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「まともに働けない私」が、それでも人生を好きになれた話


    塾に通わずに中学受験に成功して、中等教育学校に入学。

    初めての英語の授業で、書き方が分からず担任から叱責。
    まわりは塾でもう習っていた。


    おまけに初めて始める女子サッカー部で、先輩後輩関係に慣れずそのまま不登校。


    担任に来いと言われるから、
    赤点しか取れないテストを受けに行く、
    行事ごとに参加してウザがられる。


    増えていく精神疾患と親子の溝。

    父方の祖父の死、兄も問題を起こし、全寮制へ転校。
    私に長女としての役割がのしかかる。


    遅れた分の勉強は取り返せないと養護教諭に言われ、定時制高校に再受験し、入学。


    ここでも増えていく精神疾患と親子の問題。


    正直、中学と高校の記憶はほとんどない。
    防衛本能とは優秀なものだ。


    1人だけ大学受験用の単位が取れるように、先生たちの協力もあり、無事私立の4年生の大学に入学。

    もちろん、親から4年後に実家に帰ることを条件に。


    人生で1番輝き、そして周りを見ていなかった4年間を過ごした。

    エネルギーの溢れた学生だったと思う。


    教科書を読むだけの先生に、私の学費をこの1コマに計算すると三千円。あなたのこの授業に三千円の価値はないと伝えたこともあった。

    単位を取れるだけとり、学べることはすべて学ぼうと努力し、サークル活動、ボランティア、アルバイトにも力を入れた。

    4年生の時、コロナが襲いかかってきて、バーンアウト。

    社会福祉士の国家試験で、あと1点足りず不合格。


    合格発表の前に母から言われた、

    「落ちてる気がするから、実家に帰ってきなさい。」

    という言葉に黙って従うしかなかった。


    在学中も、あなたのマンション代にいくら払いました。
    学費にいくら払いました。
    奨学金もあなたのために借りました。

    だから、あなたは成績で私にどう返す?
    あなたは私に何をしてくれる?

    この責め立てに耐えるのがしんどくてたまらなかった。
    GPAも3.0以上をキープしていたのに。


    ただ、親から離れていた4年間は、精神疾患のことなんて忘れて内服もせずに過ごせていた。




    実家に帰ってから、母の働く病院の外来で非正規雇用をしなから受験勉強し、無事合格。


    そして、同病院で正社員のソーシャルワーカーとして働き、パワハラ・サービス残業で精神疾患がぶり返す。

    このままでは、人を殺してしまうかもしれない。
    自分も殺してしまうからもしれない。


    病院を見るだけで、上司の名前を聞くだけで手の震えが止まらなくなり、運転できなくなり、過呼吸でパニックになり、中学高校時代に通っていた精神科に再受診。
    主治医に入院を常に勧められる。

    通勤中に事故が起こってしまえば、仕事に行かなくて済むかなと毎朝思っていた。


    母から、

    「なんで入院したいの?」

    「私の働いてきた病院をずっとパワハラ扱いして、わたしも悪者にしたいの?」


    結局、傷病手当をもらいながら休養している間も、母とのわだかまりは解けることはなかった。


    精神科の再通院、母方の祖父母の介護もしながら、傷病手当・失業保険を利用し、なんとか実家から出ることに成功。

    実家から2時間離れた場所で就職。


    病院経験者のソーシャルワーカーとしての雇用枠で、就職したにも関わらず、そこでもまたセクハラ・パワハラ・もっと新人らしくと求められる。


    「あなたは結婚して家庭に入ったほうが幸せやと思うよ」

    「出来んことは女使って、出来ませーんって言ったらいいんよ」

    などの発言は、セクハラとして扱われず、その人の性格だから多めに見ろと言われ、それに抗議した私の態度はパワハラ扱いされ、給与が低く、忙しい部署に異動を命じられる。


    幸いなことにその病院での良き出会いがあり、事実婚状態で妊活を始めるが、ストレスもあり流産。



    異動を命じられた次の日に、退職を申し出た。



    人生のトータルで言うと私はほとんど働いていない。


    1年もまともに働けていない。


    なんて情けないと今でも思っている。


    同時にもう、好きなことをしようと開き直り、ソーシャルワーカーであるこだわりを捨てた。

    興味のあった韓国語講師と、アパレルアルバイトをし、正社員である責任から逃れる選択をしたのだ。


    だって、非正規雇用だもん。
    そんな責任押し付けられてもと言い訳がしたかった。


    そして、アルバイト初めてすぐに妊娠がわかった。


    不思議なもので、何で今?とやっぱりそうだよなと腑に落ちる感覚が同時にやってきた。

    不妊治療にも通うつもりで正社員から非正規雇用にしたこともあり、産まれてきていない子供に対してあなたはなんてママ思いの子なんだと偶然だとしても言いたくなるくらいに。


    妊娠中にできる勉強をして、なにか資格を取れたらと考えていたが、考えが甘かった。

    妊娠初期は、つわりでマイナス9キロと切迫流産。
    ほぼ、寝たきりで3ヶ月過ごす。


    妊娠中期に入り、アルバイトにもいくようになり、順調かと思いきや、出血は続く。
    妊活を始めたのも、子宮内膜症のため、生理を、7年間止めていたことやブライダルチェックでの子宮筋腫の複数発生の発覚がきっかけ。


    ポリープを除去するもぶり返し、
    妊娠後期で、切迫早産のため三週間の入院。

    今は産まれるまで、自宅安静にて、トイレとベッドの往復のみ許可されているハイリスク妊婦だ。

    自宅でどれだけ安静にしていても、再入院の可能性は常にあり、いつ産まれてもおかしくない状態で、薬の副作用に耐え、ひたすらゴロゴロとすることもない。

    産まれたらゴロゴロできないから堪能しとこうと言われるが、これまでの人生でも結構ゴロゴロしてきてるよなとこの文章を書きながら思ったりする。


    韓国語講師として、自分のクラスを持った矢先の入院。
    アルバイトに慣れてきた頃の入院。

    またしても私は、まともに働けない人間なのである。


    もう、そんなこと、受け入れる他ない。
    わー、私の人生らしいなぁと。


    そして、マイナスなことだけではなかった。

    金銭的な制度について、誰よりも詳しくなれた。

    なぜなら自分が経験したからその分強みとなったのだ。


    そして、良き伴侶に出会えたこと、子供に恵まれたこともまた私の人生の強みであると言える。


    妊娠発覚後にさらに拗れ続ける親子関係。
    自分の家族の誤った価値観の押し付け、こぎつけ。
    毎日何かしらのストレスが精神的に私を追い詰めてくるが、旦那は私の人生の味方でいてくれる。
    そして、大学時代の友人もまた私の人生の味方だ。


    私は人に苦しめられ、人に救われている。

    お金に苦しめられ、どうすれば生きていけるかを常に学ぼうとして知識として学んできた。
    それが、私の強みだ。


    自宅安静と言う名の自分とまたひたすら向き合う期間に感謝しながら、ここで身につけた知識や経験を活かせる人生を私なら送ることができるだろう。


    結局最後は人間性。

    棺桶までのフルマラソンを
    おしゃべりしながら走ってもよし、
    休憩して、サンドイッチを食べてもよし、
    立ち止まって景色を楽しんでもよし、
    足元の土をいじってもよし、
    誰かと手を繋いでもよし、
    全力疾走してもよし、


    ゴールした時に
    楽しかったぁと笑えていたら、私はそれでいいと、
    それだけで十分だと思っている。

    ゆっくりで大丈夫だよ。
    ゆっくりやっていこうね。

     
     
     

    TINA

     
     
    となりの雑談が好きな27歳 やりたいことをぜーんぶやって、いつかスウェーデンに行きます。

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