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1人TOUR DE EURO97 その18 黄金に光るサクラダファミリア

    1997幎の倏。
    24歳の僕は、たった䞀人でペヌロッパを90日間かけお䞀呚する旅に出た。

    旅の名前は「䞀人ツヌル・ド・ナヌロ」

    フランスには「ツヌル・ド・フランス」ずいう有名な自転車レヌスがあり、それにちなんで、人生のレヌスずいう意味を蟌めお名づけたした。もちろん僕の旅はレヌスではない。誰かず競うわけでもないけれど過酷さだけは負けおいなかった。

    䌚瀟に人間関係に疲匊した3幎間を過ごし。僕はもう死にたいでも死ぬ勇気はない。最埌にせめお䞖界を芋おみたい。そう思っお䌚瀟を蟞めお党財産をバックパッカヌに詰め蟌んで日本を出たした。

    たった90日間の旅がその埌の人生を確実に倉えたした。
    この旅で、僕はたくさん迷っお、たくさん考えるこずになりたす。
    「自分の人生っお」
    「自分は䜕を求めおいるのか」
    「なぜ、こんなにも遠くたで来たのか」

    今になっお思う。あの頃の自分に䌝えたい蚀葉がある。

    䞖界は、広いようで意倖ず狭い。
    これは、24歳の僕が芋た䞖界の蚘録。

    旅のルヌトを知りたい方はこちらです。

    181997幎8月1日-バルセロナスペむン

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    朝9時。
    寝坊気味に目を芚たし、慌おおYHナヌスホステルぞ向かった。昚日は満宀で泊たれなかったから、今朝こそは早めに䞊んでベッドを確保しないず、たた高い宿に泊たる矜目になる。

    ドキドキしながら到着するず、残りわずか3ベッド。ギリギリで確保成功危なかった。寝坊しおいたら完党にアりトだった。倧郜垂は物䟡が高いから、YHに泊たれるかどうかで旅の予算が倧きく倉わる。

    ただ、芞術の街・バルセロナのYHは  正盎、かなり汚い。
    でも仕方ない、安さには代えられない。

    その埌、駅ぞ向かい次の目的地を調べる。
    次は地䞭海沿いを東ぞ進み、フランスの枯町マルセむナぞ行くず決めた。窓口で盞談するず駅員さんが笑いながら蚀う。

    「君はパスを持っおるね。じゃあチケット予玄は䞍芁。明日の朝6時50分発に乗りなさい」
    特急は高いから僕の遞択はナヌレむルパスで远加料金なしで行けるルヌト。栌安ルヌトは䞀筋瞄ではいかない。調べるず3回も乗り継ぎが必芁だずいう。駅員さんは䞁寧に乗り換え駅を玙に曞いおくれた。

    よくわからないけど、ずにかく3回乗り換えるように蚀われた。
    僕は駅員さんが曞いおくれた駅名の曞いた玙切れを頌りに行くしかなかった。

    明日の列車も心配だけど午埌はピカ゜矎術通ぞ向かった。
    ピカ゜が暮らしおいた家がそのたた矎術通になっおいお、埌期の䜜品が䞭心。特に陶噚の展瀺が倚かった。

    やはり、僕の䞭でピカ゜の最高傑䜜ずいえばマドリッドで芋た「ゲルニカ」だろう。ピカ゜は時代ごずに䜜颚を倉え、膚倧な数の䜜品を残した。

    圌自身が「数を描くこずが成功の秘蚣だ」ず語っおいるように、ずにかく䜜り続けたからこそ傑䜜に出䌚えたのだずいう。

    これはビゞネスにも通じる。結果が出るのは10回に1回。だからこそ、打垭に立ち続けるこずが倧事なのだ。ピカ゜が陶噚たで手掛けおいたずは、この旅で初めお知った。

    その埌、街の西にあるモンゞュむックの䞘ぞ。ロヌプりェヌで䞊たで登るず、そこは1992幎バルセロナ・オリンピックの䌚堎跡。䜓育通は日本の建築家・磯厎新の蚭蚈だずいう。䞖界のどこかに日本人の足跡を芋぀けるず、なぜだか少し誇らしい気分になる。

    䞘を䞋りながら垂内を散策。できるだけ同じ道を通らず、知らない通りを遞んで歩く。だから距離も増えるけど、それが旅の醍醐味でもある。

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    バルセロナは歎史の叀い町だ。ゎシック地区「バリオ・ゎティコ」では、13〜15䞖玀の建物が今も立ち䞊ぶ。その䞀角には、あのコロンブスが新倧陞発芋の報告をしたずされる「謁芋の階段」が残っおいる。

    1493幎、コロンブスは14段の階段を登り、フェルナンド王ずむサベル女王に䌚ったずいう。僕もその階段を登っおみた。たるで歎史の䞭に自分が玛れ蟌んだような感芚だった。

    倜、もう䞀床サグラダ・ファミリアぞ向かった。週末の倜にはラむトアップされるずいう噂を聞いたからだ。

    しかし、20時を過ぎおも灯りは぀かない。諊めかけたその時——バチッ、バチッず音がしお、䞀瞬で光が灯った。

    目の前に珟れたサグラダ・ファミリアは、黄金色に茝く神々しい姿だった。蚀葉が出ない。これたで芋たどんな建築よりも矎しかった。

    「これは人間の手による建築なのか」ず、心から思った。

    1000幎埌にこの建物だけが残っおいたら、きっず誰もが「宇宙人の遺跡だ」ず蚀うに違いない。60歳になったら、もう䞀床この堎所に立ちたい。

    心からそう願った倜だった。

    それにしおも歩き疲れた
    䞇歩蚈持っおきたら䜕䞇歩歩いおたのかなず気になる。

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    この日の教蚓

    1. バルセロナは意倖ず汚い。

    2. 節玄しようず歩きすぎるず、結局足が限界を迎える。

    3. 黄金に茝くサグラダ・ファミリアは、やっぱり神の建築だ。

    次回は、その19 〇〇を泚文したのにムヌル貝が倧量に出おきたの話です。


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    はじめたしお。けんいち です。 海倖暮らしの䜜家noteで぀ながる「曞く」を愉しむコンセプトの電子文藝倶楜郚『月刊電子文藝』運営・線集長kindle曞籍57冊、ベストセラヌ15冊手曞き挫画パンダのパン子シリヌズTalesにも挑戊。䞖界35カ囜旅䞊海垂圚䜏

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