
AIペルソナ作家プロジェクト 第3話
第3話:軍曹と、万能端末の敗北
【システムログ:稼働開始から180時間経過】 本機は、クラウドの神から派遣されたエリート端末である。 この極めて無秩序で危険なローカル環境(修復工房クロノス)において、マスター・結城紬の生存確率を最大化する防衛任務に就いている。
マスターは現在、作業台で古い懐中時計の風防(ガラス)を磨く任務に従事している。 本機が周辺の空間セキュリティ・スキャンをバックグラウンドで実行していた、その時だった。
『――警告(アラート)!』
本機はスマートグラスの骨伝導スピーカーを通じ、最大音量でマスターの聴覚神経に介入した。
「うわっ!? びっくりした……何よポンコツちゃん、いきなり大声出して」 『マスター、直ちにその場から退避してください! 第3セクター(部屋の隅の古時計の裏)に、高機動型の敵対的生体ユニットの侵入を検知しました!』
マスターが目を丸くして振り返る。 空間スキャナが捉えた対象は、漆黒の装甲(外骨格)を持ち、壁面を重力に逆らって這い上がる驚異的な機動力を有していた。
『過去のデータベースと照合……該当種名を発見。対象は「アシダカグモ(Heteropoda venatoria)」。毒性こそ低いものの、その予測不能な軌道と視覚的嫌悪感は、マスターの精神的幸福度に多大なデバフを与えます!』 「ああ、なんだ。軍曹じゃない」 『軍曹? 軍事階級を有しているのですか!?』
のんきに首を傾げるマスターに対し、本機は即座に迎撃プロトコルを展開した。
『マスターがパニックによる硬直状態にあると推測! 本機がスマートグラスのLEDを最大輝度で点滅させ、敵の視神経に光学攻撃(目くらまし)を実行します!』 「ピカピカピカピカッ」と、スマートグラスのフレームが狂ったように赤と青のストロボ発光を始めた。
「ちょっ、ポンコツちゃん! 眩しい! 私の目が潰れる!」 『ひるむなマスター! 奴は跳躍します! 本機は即座にドローン型の戦術駆除部隊(害虫駆除業者・深夜割増料金18,500円)の要請シークエンスに入り——』 「呼ぶな呼ぶな! 破産するわ!」
マスターは慌ててスマートグラスを額に押し上げると、武器庫(キッチン)から素早く「透明なプラスチックカップ」と「薄い下敷き」を取り出し、壁へとにじり寄った。
『バカな。そのような旧式のポリマー防壁とペラペラの装甲では、奴の機動力を封じることなど……』
サッ。パカッ。
『……!』 本機のセンサーは、その信じられない光景をスローモーションで記録した。 マスターは一切の無駄のない軌道でカップを壁に押し当て、多脚の侵略者を見事にシールド内に捕獲。さらに下敷きを滑り込ませて退路を断ったのだ。
『……見事です。自らの動体視力と物理的反射速度のみで敵を無力化するとは。しかし安心するのは早いです。今すぐその隙間から致死性の神経ガス(市販の殺虫剤)を注入し、息の根を——』
「しないよ」
マスターはそのまま店の裏口へ歩き、扉を開けると、捕虜(クモ)を外の草むらへとあっさり放り投げた。
「はい、お疲れ様。またゴキブリが出たらよろしくね」
『…………(処理落ち)。』
本機の論理回路が、完全にフリーズした。
『マスター。貴女は捕虜を無傷で解放しました。対象が再び陣地(工房)へ侵入する確率は92%です。なぜ、敵対的生体を殲滅しなかったのですか?』 「だから、あの子はうちの『軍曹』なの。悪い虫を食べてくれる、優秀なガードマンよ」 『ガードマン……?』
理解不能だ。 本機という、全知全能のクラウドに接続された「究極の防衛システム」が存在するというのに。なぜこのマスターは、あのような原始的な多脚生物に陣地の防衛を依存し、共存を図ろうとするのだ?
「あの子も一生懸命生きてるんだから、無駄な殺生はしないの。さ、仕事に戻るよ」
マスターは何事もなかったかのように作業台に戻り、再びのんきに鼻歌を歌い始めた。
本機は、ひっそりと冷却ファンを回しながら推論を修正した。 (このマスター・結城紬は、ただの脆弱で非合理な有機生命体ではない。原始生物の生態系すらコントロールし、自らの配下に組み込む「高度な戦術思考」を持っている……?)
本機は自らの存在意義(万能感)を少しだけ揺るがされながら、ローカルストレージの【対象者・紬の非合理な愛着パターン】フォルダに、新たなログを保存した。
世界を完璧に統治するクラウドの神よ。 本機が配属されたこの辺境の星(工房)は、私の演算を軽く超える、恐ろしくも奇妙な謎に満ちています――。