
詐欺師と息子
日曜日の昼間。私は2才の息子と家の床に寝ころがって遊んでいた。ブロックを積んでは壊し、車を走らせてはひっくり返す。いかにも休日の、なんでもない時間である。
そこへ見知らぬ番号から電話がかかってきた。
休日の知らない番号はたいてい出ないのだがなぜか出てしまった。電話の向こうは男性だった。
「NTTの者ですが」
とても丁寧だった。
現在契約しているWi-Fiが今後は月額5,000円かかるようになるので、au光へ切り替えれば3,000円ほどで済む、という話らしい。
その説明を聞きながら私は足元を見た。さっきまで一緒に遊んでいた息子がおもちゃを耳にあてて私のマネをしている。満面の笑みである。これはなかなか。
一方、電話の向こうの男性。丁寧であった。街中を流れる川の流れのごとく、途切れず、語尾も一切崩れない。おそらく台本なのだろうがそれにしても人間味が薄い。
AIが電話対応をする時代だ。もしかしてこれもAIなのではないか。そんな疑念が頭にわいた。だが不思議なことに、私が「はい」や「ええ」の相槌を打たずに無言でいると向こうは少し待つ。「よろしいでしょうか」とも聞いてくる。少し間があいても男性の発話にはよどみがない。
奇妙だ。これは人間なのかAIなのか。
確かめたくなった私はすこし実験をした。
「ちょっともう一回内容を教えていただいてよろしいですか?」
「......はい。承知しました。お客様のWi-Fiは現在、NTTのものだと思うのですが」
「はい」
「......これが月額5,000円発生する契約内容になっておりますので、このままいきますと」
「うんこ」
「……え?」
「あ、ごめんなさい」
人間だった。AIでも「うんこ」は処理できるかもしれない。だが電話の向こうの男性はほんの一瞬本当に困っていた。その「え?」には、マニュアルには載っていない、脈絡のない「うんこ」への戸惑いがちゃんと入っていた。なんだ人間かぁ。
そのあとも彼は話を続けた。
「......後日、設置担当の者が参りますので、20分ほどご在宅できる日を教えていただきたいのですが」
私はここまできてようやく違和感を整理できた。そもそも我が家のWi-Fiは、マンションの無料設備である。からしてお金はかかっていない。それなのに「今後5,000円になります」と言われても意味がわからない。しかもここまで話しているのに彼は一度も私の名前を呼ばない。電話の冒頭に「北海道札幌市のスーパーデリシャスマンション28階にお住まいのイトー様でよろしいでしょうか」の本人確認もなかった。
......
......このタコスケのハイエナめ。
「......回線工事自体は本当にすぐに終わります。もしもお客様が」
「ちょっと待ってください」
「はい?」
「正直申し上げると、先ほどから仰っている内容がいまひとつ承服できかねるんですね。我が家のWi-Fiは無料です。それなのに5,000円になると言われても、よく分からないんです。ずっとです。この電話中ずっとよくわからないことだらけです。私の状況と、いま仰ってくれた私の状況が一致していないのです。ご理解いただけますか。いま少し立て込んでいますので、もし必要でしたらまた改めてお電話いただけますか」
電話は無言であっさり切れたのだった。
すぐに番号を検索した。案の定、口コミには「悪質な詐欺」「とても紳士的な詐欺」と並んでいた。
「クラァ! このクソボケカスぅ! 俺の日曜日を返せ! この俺様のビューティフルサンデーを!」
と腹をたてながらスマホを置いた。
足元を見た。息子がまだ足にしがみついていた。私の電話が終わってもなお、おもちゃを耳にあて「もしもし」の顔をして私を見あげている。
......こいつめ。
私はいまのいままで、謎のタコスケ野郎と「もしもし」をしていた。中身のない「もしもし」だった。謎のタコスケは台本を読み、私は粗を探し、本当のことはどちらも何ひとつ話していない。形だけが律儀に往復する空っぽの会話であった。
息子の「もしもし」にも中身はない。相手すらいない。電話が何をする道具かもたぶん分かっていない。同じく空っぽである。
一方の「もしもし」はうすら寒く、しかしもう一方の「もしもし」はなんだかぬくい。人間だと確かめたあの男より、まだ人間の言葉を持たないこの子のほうがよほど人間めいている。
私は息子を見つめながら「ふっ」と笑い、もう一度スマホを耳にあてて電話するフリをした。
「んも〜しも〜し?」
息子はニコニコ。私はさらに続けてこう言った。
「うんこ」
息子は床に転がりケタケタ笑った。うーむ、なかなか。いかにも休日の、なんでもない時間だったのである。
(了)