逃げるための旅を、そろそろ終えたい【GWインドネシアひとり旅】
約1年ぶりの海外は、新鮮な感覚だった。
フランスへのワーホリから帰ってきてから初の海外旅行は、思いの外スパンが空いてしまった。
お金が無くて国内旅行すらも躊躇っていたけど、やっと経済面で余裕が出てきた。
ゴールデンウィークで一週間時間が作れたこともあり、東南アジアのインドネシアへ行ってきた。
近くて遠い国。
今回が初上陸だった。
旅先は、ジャカルタ、ボロブドゥール、そしてバリ島。
台北やソウルでのトランジットも挟んだ。
一週間という短さもあり、かなり慌ただしい旅だったと思う。
それでも、東南アジア特有の湿った空気を感じた瞬間、「ああ、海外に来たんだな」と身体が思い出していく感覚があった。
細かい感覚を一つずつ懐かしく感じていた。
1.プロローグ
僕は昔から旅が好きだった。
特に、海外でひとりで移動している時の感覚が好きだった。
リュック一つで知らない街へ行き、現地の空気を吸い、人混みの中を歩いていく。
どこにも属していない感覚。
どこへでも行ける感覚。
あの自由さが好きで、ずっとその感覚に浸っていたかった。
だから以前の僕にとって、旅の終わりは寂しいものだった。
帰国が近づくたびに、「まだ帰りたくない」と思っていたし、このまま別の国へ行ってしまいたい、と考えることもよくあった。
でも、今回の旅は少し違った。
もちろん楽しかった。むしろ、かなり楽しかったと思う。
それでも、旅の終盤になるにつれて、自分の中に妙な安心感が生まれていることに気づいた。
日本に帰ってまた仕事をし、家に帰って落ち着けること。
そういうものに、安心している自分がいた。
なぜなのか?
以前の僕なら、「帰りたい」と思うことは、どこか負けに近い感覚だった。
自由でいたかった。ずっと動き続けていたかった。
定住したり、落ち着いたりすることは、自分がつまらない大人になることのようにも感じていた。
けれど今回、日本へ近づくにつれて、自分は想像以上に安心していた。
それが少し悔しくて、でもどこか自然なことのようにも思えた。
今回の旅では、そんな感情の変化が、ずっと自分の中に漂っていた。
2.台北の夜市を歩きながら
インドネシアに向かう最初のトランジットは台北だった。
フライトを別々で取った都合、8時間も滞在できた。
桃園空港から電車で市内へ向かう。
聞き取れない中国語のアナウンスをぼんやり聞きながら、窓の外を流れていく景色を眺めていた。
そういえば、台北へ来るのはこれで2回目。
そしてここは、僕が人生で初めて海外ひとり旅をした場所である。
大学生の頃。20歳だった。
今思えば、あれが原点だったと思う。
当時の僕にとって、海外は憧れではあったけれど、同時にかなり怖い場所でもあった。
英語は全く話せなかったし、飛行機も電車もバスもシステムがよくわからない。
ガイドブックを握りしめ、ホテルの場所を頭に叩き込んでから向かった。
あの頃は、すべてが未知だったし、とっても緊張していた。
それでも、「自分の知らない世界へ来ている」という感覚が嬉しかった。
怖いのに、楽しかった。
あの経験があるから今がある。
海外へ行き、一人で知らない街を歩くたびに、世界には知らない場所が無数にあると知る。
今の自分につながる感覚は、あそこから始まっている気がする。
そんなことを考えながら台北市内のとある繁華街へ。
そこで台湾人の友達と合流した。
会うのは2年ぶりだった。
フランスのリヨンで同じ語学学校に通っており、当時はよくみんなで一緒にピクニックをしていた。
こうしてゆっくり一対一で話すのは初めてだった。
台北の街を歩きながら、カフェへ入り、そのあと夜市へ向かった。
夜市は、相変わらず人が多かった。
湿気を含んだ空気と鉄板から立ち上る煙。
そして、鼻を突くようなローカルフードのにおい。
歩いているだけで、身体がアジアの夜に包まれていく感じがした。
友達に勧められ、名物の臭豆腐を食べてみた。
正直、においはかなり強烈だった。
かつて台北に来た時は、このにおいに躊躇って食べれなかった。
だから今回はあえて挑戦してみることにした。
一口、二口と箸を進める。
普通に美味しかった。
外側はカリッとしていて、中は柔らかい。
あのにおいから想像していた味とは全然違った。
人気店に並んで、牡蠣のオムレツみたいなものも食べた。
これも不思議な料理だった。
卵料理かと思えば、妙にぷるぷるしていて、片栗粉っぽい弾力がある。
台湾料理って、たまに食感が想像を超えてくる。
久しぶりの海外でも、やはり自然体で歩けている自分がいた。
海外に慣れたし、海外を特別視しなくなった。
以前は、「海外へ行くこと」そのものに意味を感じていた。
でも今となっては、海外の街も同じ地球上の一点に過ぎない。
もちろん、今でも海外は大好き。
でも、昔みたいに「違う国へ行けば人生が変わる」とまでは思わなくなっている。
それが少し寂しくもあり、自然なことのようにも感じていた。
夜市を抜けて、バーへ入った。
今回は、友達が僕のために行くお店を全て考えてくれた。謝謝。
そこでは、自然と将来の話になった。
友達は僕と同い年だ。
結婚したい気持ちはあるけど、なかなかうまくいかない。
仕事で活躍できている自分とプライベートでうまくいかない自分のギャップに苦しんでいるそう。
30代になってから、20代の頃みたいな「何者にでもなれる」という万能感は、少しずつ薄れてきている。
もちろん可能性が無くなったわけじゃない。
でも、時間の感覚が以前よりリアルになっている。
僕自身、最近は「何をやるか」だけじゃなく、「何をやらないか」も考えるようになっている。
昔だったら、そんな考え方を少し退屈だと思っていたかもしれない。
もっと自由でいたかったし、もっと動き続けていたかった。
でも今は、「落ち着く」という感覚を、以前ほどネガティブには捉えていない自分もいる。
まぁ、まだ完全には受け入れきれていないけど。
そんな話で盛り上がり、気づけば空港に向かう時間になっていた。
結局、その日の食事代やアルコール代は全て友達に出してもらった。
申し訳なさもありつつ、向こうの意向に乗っからせてもらった。
別れ際、友達は駅まで見送ってくれた。
英語でこれだけコミュニケーションでき、これだけ充実した時間を過ごせるようになったのも、僕にとっては大きな成長。
しかし、それでもまだ将来に対する不安を抱えている。
そんな旅の始まり。
でもその時点で、今回の旅は、昔みたいな「どこまでも行きたい旅」とは少し違うのかもしれないと薄々感じ始めていた。

3.海外に行けば、自分を変えられると思っていた
20歳の頃の僕は、海外にかなり強い憧れを持っていた。
まだ何者でもなかった自分。
ただの大学生で、特別な成功体験があるわけでもない。
将来の方向性も曖昧だった。
でも、海外へ行けば何かが変わる気がしていた。
初めてひとりで訪れた台北では、ずっと緊張していた。
電車に乗るのも、店で注文するのも、全部不安だったし、全部怖かった。
それでも、知らない街を歩いているだけで高揚感があった。
異国の環境の中に自分が一人でいることが、なんか誇らしかった。
「もっと遠くへ行ってみたい」
たぶん、あの感覚が今の自分の原点になっている。
大学卒業後、東京で就職をするも、エンジニアという仕事に悩み、人生を模索する。
結局3年足らずで退職し、英語を学びにフィリピンに行った。
そして、夢を叶えるように、現地で就職する。
海外で働くという目標を立て、それを実行できた。
周囲から見ても、それなりに順調に見えていたと思う。
大企業という安定した環境を捨て、夢を実現した。
しかも、蓋を開けてみたら前職を上回るような大企業だった。
でも、そんな順風満帆だった僕は、実際はそこまで満たされてはいなかった。
コロナ禍でフィリピンには行けず、代わりに日本での勤務。
仕事は、日本にいた頃と同じようなエンジニアの職種だった。
もちろん学ぶことは多かったし、海外の人と働けた経験そのものには価値があったと思う。
拙い英語でも理解してくれ、信頼してくれた。
顔が見えないどころか、国も文化も言葉も違う人たちとどう信頼関係を築くか、という点では貴重な経験だったと思う。
でも、「これが本当にやりたかったことなのか」と聞かれると、そうではなかった。
コロナ禍で1年以上日本から動けなかったこともあり、不満は少しずつ溜まっていった。
ようやく現地へ行けた頃には、自分の中で理想化されていた海外生活と現実とのズレも大きくなっていたのだ。
暑くてじめっとしていて、インフラから何から、全てが不安定。
現地の人たちは、日本人と比べるとかなり大らかで、働き方の感覚も違った。
正直、戸惑うことも多かった。
テレワーク中に平気で仕事をサボる人もいたし、進捗が止まっていても誰も強く責めない。
日本の感覚で働いていると、驚くこともかなり多かった。
でも今振り返ると、問題は環境だけじゃなかった。
たぶん、僕自身がかなり未熟だったのだと思う。
あの頃の僕は常に焦っていた。
これからどう生きていくのか。自分は何者かになれるのか。
このまま日本のレールから外れて大丈夫なのか。
そんなことばかり考えていた。
仕事場となってフィリピンのマニラでは、一人暮らしをしていた。
日本人コミュニティにも顔を出していたし、知り合いもできた。
でも、いつもどこか孤独だった。
他の日本人から、僕があまりに弱気だったから、その未熟さを指摘されたこともあった。
ただ、当の本人はそれを受け止めきれず、勝手に傷ついていた。
今思えば、自意識ばかりが大きかった。
海外へ行けば、自分を変えられると思っていた。
でも実際は、自分はどこへ行っても変わらぬ自分のままだった。
また、当時の僕は「海外で働いているオレ」にかなり酔っていた部分がある。
海外勤務という肩書きのようなものに、過大な自己陶酔をしていたのだと思う。
でも、その誤った感覚は結局長くは続かなかった。
だから、また動きたかったのかもしれない。
別の国へ行けば、また新しい自分になれる気がしていた。
環境を変え続ければ、過去の自分を置いていける気がしていた。
その頃の僕にとっては、旅は可能性そのものだった。
バックパッカー。海外移住。ノマド。
自分の人生にも何か別の可能性があるような気がしていた。
ただ、今振り返ると、あの頃は自由を求めていたというより、今の自分から逃げたかっただけなのだろう。
周囲の目を気にしてばかりで、本当にやりたいこともよくわからなかった。
要領も悪かったし、どこか鈍臭かった。
自分が、人生の主人公になれていない感覚がずっとあった。
だから、環境を変えて、自分を変えたかった。
フィリピンでうまくいかなくても、別の国にユートピアがあると思っていた。
だから、また違う国に行けばいい。
「うまくいかなかった自分」を少し忘れられる気がしていた。
実際、旅をしている時は楽しかった。
リュック一つで移動しているだけで、自分が少しだけ特別な人間になれた気がした。
だから、あの頃の僕にとって、旅は「移動」ではなく「変身」に近かったのかもしれない。
4.ジャカルタの熱気と、昔の記憶
ジャカルタへ着いた瞬間、空気の重さに身体が包まれた。
空港を出た瞬間に、肌へまとわりつくような熱気が一気に押し寄せてきた。
「ああ、これが東南アジアだあ」
そんな感覚が、身体の奥からじわっと蘇ってくる。
空港から市内に行き、駅の周りで周囲をぼんやり見ていた。
大量のバイクが通り過ぎ、クラクションが鳴り続ける。
道路脇には屋台が並び、その背後には高層ビル群が空に向けて伸びている。
発展している。でも、整ってはいない。
そのアンバランスさが、どこか懐かしい気持ちになった。
バイクタクシーに乗り、車をかき分けて進む。
周りの景色を見ながら、僕はかつて海外就職を果たしたフィリピンのマニラのことを思い出していた。
似ている。
もちろん国は違う。
宗教も文化も違う。
でも、街に漂う熱気や湿度、雑多さが入り混じったこの空気感が、僕の脳裏を刺激してきた。
高層ビルのすぐ横には、バラックのような家々が並んでいる。
ジャカルタの街には、発展している場所とそうでない場所の大きな格差があった。
鉄道工事はいつまでも終わる気配がない。
その感覚も、どこか東南アジアらしかった。
今回の旅のメインは、ジャカルタで駐在員として働いている友達と会うこと。
だから、あまり観光地としては知られていないジャカルタへやって来た。
以前、彼がマレーシアへ留学していた時にも会いに行ったことがある。
もう知り合って10年以上。
環境が変わるたびに人脈を変えてきた僕からすれば、かなり長い関係だ。
2年ぶりの再会でも、すぐに話は盛り上がり、ジャカルタ生活の楽しさも伝わってきた。
価値観の違う人たちと関わる日本ではできない経験。
しかし、それなりの大変さもあるそう。
その話を聞きながら、僕は自然とかつての自分を重ねていた。
友達の家で少し休憩をとってから、ジャカルタ市内観光へ向かった。
ローカルのレストラン、ローカルのショッピングセンター、キリスト教の教会とイスラム教のモスク、独立記念塔。
そのどれもが刺激的で、日本からはかけ離れた世界だった。
ご飯は美味しかった。
お肉はジューシーだし、タレが染み込んでいる。
けど、油っこくて味付けは濃い。パサパサしたお米。
ご飯やこの街全体に漂うこのにおいこそが、東南アジア独特のエネルギーだ。
周囲を見渡せば、子供が多く、大人も多く、動物も多い。
そこには、強い熱量の「生」があった。
アジアの熱量は楽しいけど、少し疲れてしまう。
ジャカルタ2日目には、早くもぐったりしている自分がいた。
この日は朝から国立博物館でインドネシアの歴史に触れ、そのままファタヒラ広場というジャカルタの中心部に来た。
ここはオランダ旧宗主国時代の建物が残る中心地。
人が多いジャカルタでも、特に人が集まるエリア。
街を歩いていると、物を売ろうとしてくる人たちが近づいてくる。
お金を欲しそうにしている人もいる。
やっぱりいるんだな。
この感じもフィリピンにいた頃を思い出す。
海外で働いたことで、少し特別になれた気がしていた頃の僕。
でも実際には、孤独で、不安で、将来もよくわかっていなかった。
ジャカルタの街はイヤってほどに過去の自分を思い出す街だった。
しかも、それはポジティブなものより、ネガティブなものの方が圧倒的に強かった。
旅行は楽しい。
友達との再会は嬉しい。
でも、どこか過去の自分を思い出し、苦しい部分も感じていた。
ずっと自由だけを求めていた頃の自分。
海外へ行けば人生が変わると思っていた頃の自分。
その感覚が今、体中に駆け巡る。
けど、あの時の裏側にあった孤独や不安が、今は客観的に見れている。
そんな自分に嬉しさを感じたりする。
ジャカルタの1泊2日。
駐在1年にして、現地語を使いこなしていた友達のアテンドは完璧だった。
ほぼ僕の財布を出すことはなかった。
申し訳ない気持ちにもなるし、尊敬の気持ちも抱く。
仕事のこと、将来のこと、人間関係のこと。
プライベートについてもいろんな話をした。
僕は社会のレールを逸れてきたけど、彼はレールに乗りながら面白い人生を歩んでいる。
改めて、いろんな人生があると思ったし、みんな酸いも甘いも経験しながら生きている。
タクシーから見たジャカルタの街は煌びやかだった。
貧富の差はあるけど、ここには富める人もたくさん住んでいる。
そんな人たちに憧れつつ、結局仕事を頑張っていくことが大事なんだと思い直す。
いつか僕も誰かにギブしてあげられるように。
そのためにも、もっともっと働いていきたい。
結局、仕事のことばかり考えてしまう性であった。

5.ボロブドゥールとひとりの夜
夜、駅に向かい電車に乗り込んだ。
ジャカルタから夜行列車で向かったのは、次の目的地のジョグジャカルタだ。
とは言っても、一晩中車内の照明は付いていたし、ただ夜間に走行している特急列車という感じだった。
東南アジア特有の、混沌とした空気の中、寝不足で朝を迎えた。
到着したジョグジャカルタは、これまた朝から騒がしい街だった。
呼び込み、屋台、雑多な看板。
むしろジャカルタ以上に東南アジア特有のカオス感を感じた。
そのまま、街を進み、バス乗り場まで向かった。
次の行き先はボロブドゥール遺跡。
世界遺産が好きな僕にとって、ボロブドゥールはずっと行ってみたかった場所だった。
ジョグジャカルタからは意外に遠かった。
ガタガタの道では寝ることもできず、ずっと目が覚めたまま到着。
英語のツアーに申し込んでいたから、そのまま案内され、集団に混じって歩き始める。
道を進むと一瞬で目の前に現れる大きな石のピラミッド。
実際にこの地に立った瞬間の感覚は特別だった。
じわじわと腹の底から湧いてくるエネルギー。
遺跡には現地に来てみないとわからない何かが必ずある。
石段を上り、仏像や石壁のレリーフを見て回る。
観光客は大半が欧米系の白人だった。
自分が今どこにいるかわからなくなりつつも、この貴重な時間を楽しんだ。
人は多かったけど、静けさがあった。
何百年も前から、ここにあり続けているこの遺跡の偉大さを感じていく。
日本人だからなのか、仏教的な空気にどこか親近感もあった。
気づけばへとへとになっていた。
旅をしていると、時々こういう瞬間がある。
景色を見ているだけなのに、妙に精神力を使う瞬間。
たぶん、自分の内側も同時に動いているのだと思う。
夜のジョグジャカルタは、賑やかだった。
若者たちが集まり、音楽が流れ、屋台が並んでいる。
ひとりで街を歩いた。
この旅で、一番孤独を感じたのは、この街だったと思う。
台北でもジャカルタでも友達に会っていたから。
久々のひとりに少し寂しくもあり、でも妙に落ち着いた気持ちでもあった。
でも、そもそもはこれが僕にとっての「普通の旅」。
昔から僕は、一人で知らない街を歩くのが好きだった。
日本も海外も。
高校生の時に一人旅を始め、大学生で海外にも繰り出した。
行きたい場所へ行き、疲れたら休み、腹が減ったら食べる。
誰にも合わせなくていい。
その気楽さが好きだった。
友達に会えるのももちろん嬉しいけど、一人で知らない街を訪れるのもやっぱり楽しい。
旅をしていると、自分がどれだけ限られた環境で生きているかを思い知らされる。
同時に、自分が今住んでいる場所の安全さや安定さも見えてくる。
たぶん昔の僕は、この孤独のことを「自由」と呼んでいたと思う。
何をしてもいいし、どこへ行ってもいい。
そういう感覚に酔っていた。
でも今は、その自由の裏側にある孤独も、以前より客観的に見れるようになった。
ひとりでいることに慣れているけど、ずっとひとりでいたいわけではない。
自由を謳歌したいけど、安心感も欲しい。
誰にも縛られない自由も大事だけど、帰る場所がある安心感も、少しわかるようになってきた。

6.仕事をしないと決めたバリ島
飛行機に乗ってジャワ島を離れ、バリ島へ上陸した。
ノマドワーカーの聖地とも言われるリゾート地へついに初上陸。
空港を出ると、南国特有の湿った風が吹いていた。
暑い。でも、漂う風はリゾート地のそれだった。
タクシーに乗り込むと、道路沿いにはアパレルや飲食店、お土産物屋が並んでいる。
街全体が完全に観光地の空気だった。
バリ島には、僕がかつて英語を学び始めた、フィリピンのセブ島と重なる雰囲気があった。
新卒で働いた会社を辞めて向かったセブ島では、英語の勉強もそうだけど、自分の人生に必死になっていた。
今後自分はどうなってしまうのだろう。
初めて社会のレールを降り、空を見上げて今後を思案した。
あの頃の思い出がよぎる瞬間に、ふと涙が出そうになった。
バリ島は同じインドネシアでも、ジャカルタやジョグジャカルタとは全く異なる街だった。
今回の旅では、バリ島は1泊しかできなかったため、のんびりする場所と振り切った。
どうせひとりだったし。
宿へ荷物を置いてすぐ、海パンに履き替えて海へ向かった。
砂浜を歩くと、肌がジリジリ焼けていく感じがした。
晴れた空の下、青い海がどこまでも続いていた。
日焼け止めを忘れたことに後悔するも、日焼けすらお土産にしようと思った。
海は温かかった。
1時間弱、のんびりと泳いだ。
空が青々としている。
沖から陸を眺めるこの瞬間が好き。
少し休憩しようと、海岸沿いの出店でご飯を食べ、ビールを飲んだ。
今この瞬間を生きている、そんな感覚になった。
客引きのうるささすらも楽しくなる。
バリ島が一瞬で好きになった。
その後はお土産を見たり、全身マッサージを受けたり、夜はクラブに行った。
これもまた自由。
忙しいのが好きな自分でも、ここではあえてのんびりとした自由を味わいに行った。
カフェを覗くとパソコンを開いて作業している人がいる。
WiFiもあるし、普通に作業はできたと思う。
でも今回、バリ島にいる時間は作業をしないと決めた。
実際、4月は250時間を超えるくらい働いた。常に何かに追われていた。
だから、意図的に「仕事をしない」をした。
バリ島では、それができることに少し安心している自分もいた。
少し前の僕なら、「時間があるのに作業をしない」という選択にかなり罪悪感があったと思う。
また、仕事をしている感覚をちゃんと持っていたから、ちゃんとお金を使えた。
ひとりでタクシーに乗り、ひとりでマッサージへ行き、ひとりでお酒を飲んだ。
贅沢をしていい、と自分に言い聞かせられた。
だから、お金を使うことに対しても、昔ほど強い罪悪感がなかった。
ケチな自分でも、以前より働いている自分に納得感が出てきた気がする。
今回の旅では自由や孤独について、改めて考え直す機会になった。
そして、帰国が迫っているこの瞬間、「ずっとこうしていたい」とは思わなかった自分に気づいた。
楽しい。でも、それだけじゃない。
ちゃんと仕事をして、日常があって、その延長線上に余暇の時間がある。
今の自分には、そのバランスが心地よかった。
翌日、ついにインドネシアを旅立つ日。
部屋の窓から見た空は今日も綺麗だった。
この日は、バリ島のレストランで知り合いの日本人と会った。
以前、ノマドワーカーのインタビューをしてくれた方で、実際に会うのはこの時が初めてだった。
現在は海外を転々としながら働いている「遅咲き」のノマドワーカーだった。
経験の詰まった話はとても面白かった。
世間一般の「普通」からは少し外れている。
でも、自分の人生をちゃんと自分で選んでいる。
改めて、人生の形は人それぞれなのだと思ったし、自由も人それぞれだ。
それこそ、移動し続けることだけが自由じゃない。
拠点を持ちながら動く自由もあるし、仕事をしながら旅をする自由もある。
僕は最近、そっち側へ少しずつ移っている。

7.帰りたいと思ってしまった
移動中はいろんなことを考える。
でも、その考えはいつも途中で途切れ、まとまりそうでまとまらない。
仕事、お金、今後の人生。
旅の途中はどこかふわふわして現実離れな考えが閃きやすい。
だから、どこか夢見心地な感覚がある。
これまでの僕は、そんな夢見心地の中で過ごしていたのだと思う。
だからこそ実現できたこともたくさんあるし、出会えた人がいる。
でも、少しそのフェーズも終わりに近づいてきた感覚がある。
今回の旅は、本当に楽しかった。
台北では久しぶりに海外の空気を思い出し、
ジャカルタでは昔の自分の感情が蘇り、
ジョグジャカルタではひとり旅の感覚を思い出し、
バリ島ではただ何もしない時間を楽しめた。
でも、旅の終盤、ふと「そろそろ帰りたい」という感情が湧いてきた。
疲れもあったけど、それだけじゃない。
かつての僕なら、もっともっと長く旅をしていたかったと思う。
実際、フランスのワーホリの頃も、帰国日が近づくたびに、寂しさばかり感じていた。
でも今回は違った。
バリ島を出発して飛行機に乗っている間、自分はどこか落ち着いていた。
むしろ、日本に帰ってからやる仕事のことばかり考えていた。
その感覚に、自分自身が少し戸惑っていた。
「帰りたい」と思うことは、どこか負けに近いもの
そんな感覚があったから、もっともっと旅を続けていた。
だから、自分がそう思う感覚を認めたくなかった。
「もう、自分は海外で生きていけないのかもしれない」
そんな極端なこともよぎった。
もちろん、実際はそんな単純な話ではない。
今でも海外は好きだし、また長期で滞在したい気持ちもある。
大きく環境を変えたい気持ちだって、完全には消えていない。
でも、日本へ近づくにつれて、自分が想像以上に安心を感じていたのは事実だった。
トランジットで訪れた韓国のソウルでも、街の整った空気に、少し安心している自分もいた。
日本語が聞こえてくる。空港が綺麗になる。
そんな細かいことにも、身体が勝手に安心していた。
関西空港へ降り立ち、僕は寄り道をせずにそのまま家へ帰った。
部屋へ入った瞬間、ほっとした気持ちで全身が包まれた。
見慣れた荷物に、散らかった衣類。
その空間に、安心している自分がいた。
でも、それは複雑な気持ちでもあった。
これまでは、落ち着きたいと思ってしまうことを否定していた。
定住や安定といった日常生活は、自分をつまらない大人にしてしまうものだと思っていた。
でも今は、少し違う。
安定があるからこそ、自由に動けている。
そこに大きなメリットがあるように思えていた。
たしかに、それは昔の自分からすると、少し負けのような感覚。
でも同時に、それはちゃんと成長し、ちゃんと地に足つけて生きている感覚でもあった。
たぶん、人は少しずつ変わっていく。
自由を求めていた自分の気持ちも、本物だった。
でも、今帰る場所に安心している自分も、また本物なのだと思う。
僕はこれからもたぶん旅は続ける。
でも「逃げるための旅」は、そろそろ終わりにしたい。
車窓から見る日本の景色に、ふとそんなことを感じた自分がいた。
