「幸せは、いつか」ではなく「今」にある――マザー・テレサの言葉から考えたこと
「幸せは、いつか」ではなく「今」にある――マザー・テレサの言葉から考えたこと
「この仕事が一段落したら」
「試験に合格したら」
「もう少しお金や時間に余裕ができたら」
私たちは、いつの間にか幸せを未来の条件と結びつけてしまうことがあります。
とくに50代、60代になると、これまでの人生を振り返る一方で、定年後の暮らしや健康、家族のことなど、これからへの不安も増えてきます。
まだ足りない。
もう少し準備が整ってから。
そう考えているうちに、目の前にある穏やかな時間を見過ごしてしまうことがあります。
そんな私たちに、マザー・テレサの言葉は静かに問いかけます。

今、この瞬間を幸せでいなさい。それで十分です。
一つひとつの瞬間こそ、私たちに必要なすべてです。それ以上はいりません。
幸せは、未来のどこかで完成するものではなく、今この瞬間に見つけるものではないでしょうか。
「今を幸せに」は、無理に笑うことではない
ただし、この言葉を「つらい時でも明るくいなければならない」と受け取る必要はないと思います。
悲しい時は、悲しくていい。
悔しい時は、悔しさを感じてもいい。
心が疲れている時に、無理に「私は幸せだ」と言い聞かせることは、かえって自分を苦しめることがあります。
ここでいう「今、この瞬間を幸せでいる」とは、苦しさを否定することではありません。
思いどおりにならない今日の中にも、小さな温かさがあることに気づくことです。
温かいお茶を飲めること。
誰かと挨拶を交わせること。
外に出て、風や季節の変化を感じられること。
学びたいと思えること。
もう一度挑戦しようと思えること。
人生全体が思いどおりにならなくても、一つの瞬間には、確かに受け取れるものがあります。
人生後半は「不足」ばかりが見えやすい
若い頃には、未来にたくさんの可能性があると感じられました。
けれども年齢を重ねると、「できなくなったこと」や「残された時間」に目が向きやすくなります。
体力が落ちた。
思うように覚えられない。
仕事上の立場が変わった。
新しいことを始めても、若い人のようには進めない。
それは、決して思い込みだけではありません。年齢とともに変わる現実はあります。
それでも、「失ったもの」だけが今の自分のすべてではありません。
これまでに出会った人。
仕事で培った経験。
失敗から学んだこと。
誰かの痛みを、少し想像できるようになったこと。
人生後半には、若い頃には持っていなかったものも、確かに積み重なっています。
今の自分を不足から見るのではなく、「すでにここにあるもの」から見つめ直す。
マザー・テレサの言葉は、そんな視点の転換を促しているように思います。
幸せを「結果」だけに預けない
目標を持つことは大切です。
資格試験に挑戦することも、新しい仕事を始めることも、語学を学び直すことも、未来を豊かにしてくれます。
しかし、「達成するまでは幸せではない」と考えてしまうと、挑戦している時間そのものが苦しくなります。
合格したら幸せ。
認められたら幸せ。
仕事として形になったら幸せ。
そうではなく、今日一つ覚えたこと、昨日より少し前に進めたこと、挑戦を通して新しい人と出会えたことにも、すでに喜びはあります。
結果を目指しながら、そこへ向かう一日一日も受け取る。
それが、幸せを未来へ先送りしない生き方なのかもしれません。
Kemmotsu's View
私自身、還暦を迎えてからも、英語の学び直しや資格試験、函館・道南でのガイド活動、サイクルツーリズムの仕事など、いくつもの挑戦を続けています。
目標があると、どうしても結果が気になります。
試験なら、合格点に届いたか。
ガイドなら、お客様に満足していただけたか。
新しい企画なら、仕事として形になったか。
結果が思いどおりにならなかった時には、「自分は何をしているのだろう」と情けなくなることもあります。
途中で弱気になった自分を、責めたくなることもあります。
けれども、マザー・テレサの言葉を読み返すと、私は結果の出る未来にばかり心を置いていたのではないか、と気づかされます。
英語の文章が、昨日より少し自然に口から出た瞬間。
函館の歴史を調べて、点と点がつながった瞬間。
自転車で道南を走り、その風景の魅力をあらためて感じた瞬間。
ガイド中のお客様の表情が、ふっと明るくなった瞬間。
そこにはすでに、私が求めていたものの一部がありました。
もちろん、目標を諦めるわけではありません。
英語も、ガイドも、地域での新しい仕事づくりも、まだ道の途中です。
ただ、「目標を達成した自分」だけを肯定するのではなく、「今日も挑戦している自分」を、もう少し認めてもよいのだと思うようになりました。
人生後半の挑戦は、若い頃より時間がかかるかもしれません。
うまくいかず、立ち止まる日もあります。
それでも、その日に学んだ一つ、その日に交わした会話、その日に感じた小さな喜びは、結果が出るまでの単なる待ち時間ではありません。
その瞬間もまた、私の人生そのものです。
今日の中にある、小さな一瞬
大きな幸せを手に入れようとすると、私たちは足りないものを数え始めます。
けれども、
「今日、心が少し動いた瞬間はあっただろうか」
と問い直すと、見える景色が変わります。
誰かの言葉に救われた。
食事がおいしかった。
空がきれいだった。
少しだけ前へ進めた。
そんな一瞬を、取るに足らないものとして通り過ぎないこと。
マザー・テレサの言葉が伝えているのは、幸せを大きくする方法ではなく、小さな幸せを見失わない生き方なのだと思います。
私もまだ、先のことを心配し、過ぎたことを悔やみます。
それでも時々、立ち止まってみたいと思います。
今、この瞬間にあるものを、ちゃんと受け取るために。
「それで十分」と思える一瞬を、今日も一つ見つけるために。
