
正しさはAIに。ズレは、あなたに。①

正しいのに、誰も動かない。
AIはなぜ感動を起こせないのか
AIが正しさを量産する時代に、人間が最後に乗せるべき「あとひと押し」を考える。
「いいですね。すごく分かりやすいです」
そう言ってもらえた提案が、また一つ、静かに消えていきました。
僕はもともと、コンサルの出身です。
外資系のコンサルティングファームで、ロジカルに考えて、筋の通った、きれいな資料をつくる。そういう技術を、まじめに叩き込まれました。
MECEとか、ピラミッドストラクチャーとか、ファクトベースとか。
「論理的に、分かりやすくまとめる」。
それが、僕の仕事でした。
もちろん、その技術は今でもめちゃくちゃ大事です。
仕事をするうえで、正しく考え、分かりやすく伝える力は、間違いなく土台になる。僕自身、当時叩き込まれた考え方には、今でも何度も助けられています。
でも、正直に言うと、それだけだと、どこか物足りなくなっていました。
好きだったのは、もう一歩先でした。
何か面白いメッセージとか、グッとくるキースライドとか、
「お、その切り口いいですね」
と言ってもらえるストーリーを考えること。
自分が考え抜いた一枚で、お客さんの反応が良くなったり、顔色が変わったりする。会議室の空気が、ほんの少し変わる。
あの瞬間が、たまらなく好きでした。
とはいえ、いま思えば、僕の"面白さ"は、まだコンサルのセオリーの内側でした。
きれいにまとまった、お行儀のいい面白さ。
ちゃんとしている。
分かりやすい。
でも、どこか想定内。
そんな面白さだったのだと思います。
その後、AIベンチャーに移って、事業を立ち上げることになりました。
ゼロからの立ち上げです。知り合いも、実績も、ほとんどありません。
それでも当時の僕は、どこかでこう思っていました。
「プレゼンは得意やし、面白いことを考えるのも好きやし、
まあなんとかなるやろ」
......なりませんでした。
提案先の反応は、悪くないんです。
むしろ、良かった。
「面白いですね」
「すごくよく分かりました」
「社内で検討します」
そう言ってもらえる。
なのに、肝心の「じゃあ、お願いします」には、ならない。
「いいですね、検討します」
ここで、毎回ぴたっと止まる。
もともと営業という仕事はしたことがなかったので、
もっと強引なほうがいいのか?押しが弱いのか?
メリットがちゃんと伝わってないのか?
AIの技術の内容が難しくてわかりにくかったか?
と毎回自分の中で振り返りまくっていたのを思い出します。
それでもなかなか売上は、つきませんでした。
わかりやすいのに...
正しいのに...、人が動かない。
このときの僕のモヤモヤは、たぶんこの一言に尽きます。
あとひと押し、何かが足りない。
その「何か」を、ひたすら模索していました。
転機は、ささいな場面でした。
当時の社長と、営業に同席したときのことです。
社長は、AIの研究者を経て、
バリバリ事業も立ち上げてきた人でした。
とにかく、切り口と着眼点そしてキャラが面白い方でした。
「え、そんなのアリ!?」
みたいな提案を、平気でやるんです。
当時の僕からすると、完全にセオリー無視でした。
コンサル時代に身につけた型から見ると、かなりぶっ飛んでいる。
僕は恐る恐る、お客さんの顔をうかがいました。
そうしたら——お客さんの目が、キラキラしていたんです。
「こんな面白いことを、こんなに楽しそうにやる人と、一緒に仕事したい」
そんな心の声が聞こえてきそうな反応でした。
あ、こういうのも、ありなんや。
これが、僕にとって大きな経験でした。
その気づきを胸に、思い切って振り切ってみた案件があります。
ある大企業から引き合いをいただいた、AI開発の大きなプロジェクトのコンペでした。もともと大手のコンサルやベンダーが入っていて、
規模も大きい。正直、まだまだ小さい僕らのようなベンチャーが獲るのは、なかなか難しいだろうと思っていました。
コンサル時代の発想のままだったら、たぶん勝負にもならなかったと思います。
でも、このときは振り切りました。
「尖ったBizDevと、尖ったデータサイエンティストが推進する、ほかとは違うチームですよ」
そういうAIベンチャーらしい尖った面白いキャラクターを思い切り全面に出して、中身も最新の知見をぶつけた、エッジの効いた提案で攻めました。
提案を作る時もエンジニアと折角なら「最先端の技術を検証したり実装できるようなプロジェクトにしたい」って
自分たちのやりたい方向性のエゴも込めていました。
結果は、勝ち。
コンペを勝ち取り、案件も無事に成功させることができました。
ありがたいことに、これをきっかけに社内でも高く評価してもらえたり、
売上の面でも結果がついてきたりしました。
「自分で事業をつくる」という、いまの自分の原点になった案件です。
その企業の方とは、今でも仲が良くて、仕事に動きがあると飲みに行ったりもします。
あるとき、酔った流れで聞いてみたんです。
「当時、知名度も実績もなかった僕らを、なんで選んでくれたんですか?」
返ってきた答えが、これでした。
「いやぁ、とにかく面白そうな人らやなって思って。この人たちと一緒にやってみたい、それだけですよ。本当に、一緒にやれて良かったです」
ベロベロやったのに、ここだけは、しっかり記憶に残っています。
あ、これか。
そう思いました。
人が動くのは、「正しいから」だけではない。
「えっ、その手があるの?」
「思ってたより、面白いやつが来たぞ」
「この人たちと一緒にやったら、何か起きそうやな」
そういう、ちょっとした驚きとワクワクから、人は動く。
それ以来、僕の提案のスタイルは、だいたい決まりました。
手堅くて正しい案は、もちろん持っていく。土台なので、これは大事です。
でも、そこに必ずもう1つ、ちょっとはみ出した「面白い案」を添える。
その面白い案はどこかで見たものではなく、
「自分が腹落ちして面白い、やりたい」と思える案にする。
刺されば、その場で一気に話が進む。
刺さらなくても、「いやぁアイデアは面白いけど、実際はなぁ...」
と本音やリアルな裏側の情報が返ってくる。
どっちに転んでも、前に進むことが増えるようになりました。
「人の心が動くって、こういうことか。楽しいなあ」
それを教えてくれたのは、結局、お客さんでした。
AIが「正しい資料」を数秒で出す時代に

で、ここからが本題です。
いま、生成AIが、コンサル時代の若手だった僕がいちばん時間をかけていた「正しくて、分かりやすい資料」を、数秒で出してくれるようになりました。
正直、めちゃくちゃ便利です。毎日使っています。
企画のたたき台。
市場調査の整理。
提案書の構成。
メール文面。
論点の洗い出し。
壁打ち。
AIがなかった時代には、数時間かけていた作業が、一瞬で進むこともあります。
でも、便利さと同時に、ふっと手が止まることも増えました。
「綺麗で正しいけど、これ、別に僕じゃなくてもよくない?」
そう感じる瞬間です。
AIの出力は、うまい。
論理的で、読みやすくて、破綻も少ない。
でも、どこかで読んだような感じがする。
どこかで見たようなまとめになる。減点はされないけど、加点もされない。正しいけれど、心に引っかからない。
これは、AIの性能が低いからではありません。
むしろ、性能が高いからこそ起きる問題です。
生成AIは、ざっくり言うと、
膨大なデータから「次に来そうな、もっともらしい言葉」を選び続ける装置です
多くの人が書きそうなこと、言いそうなこと、自然につながりそうな表現を、高速で出してくる。
つまり、AIは構造的に「ど真ん中」を出すのが得意です。
平均的に正しいもの。
大多数が納得しやすいもの。
無難で、なめらかで、破綻が少ないもの。
それは、仕事の土台としては最高です。
でも、人を動かすには、そこからもう一歩が必要になる。
僕はこの問題を、優等生問題と呼んでいます。
AIの初稿は、たいてい優等生です。
正しい。
分かりやすい。
でも、想定内。
会議で言われるなら、「うん、確かに」「だよね」。
悪くないけれど、心は動かない。
ゲームで言えば、AIはすぐにSR(スーパーレア)を出してくれます。
十分強いカードです。でも、そこで満足して止まると、いつまでもSRのままです。
SSR(スーパースペシャルレア)やUR(ウルトラレア)を引くには、人間の側で、もう一段粘らないといけない。
しかも怖いのは、みんながAIの優等生で満足し始めると、
世の中全体が「正しいけど心が動かないもの」で埋まっていくことです。
文章も、提案書も、採用広報も、経営メッセージも、どこか同じ匂いになる。
「いいこと言ってるけど、誰が書いても同じ」
そんなアウトプットが増えていく。
実はこれは実験でも同じような結果が出ています。

ハーバードやBCGなどの共同研究チームが、BCGのコンサルタント758人を対象に行った実験があります(Dell'Acquaら、2023)。生成AIを使うと、こなせる業務量は約12%増え、スピードは約25%上がり、成果物の品質は約40%も向上した。めちゃくちゃ効くんです。
でも、同じ実験で、もう一つのことが分かりました。新しい市場のアイデアを出させると、AIを使ったチームのアイデアは、品質は高いのに、互いに似通って、ばらつきがはっきり縮んだ。創作の実験でも、AIを使うと一人ひとりの作品の質は上がるのに、みんなの作品が似てくる、という報告があります(Doshi & Hauser、2024)。
個人は、速く、うまくなる。でも、全体は、平均へ寄っていく。
優等生問題は、実験でも確認され始めている現象なんです。
もちろん、日常の業務や効率化が必要な業務だと毎回心が動くような必要はないのでAIは相性が良いと思います。しかし、特に新しい提案や変革の提案、新規事業のアイデアやピッチなど誰かの心を動かして物事を前に進めるシーンにおいては「心が動くこと」が重要になります。
心当たり、ありませんか。
僕も、めちゃくちゃあります。
気を抜くと、自分のアウトプットも、提案書も、どこかで読んだような
「お利口な資料」になっていく。
そうならないように日々反省したり改善したりです。
でも、これは絶望の話ではない
ここまで読むと、「じゃあAIを使うと平均になるだけなのか」と思うかもしれません。
でも、僕は逆だと思っています。
AIが「正しくて、分かりやすい土台」を一瞬で作ってくれるなら、
人間は、そこからの意味ある「ズレ」を作ることに集中できる。
つまり、AIによって、人間の価値は消えるのではなく、むしろ輪郭がはっきりする。
これまでは、人間が80点の土台を作るだけで、かなりの時間を使っていました。構成を考え、情報を整理し、文章を整え、抜け漏れを確認する。もちろん大事な作業です。
でも、そこにエネルギーを使い切ると、最後の「人を動かす一手」まで届かないことも多かった。
AIは、この土台作りを一気に引き受けてくれます。
ならば、人間は何をするのか。
現場で拾った、生の一言を入れる。
自分だけが感じた違和感を入れる。
理屈に合わない偏愛を入れる。
相手の本音に触れたエピソードを入れる。
あえて、平均から外す。
こういう「人間くさいもの」が、AIの平均に掛け算されたとき、初めてアウトプットは動き出します。
ただ、ここはすごくしんどいです。
脳みそが汗をかきますし自分の価値を厳しく問われます。
僕もAIが出した素案にこれまでの経験やノウハウ、自分独自の切り口を加えてオリジナルのアウトプットにしていくのですが、全然面白いものにならないときはかなり自己嫌悪になったりもします。
AIは、正しさを量産する。
人間は、そこにズレを入れる。
これが、僕が考えるAI時代の役割分担です。
では、なぜAIは感動を起こしにくいのか

ここで、「感動」という言葉を少し広く使います。
涙を流すような感動だけではありません。
会議で「おっ」となる。
提案を聞いて前のめりになる。
文章を読んで、明日からやってみようと思う。
誰かの一言で、仕事の見方が変わる。
そういう、感じて、動くまでを含めた感動です。
この意味での感動を、AIが単独で起こしにくいのには、構造的な理由があります。
僕は、AIには3つの壁があると考えています。
1つ目は、ズレを作れないこと。
感動には、予測を裏切る「ズレ」や「ギャップ」が必要です。
でもAIは、予測のど真ん中を出すのが得意です。多くの人が言いそうなこと、多くの文章で自然につながりそうなことを出す。つまり、放っておくと、ズレではなく平均に向かう。
感動のエンジンが「予測とのズレ」だとしたら、AIの本業は「予測どおりのど真ん中」です。
やっていることが、逆なんです。
2つ目は、賭けたものがないこと。
人は、文章や提案の中身だけを見ているようで、実はその背後にいる人間を見ています。
この人は、どれだけ考えたのか。
何を失う覚悟で言っているのか。
どんな経験から、この言葉を出しているのか。
本気なのか。
同じ言葉でも、信頼している人が本気で言えば、腹に落ちる。どこの誰とも知れない人が言えば、身構える。中身が同じでも、受け取り方は変わる。
想像してみてください。
ものすごく心に響く手紙をもらったとします。
その後で、「あ、それAIに書かせました」と言われたら、
スッと何かが冷めませんか。
文章は、1文字も変わっていないのに。
なぜか。
人は、言葉だけではなく、その背後にある苦闘や時間や関係性を受け取っているからです。
AIには、これがありません。
AIは、何も賭けていない。失敗しても傷つかない。評判も失わない。人生も懸かっていない。無限にやり直せるので、「これでなければならなかった」という取り返しのつかなさもない。
そして、絶対にこの人をこの手紙で喜ばせたいって想いもありません。
だから、正しくても、最後のひと押しが効きにくい。
3つ目は、現実との接続が弱いこと。
AIは、テキストの世界の住人です。
商談で空気が固まった瞬間の、あの沈黙を知りません。
工場の油の匂いも、ベテランの手の動きも、見たことがありません。
会議のあと、廊下でこぼれる「実はこれ、案外不便なんですよ」という一言も、聞いたことがありません。
AIが知っているのは、それらについて誰かが書いた文章です。
だから、AIの語る「あなたの課題」は、どこか一般的です。
10人中8人に当てはまる、当たり障りのない課題になる。
正しいけれど、「まさに自分のことや」という体温がない。
こういうと大げさかもしれませんが、
AIの答えは、正解には近いが、人生に近くない。
人が「これは自分の話だ」と感じるのは、固有の現実に触れられたときです。
あの場面。
あの一言。
あの諦め。
あの違和感。
それは、現場に行った人間にしか拾えません。
AIは、そもそもそこに立てない。
AIを否定したいわけではない
ここまで書くと、「AIは感動を作れない、だからダメだ」と言っているように聞こえるかもしれません。
でも、そうではありません。
僕はAIをめちゃくちゃ使っています。毎日使っています。そして、これからもっと使うと思います。
AIが感動に関与できる場面は、たくさんあります。
たとえば、誰かの実体験や現場の声を、分かりやすく整理して届けることはできます。このとき、感動の源泉は人間の現実にありますが、AIはそれを増幅して、より多くの人に届けることができる。
AIは、発生源にはなれなくても、運搬車にはなれる。
あるいは、目的がはっきりしていて、膨大な探索が必要な領域では、AIは人間が驚くような選択肢を出すこともあります。新しい組み合わせ、新しいパターン、新しい発見の候補を出す力は、これからさらに強くなるはずです。
だから、戦うべきは「AI 対 人間」ではありません。
戦うべきは、平均 対 逸脱です。
AIは、平均を高速に作る。
人間は、そこに意味ある逸脱を持ち込む。
この役割分担が見えてくると、AIは敵ではなく、めちゃくちゃ強い相棒になります。
「優等生の模範解答」を作らないために
僕がこのテーマにこだわるのは、生成AIへの興味だけではありません。
もっと前から、ずっと引っかかっていたことがあります。
世の中には、すごい技術や、すごい取り組みがたくさんあります。
研究者が人生を懸けて作った技術。
現場の人しか知らない、本物の課題。
地域に眠っている、まだ言葉になっていない価値。
会社の中で、誰かがずっと抱えている違和感。
でも、それらが「正しく、分かりやすく、網羅的な資料」にまとめられて、会議で「いいですね、検討します」と言われて、そのまま静かに消えていく。
僕は何度も、その場面に立ち会ってきました。
そして、自分の資料が、その「優等生の模範解答」になったことも、一度や二度ではありません。
技術は正しい。
資料も正しい。
でも、相手の現実に接続していない。
社会に出たときの分かりやすい価値になっていない。
その技術が、誰の何を変えるのかが、生きた言葉になっていない。
すると、どれだけ正しくても、届かない。
AI時代には、この危険がさらに増えます。
正しい文章、正しい説明、正しい資料は、もっと簡単に増えるからです。
だからこそ、人間は「正しさの先」に行かなければならない。
相手の現実に触れ、予測を少し裏切り、でも腹落ちするように橋をかける。
この「あとひと押し」を、才能やセンスではなく、構造として扱いたい。
そのために僕が考えたのが、感動のデルタ理論です。
次回は、その「感動」を式にします。
感動とは何か。
なぜ人は、感じて、動くのか。
そして、どうすればAIの平均に、人間のズレを掛け算できるのか。
ここから、もう少し深く潜っていきます。
今回のまとめ

人は、正しさだけでは動かない。
正しさは、必要です。でも、それだけでは足りない。
人が動くのは、予測を少し裏切られたときです。
「えっ、その手があるの?」
「それ、自分のことかもしれない」
「意外だけど、確かにそうだ」
そう感じたとき、人は前のめりになる。
AIは、正しさを量産してくれます。
だからこそ、人間は、最後にズレを乗せる。
正しさはAIに。
ズレは、あなたに。
第二回はこちら!