左様でござるか
そうか、記憶をたどれば『真田丸』だったか。
星野源演じる徳川秀忠。
とにかく自分は次の天下人となる身であることを心得ていて。
でもその先例があるようで、それでいてなくって。
だから、自分がどうこうよりも、『どう行動するのが天下人であるか』だけを常に一番気にして行動していた、とはっきりわかる演じっぷりがすごく好印象だった。
さて本題。
先日、創作大賞中間選考の発表があった。
そりゃあさぁ?
数年の間をおいていきなり今年の6月から急にnote再開したわけだしさぁ?
エッセイ書くぞ!というよりは『なんか文章書いて世に出したい、この思いを持ってるだけの時間から抜け出したい』が本音だったわけどさぁ?
でもさぁ?
夢見たっていいじゃない!
で、全部とはいかないけれど後学のため、選考作品を一つ二つ読んでみた。
まず、客観的な感想。
文字数。
全っ然足りない。
文字数=文章の厚み、だとは決して思わないが、明らかに厚みを感じる。
そこいくと僕の場合、ほとんどが1600字前後。
だからといって自分の文章が軽いというか、ペラペラだとも思わない。
言って良いんなら、スパッと物事を切ってまとめてるぜ!って自負もないではない。
ただ。
『厚み』となると…確かに。
もぅここに関してはぐうの音も出ねぇ。
次、素直な感想。
『これって、エッセイかね?』だった。
エッセイというか随筆とかいうもので、誰もが親しみのあるというか、学校の授業で読まされた記憶のあるのは『枕草子』とか『徒然草』『方丈記』だろう。
となるとエッセイって、『私が思う〇〇って、私にはこういう印象』という断定を延々書き連ねることだと思ってた。
いっちょまえな言い方すると、『自分という光源で、あるものごとを照らしたときの影の様子を書くこと』だと思ってた。
ところがどうだ。
数作品だけしか読んではいないけれど。
確かにそれぞれ作者なりの感想・感覚がちりばめられてはいるけれど。
なんか。
『淡々と事実を書き連ねているだけ』
そう感じた。
僕自身の作品の善し悪しというか、悪し悪しを他所に置いて言えば。
『エッセイのばか!もう知らない!』って思った。
でも、でもでも。
それでも。
次期エッセイ天下人、桂吉之介として。
『エッセイとは、こういうものであるか』
成しえた人が淡々と事実を書き連ねる、その迫力、すさまじさははひしひしと感じてしまった由、申し上げ候也。
