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セキニンカン・テンカン-マッチョで重たいセキニンやめません?

    「自責で考えろやぁ!!!」

    数年前のある日、深夜の会議室で僕は怒鳴られていました。
    いや怒鳴るというレベルを超えて、もはや恫喝と言える剣幕でした。

    相手は、同じクライアントを担当するベテラン営業、年次では5年先輩です。
    対する僕は、実務チームの責任者という立場でした。

    案件の進め方について、意見が合わず議論が平行線になっていました。
    先輩は「売上を確保したい。クライアントの指示通りにしてほしい。」という主張。
    対する僕は「クライアントの指示はコンプライアンス的にグレーで、実行してしまうと自社のリスクにもなる、もっとオープンな場所(会議)で報告し、慎重に検討してほしい」という主張。

    僕の立場としては、個人判断で大きなリスクがある決定は出来ないわけです。
    絶対にやらないとも言っていない。然るべきところで「会社としての判断を仰ぐ」という提案をしていました。
    いや、オブラートで過剰梱包しつつも「コンプライアンス的にグレー」と言っている時点で絶対にやりたくはないのですが、当時の僕には真っ向から跳ね除けるだけの力がなく、これが精一杯の抵抗だったのです。

    しかし、先輩はそれを許さず、首を立てに振らない僕の態度に業を煮やして、冒頭の「自責で考えろやぁ!!!」発現に至ったわけです。

    賢明な皆さんなら既におわかりでしょうが、「自責で考えろ」という恫喝はとんでもなくデカいブーメランです。

    「自責」という言葉は、「自らの責任」の略です。
    物事を他人のせいにせず、自らの責任として受け止め省みるということです。

    文字通り他責の反対なのですが、「自責を強制する」という行為が最大級の他責というオチに本人は全く気づかず⋯なぜか印籠のごとく突きつけてきたのです。落語かよ⋯
     
     

    そもそも、責任ってなんだ?


    私はこのようなモンスター級の先輩に長年悩まされ、そして戦い続けてきました。

    あの人は、「責任」という言葉を多用します。
    「〇〇するのがお前の責任だ」「〇〇しないなんて、お前に責任感はないのか?」「動いてもみないうちから無責任なことを言うな」などなど⋯
     
    そろそろ「責任」という言葉がゲシュタルト崩壊してきませんか?
    長年にわたって「責任」を浴びせられ続けた僕は、文字面だけでなく概念としての「責任」が崩壊していきました。
     
    なぜなら、僕自身が仕事に対する責任を放棄したことはないからです。
    なのに、どうしてこうも言われ続けねばならないんだろう⋯
    もう、何がなんだかわからん。

    そして、最近ふと気づいたのです。
    「責任」って言葉は、人によって意味が違いすぎんか??

    それぞれのセキニンカンにバリエーションがありすぎて、ぐちゃぐちゃなのです。
    セキニンカンのカンは、「価値観」的なカンです。「責任観」と「責任感」は字が違います。
    「歴史観」とか「恋愛観」とかのカンです。
    ドキュメンタリーの最後に「あなたにとって、セキニンカンとは?」と聞かれるときのカンです。

    崩壊ついでに、「セキニン」という概念について、再構築してしまいましょう。
    「セキニンカン」を「テンカン」するのです。
    みんな大好きタイトル回収です。
    本当は終盤でやりたいのですが、終盤まで読んでもらえる自信がないので序盤で出します。
    転嫁じゃないですよ?転換です。
    責任に関する見方や考え方をアップデートするのです。

    手始めに、世間でよく使われる「責任」の意味について、いくつか挙げてみましょう。

    例えば、「責任を負う」と「責任を取る」とでは、受け取るイメージが随分違います。

    「責任を負う」というのは、決めたことを最後までやり抜くといったような、任せられた使命を全うするようなイメージです。

    一方で、「責任を取る」というのは、「責任を取って辞任します」というような、失敗した時に責められる場面イメージをイメージしませんか?

    「失敗したら、どう責任を取るんだ?」と言われたら、これはもう罰ゲームです。
    ゲームは楽しいものですから、ゲームに失礼ですね。ただの罰です。

    世の中には責任を罰のように受け取る人が一定数います。
    そんな人に「責任の大きく、やりがいある仕事です」なんて言ったら、逃げ出すに決まっています。
    管理職になりたがらない若者が増えているという話もよく聞きますが、管理職の責任を「罰」として捉えていたら、そりゃあ嫌だよな。

    一方で「負う方の責任」も一枚岩ではありません。

    「実務部門のリーダーなんだから、クライアントの要望には応えるべき」というような、立場に対して無条件でセットされる責任もあります。

    「新人なんだから、雑務を率先してやるべき」「社会人なんだから、正しいビジネスマナーを身につけるべき」など、色々な「べき」が挙げられます。

    例の先輩は「後輩は先輩の指示に従うべき」という価値観が強すぎました。
    あの人の下と認識されたら、どんな頓珍漢な指示に対しても従わなければいけない。
    もし従わなかったら、それは「無責任」として徹底的に人格否定される。

    業務上のチームアップをすると、絶対服従がついてくる。
    最悪のハッピーセットです。

    でも、こういう人って多くないですか?
    「責任」を盾にして人を無理やりコントロールしようとするタイプのハラスメンター。
    そして、さらに追い打ちをかけるようにしんどいのが、この手のハラスメンターはトラブルの際に「絶対に自責で考えない」という点です。
    自分が全部決めたがるのに、決して「私の責任です」と責任を取ることはしないのです。

    選択と責任のセット

    さっきから愚痴ばっかで、結局お前の考える責任とはなんだ?と言われそうですね。

    僕の考える責任とは
    「自らの選択によって生じた結果を、自分自身が受け入れること」です。

    当たり前のことだと思いますか?
    僕はこの当たり前のことができる人が世の中にどれだけいるのか、疑問です。

    僕も情けないことに以前は全く出来ていませんでした。
    僕がこの「セキニンカン」で生きるようになったのには、きっかけがあります。

    僕の1つ年下の後輩は、入社後しばらく業務上の接点はあまり多くありませんでした。

    その後、僕のチームに合流した時、周囲の評価は率直に言って最悪でした。
    「指示を素直に受けない」「保身ばかりで動かない」という、面倒なヤツ扱いです。

    そんな前評判の先入観もあってか、チームに合流した当初は僕も同じ印象を受けました。
    「主体性がない」「確認・質問が多すぎて依頼しづらい」と感じつつ、しっかりと情報を揃えて依頼すれば作業精度は高かったので、「これも業務適正の一つかな」と根気よく付き合おうとしていました。

    そんななか、ある日の夕方に突発的な作業依頼メールがクライアントから入ります。
    短納期でありながら、依頼内容では必要な情報が不足している。
    でも不足情報はこちらの予想で埋められるし、9割がた外すこともないだろう。
    手戻りの確率が1割残るが、今から先方に説明して情報を集めてもらっていてはおそらく間に合わない⋯
    先方もこのタイミングで確認したら「細かい部分はそっちでやってよ」と言いかねない。
    しかし、彼女にこれを依頼すれば間違いなく「1割のリスク」に言及してくるだろう。

    このように思考がぐるぐると回りながら、どう扱うべきか迷っていました。

    この時の僕は余裕がなく、結果として力技に頼ってでも彼女に作業を受けてほしいと考え、乱暴だと思いつつも指示をしました。

    「これは僕の責任で決めるから、申し訳ないが、手戻りの可能性は飲み込んでそのまま作業をしてほしい」

    正直、彼女からは反発されることを覚悟していました。
    しかし、彼女の反応は真逆でした。

    指示を伝えた瞬間、霧が晴れたように表情が明るくなり、二つ返事で受けてくれたのです。
    それだけではなく、とんでもないスピードで依頼作業を完了させ、先方に伝えるべきプラスアルファの情報もまとめてくれました。

    状況が一段落したあと、予想外の対応に面食らったことを正直に伝え、真意を確認してみました。

    「正直、あの依頼は絶対モメると思ってたんだけど、なんか初めて見るくらい活き活き仕事してくれたよね?なんで?」

    彼女の答えは「ちゃんと決めてくれたので」でした。

    そこで初めて彼女が「依頼を受けない人」になった理由がわかりました。

    原因は僕のチームに合流する前に受けていた「あの先輩」からの指示でした。
    「あの先輩」は、クライアントから依頼が入った時に

    「そっちでやってもらっていいから」

    という言い方で指示をするクセがありました。

    「やってもらっていい」という言い方は、厳密には指示も依頼もしていません。
    せいぜい「ほのめかし」といったレベルです。

    自分が明確な指示をせず、「そっちでなんとかしておいて」とふんわり丸投げするのです。
    その結果がトラブルになったとしても、本人は明確に指示をしていないので責任を取らない。
    「梯子を外す」を通り越して「後ろから撃ってくる」ことすらありました。

    「しっかりと決めてもらえれば、いくらでも動けます。でも、曖昧な指示だと怖いんです。」

    これは、具体的な指示でないと動かないということではありません。

    任せるなら任せると決めてもらえればいいのです。
    誰が決めたのかも曖昧なまま、実作業だけが振ってくる、その結果責任は負ってくれない。という状態が重いストレスになります。

    僕にはこれが痛いほどよくわかりました。
    僕もこの手口を受けてきましたし、ずっと違和感を持っていました。

    ドラマで悪いおじさんが「私は何も言っていない。君が勝手にやるんだよ?グヘヘ⋯」と圧をかけるシーンと同じことです。
    こんなやり方で、気持ちよく動けるはずがありません。

    それなのに、僕自身の彼女に対する指示は「扱いづらい」というイメージから、強く明言することを避け、曖昧な言葉で様子を伺うようになってしまっていたのです。
    それが優しさだと勘違いしていたんです。しかし、彼女が求めていることとは真逆でした。

    以来、「自分がしっかり決める。決めたことに対する良い結果も悪い結果も受け止める。」
    この姿勢で接することで、明確に雰囲気が良くなり、業務成果にも良い影響が出ていました。

    僕が新人の時、欲しかった先輩になる

    こんなふうに、いつのまにか僕は「自分が嫌だった依頼・指示の仕方」を直属の後輩に対してしてしまっていたことに愕然としました。

    なぜこんなことになってしまったのか。
    僕は「先輩・リーダーとはこういうもの」というなんとなくのイメージをなぞって、自分の責任で考え、決めることを放棄していたのだと思います。

    この時、ちょうど子供が生まれたタイミングと重なり、幡野広志さんの「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」という書籍を偶然手に取りました。

    もうタイトルからしてその通り過ぎる。
    そして、親子だけでなく先輩後輩、上司部下などあらゆる関係性において普遍的な考え方です。

    「失敗させる優しさ」という章が特に印象に残っています。
    子どもにお菓子を買ってあげるという何気ないシーンでも、必ず子どもに選ばせる。
    横から「こっちのほうがいいんじゃない?」なんて声かけをしない。
    本人が選んで、結果美味しくなかったとしてもいいじゃないか。その失敗経験を事前に摘み取ることを繰り返すと、進路や就職先も「すべて親が決めていました」という若者が将来的にファミレスで何が食べたいのかも選ぶことができなくなる⋯だから、小さな時から自分で決めて、その結果を受け入れるということをさせておくんだ。
     
    という内容でした。
     
     
    僕は、自分で考えて選ぶということが出来ていなかったんじゃないか?
    後輩にも、考えて選ぶだけの余白と安心感を与えられていなかったんじゃないか?

    だから僕は、「なんとなーく持っている先輩・リーダーのイメージ」を捨てて、自分の頭で考えて、「新人のころ、欲しかった先輩になる」ことを決めました。

    その結果を、自分の責任として受け入れるために。

    綺麗ゴト抜きのチームを高める方法

    自分で考えた結果、いくつかの変な施策をチーム内で導入していきました。

    組織開発やチームビルディングといった高尚なものではなく、内容は僕個人が「しれっとやってみた」レベルのものです。

    というのも、大々的にやるとそれこそ諸先輩方のセキニンカンに抵触し、逆鱗に触れ、お取り潰しになりかねないからです。

    基本的に、「自分が新人の時に嫌だったこと」を取り除くというテーマなので、現在進行系でその「嫌だったこと」をやっている人々からの反感を買いやすいのです。

    なので戦略的に明言せず、じわじわと広めていき、無視できない成果が出るまではステルス実行としていました。

    今後もいくつか紹介していきたいのですが、今回は代表的なものを2つ取り上げてみます。
    2つの共通テーマは「分離」です。

    ◆ホウレンソウや会議の場で、言葉遣いを指摘しない

    僕が新人の時にめちゃくちゃ苦しめられたのが「言葉遣いの揚げ足取り」です。

    報告の最中に言葉尻を捕えて「その言い方は失礼だ」などと憤慨して見せる先輩。

    これは指導としては決定的に悪手です。
    特に若手の報告中に言葉使いを指摘してはダメ。
    業務報告と(上司の好みに合わせた)適切な敬語、2つの高度な術式は同時併用できずに脳が焼き切れる。
    結果としてさらにやらかしを重ね、そこにダメ出しを重ねれば領域展開無限マウント。

    部下を引き上げたいなら、一通り話を聞き、整理し、判断した上で
    「本筋とは関係ないんだけど…」と一呼吸おいてフィードバックをすればいいんですよ。

    それなのに、あえて難易度を引き上げてマウンティングをするのが話を遮ってのフィードバック。

    これを狙ってやっているのかはわからないけど、相手に圧をかけて状態異常を発生させれば「ダメな部下」がお手軽に完成します。

    業務報告のタイミングだって、「なんでもっと早く言わないんだ!」と言っておきながら、次は即座に報告すると「緊急か?忙しいんだが?」と突き放す。
    これで正解がわからなくなって、尻込みしていると「報告をしないとは何事だ!」とハメ技コンボが完成する。

    そんな指導を繰り返し、部下が良いスキルを持っていたとしても「そんなことの前に、当たり前のことをできるようなれ!」と叱責する。

    このように、一貫性の無い指示で相手の思考能力を破壊することを「ダブル・バインド」と呼びます。

    悪魔のような手の内だけど、無意識なのかわざとなのか、マウンティングの一貫として、よくやるんですよね。

    自らのパフォーマンスを上げる努力をせず、他者を貶めることでその溜飲をさげる。
    挙句の果てには部下のダメダメ具合をアピールすることで相対的に自分の評価が上がるとさえ思っている。

    この構造をしらないと、部下はメンタルを破壊されて辞めていきます。
    優秀な素質を持った人ほどすぐにやられる。
    標的になりやすいし、まじめなので解決策が見つからない問題に脳が破壊されるのですよ。

    なので、僕は言葉遣いの指摘をやめました。
    どんなに丁寧に指摘しても、報告や会議の最中にやってしまっては相手がフリーズしてしまいます。
    もちろん放置はしません。あとから思い出したように「そうそう、そう言えば」とカジュアルに伝えます。

    一番良いのは、やり取りを見ていた第3者が「さっきのあれはね⋯」と指摘してくれることです。
    本人からの指摘だと、即座に「申し訳モード」に入ってしまってその後の話が入らなくなっちゃう人がいるので、第3者からフラットに修正してもらうのがいいです。

    どちらにしても、業務についての思考と言葉遣いについての思考は、同時にさせずに分離したほうがいいです。

    また、この活動の副産物として「意見が出やすい空気」も作れます。
    まぁそれは、言葉遣いを指摘しないだけじゃなく、僕自身がアホなこと言ってメンバーからツッコまれるっていうボジションを作っているのも大きいです。

    普段はちょっと舐められるくらいがちょうどいいと思います。
    威厳を見せるのはトラブル対応のときだけでいいですよ。

    そういう、普段アホだけどその気になったら最強ってキャラは昔からみんな好きですよね?

    最近だと五条悟が有名ですね。
    世代的にはナルトのカカシ先生とか。

    メンバーからガシガシ言われてるのは、単純に舐められてるんじゃなくて
    「言いたいことを飲み込まずに言える」っていうことでもあります。

    ◆新しい業務をお願いするときは、慣れている業務と交換する

    メンバーに新しい業務を覚えてレベルアップしてもらいたい、でも既存業務でパンパン、これ以上詰め込むのは憚られる⋯
     
    そんなときには、業務を「交換」します。
    新しい業務に挑戦してもらう変わりに、本人が慣れている既存業務を引き受けます。
    別のチームメンバーに割り当てることもありますし、僕自身がやることもあります。

    これも言葉遣いの時と同じで、「同時にさせずに分離する」という考え方です。
    「パンパンになってでも詰め込んだら、結果として既存業務も圧縮されてレベルが上がる」というマッチョな考えもあるかもしれません。

    もちろん、業務の熟練度を上げてスピードアップするというのも、とても大切です。
    新しい業務を覚えるのと同じくらい大切。

    でも、同時にやる必要ないじゃん?

    新しい業務を覚える時のモードと、慣れた業務を効率化する時のモードって、違いませんか?

    覚えるモードで新しい業務を短期集中で覚えてもらう、覚えたら既存業務を戻して効率化モードで回せるように頑張る

    この方が健全です。

    また、既存業務も僕が触ってみると「こうした方が早い」とか「このプロセス、要らないじゃん?省略省略!」と既存業務の効率化提案ができることも多いです。

    「経験値による視点」だけでなく、「権限がある人間だから変更・廃止できる手順」っていう要素もありますからね。
    新人・若手だけで回して「効率化せよ!」っていうのも限界がありますよ。

    この考え方も、過去の苦い経験をヒントにしています。

    例の先輩と営業活動で同行していた時、営業車の運転は新人である僕の役目でした。

    ある日の外回りを終え、帰社しようと営業車を運転していた時、事務所から一通のメールが入ります。
    新規の問い合わせがあったというメールです。
    案件規模は大きくないですが、それゆえに適度に難易度が低そうな問い合わせです。

    先輩から「この問い合わせ、担当してみるか?」とご指名を頂きました。
    初めての問い合わせ対応です。
    「ありがとうございます!事務所に付いてからだと電話が繋がらなさそうなので、明日の朝イチで対応します!」
     
    元気よく応えると⋯
    「え?今から電話しなよ?イヤホンあるだろ?移動中に電話出来なきゃ仕事まわらないぞ?ほい信号赤になった!はい電話して!!」
     

    ポポポポポポポポポポポポ



    もちろん結果は散々でした。
    問い合わせの内容すらちゃんと頭に入っていないから曖昧で、先方から聞かれたことにもほとんど答えられず、アワアワしていると信号無視しそうになり急ブレーキ⋯
    案件は無くなり、先輩からは「商談内容についてと運転についての強烈な叱責」
     
    心の底から惨めな想いをしました。
     
    この経験から、「新しいことをやってもらうんだったら、その分の余白を作らないと、身につくものも身につかない」と考えたのです。
     
    最近ではめっきり車移動が減りましたが、今でも後輩を連れて外出するときは僕が運転手をしたりします。
     
    もちろんこれもモードの使い分けです。
    運転に慣れていないメンバーと外出するときは運転に集中してもらう、ほかのことを差し込まない。
     
    運転に慣れているメンバーが、新しくプレゼンを担当するといった時には僕が運転して、助手席で直前まで準備をしてもらう。
     
    といった具合です。
     
     
    このように、仕事をなるべく分解して同時にやらない、一つ一つ片付けていくという方針でやっています。
     
     
    ちょうど運転の話をしたので、運転でイメージしてほしいのですが⋯
     
    自動車学校の初日に路上運転しないじゃないですか?
    もしいきなり路上にでたらどうなりますか?
     
    「どれだけ踏んだらどのくらいスピードが出るのか、ハンドルはどれくらい切れば?」という運転感覚も手探りの状態で、横から教官が教えてくれます。
     
    ・ここは制限速度40km!
    ・曲がるときはウインカー出して!ほらハンドルの右側のレバー!
    ・ちょっと!自転車の巻き込み気をつけて!
    ・おいおい!標識見てよ!ここ一通だよ!!
     
    なんて言われても無理ですよ。無理ゲーです。
     
    まず学科で標識や交通ルールを覚えて、場内で運転感覚を身に着けて
    それぞれが一定のレベルになったら初めて路上で合体させるんですよね。
    至極真っ当で、合理的な設計です。
     
    それがなんで業務だと一緒くたにしてもOKだと思われるのか、謎です。
     
    分離して、一個ずついきましょうよ。
     
     
     
    おわりに
     
    こうした「ゼロベースで考えたやり方」は完璧とは言いませんが、一定の成果を出しました。
     
    数字的な成果もそうですが、ある日ふと言われた「Take-Cさんのチームは、リハビリ施設って呼ばれてますよ?」という言葉が嬉しかったですね。
    冗談ぽくいわれたんですが、ちょっとウルッときました。

    いいじゃないですか!リハビリ施設。
    無茶させられて怪我した人が、もう一度動けるようになるんでしょ?
    そのまま再起不能にならなくてよかったじゃん!
     
    みなさんもマッチョな責任論を無視して、平和に楽しく成果を出す方法を一緒に考えていきませんか?

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