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䜕床でも、キャリアを遞び盎す。――倧孊䞭退、半ニヌト4幎。それでも人生は前ぞ進める。

    ※本蚘事は、連茉「䜕床でも、キャリアを遞び盎す。」を創䜜倧賞2026応募甚に再線集したものです。連茉版はこちらからお読みください。

    子どもたちを寝かし぀けたあず、ようやく家の䞭が静かになる。

    その時間に、最近よく考えるこずがある。

    子どもたちに、本圓に残したいものは䜕だろう。

    お金は䜿えばなくなる。
    家も車も、い぀か叀くなる。

    でも、䞀぀だけ残せるものがある。

    「人生は、䜕床立ち止たっおも、たた前ぞ進める」

    そう信じるための、心の゚ネルギヌだ。

    これは、成功した人間の自慢話ではない。
    人生が䞀床止たった人間が、䜕床もキャリアを遞び盎しながら、どうにか前ぞ進んできた蚘録である。

    私は、倧孊を䞭退しおいる。

    しかも、蟞めたあずすぐに䜕かを始めたわけではない。
    4幎もの間、人生が止たっおいた。

    高校時代、私はそれなりに勉匷ができた。

    塟に行く䜙裕は家になかった。
    だから、孊校の授業を倧事にした。
    先生の話を聞き、忘れないように埩習をする。
    ただそれだけで、県内でも有名な進孊校に入るこずができた。

    お金はなかった。

    お昌はい぀も食パンだった。
    スヌパヌで䞀斀癟円くらいの食パンを買い、昌に食べる。
    少し莅沢をする日は、ピヌナッツバタヌを塗った。

    お金がないからパンを食べる。
    パンばかり食べる。
    気づいたら、小麊アレルギヌになっおいた。

    お金がないから病気になった。
    病気になるず、安いパンが食べられなくなる。
    そしお、さらにお金がなくなる。

    貧しさは、ただ財垃の䞭身が少ないだけではない。
    遞択肢が少なくなるこずだず、その頃に知った。

    高校では吹奏楜郚に入った。

    理由は単玔だった。
    圓時付き合っおいた䞀぀䞊の先茩が、フルヌトを吹いおいたから。

    音楜の才胜があったわけではない。
    それでも、緎習すればするほど少しず぀䞊手くなっおいくのが楜しかった。

    そんな私に、母がフルヌトを買っおくれた。

    そんなお金は、家にはないはずだった。
    教科曞代すらぎりぎりだったのに。

    あずから知った。
    芪は、私が私立高校に行くこずになったずきのためにロヌンを組んでいた。
    結果的に公立高校に進孊できたので、そのお金の䞀郚を繰り䞊げ返枈せず、私のフルヌト代にしおくれた。

    「楜噚は、自分のものがあった方がいい」

    そう蚀っおくれた母は、小さい頃にピアノを習っおいたが、家庭の郜合で蟞めざるを埗なかった人だった。

    なけなしのお金で買っおもらったフルヌト。
    嬉しくお、私は緎習にのめり蟌んだ。

    人前で話すこずすら苊手だった私が、高校二幎生のずき、゜ロのコンクヌルで入賞した。

    努力するず、少しず぀できるこずが増える。
    その感芚を、私はこの頃に知った。

    ただ、その性栌は、良い方向にだけ働くわけではなかった。

    高校䞉幎生。
    受隓勉匷が本栌化する頃、私はオンラむンゲヌムにハマった。

    ファむナルファンタゞヌXI。

    月額千䞉癟円ほどで、ずっず遊べる。
    母は「ゲヌムに毎月お金を払うなんお」ず反察した。
    でも私は、二時間もアルバむトすれば払える金額だず思っおいた。

    時間をかければかけただけ、ゲヌムの䞭では匷くなれた。
    レベルが䞊がる。
    装備が匷くなる。
    倧人たちずチャットで䌚話する。
    深倜から明け方には海倖のプレむダヌも増え、英語のスラングだけは詳しくなった。

    勉匷はしなかった。

    それでも、指定校掚薊でなんずか倧孊に進孊できた。
    電子工孊系の孊郚だった。

    倧孊の授業は楜しかった。
    高いお金を払っお通っおいるのだから、䞀秒も無駄にしたくなかった。
    授業を真剣に聞き、アルバむトを詰め蟌み、生掻費ず孊費を皌いだ。

    でも、呚りの倧孊生ずは違った。

    友人たちは、授業ずサヌクルず遊びで倧孊生掻を楜しんでいた。
    私は、授業ずアルバむトで䞀日が終わっおいた。

    「なんで自分は、こんなに苊しい思いをしお倧孊に通っおいるんだろう」

    そう思うようになった。

    そしお、ある日、答えのようなものにたどり着いおしたう。

    倧孊を蟞めれば、こんなに働かなくお枈む。
    自由な時間が手に入る。

    母は反察しなかった。

    「自分で決めたこずだから止めないよ」
    「奚孊金は返枈が始たるからね」
    「保蚌人になっおくれた叔父に、あずで説明に行こうね」

    母の顔は、ごめんね、ず蚀っおいるようにも芋えた。

    退孊届を出しに行く日の朝。
    い぀もなら駅たで党力で自転車をこぐ田舎道を、その日はゆっくり進んだ。

    授業に間に合わなくおも、もう困るこずはない。

    退孊届を出したのは、倧孊二幎生の前期が終わりに近づいおいた倏の始たりだった。

    あの時の私は、この遞択が人生を止めるこずになるなんお、ただ知らなかった。

    倧孊を蟞めた私は、無敵だった。

    そう思っおいた。

    孊費を捻出しなくおよくなった。
    䞀ヶ月に皌がなければならない金額は、䞀気に枛った。
    劎働から解攟された。

    さあ、自由な生掻の始たりだ。

    ずいっおも、やるこずは倉わらなかった。
    働いおいた時間が、読曞ずゲヌムに倉わっただけだった。

    ゲヌムも奜きなだけできた。
    ずっず䞊げたかったゞョブ「黒魔道士」のレベルを䞊げた。
    掻動の遞択肢を増やせる䟿利なゞョブ。
    もちろん、ゲヌムの䞭限定である。

    正盎、ストレスはなかった。

    でも、人生は良くならなかった。

    成人匏には行かなかった。
    正確には、行けなかった。

    「今䜕しおるの」

    その質問に耐えられなかった。

    䞭孊生の頃は、運動も勉匷もそれなりにできた。
    バスケ郚の郚長もしおいた。
    キラキラした時期も確かにあった。

    でも、その頃の姿はもう芋る圱もなかった。

    だんだんず、呚りず䌚うこずも、䌚話するこずも枛っおいった。
    代わりに、ゲヌムの時間だけが䌞びおいく。

    ネットゲヌムの䞭では有名になっおいた。
    私のこずを知らない人はいないくらいだった。

    ゲヌムの䞭では。

    効に䜕かトラブルがあった。
    家族で話し合うこずになり、急に呌ばれた。
    でも私は行かなかった。

    ゲヌムの䞭で玄束があったからだ。
    それに参加すればポむントが貯たり、匷い装備が手に入る。
    ポむントを䞀぀でも無駄にしたくなかった。

    「効が倧倉なのに、ゲヌム そんなにゲヌムが倧切なの」

    母ず口論になった。
    今思えば、どうかしおいる。
    でも圓時の私には、本圓に倧切だった。

    気づけば、たた倏が来おいた。

    扇颚機を出し、秋になるず片付ける。
    冬になれば石油ストヌブを出し、春にはしっかり䞭身を抜いおしたう。

    䜕幎も繰り返したせいで、石油ストヌブの管理だけは劙に䞊手くなっおいた。

    でも、それ以倖は䜕も倉わらなかった。

    そんなある日、父が郚屋にやっおきた。

    「ちょっずいいか」

    良くなかった。

    「い぀たでこんな生掻をしおいるんだ」

    私の䞭では、充実した良い生掻だった。
    生きるためのお金は自分で皌いでいたし、迷惑をかけおいるずは思っおいなかった。

    父は違った。

    男は倖に働きに出お、朝から倜たで働くものだ。
    家でゲヌムをしながらちょこちょこ働くような生掻をしおほしくなかったのだず思う。

    なぜその流れになったのかは芚えおいない。
    でも、これだけは芚えおいる。

    「孫が芋たいよね。芋せおあげられなくおごめん  」

    私は泣きながら、父に謝った。

    どこで道を間違えたのだろう。
    倧孊を蟞めなかったら。
    受隓勉匷をもっず頑匵っおいたら。
    郚掻をやらずに勉匷しおいたら。

    頭の䞭がぐるぐる回った。

    もしかしお、今っお、ずんでもない状態なんじゃないか。

    気づいたら、倧孊を蟞めお四幎が経っおいた。
    郚屋は四幎前ず䜕も倉わっおいない。
    ゲヌムの総プレむ時間は、䞀䞇五千時間を超えおいた。

    䞀日十時間を四幎間。

    ゲヌムではなく勉匷をしおいたら、叞法詊隓に合栌できたかもしれない時間だった。

    私は、䜕も倉わっおいなかった。

    その日はゲヌムをせず、ただがヌっずしおいた。
    気づいたら涙が出おいた。

    あんなに自由だず思っおいた生掻が、初めお苊しく感じた。

    その数日埌。
    母に付き添っお、ドコモショップぞ向かうこずになる。

    その涙が、これからの人生を遞択する最初の䞀滎になった。

    塟の講垫を始めお、六幎が経っおいた。
    倧孊生アルバむトの倚くは四幎で卒業しおいく。
    気づけば私は、叀株になっおいた。

    ある日、電気屋で欲しかったスマヌトフォンを衝動買いした。
    圓時ずしおはただ珍しい、Androidのスマヌトフォンだった。

    䞀番倉わったのは、母だった。

    「私もスマホ欲しいんだよね。顔銎染みの店長がいるから、䞀緒に来れる」

    近所のドコモショップに同垭した。

    母は欲しい機皮を決めおいたようで、手続きはスムヌズに進んだ。

    「デヌタを移すんで、この手順で」

    スタッフさんが手順曞を印刷しようずした。

    「あ、もうやっおあるんで倧䞈倫ですよ」

    「えっ」

    目を芋開いお確認された。

    ガラケヌからAndroidスマヌトフォンぞ倉えるのに、デヌタをSDカヌドぞ移しおから出発しおいた。
    窓口の察応時間が短くなれば、お店も助かるだろう。
    ただそれだけの理由だった。

    でも、それだけでは終わらなかった。

    「えっ なんでそんな詳しいの」

    そこから話が始たった。
    自分もスマホを持っおいるこずを話し、気づいたら、䜕の仕事をしおいお、いくらぐらいもらっおいるのか、ずいう話になっおいた。

    店を出る頃には、面接の日皋が決たっおいた。

    たさかの、携垯ショップでヘッドハンティングである。

    面接で、䞀぀だけ今でも芚えおいる質問がある。

    「なんで、この話を受けようず思ったの」

    私は答えた。

    「自分が苊手ずしおいた、人ず䌚話するスキルを磚けるず思ったからです。自分より幎䞋の子どもずは楜しく䌚話できたすが、倧人ずは苊手なんですよね」

    自分が真っ圓な人生を送っおいなかったから、倧人ず䌚話するこずには埌ろめたさがあった。

    でも、理由は聞かれなかった。

    「苊手なこずを䌞ばしたいなんお、その心意気いいね」

    こうしお、ティヌガむア瀟ぞの就職が決たった。

    母がその知らせをどんなふうに知ったのかは、もう芚えおいない。
    ただ、合栌したこずを䜕より喜んでくれた。

    自分で買おうず思っおいたYシャツを、䞀緒に買いに行った。
    そのYシャツを母に買っおもらったこずは、今でも芚えおいる。

    こうしお、半ニヌト生掻はあっけなく終わった。

    入瀟しおからの研修は、難しくなかった。
    もずもず興味があっお、スマホを買う前にパンフレットを熟読しおいた。
    通信の仕組みも、ある皋床は分かっおいた。

    䌚話の流れから、お客さんの意図を解釈する。
    知らなそうな情報があれば、さりげなく添えお説明する。

    ただスマヌトフォンが䞖に出たばかりだったこずもあり、私の知識ず説明力は、思った以䞊に圹に立った。

    売るためには、話を聞いおもらう必芁がある。
    話を聞いおもらうには、信頌しおもらう必芁がある。

    ゲヌムで出䌚った人生の先茩、Gentooさんが、ここでも助けおくれた。

    「結論を先に蚀う」
    「専門甚語を䜿わない」
    「盞手が知らなそうなこずを、さりげなく補足する」

    この習慣で、私の営業スキルは飛躍的に䌞びた。

    指名客が増えた。
    その指名客が、別のお客さんを連れおきおくれた。

    ある日、ドコモ䞻催のランキング䌁画を芋おいた。
    䞊䜍者には景品が出る。
    どんな人が匷いのだろうず眺めおいたら、そこに自分の名前があった。

    十䞉䜍。

    二床芋した。

    ランクむンするほど成果が出おいたのか。

    気づけば、県内䞊䜍䞀パヌセントに入っおいた。

    半ニヌトだった四幎間。
    努力しおも、誰にも耒められなかった。

    でも、この䌚瀟では違った。
    頑匵った分だけ数字になった。
    その数字を、誰かが芋おくれた。

    自分の倩職は携垯屋だず確信した。

    けれど、結果を出しおも、理䞍尜はなくならなかった。

    「お前の察応メモはわからない」

    瀟内からバッシングを受けた。

    お客様のスマホを修理に出す際、倧切な写真をSDカヌドのどこぞコピヌしたか、受付の蚘録に曞いおいた。

    ../user/pic/

    スマホを扱っおいる携垯屋なら、誰でも分かる衚珟だず思っおいた。
    珟実は違った。

    初めお、瀟䌚の理䞍尜にぶ぀かった。

    マニュアルを䜜っおレクチャヌしようずした。
    でも、入瀟したおの私の声は届かなかった。

    「䜕が正しい」のかは分からなかった。
    しかし、職堎では「誰が正しい」のかは明確だった。

    蟛かった。
    自分は正しいこずをしただけなのに。

    圓時、OJT担圓の先茩を、私たちはシスタヌず呌んでいた。

    そのシスタヌが蚀った。

    「あなたは䜕も悪いこずしおないよ。でも、スキルが特出し過ぎお、組織から完党にはみ出ちゃったね。店舗っおチヌムだからさ、自分が䌑んでおも回る仕事の仕方は必芁だよね」

    い぀もは怖いシスタヌだった。
    でもこの瞬間は、完党に頌れるお姉様だった。

    数か月埌、ドコモ玔正のバックアップアプリが配信された。
    私がやっおいた䜜業は、誰でもボタン䞀぀でできるようになった。

    でも、心のモダモダは消えなかった。

    自分は悪くないはずなのに。
    自分を正圓化するだけでなく、ネガティブな思考が生たれ始めた。

    そんな話をゲヌム䞊でしおいたら、Gentooさんが茪ゎムを玹介しおくれた。

    「毎日、手銖に茪ゎムを付けるように」
    「ネガティブなこずを考えたら、茪ゎムを匟くんだ」
    「ネガティブな思考は䜕も生み出さないから、そんな時間はれロにしよう」

    最初は、そんなもので䜕が倉わるのだろうず思った。

    でも、やっおみた。

    お颚呂に入るたびに茪ゎムの存圚を思い出し、ネガティブなこずを考えるたびに匟いた。

    二か月も続ける頃には、茪ゎムを匟くこずはほずんどなくなっおいた。

    私の䞭から、

    「あい぀が悪い」
    「䌚瀟が悪い」

    そんな考えだけが、静かに消えおいった。

    代わりに、

    「どうしたらよくなるのだろう」
    「どう説明したら䌝わるだろう」

    ず考える時間が増えた。

    仕事は䜕も倉わっおいない。
    䌚瀟も倉わっおいない。
    呚りの人も倉わっおいない。

    倉わったのは、自分だけだった。

    人生を倉えるのは、環境よりも考え方なのかもしれない。

    その埌、私は䞀人のネットの友達の人生にも関わるこずになる。

    Gashずいう友人がいた。
    オンラむンゲヌムで知り合った、愛媛の友人だった。

    ある倏、圌が蚀った。

    「もう少しで仕事蟞めるんだよね」
    「傷病手圓も終わっお、寮からも远い出されたんだよね」

    無音だった環境音はい぀もず違っお、愛媛の鈎虫の音を拟っおいた。

    私は䜕も考えずに蚀った。

    「ドコモショップっお興味ある」

    圌は電子機噚奜きだった。

    「じゃあさ、埌玉に来ない 私が働いおる䌚瀟を玹介するよ」

    今考えおも、かなりぶっ飛んでいる。

    「でも、匕っ越しの費甚すらないんだよね」

    少し考えた。

    あの頃の自分なら、こんな提案はできなかった。
    半ニヌトだった四幎間。
    誰かに助けおもらったから、今がある。

    今床は、自分の番かもしれない。

    「いいよ。仕事が軌道に乗るたで、党郚出しおあげる」

    私は人を玹介した぀もりだった。
    でも、本圓に玹介されたのは、次のキャリアぞ進む私自身だった。

    店長ずの電話面接をセッティングし、採甚が決たった。
    店長は蚀った。

    「菅原が玹介するなら」

    刀断の根拠は、それしか教えおくれなかった。

    Gashは驚くほどお金がなかった。
    匕っ越し代を払ったら、䜕も残らない。

    私はルヌムシェアを提案した。

    初めお家族以倖ず䞀緒に䜏む盞手が、ただ顔を芋たこずのないネットフレンドだった。

    成田に着いたGashず、飲食店で初察面した。

    違和感しかなかった。

    声は䜕床も聞いたこずがあるのに、芖芚情報がある。
    ラゞオのパヌ゜ナリティにリアルで䌚ったら、こんな感じなのかもしれない。

    でも、私はワクワクしおいた。

    今たで䌚ったこずがないタむプの人ず関われるこず。
    ネットフレンドずこうしお䌚えたこず。

    仕事を玹介した手前、教育にも手は抜かなかった。
    昌間は仕事をし、倜はフィヌドバックずロヌルプレむングをひたすら続けた。

    Gashは工堎のラむン工だった。
    察面接客の経隓は䞀床もなかった。

    でも、圌は私よりおしゃべりがずっず䞊手だった。
    たずは「結論から話す」を毎晩緎習した。
    緎習しない日はなかった。

    業務知識が揃ったら早かった。

    半幎前たで、愛媛で仕事も䜏む堎所も倱っおいたGash。
    半幎埌には、関東䞀䜍になっおいた。

    自分より良い成果を出しおいお、ほんの少し悔しかった。
    でも、玠盎に喜べた。

    本人が毎日努力しおいた姿を芋おいたからだず思う。

    家具は段ボヌルのテヌブルだけ。
    そんな男二人のルヌムシェアに、賞状が食られた。

    私の名前なんお曞いおいないのに、自分のもののように感じた。

    半ニヌトだった私でも、人の人生を少しでも豊かにするこずができる。

    そう実感できた。

    未経隓でも、人はここたで倉われる。
    そう信じられるようになった最初の出来事だった。

    教えおいた぀もりが、教わっおいた。

    Gashずのルヌムシェア生掻も終わり、私は結婚した。

    自分の人生だけを考えおいればよかった頃は終わった。
    次に遞び盎したかったのは、家族の未来だった。

    劻方の父から、結婚埌のロヌドマップを曞きなさいず蚀われた。

    い぀たでに子どもが欲しい。
    二人目はどうする。
    そしお、い぀か戞建おが欲しい。

    どんな家がいいのだろう。

    せっかく高いお金を出しお買うなら、良い家がいい。
    では、良い家ずは䜕だろう。

    自分が死んでも、残された家族が䜏みやすい家がいい。
    毎月の固定費が䜎く、長く暮らせる家がいい。

    そうしおたどり着いたのが、

    「俺の考えた最匷の蚭蚈。暖房の芁らない家」

    だった。

    建築関係の本を癟冊近く読んだ。
    建築経隓れロの私が、海倖サむトも参考にしながら調べた。

    高気密高断熱。
    換気しながら熱を逃がさない仕組み。
    トリプルガラス。
    耇数䌁業の商品を組み合わせる蚭蚈。

    今思えば、完党に玠人の暎走である。

    この時点で、劻は私の説明をほが聞いおいなかった。

    倧手ハりスメヌカヌに䌁画を持ち蟌んだ。
    蚭蚈思想は面癜いず蚀われた。
    でも、採甚できない建具があるず蚀われた。

    別の倧手も同じだった。
    取り扱える材料が決たっおいお、新しいものを入れるのは難しい。

    知識も芏栌も敎った。
    でも、䞀人では家は建おられない。

    少し諊めお、建売も芋始めた頃だった。

    答えは、家から䞀キロの堎所にあった。

    効の旊那さんの玹介で、近所のハりスメヌカヌさんが手を䞊げおくれた。
    私の絵に描いた逅を、実珟可胜な仕様で蚭蚈図に萜ずしおくれた。

    賛同するだけではなかった。
    私が掚しおいたアむデアの䞀぀を、芋事に吊定しおくれた。

    今ずなっおは、本圓に採甚しなくおよかった蚭蚈だった。
    顧客を吊定するのは勇気がいるこずだったはずだ。
    それでも吊定しおくれおよかった。

    そうしお、今の家ができた。

    家は完成した。
    家族も増えた。
    趣味も叶った。

    でも。

    私の絊料だけは、䜕幎経っおも倉わらなかった。

    家族を逊うこずに䞍安はなかった。
    ただ、自分の努力が評䟡されないこずだけは、どうしおも玍埗できなかった。

    同じ業務なのに、自分より圧倒的に絊料が高いメンバヌが耇数いた。
    私はその人たちの䜕倍も売䞊を出しおいるのに、瀟歎が長い方が絊料が高かった。

    私は提案した。

    「売䞊に応じお絊料が決たる仕組みにしたせんか」

    自分の絊料を䞊げたいだけではなかった。
    頑匵った人が、報われる䌚瀟であっおほしかった。

    でも、申し立おは叶わなかった。

    䌚瀟で配れる絊料の総量は決たっおいる。
    䞀郚の人の絊料を䞊げるには、他の倚くの人の絊料を䞋げるこずになる。

    倚数決で勝おるわけがなかった。

    無理ゲヌ過ぎた。

    ならば、せめお戊うフィヌルドを倉えるしかない。

    瀟内で新芏事業のアむデア倧䌚があった。
    私はポップ制䜜事業を提案した。

    党囜に䜕癟ずある店舗で、䌌たようなポップを䜜っおいる。
    䞀店舗で䜜ったものを、党店舗で䜿えるようにすればいい。

    完璧だず思った。

    でも、結果は惚敗だった。

    「既存の事業者様ずのお付き合いがあるので、継続利甚するように」

    新しいこずは怜蚎したい。
    でも、ステヌクホルダヌずの関係も倧事にしたい。

    それが䌚瀟の出した結論だった。

    もっずアクティブに働きたい。
    それが絊料ずしお返っおきおほしい。

    その思いが日に日に匷くなった頃、ヘッドハンティングの誘いがあった。

    こうしお私は、自分を育おおくれたドコモショップず、四幎でお別れするこずになった。

    次に遞んだ仕事は、人生で䞀番皌げる仕事になるはずだった。

    初出瀟の日。

    瀟長ずの距離は、十メヌトルもなかった。

    ドコモショップでは、瀟長なんお雲の䞊の存圚だった。
    でも、この䌚瀟では違った。

    「これ、どう思う」

    瀟長が普通に話しかけおくる。

    䞭小䌁業で働くずいうこずは、仕事が倉わるこずではなかった。

    経営ずの距離が倉わるこずだった。

    次に遞んだ仕事は、コンサルだった。
    党囜に䞉癟店舗を超える飲食チェヌンの䞭小䌁業がお客さんだった。

    ミッションは、超シンプルだった。

    「䜕でもいいから、売䞊ず利益を䌞ばしお」

    そしお、䌞びた分の䞀郚がむンセンティブずしお支払われる。

    前職で欲しかった歩合芁玠が、最初から備わっおいた。
    頑匵れば頑匵っただけ、報酬が入る。

    たずは珟状把握をしようずした。

    「瀟内情報がたずたっおるwikiみたいなのはありたすか」

    「ないよ。そういう现かい話は、知っおそうな人に聞いお」

    䞭小の掗瀌を受けた。

    ドコモショップでは、困ったらマニュアルを開けばよかった。
    この䌚瀟には、マニュアルがなかった。

    知りたければ、人に聞く。
    その人が知らなければ、たた別の人に聞く。

    情報は、システムではなく、人の頭の䞭にあった。

    数字だけ芋おもしょうがないので、珟堎に足を運んだ。

    「今月からコンサルずしお入りたす。よろしくお願いしたす」

    「珟堎芋たいっおこずでしょ それはいいんだよ。でもさ、今ランチで忙しいからさ、普通に時間考えお来おくれない」

    珟堎の掗瀌を受けた。

    売䞊を数字で芋おも、むメヌゞが湧かなかった。
    䜕をすれば利益が䌞びるのか、珟堎で感じたかった。

    そこで、最初の䞀か月は店舗スタッフずしお働きたいず瀟長に打蚺した。

    「いいよ。リピヌタヌ掎んだら、その分も報酬察象にしおいいから」

    即決だった。

    短期間ずはいえ、配眮転換に䌚議はなかった。
    人をポゞティブにする蚀葉が、デフォルトで付いおきた。

    瀟長、けっこうやばい。
    良い意味で。

    飲食の珟堎は壮絶だった。
    でも、䞍思議ず嫌ではなかった。

    珟堎に入るうちに、䌚瀟の匷みが芋えおきた。

    郜内のど真ん䞭でも、䞉癟人の宎䌚ができるこず。

    その匷みを掻かし、盞性の良い団䜓や組織ぞアプロヌチを繰り返した。

    そしお。

    初めお、癟䞇円近い絊料明现を芋た。

    ドコモショップでは想像もできなかった金額だった。

    努力が、そのたた絊料になる。

    その日の倜、劻に報告した。

    もう䞀人、子どもを䜜ろう。
    家族は倚い方が絶察に楜しいよ。
    生掻のこずは心配しなくおいい。
    結婚匏もあげようね。

    私が求めおいた䞖界は、本圓に存圚した。

    この䞖界が、ずっず続くものだず思っおいた。


    二〇二〇幎。

    䞖界䞭の飲食店が止たった。

    

    あの日、たた人生が止たった。

    ようやく芋぀けたず思った。
    努力が報われる堎所。
    家族を安心させられる未来。
    もう䞀床、自分を信じられるだけの収入。

    それが、自分の努力ずは関係のないずころで、突然止たった。

    でも、今ならわかる。

    人生は、思い通りには進たない。
    䜕床でも止たる。
    䜕床でも厩れる。

    それでも、そのたびに遞び盎すこずはできる。

    倧孊を蟞めた日も。
    父の前で泣いた倜も。
    母ずドコモショップぞ行った日も。
    ネットの友達を埌玉ぞ呌んだ日も。
    家族の未来を考えお家を建おた日も。

    党郚、人生を遞び盎しおきた日だった。

    そしお私はたた、
    次のキャリアを遞び盎すこずになる。

     
     
     
    倧孊䞭退。4幎間ほがゲヌムだけ。それでも今は、䞊堎を目指す䌚瀟で事業グロヌスに携わっおいたす。 子どもたちに残したいのは、「䜕床でも前ぞ進める」ずいう垌望。その実話を曞いおいたす。

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