る舞うそうだ。

    娘の成長と熟成。
    共に時間をかけて育てていくともいえるかもしれない。

    娘はときどき言う。

    「うちの両親って仲いいよね」

    そう聞くたびに、私は少し可笑しくなる。

    若い頃、私たちはずいぶん発酵の激しい夫婦だったのだが。

    …しかし…近頃パパは避けられてる…。

    …臭いと…

    どうやら、発酵しているようだ…

    編集後記
    パクウンジさんの『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について』を読んでいたら思わぬ方向まで話が進んでしまった。

    最初はパクさんの夫はどんな思いでいるのだろうか?ということからGeminiとの対話が始まった。
    それをnoteの記事にさらーっと書こうと思っただけだった。
    しかし、書いているうちにいろいろと問題意識が湧いてきた。
    挙げ句の果てには自分の前立腺がんの話までいきついた。

    前立腺がんに関しての話はまだまだ面白い?話はあるが今回は割愛。

    前立腺がんの記事を書こうと思ったわけではなかったのに話が横滑りしているうちに、ここまできてしまった。

    そしてパクウンジさんの本に関して思ったことはここにいきついた。
    声だかに女性が搾取されていると叫んだり、デモ行進することにもにも意味はある。

    だが、それにより大きく社会を変革することはできない。
    革命?そんなことをして誰かを傷つける必要はない。
    むしろ自分の子供や妻、夫など愛する人と共にいい関係を築いていくことでゆっくりと社会は変わっていくのではないだろうかか?ということを思ってこの本を閉じる…

    ご清聴ありがとうございました…

    by 神田難陀

    注釈
    難陀とは、お釈迦様(ブッダ)の異母弟の人物で人間の煩悩と悟りへのプロセスを象徴するエピソードとしてよく語られます。
    ただこの神田一門の人とは関係がありません。
    by 神田尿道

     
     
     
    のぞいてごらん、ビジネス面。 高尚な批評もあれば、腰から下の本音もある。 ましてや人の心は闇から闇へ……。 表もあれば、裏もござんす

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