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noteの副作用

    ⚠︎あくまで個人の感想です。
    ご了承の上でお楽しみください


    noteを書き始めてしばらく経つ。

    そうすると不思議なもので、日常生活の中で些細な変化があった。

    最初は「気が向いたら書く」くらいの気持ちで始めた。自己満足のために書いていたし、誰かに読まれなくても構わないと思っていた。

    しかし気づけば、毎日スキが増えているか、フォロワーが増えているか、コメントが付いているかを確認するようになっていた。

    以前の自分なら気にもしていなかったことだ。

    さらに、通勤中や帰宅後、休日にまで「次は何を書こうか」と考えるようになった。

    すると今まで何気なく過ごしていた日常の景色が少し違って見えるようになった。

    電車の中でスマホを見ている人、仕事帰りに急ぎ足で歩く人、楽しそうに話している人たち。

    以前ならただ目の前を通り過ぎていただけの光景に目が向くようになった。

    そして、「この人にはどんな人生があるのだろう」「どんな悩みや目標を持っているのだろう」と考えてしまうようになった。

    この現象について、私は大きく分けて二つのことを感じている。

    一つ目は、今まで書いてきた作品には、自分でも知りえない誰かに伝えたい気持ちがあったのかもしれないということだ。

    最初は自己満足のために始めたつもりだった。

    それでもスキやコメントが気になるようになったのは、どこかで読んでくれる人の存在を意識していたからではないだろうか。

    人に伝わることが嬉しいと思う気持ちが、自分の中にあったのだと思う。

    二つ目は、思っていた以上に疲れるということだ。

    周囲を観察し、人にはどんな物語があるのかを考える。

    しかし、当然ながらその答えが分かることはほとんどない。

    想像はできても、結論にはたどり着けない。

    気づけば考える時間ばかりが増えていて、以前よりも頭を使っているような気がする。

    noteを書くことは文章を書く行為だと思っていた。

    だが実際には、物事の見方そのものを変えてしまう行為なのかもしれない。

    それでも私は書き続けたいと思う。

    周囲を観察し、考え続けることは思っていた以上に疲れる。

    それでも、今まで見過ごしていた日常の中に、小さな発見や気づきがあることを知った。

    そして、その気づきを言葉として残しておきたいと思うようになった。

    誰かの人生を大きく変えるような文章は書けないかもしれない。

    それでも、私が見たこと、考えたこと、感じたことを少しずつでも世の中に残したいと思った。

    だからこれからも、ゆっくりでいいから書き続けていこうと思う。

     
     
     
    社会の荒波に揉まれまくってる新人です。 興がのったらなにか載せます。 よろしくお願い致しますm(_ _)m

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